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だいきぼ★ウチュウ  作者: こなるちゃん
第一部 世界がバグった日
25/60

聞いたらあかん話

「……報告を聞こう」


低い声。


うちは反射で、声と逆方向を見た。


……いや、何でやねん。そっちちゃうやろ。


自分で自分に突っ込みながら、扉の隙間から中を覗く。図書室の奥は、昼間と違ってほとんど眠っとるみたいに暗い。棚の列だけが黒い壁みたいに立っていて、その向こうに、わずかに灯りが漏れとる。


教室側やない。


もっと奥。棚と壁のあいだ、昼間は気にもせんかった細い隙間のほうからや。


うちは中へ滑り込んで、扉を静かに閉めた。ブーツはまだ履かん。持ったまま、棚の影へ身を沈める。床に膝をつきそうになって、ぎりぎりで止める。石と木の匂いが濃い。古い紙の匂いが、夜になるとちょっと湿っぽくなるんやな、とか、どうでもええことまで頭が拾う。


声のするほうへ近づいた。


棚の端まで行って、そこで止まった。


息を止めた。


ゆっくり、顔を出す。


おった。


マイルズ。


それから、スウェトボーレ陛下(へいか)


図書室の奥の小さい机を挟んで、向かい合っとった。昼間の玉座の間みたいな距離感やない。もっと近い。もっと仕事終わりの顔や。王のマントも少し緩んどるし、マイルズも板を抱えたまま、いつもの“完璧な手続き”より少しだけ疲れとる。


見たらあかんやつや。


せやから見る。


「理論を理解できるかにつきましては、正直、まだ判断しかねます」


マイルズの声やった。

綺麗やけど、昼間より少し低い。磨きすぎた銀の端が、ちょっとだけ削れとるみたいな声。


「危険性そのものは、現時点では限定的です。ただ……態度に難がございます」


態度に難。


誰の話しとんねん、コラ。


王は少しだけ顎を引いた。


「それだけか」


「……いえ」


マイルズのしっぽが、板の端を一度だけ叩いた。


「机を一台、破損しました」


あ。


報告されとる。


「それがどうした、マイルズ」


王の声は、思ったより軽かった。


「……は」


「机の一つや二つで、余が夜中に呼ばれねばならぬのか」


「いえ、その……通常の破損ではなく、自立性を帯びた後に――」


「ならば、まず口からその淫らな棒を抜け。話はそれからだ」


…………。


うわ。


今の、()むうに送りたい。

今すぐ送りたい。


《速報:王、マイルズに最悪のことを言う》


……スマホないんやった。


ていうか、ここで笑ったら普通に終わる。


うちは片手で口を押さえた。


あかん。笑うな。死ぬ。

死因「盗み聞き中に王の下ネタで自滅」は、さすがに家名が終わる。


マイルズは黙っとった。


ほんの少しだけ。

ほんまに、ほんの少しだけ。


「……失礼いたしました」


「失礼で済ませるな。お前は、何かあるたびに手順へ逃げる」


王は机に肘をつかなかった。ただ、そこに座っとるだけで机のほうが勝手に縮こまりそうやった。


「マルヴェディスでさえ、ここで教育を受け、建築魔術を身につけた。荒れた個体も、噛む個体も、壁を食う個体もおった。木片一つで騒ぐな」


「マルヴェディスには、馴らし方がございます」


マイルズの返事は速かった。速いけど、硬い。


「ですが、あのお二方は人間です。こちらの定型が通じません。叱れば噛みつきます。説明すれば半分ほど抜け落ちます。禁止すれば――」


「燃えるか」


「……はい」


知っとるやん。


王は短く息を吐いた。


「だからこそ、お前のほうが向いておる」


「私が、でございますか」


「そうだ。あれらは考える。こちらを見返す。嫌がる。選ぶ。マルヴェディスではない。命令だけで形を整える相手ではない」


王の声は、玉座の間の時よりずっと普通やった。

普通、いうても怖い普通や。包丁をちゃんと研いで台所に戻したみたいな普通さ。


「表を暗唱させるだけなら、書庫で足りる」


マイルズは何も言わへんかった。


「要るのは、崩れた現実の前で動ける者だ」


王の声が、机の上へ低く落ちた。


「読ませるだけでは足りぬ。撃たせろ。受けさせろ。倒れ方と、立ち上がり方を覚えさせろ」


「……承知いたしました」


「机なら壊せばよい。必要なら十台でも百台でも用意する」


うわ。

今の聞いたか、マイルズ。


座学、王から正式に殴られとるやん。


うちはまた口元を押さえた。笑うな。笑うな。笑うな。ここは真面目な場面や。たぶん。いや、さっき棒とか言うてたけど。真面目な場面や。たぶん。


マイルズは板を抱え直した。


「進捗そのものは、予想以上です。衣装の創出、バリア展開、物体操作および改変。特に(かみ)い様は、制御は粗いものの、出力への到達が早い。気むう様は、保持と安定において非常に高い反応を示しております」


