机、起きるな
マイルズは、授業を完全には死なせる気がなかった。
いや、さっき「本日の座学はここまで」とか言うてた。言うてたけど、あれはたぶん怒りやなくて判断や。これ以上ちゃんとした講義は無理。せやから最後に必要なとこだけ畳んで終わらせる。そういう顔やった。
黒板の前で毛並みを撫でつけ直して、さっき何も起きてへんかったみたいな声を出しとる。ようやるわ。三メートル上まで浮かされて本まで喰ろうたやつの平静ちゃうやろ、それ。
「……では。講義としては終えますが、保持量について一点だけ補足いたします」
補足するんや。
うちは頬杖ついたまま、机の木目を見てた。
話なんか、もう全然入ってこん。
爆裂魔法の頁を一回でも見てもた時点で、こっちの中では授業はほぼ焼け跡や。せやのに向こうは、最後の最後まで単位だの傾向だの保持量だの。ようそんな灰みたいな話へ戻れるなと思う。
横では、気むうがまだ口元に指を当てとった。笑うてへん顔や。笑うてへん顔やけど、肩だけたまに妙な震え方する。まだ引きずっとる。
「――一般的には、防御系に適性のある者ほど流れの保持が安定しやすく」
知るか、と思う。
防御。保持。安定。
さっきから出てくる言葉、全部しょぼい。
こっちは今、六四六の続き以外、だいたいどうでもええねん。
マイルズの声が、また板みたいに平たくなる。
聞いてるふりだけはする。せやけど、目は勝手に机へ落ちる。
長机。重たい。真面目そう。
いかにも授業用って顔しとる。
この部屋ん中で、いちばん「ちゃんとしてます」みたいな面しとるのが妙に腹立った。さっきまであんだけぐちゃぐちゃやったのに、お前だけまだ普通の机の顔なんかい。
手ぇが、机の端に触れた。
木は冷たくも熱くもない。ただ、ちゃんと固い。
その普通さが、余計に腹立つ。
「神い」
気むうが小さく呼んだ。
「……何」
「その顔、ろくなこと考えてない」
「失礼な。八割くらいは未来のことや」
「残り二割が事故」
「十分夢あるやろ」
気むうはそれ以上言わんかった。
止めへん。けど、目ぇだけはこっちを見とる。あいつ、こういう時だけ変に勘がええ。
変形。
衣装を作るんとも、物を浮かすんとも少し違う。
でも元は同じやろ。寄せて、留めて、形を押し直す。
どうせ魔法なんやし、ちょっとくらい派手なほうへ転べや。そういうとこやぞ。
マイルズはまだ喋っとる。
「――なお、野生環境において自立生存が可能な個体は、最低でも一定以上の保持量を要し」
数字。
基準。
測定。
そんなもんで世界が動くなら、もっと可愛げあるやろ。
うちは息をひとつ吐いて、机の中へ流れを通した。
押し込むんやなくて、木の形を内側からずらすみたいに、そっと。
最初は、何も起きへんかった。
……あれ。
もう少しだけ流す。
指先から、薄い膜みたいなんが木の中へ染みる。机の奥で、何かがゆっくり向きを変える感じがした。固いはずの木が、ほんの一瞬だけ、布みたいにたわむ。
木が、かすかに震えた。
……いける。
脚の長さが、ほんの少しだけ伸びる。
板の端が、じわっと持ち上がる。
よし、そのままや。できるやん。ほら、やっぱりできるやん。もうちょい。あと少しだけ――
ぴし、と鳴った。
「……あ?」
机の側面に、細い線が入っとった。
ひび、というより、継ぎ目でもない場所が勝手に裂けたみたいな線やった。
木目のあいだを、見えへん爪でなぞったみたいに、浅く、長い。
そこが、持ち上がる。
うちは指先に力を戻した。止めたかった。
せやのに遅い。流れがもう、中で変なふうに噛んどる。
ふくらみが、もうひとつ。
「……ちょ、待って」
木が鳴る。
ぎ……ぎ、と、湿った関節みたいな音。
板の表面が内側から押されて、木目が寄る。逃げる。裂ける。
そこへ無理やり、顔の順番だけが生まれてくる。
まだ顔やない。
でも、顔になる場所だけ先に決まってしもたみたいで、見てるだけで喉が詰まる。
目ぇやった。
「っ、うわ」
描いたんちゃう。
浮かんだんでもない。
木のほうが勝手に、目の場所を思い出したみたいにそこへ寄っとる。片方のまぶたが重そうに持ち上がって、机の顔がこっちを見る。
瞬きした。
口まで割れた。
板の真ん中が裂けるみたいに開いて、声が滲む。
「…………誰だ」
低い。
深いとこで擦れた声やった。
長いこと重さの下に押し潰されてたもんが、今ようやく起きた、みたいな声。
うちは椅子を蹴るみたいに立ち上がった。
横で、気むうも一歩引く。椅子の脚が床をこすって、やけに大きい音を立てた。
背中の真ん中がひやっとする。
「なにこれ」
「……姉ちゃん」
気むうの声が、さっきより低い。
机の顔は、ゆっくり周りを見た。
まずうち。
次に気むう。
最後に、黒板の前で言葉を切ったマイルズ。
木の口が、ぎり、と軋む。
「誰が……我が静けさを……平らなものと思うた」
「は?」
意味わからん。
意味わからんのに、怒ってるんだけはようわかる。
次の瞬間、机が跳ねた。
ドンッ!!
四本脚が床を叩く。
長机やのに、生きもんの踏み鳴らし方やった。椅子が一つ弾かれて倒れる。板面がぐらりと傾く。
「っ、な」
マイルズの声が一拍遅れる。
「……何をなさっているのですか」
「うちに聞くなや!!」
机はもう一度、床を打つ。
ドンッ。ドンッ。
木のくせに、怒気だけはやたら生々しい。
「重ねるな。積むな。擦るな。
我を、ただ置くための顔にするな」
「机のくせに尊厳がうるさいな!?」
思わず漏れた。その瞬間、机の目ぇがこっちを剥いた。あ、あかん。
向きが変わる。
ロックオンされたんは、マイルズやった。




