赤い本を盗みに
「ひっ……!」
喉から変な音が漏れた。両手で口を押さえる。あかん。今ので寿命三年くらい飛んだ。ほんまにやめろや。心臓をおもちゃにすな。
『その程度で震える子が、爆裂なんて言うのねぇ』
頭の奥で、イスシアがゆるく笑う。
「ビビらすなや……! 今、王様帰ったとこやぞ……!」
『知ってるわよ。ずいぶん楽しそうに盗み聞きしていたもの』
「楽しそう言うな。こっちは命懸けや」
『命懸けの顔で笑いを堪えてたわねぇ』
うるさい。
見られとる。
脳内に住まれるって、こういうところが最悪や。
『で?』
イスシアの声が少しだけ近くなる。
『止められたから、盗みに来たん?』
「盗みちゃう。自主学習や」
『言い方だけ綺麗にしても、だいぶ盗みやねぇ』
「うるさい。あの毛玉が爆裂はダメって閉じたんや。せやから、うち一人で覚えたる」
『一人で?』
「お前もおるけど」
『数に入れてくれるんや。光栄やこと』
「ほな帰れ」
『いやよ。面白そうやもの』
赤い気配が、胸の奥で機嫌よう揺れた気がした。
『止められたものを、夜中に裸足で取りに来る。しかも理由が、爆裂。……ええ顔するやん、小娘』
「褒めとる?」
『半分くらいは』
「残り半分は」
『呆れとる』
「正直やな」
『うちは薔薇やからね』
「関係あるんかそれ」
イスシアは答えへんかった。ただ、奥でくすっと笑う。
『やるなら綺麗にやりなさい。半端な爆裂ほど見苦しいものはないわ』
「言い方怖いねん」
『難しいんやないのよ。危ないだけ』
「説明だけで嫌な汗出るんやけど」
『出しときなさい。少しは慎重になるでしょ』
ならへんかもしれん。
でも、今は黙っといた。
うちは棚の影から出て、ようやくブーツを履いた。もう王もマイルズもおらん。図書室はまた静かや。静かすぎて、さっきまでの会話がほんまにあったんか怪しくなる。
足元に、割れた木片が転がっとった。
昼間、うちがやらかした机の残骸や。板の端、脚の一部、何かの支え。あれだけ堂々と授業用の顔してたくせに、今はもうただの木片の群れやった。
……すまんな。
いや、悪いのはうちだけやない。たぶん。魔法も悪い。座学も悪い。マイルズもまあまあ悪い。
心の中で雑に供養して、うちは残骸をまたいだ。
奥の棚へ向かう。
前に見た本。あの赤い革の分厚いやつ。マイルズが閉じたやつ。爆裂魔法の頁があるやつ。
せやけど、暗い。
目を凝らしても、背表紙の文字がほとんど読めへん。窓の外から入る光も弱いし、燭台も落ちとる。こんなん探せるか。スマホのライト――
……スマホないんやった。
またや。
何回スマホ失ってること思い出させんねん、この世界。
『灯りくらいなら作れるわよ』
イスシアが呆れたみたいに言う。
「いや、ケータイないって今」
『だから、そのケータイという板のことは知らないけれど。灯りくらい、自分で作りなさいな』
「……できんの?」
『その程度なら、あんたでも届くわ』
その程度。
腹立つ。
でも、できるんやったらやる。
うちは手を前へ出した。昼間やったのと同じ。皮膚のすぐ外。指先のまわり。そこに薄くまとわりついとる流れを探す。
あった。
服を作った時より細い。バリアより軽い。けど、ちゃんとおる。眠そうな虫みたいに、指の外側をゆっくり回っとる。
「これを……光にすんの?」
『燃やしたら棚ごと終わるわよ』
「今それ言う必要あった?」
『派手好きやから、念のため』
「派手好きやけど、今は捕まりたない」
『ほな、光るだけでええわ。火にするほど余裕ないやろ』
「言い方」
でも、やる。
丸くて、明るくて、邪魔にならんもの。
そう思った瞬間、スマホのライトと懐中電灯とコンビニの天井灯が、頭ん中で最悪の合体をした。
あかん。
今の絶対あかん。
けど、流れはもう手のひらへ寄ってきとる。
ぽん、と音がした。
次の瞬間、手の上に白い光が生まれた。
「うわっ、まぶしっ!」
目が死んだ。
明るい。明るすぎる。近い。アホか。人間の目は光そのものに弱いんやぞ。誰やこんな近距離に太陽出したやつ。
うちや。
『……基本的ではあるわね』
「褒めてへんやろ、それ」
『褒めるところを探している最中よ』