気むう。


その名前が出た瞬間、ちょっとだけ胸が引っかかった。


寝てるはずの妹の顔が浮かんだ。白い薔薇の前で「ただいま」って言うた、あの声。思い出しただけで、喉の奥が変に詰まる。せやのに今、毛玉とヤギが、うちの知らん言葉であいつを測っとる。


腹立つ。

少しだけ、怖い。


「ただし、神い様は座学への適性が著しく低く」


おい。


今ちょっとだけしんみりした心、返せ。


王は小さく喉を鳴らした。


「それは見ればわかる」


見るなや。


「問題はそこではございません」


マイルズの声が、少しだけ沈む。


「……陛下。より重要な件がございます」


空気が変わった。


ほんの少しや。

せやのに、棚の影まで一段暗くなった気がした。


王も、笑わへんかった。


「聞こう」


防衛研究所ぼうえいけんきゅうじょの予測ですが――明日、現実全体に、次のレンダリングエラーの波が来ます」


レンダリングエラー。


その単語を聞いた瞬間、朝の通学路が頭に戻ってきた。


逆さに飛んどったカラス。

黒い人だらけの角。

ワバタタリオ。

寺の空。

青い薔薇の、壊れたまま咲いとるみたいな光。


背中の皮膚が、ぞわっと遅れて縮む。


直ったんちゃうんかい。


いや、直るわけないか。この世界、再起動ボタン押したくらいで機嫌直す顔してへんもんな。


「規模は」


「前回より強い、と」


「生物への影響は」


間が空いた。


マイルズのしっぽが止まる。


王の声が、少しだけ低くなる。


「……まだ、出ない」


まだ。


その二文字だけ、変に残った。


まだ、って何やねん。

そこで止めんなや。


「姉妹を保護しろ」


王は続けた。


「それと、波に触れた時、ただ怯えるだけで終わらぬよう導け。あの薔薇があのままなら、これからも同じことが起こる」


「承知いたしました」


「特に、白と赤に応じたあの二人だ。何も知らぬまま置いておくわけにはいかぬ」


白と赤。


またや。


うちの胸の奥で、イスシアがほんの少し動いた気がした。起きたんか、こっちが勝手に思い出しただけなんかは分からん。せやけど、赤い薔薇の気配は、眠っとる時でも完全には消えへん。人の頭ん中に勝手に椅子置いてくつろいでる感じや。最悪や。


「……陛下」


マイルズが小さく言う。


「先ほど、保護と仰いましたが」


「ああ」


「昨日、陛下は神い様を処断しかけておいででした」


王は黙った。


うちの指先が、棚の木を少しだけ強く掴む。


そうやぞ。

言うたれ、毛玉。

珍しくええこと言うやんけ。


「そのうえで保護対象として扱うには、説明が必要です」


「必要ならする」


「お二方に、でございます」


また沈黙。


長い。

このヤギ、間を置くのが好きすぎる。怖い人間ほど黙る、みたいなことあるけど、ヤギでも適用されるんやな。嫌な学びや。


「昨日は、疑いを潰す場だった」


王はようやく言うた。


「今は、無知を残すほうが危うい」


「……はい」


「矛盾に見えるなら、それで構わぬ。余は安全な顔だけ選べる立場ではない」


何やそれ。


指一本でうち殺しかけたくせに、今さら守る側みたいな顔すんなや。

でも、腹立つのに、ただの嘘にも聞こえへんのが余計に腹立つ。

あのヤギ頭の中、どういう部屋割りになっとんねん。殺す部屋と守る部屋が隣同士なんか。


「明日は早い」


王が言うた。


「休め、マイルズ」


「……恐れ入ります」


そこで、王が立ち上がった。


椅子が低く鳴る。


うちの心臓が、雷落ちたみたいに跳ねた。


あかん。


考えるより先に身体が動いた。ブーツを抱えたまま、棚の裏へ滑り込む。ほとんど転がった。肩が本の背にぶつかって、薄い音が出かける。うちは歯を食いしばって、息まで止めた。


足音が近づく。


王の蹄。

マイルズの浮く気配。

扉のほうへ向かう。


いけ。

そのまま行け。

こっち見るな。

頼むから今日だけはヤギとしての勘を全部捨てろ。


その時や。


空気が、ぴくっと止まった。


見られた。


気がした。


棚の隙間の向こう、王の影がほんの少しだけこっちへ向いた。見えてへんはずや。棚もある。暗い。うちは動いてへん。息もしてへん。せやのに、背中だけ先に死んだ。


王が、舌打ちとも息ともつかん音を鳴らした。


それから、何も言わずに歩き出す。


扉が開く。

閉まる。


足音が遠ざかる。


……。


…………。


うちはまだ動かへんかった。


こういう時こそ、二回目の五分や。


戻ってくるかもしれん。忘れ物しました、みたいな顔でヤギが再登場するかもしれん。いや王様が忘れ物すな。せやけど油断した時ほど人生は刺してくる。知っとる。うちは悪事の基礎だけはちゃんと積んどる。


一分。


二分。


三分。


息をそろそろ普通にしたい。


四分。


足がしびれてきた。


五分。


……生きとる。


「はぁぁぁ……」


ようやく小さく息を吐いた、その瞬間やった。


『……何をしているの、(くれない)の娘?』

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