薔薇が煽ってくる
「ほら、行くで、気むう」
うちは妹の腕を引いたまま、ロザルのまわりをゆっくり歩いた。
中がどういう場所かは、もう見た。静かで、でかくて、薔薇が勝手に光っとる。そんだけや。
正直、門んとこの大騒ぎに比べたら、だいぶ拍子抜けやった。もっとこう、入った瞬間に「魔法です!!」みたいなん来る思てたのに。
横目で気むうを見る。
あいつは、引かれるままついて来とるくせに、もううちの横は見てへんかった。視線だけ、どっか遠いほうへすうっと持っていかれとる。
「……ちゃんとおるよな」
返事はない。
せやけど、指先だけはまだ離れへんかった。こっち握っとるのに、意識だけ別のとこ行っとるみたいで、変な感じやった。
その時や。
ひとつだけ、赤い薔薇が妙に目についた。
ほかのやつらは、そこにあるだけや。光っとるいうても、部屋の静けさに紛れて終わりや。せやのに、そいつだけは違う。見ろ、見ろ、って言うみたいに、視界の端から何回も割り込んでくる。
一歩寄る。
赤が、ちいさく脈ついた。
ぴっ。ぴっ。ぴっ。
音がしてるわけやない。せやのに、そんな感じやった。ただの点滅より、もうちょい生きもん寄りの脈打ち方や。うちが近づくほど、そいつだけはっきりしてくる。
「……何や、お前」
もう一歩。
赤がまた、さっきより強う脈つく。
離れたら弱まる。寄ったら戻る。
うわ。何やこれ。位置わかっとるみたいやん。
待ってた、みたいな光り方やった。
うちは赤い薔薇の前でしゃがみこんだ。
「どないしたん。さっきからこっち見て。……ほれ、来る?」
一拍置いて、うちは自分で言うたことに気づく。
「あ、ちゃうか。花やしな」
赤が、ぴしっとひとつ強う光った。
次の瞬間や。
『……あら。初手からその距離感なん? ずいぶん遠慮のない子やねぇ』
女の声が、頭ん中へぬるっと入ってきた。
『花にも礼のひとつくらい習わへんかったん? 小娘』
「…………は?」
ちょっとしゃがれとる。せやのに妙に艶っぽい。上から薄う笑いながら撫でてくるみたいな、腹立つ声やった。
目の前には、赤い薔薇。
頭ん中には、その赤い薔薇にしかありえへんタイミングで、女の声。
「…………は?」
『二回言わんでも聞こえとるわ。反応うるさい子やねぇ』
「いや待てや」
思わず指さす。
「今しゃべったん、お前?」
『“お前”やて』
赤が、呆れたみたいにひとつ瞬いた。
『ほんま、育ち出るわぁ』
「……何やその声」
思わずそう漏れた。
「いや、喋ったんも大概やけど……何やねん、そのトーン。花のくせに妙に色っぽいんやけど。腹立つわ」
一拍あって、
『……は?』
ぬるい余裕が、そこで一枚だけ剥がれた。
『色っぽい? うちが? 何をどう聞いたらそうなんのよ、この小娘』
「知らんわ。そっちが勝手にそう聞こえとるだけやろ。何なんその、やたら上からで、妙にねっとりした喋り方」
『……ほんま失礼な子やねぇ』
「説教なんか口説きなんか、どっちかにしてくれへん?」
『口説く? あんたを? 身の程って言葉、家で習わへんかったん?』
「うっわ腹立つ。ほなその偉そうなん、ちょっと下げてくれへん? 薔薇のくせに」
『それ以上なめた口きいたら、首から上だけ綺麗に散らしたろか』
「やれるもんならやってみ。先に引っこ抜いて、そのまま可燃ごみや」
『試してみなさいな、地獄産の小娘。触れた瞬間、あんたの残りの人生ぜんぶ後悔にしてあげる』
「盛るなや。よう吠える薔薇やな」
『吠えてんのはそっちやろが』
「うるさい、おしゃべり薔薇」
『ぺらぺら小娘が何言うてんの』
「ぺらぺらなんはお前やろ!」
『あんたが先に喋りかけたんやろが!』
「知らんわ、乗ってきたんそっちや!」
『喧嘩売っといて何言うてんのよ!』
