魔法の前に脚
そうして、ようやく玉座の間へ戻った時や。
足はもう、笑う元気もない。
頭ん中だけ、まだロザルに片足突っ込んどる。
赤は奥で勝手に機嫌ようしとるし、白の前から戻ってきた気むうの気配は、まだ半分あっちに置いてきたみたいに薄い。
同じ部屋へ帰ってきたはずやのに、うちらだけ、ちょっとだけ噛み合うてへん感じがした。
その真ん中で、スウェトボーレ陛下はもう例の黄金の椅子に座っとった。
相変わらず、世界のほうが先に詫びるべきやと思ってそうなヤギ顔や。
ほんま、ようその面のまま落ち着いて座っとれるな。
こっちは薔薇だの何だので頭ん中ぐちゃぐちゃやのに、あいつだけ最初から最後まで「全部わしの盤面やが?」みたいな顔しとる。
腹立つ。
「陛下。本日分の記録でございます」
マイルズが、しっぽの先で支えとったクリップボードをすっと差し出した。
王は無言で受け取り、マントの内から細い眼鏡を取り出す。
……何やその、読む時だけ賢さ増す装備。
とは思うたけど、そこへ噛みつく元気も、もうだいぶ残ってへん。
王は眼鏡を掛け、紙面へ目を落とした。
部屋が静まる。
燭台の火がひとつ揺れて、そのあと何も起こらへん。
マイルズは壁際でぴたりと止まったままやし、気むうもまだ静かや。
うちだけが、喉のへん落ち着かへん。
王の目が、一度だけ止まる。
そのまま、もう一度そこを読む。
眼鏡の奥の瞳が、ほんの少しだけ細うなった。
「……ふむ」
短い声のあと、王は紙から目を上げへんまま言うた。
「……真に、魔法を扱えぬのか……まいか」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
王はようやく顔を上げる。
昨日みたいな、切るための目やない。
さっきみたいに、量るばっかりの目とも少し違う。
目つきの刺さり方だけが、そこで一回、鈍った。
「そなたらの居た場所には、魔法そのものが無かったと申したな。あれは虚勢でも冗句でもないのか……まいか」
「冗句でそんな嘘つくかい。ないもんは無い」
うちは眉をしかめた。
「うちらがおったとこじゃ、魔法とか、そういうもん自体が無かったんや」
「……ない」
気むうが、小さく続ける。
袖の端を指先で一度だけつまんで、すぐ離した。
「見たことも、使ったことも」
王はしばらく何も言わへんかった。
うちを見て、気むうを見て、それからまた手元の記録へ目を落とす。
「……ふむ」
その声は低いままやった。
せやのに、昨日みたいに“潰す側”が先に立った響きやない。
嫌々でも、別の形へ置き直しとる声やった。
やがて、王はクリップボードを閉じる。
「記録どおり、訓練への適性はある」
低い声が、机の上へひとつずつ置かれていく。
「あの歪みに触れ、薔薇に応じた以上――そなたらを、この件の外へ置いてはおけぬ」
横で、気むうの指先がもう一度だけ小さく止まった。
喉の奥が、ひとつだけ詰まる。
「ならば、まずは基礎より叩き込むほかあるまい……よきかな。マイルズ、部屋番号1200へ案内せよ」
……この件の外へ置いてはおけぬ。
その言葉が、小骨みたいに残る。
せやのに、その前に、別の二文字が頭ん中で勝手に手ぇ組みよった。
基礎。
訓練。
その二つが、うちの中で都合よう変換される。
「……訓練?」
一拍。
胸の奥が、どん、と跳ねた。
「え、ちょ、待って」
疲れが一瞬でどっか飛ぶ。
「うちに魔法、教えてくれんの!?」
王は答えへん。
答えへんけど、否定もせえへん。
それだけで充分やった。
「うっわ、ほんまに!? 本物の魔法!?」
声が勝手に上ずる。
「手ぇかざしたら一発でドカンてなるやつ!? 呪文とかある!? 何や、急に異世界らしいとこ見せてくるやん! 飛べる!? 光る!? あの、いかにも強いやつ出来る!?!?」
頭ん中で、都合のええ映像だけが一気に走る。
マント。
魔法陣。
ドカン。
バチバチ。
何かようわからんけど、とにかくめっちゃ強いやつ。
うわ、何それ。
最高やん。
――せやけど。
「……いや、待って」
急に、嫌な予感がした。
訓練。
基礎。
そのへんの単語が、今さら別の顔して並び直す。
「……それ、もしかして」
口角がひくつく。
「最初は走れとか、持てとか、登れとか、そういう脚しんどい方向やないよな」
誰もすぐには答えへんかった。
王は黙ったままやし、マイルズは目ぇ逸らしたままや。
気むうは横で静かにしてる。
そのくせ、さっきよりほんの少しだけ、うちの腕を握る指先が戻ってきとった。
その沈黙だけで、だいたい察した。
「……うそやろ」
頭の奥で、イスシアがちいさく笑う。
『あら。ようやく気づいたん?』
うるさい。
今それはほんまにうるさい。
「ヤダヤダヤダヤダ!!」
思わずその場で一歩下がる。
「何で魔法の入口がもう部活の匂いしてんねん!! そこはまず光れや!! 飛べや!! 何で最初に脚から来るんや!!」
王は一度だけ、めんどくさそうに目を細めた。
でも、撤回はせえへんかった。
「マイルズ」
「承知いたしました」
マイルズは一礼する。
「全力を尽くします」
やめろ。
その言い方、逆に怖いねん。
マイルズはうちらの方へ向き直った。
「では、お嬢様方。こちらへどうぞ」
最悪や。
魔法はある。
たぶん習える。
でもその前に、ろくでもない何かが絶対ある。
「……うちの異世界、光る前にまず脚から潰しにきとるんやけど」