「探すな。見つけろ」
『ほな、その小さい太陽を部屋の隅に投げなさい。手元に置くから眩しいのよ』
「最初から言えや……!」
うちは目を細めたまま、光の玉を掴む――掴めるんかこれ、と思ったけど、手の外側に引っかかる感じがあった。軽い。熱くはない。けど変に存在感だけある。
「ほな……太陽、シュート」
小さく呟いて、部屋の隅へ放る。
光は壁にも天井にもぶつからず、ふわっと浮いた。棚の影が一気に薄くなる。赤い革、黒い革、青い布張り、金の文字。今まで闇に沈んどった背表紙が、ずらっと顔を出す。
「……おお」
見える。
見えるやん。
『最初からそうすればよかったのに』
「今したやろが」
『遅いという意味よ』
「性格悪」
『知ってるわ』
そこから、ようやく本探しが始まった。
赤い革。
分厚い。
金文字。
たしか、棚の上から三段目やった気がする。いや四段目かもしれん。マイルズがしっぽで取ってたから高さの感覚がバグっとる。あいつ浮くから信用ならん。地面に住んでる人間の目線で置けや、本くらい。
背表紙をひとつずつ追う。
その途中で、棚の上のほうにあった薄い本が、ばさっと羽ばたいた。
ページを翼みたいに開いて、鳥みたいに二回だけ空中を泳ぐ。背表紙の金文字が、暗がりで変に光った。
「……は?」
目ぇが合った気がした。
いや、本やろ。
目ぇどこやねん。
薄い本は棚と棚の隙間へすうっと飛んでいって、途中でぱたんと閉じた。そのまま、何もなかったみたいに消えた。
……見なかったことにした。
今は爆裂や。世界のほころび一冊ぶんに構っとる場合ちゃう。
背表紙を追い直す。
《魔導構造基礎》
違う。
《自律家具発生例と安全処理》
見たくない。今はほんまに見たくない。
《魔法大百科》
「……あ」
あった。
赤い革。金の文字。昼間見たのと同じ重さ。棚の奥に、何食わぬ顔で収まっとる。
うちは両手で引っ張った。
重っ。
本が棚から抜ける。腕が少し沈む。何やこの重量。知識って物理で殴ってくるタイプなんか。
けど、出た。
うちは本を抱えたまま、思わずにやける。
やばい。
来た。
来てもうた。
頁。
三三四。
爆裂魔法。
FINAL SPELL No.646。
「見つけた……」
声が勝手に漏れた。
その瞬間、イスシアが言う。
『探すくらいなら、魔法で済んだのに』
「……は?」
うちは本を抱えたまま固まる。
「使えたん?」
『棚の記憶を辿るなり、名前で引くなり、いくらでもあるわよ』
「先言えや!!」
『あんた、楽しそうに探してたもの』
「楽しそうちゃうわ! 必死や!」
『同じような顔してたわよ』
腹立つ。
めちゃくちゃ腹立つ。
うちは本を抱え直して、光の下へ戻る。割れた机の残骸の横を通る時、木片の影が少しだけ伸びた。気のせいかもしれん。今は気のせいということにする。これ以上、物にまで構っとれるか。
「ほんま、この国、魔法に頼りすぎやろ。何でもかんでも魔法で済ませて、よう飽きへんな」
『飽きてるわよ』
イスシアは、なんでもないことみたいに言うた。
『便利すぎるものは、すぐ退屈になるの』
『だから、手でやる。歩く。探す。書く。壊す』
『遠回りしてる時だけ、生きてる気になる子もおるわ』
「……言い方、だいぶ嫌やな」
『違う?』
うちは本の表紙を撫でた。
革の手触りが、指に残る。
重さが、腕に残る。
自分で探して、自分で引き抜いた感じが、ちゃんと身体の中にある。
「……いや」
少しだけ考えて、口の中で言う。
「ちょっと分かるわ」
『何が?』
「ボタン一個で終わったら、勝った気せえへん時あるやん」
『勝ち負けなん?』
「うるさいな。探して、引っ張って、重ってなって……そっちのほうが、うちがやった感あるやろ」
『……やっぱり、あんた面倒くさい子やわ』
「褒め言葉の形、どこ置いてきたん」
『中身は褒めてるわよ』
「信用できへん褒め方やな」
でも、悪い気はせんかった。
うちは赤い本を抱えて、光の下に座り込む。
夜の図書室。
盗んだ時間。
頭ん中の赤い薔薇。
腕の中の魔法大百科。
そして、あの頁。
三三四。
うちは息をひとつ吸った。
「ほな……開けるで」