「……いや、待て」
そこで急に、頭だけ我に返った。
「お前、さっき首飛ばすとか言うてへんかった?」
『言うたわよ』
「何でそのあと普通に口喧嘩の流れになっとんねん」
『知らんわよ、あんたがちゃんと乗ってくるからやろ』
間が空く。
赤が、ぴくっと光る。
うちの肩が揺れる。
「……アホやろ、お前」
『そっちが始めたんやろが』
「アハハハハハ!」
『っ……あは、あはは……ほんま腹立つわ、この小娘……!』
笑った次の瞬間、ぞわっとした。
待て。
待て待て待て。
「……ちょ、待って」
うちは一歩引いた。
「何でうち、花とここまで揉めとんの!?」
『今さらそこ?』
「今さらやろ!! 遅いとか言うな!! お前、花やろ!? 何でうちの頭ん中に勝手に入ってきとんねん!!」
『やかましいわねぇ』
声は呆れとるのに、どこか面白がっとる。
『あんたの頭ん中がうるさいから、拾うて返しただけや。――ほら、あんたらの言い方で言うたげる。テレパシー。はい、おしまい』
「……ワッタファック」
『“ワッタファック”って何やの。勢いだけで生きとるん?』
「そっちは花のくせに関西で煽ってくるなや」
『うちをそのへんの花と一緒にせんといてくれる? 不愉快やわぁ』
またちょっと、上からの声に戻ろうとしとる。
……あ、こいつ、これやるタイプなんやな。
ふと横を見る。
少し離れたとこで、気むうが立ち止まっとった。
うちのほうは見てへん。せやけど、ただ見失っとるんやない。あっちの空気だけ、薄い布でも一枚かかったみたいに静かさの質が違う。気むうが立っとる場所だけ、音が少し遅れて届くみたいで、落ち着かん。
しかも、あいつの指先――さっきまでうちを掴んどった力が、いつの間にかするっと抜けて、別のどこかに引かれとるみたいやった。
マイルズは部屋の端で、相変わらず一言もくれへん顔のまま、うちらを見とる。
「……何やこの空間」
『お仲間が静かで助かるわねぇ』
「余計なお世話や」
うちはもう一回、赤い薔薇を見た。
ムカつく。
偉そう。
花のくせにやたら喋る。
せやのに、不思議と嫌やない。
「……もうええわ。何か知らんけど、お前、嫌いじゃないで」
『それは光栄やこと』
「で、名前ないん?」
『人間みたいな、という意味なら無いわねぇ』
赤が、ちいさく揺れる。
『あいつらが勝手につけた呼び方ならある。“赤の薔薇”。あるいは“意思と決意の薔薇”』
「長っ」
『感想が雑』
「ほな、赤でええわ」
『雑』
「じゃあ、赤姐」
『下品』
「めんどくさ」
『当然やろ』
ほんで、そこで一拍あった。
今までみたいな即返しやのうて、ちょっとだけ底のほうへ沈む間やった。
赤が、ゆっくり脈つく。
『……せやけど、もし』
声の温度が、ほんの少しだけ変わる。
『もし、うちが人間みたいに、たったひとつだけ名を選ぶんなら――イスシア』
「……イスシア」
口の中で転がしてみる。
柔らかいのに、芯だけ勝手に立っとるみたいな音やった。ぬるいようで、全然ぬるうない。
赤い薔薇が、満足そうにひとつ光った。
『悪ないやろ』
「何やその言い方。自分で言うんかい」
『言うわ。うちはそういう薔薇やもの』
「ほな、シア姐」
『馴れ馴れしいわ』
「シアちゃん」
『花びらで口ふさぐわよ』
「怖。ほなイスシアでええわ」
『最初からそう言いなさい、小娘』
「何やねん、その勝ったみたいな感じ」
『勝っとるやろ』
「顔もないくせによう言うわ」
「……よろしくな、イスシア」
その瞬間や。
赤――イスシアが、今まででいちばん強う脈ついた。
得意げやった。どう見ても。
腹立つ。
せやけど、胸の奥だけ、ちょっと跳ねた。
『ええ。せいぜい退屈させんといて』
赤が機嫌よう光る。




