一二〇〇まで地獄
そっからや。
また歩かされた。
いや、歩く言うても、もう人間のちゃんとした歩き方ちゃう。膝は笑う元気すら失うとるし、腰は「本日の営業は終了しました」みたいな顔しとるし、足の裏なんか半分もううちのもんやない。魔法がどうとか言う前に、次の一歩まで自分を運ぶので精一杯やった。
『へえ。直々にご案内なん。ずいぶん手厚い王国やこと』
頭ん中で、イスシアが機嫌よう笑う。
「手厚いんやなくて、ただ遠いだけや」
『結果、同じやろ』
「全然ちゃうわ。こっちは今、親切に殺されかけとんねん」
前を行くマイルズは、そんなこっちの会話なんか最初から業務外やいう顔のまま、ふわっと先へ進んでいく。腹立つ。歩幅の概念から逃げ切ったやつだけが許される移動や。こっちは一歩ごとに脚の芯がきしんどるいうのに、何であっちだけそんな涼しいねん。
廊下は、まだ続いとる。
右も左も扉。扉。扉。
その横の数字が、嫌でも目に入った。
「……六六七」
次。
「六七一」
次。
「六七四」
「……なあ」
声が、自分でもびっくりするくらい乾いとった。
「うちら、今どこ向かっとるんやったっけ」
「部屋番号千二百でございます」
マイルズが振り向きもせんまま答える。
「知っとるわ!! 確認や、確認!!」
口に出した瞬間、確認してしもたことを後悔した。
千二百。
今、目の前にあるんは六百台。
六百台。
「……待って」
もう一回、扉を見る。
次の札。その次。
六百台。まだ六百台や。
「いや、待て待て待て」
喉の奥が変なふうに乾く。
「うちら、千二百行くんやろ」
「左様でございます」
「今、六百台やろ」
「左様でございます」
「ほな、まだ半分も行ってへんやんけ!!」
声が廊下に跳ねた。
最悪や。
自分で言うて、自分で心折った。
横で、気むうが一回だけ目を閉じた。
で、そのまま、うちの袖を軽う引く。
「……黙って歩いたほうが、たぶん早い」
「正論で殴るなや……」
『よう出来とるわねぇ、この城』
イスシアが、薄う笑う。
『部屋を与える前に、ちゃんとここまでで値踏みするんや。王より先に廊下が選別しよる。偉そうな城やこと』
「褒めるな」
『褒めてへんわ。嫌いやないってだけや』
「同じやろが」
また歩く。
また扉。
また数字。
六八二。六九〇。七〇四。
もう数やない。
廊下の壁に打ちつけた嫌がらせや。
見たところで減るわけでもないのに、通るたびにきっちりそこにおる。何やねん。律儀に地獄せんでええねん。
『ちょっと、もうちょい丁寧に視線動かしてぇな。揺れる』
「知らんわ。こっちは今、片脚ごとに遺書書きながら進んどんねん」
『大げさやねぇ』
「ほな代わってみ」
『嫌や。うち、咲く側やし』
「クソが」
三歩ほど進んだとこで、うちはもう一回、前の毛玉を睨んだ。
「……なあマイルズ」
「はい」
「休憩」
「ございません」
「早っ」
「到着後であれば」
「到着前に死ぬっちゅう話しとんねん!!」
「その場合は、より迅速な到着が必要でございます」
「会話で人殺せるタイプやなお前!!」
そこで、横から気むうの肩がふっとぶつかった。
見たら、あいつの足もだいぶ終わっとる。呼吸は浅いし、膝もわずかに内へ入っとる。
「……平気か」
「……平気では、ない」
「せやろな。こっちも今、脚が四本ほしい」
気むうは返さん。
ただ、二歩ほど進んだとこで、ふっとよろけた。
反射で腕を回す。
けど、うちが支えた思た次の瞬間、逆にこっちの脇腹をきゅっと持ち直された。
「……これ、もう何かの嫌がらせやろ」
喉の奥から、潰れた声が出る。
「歩行耐久の拷問やろ……」
「……前説、かも」
気むうが小さく言うた。
「嫌すぎる前説や」
でも、その声は細いくせに妙にちゃんと立っとった。
しんどいのは同じやのに、完全には崩れへん。そういう立ち方のまま、こっちの腕を離しもせえへん。
九二七の札が見えたころには、会話らしい会話はだいぶ死んどった。
