心臓砕くなや
「……うわ」
疲れ切っとった頭が、そこで一段だけ冷える。
王はゆっくり片手を上げた。指のある蹄。そこへ空気が吸い込まれるみたいに、赤い光が細う集まっていく。
「█▓▒░ FINAL SPELL No.118 ░▒▓█
タイム・パージ」
ドン、と鳴った。
赤かった。
空気そのものが一瞬で赤う染まって、部屋の奥まで走った波がぴたりと止まる。燭台の火が止まる。絨毯の端が止まる。音も、揺れも、時間ごと固められたみたいに、世界がそこで変な止まり方をした。
「……は?」
足は動く。
うちも、気むうも、王も動ける。せやけど、それ以外が全部止まっとる。何これ。寝起きに急にゲームのバグ最終形態みたいなん見せるなや。普通に怖いんやけど。
心臓が一発、遅れて強く鳴る。
うちらはゆっくり中へ入っていく。入るしかない。止まった空気を押し分けるみたいな変な感触があって、肌の上をざらっと何かが撫でていく。全身にアリ入りスポンジこすりつけられとるみたいで、気色悪い。
「……何これ……」
声が勝手に細うなる。
そこでようやく、王の様子が変やと気づいた。
片手を前へ向けたまま、指先に力が入りすぎとる。肩も固い。呼吸も荒い。あまりに顔こわばっとるせいで、見てるこっちまで歯に力入る感じやった。
うちらが扉の敷居をきっちり越えた、その瞬間や。
張り詰めとった赤がふっとほどけた。止まっとった火が揺れる。空気が戻る。王の手がゆっくり下がる。
一歩、半歩、後ろへよろけるみたいに下がって――そこでようやく、スウェトボーレ陛下は玉座へ腰を落とした。
「っ、は……」
息の音がやけに生々しい。
その時や。見慣れた毛玉が、さっきまで絶対そこ何もおらんかったやろって場所から、ぴょこぴょこ慌てて飛び出してきた。
「陛下っ! ですから申し上げましたのに!」
マイルズやった。台所で見た毛玉執事。今は綺麗な声より先に、焦りのほうが前へ出とる。
「ご無理なさらぬよう、あれほど――」
「……必要であった」
王は低く言い返した。咳が混じる。
「必要、ではございません。少なくとも、ここまでの出力は」
マイルズがぴたりと王の横につく。怒鳴っとるわけやないのに、語尾の端が硬い。
「もうおわかりでしょう。あのお二方は、魔女ではありません」
「理もなく、“薔薇の間”へ通すわけにはいかぬ」
「承知しております。ですが、もし本当に邪へ堕ちた者であったなら、今の術で心臓は砕けておりました」
その一言で、背中がぞわっとした。
心臓砕く話を、そんな天気の話みたいに言うなや。
王は少し息を整えてから、低く答える。
「タイム・パージは、邪に堕ちた心にのみ作用する。深く歪み、毒されたものだけを穿つ」
マイルズが続ける。
「お二方には、何の反応もございませんでした。少なくとも、“その類”ではないということでございます」
“その類”。
その言い方が妙に嫌やった。安心してええんか微妙に迷うやつや。
「……それでも」
王は一度、こっちを見る。うちを見て、それから気むうを見る。
その一瞬だけ、気むうの肩がわずかに詰まった。
「我が手で確かめねば、“薔薇の扉”は開けぬ」
「ですから、その“我が手”が保たぬと申し上げております」
マイルズが半歩だけ詰める。完全に介護や。いや執事やけど。
「次をなされば、今度こそ本当にお倒れになりますよ」
「……ふむ」
短い沈黙のあと、王はようやく背もたれに身を預けた。
「よかろう。彼女らを、“薔薇の間”へ案内せよ」
その一言で、空気が少しだけ変わる。
横で、気むうがほんのわずかに息を飲んだんがわかった。
「――ただし、マイルズ」
「はっ」
「万一、異変があれば……即座に、“あのボタン”を押せ」
ボタンて。急に世界観そっちなん?
マイルズは一瞬だけ顔を引きつらせた。嫌な予感だけはした。
「……かしこまりました、陛下」
返事だけは綺麗やった。
そこでようやく、うちは息を吐いた。知らんうちに止めとったらしい。
寝起きにそんな情報量ぶち込むの、たぶん医者にも止められるで。
ふと、前を飛んどったはずのベレー帽毛玉を探す。
「……あれ」
おらん。
さっきまで確かにおったのに、気配も音もなく消えとる。何やあいつ。出入りがいちいち洒落すぎやろ。
代わりに、マイルズがこちらへ向き直った。
さっきまで王の横で空気張っとったくせに、もう声はきれいに整っとる。何やねんこいつ。オンとオフの差で風邪ひくわ。
「……どうぞこちらへ、お嬢様方」
その呼び方、まだ慣れへんな。慣れたくもないけど。
「ほな、行こか」
言うてから、気むうのほうを見る。
あいつはまだ、自分の手ぇを見とった。
指先を、じっと。触るでもなく、握るでもなく、確かめるみたいに見とる。呼ばれても、すぐには上がらへん。顔色は戻ってへん。せやのに、さっきまでのしんどさとも、何かちょっと違う。
「……気むう?」
一拍おいて、ようやく目ぇだけこっちへ向いた。
何か考えとる。けど、うちにはその中身までは届かへん。
そのまま、うちらは玉座の間を抜けた。