うちの腕は気むうの背に回っとるし、向こうの手ぇもこっちを掴んどる。もう二人で歩いとるんやなくて、二人まとめて前へ倒れ続けとる感じや。足は出しとるはずやのに、感覚としてはほぼ引きずられとる。
『へえ』
頭の奥で、イスシアがひとつ鼻を鳴らす。
『前で喚いてんのはあんたやのに、最後の芯を折らせへんのはちゃんとそっちの妹なんや』
「……何や」
『別に。よう出来た対や思ただけ』
「急にわかったようなこと言うなや」
『うち、見える側やもの』
「腹立つ言い方やなあ、ほんま……」
そこで息が切れた。
文句言うほうが酸素食う。最悪や。
千を越える。
四桁見た瞬間だけ、ちょっと助かった思た。
ゴール見えた気ぃした。
次の瞬間、まだ二百近く残っとるんが見えて、ああ、これゴールやのうて絞首台やったんやなってなった。
「何で四桁入ってからのほうが絶望濃なんねん……」
「……見えるから」
「やめろ。正論で刺すな」
気むうの声もだいぶ細い。
せやけど、その一言だけは妙にはっきり入ってきた。見える。そうや。終わりが見えるせいで、逆に遠さの形がちゃんと出てくる。最悪や。
途中、壁際の鎧が一体だけ目に入った。
一瞬、あれに寄りかかれへんかな思た。
でも、どうせこの城のことや。触れた瞬間に「鎧支持は許可されておりません」とか言いそうやし、そこで心まで折れたら終わりやと思てやめた。
一一五七。
その数字を見た時、逆にちょっと笑いそうになった。
「……なあ、気むう」
「……」
「もうちょいやで」
「……うん」
「残り、四十三」
間。
「……四十三も」
「“も”で言うな。“しか”で言え」
「……四十三しか」
「心こもってへんわ」
でも、気むうの口元がほんの少しだけ動いた。
笑うたんか、息の形が変わっただけなんかは知らん。知らんけど、その一瞬だけはちょっと助かった。
残り四十。
残り三十。
残り二十。
ここまで来ると「もう少し」が励ましやのうて脅しや。だって、その“もう少し”を歩く脚が、もうこっちに残ってへん。
「……マイルズ」
「はい」
「あと何分」
「まもなくでございます」
「信用ならん答えの代表みたいな言い方しよってからに……」
「実際、まもなくでございますので」
「今のうちには、その“まもなく”がもう長いねん」
一一八八。
一一九三。
一一九八。
見えた。
一二〇〇。
扉の上の数字だけが、やたら神々しゅう見えた。
いや、神々しいんちゃう。勝ち誇っとる。あの数字、絶対いま「ここまで来れると思わんかったやろ」みたいな顔しとる。
「……つ、着いた……」
声にした瞬間、身体が安心しよったんやと思う。
うちも気むうも、そこで一回だけ、ほとんど無駄な抵抗みたいに背中を起こした。
せめて最後くらい、床に負ける前の生き物みたいな顔で着きたかったんやと思う。
最後の一歩を出そうとして、膝がそこで終わった。
「あ」
前から落ちる。
避けるとか、手ぇつくとか、そういう高等技術はもう残ってへんかった。視界が一気に近うなって、床が来る。
横でも、ほぼ同じ音がした。
どん、やなくて、べしゃ、やった。
人間が最後の一滴まで使い切られて床へ貼られる音や。
「いっっ……た……」
痛い。痛いけど、着いた。
顔面から着いた。
最悪の順番で着いた。
なんとか目ぇだけ上げる。
目の前に、扉。
その上に、一二〇〇。
「…………」
笑う元気もない。
泣く元気もない。
せやのに、口だけ勝手に開いた。
「やっっっっと……着いだぁぁ……」
達成感やなくて、ほぼ怨念やった。
その横で、気むうも床へ伏せたまま、かすかに息をしてる。手ぇだけが、じり、と動いて、うちの袖の端を掴んだ。
生きとる。
たぶん。
たぶんな。
『あは。ひどい着地やねぇ』
頭の奥で、イスシアが楽しそうに笑う。
「うる、さい……」
視界の端で、マイルズがこっちへ寄ってくる。
ふわふわしとるくせに、その動きだけ妙に淡々としてて腹立つ。
「……お嬢様方。到着でございます」
「見たら……わかる……」
扉の上の一二〇〇だけが、最後までやたらくっきり見えとった。
ほんで、そこでぷつっと、全部落ちた。




