第十一話
前回のあらすじ
フレイル外交執政官による、アバニアとの協力締結は失敗に終わった。アバニアは敵とすべきクリステッドと手を組み、歪んだ勝利を手に入れようとしている。
時をほぼ同じくして、モーテルムでは。ラキア達陽動部隊が引き込んだマーゴ防衛戦力と、エリオット達との戦いが始まっていた。敵の主将・ペインスの猛攻により、一時は危険な所まで追い詰められたが、これを何とか迎撃した。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「そういう訳でな、何とか凌ぎきったが被害もそれなり、ということだ」
無事だった西側の拠点で、ゼロスとアイリーンはカリンからモーテルムで起こったことの顛末を聞いていた。彼らは仲間が無事であったことを知り、胸をなでおろす。
「それで?デリントの制圧はうまくいったのか?」
「はい。負傷者もほとんどおらず、完勝と言ってよいかと」
「そうか。……戻ってきてすぐで悪いが、街の補修を手伝ってくれないか?こっちは思っていたよりも負傷者が多くてな、人手が足りないんだ」
アイリーンはすぐに返事をしなかった。確かに街の補修は急務ではあるが、険しい道のりをたどってきた部下たちをすぐに働かせるのは気が引ける。彼らには休息が必要だ。どうするべきか悩んでいると、隣にいたゼロスが代わりに口を開いた。
「部下は疲れ切ってる、無茶な行軍と戦闘でな。……手伝いは俺がやる。どうせ力仕事だけだろう?」
「ああ、ゼロスだけでも人手としては十分だろう。資材の運搬がもっとも時間のかかる作業だからな。一階の倉庫にノクスがいるはずだ。そこに向かってくれ」
「わかった。……アイリーン、三番隊の奴らを休ませておいてくれ。頼んだぞ」
「え、ええ……」
彼も疲れているはずだというのに、それをおくびにも出さず倉庫へと向かっていった。それを見送ったカリンは部屋に残ったアイリーンに頭を下げる。
「……すまない。戻ってきたばかりだというのに、無茶な頼みだったな」
「いえ、私が引き受けたわけじゃありませんから。またあの人に助け舟を出してもらっただけです」
「ゼロスにも直接謝りたかったが、あいつはずいぶんとせっかちだな。……すまない、戦後処理が立て込んでいるんだ」
カリンも副団長として雑務に忙殺されているのだ。彼女は再度「すまない」と謝意を口にして駆け足で会議室から出て行った。アイリーンとしても、誰もいない会議室にいつまでもいる理由もない。部下に休息を伝えるためにも、彼女も足早に会議室を後にした。廊下を歩く最中、大きな丸太を肩に担ぐゼロスが目に入った。
「それでは、部下をよろしくお願いしますね」
「ええ、承りました。……とはいっても、ただ寝かせるだけですし、それほど手はかかりませんよ」
アイリーンは三番隊の部下たちを医療兵に任せ、広場に向かっていた。どうしても、先ほどの光景が心に引っ掛かっていたのである。……彼のあの物言い、どう考えても彼女の心情を察したうえでの発言に違いない。デリント制圧戦での功労者は彼で間違いないほど彼は剣を振るっていた。道中の休息でも見張りに立ち、休んでいる姿を碌に見ていない。……アイリーンは、彼に無理をさせていないか不安でたまらなかった。カリンに手伝いを頼まれた時、優柔不断になってしまったが故、彼が今無理をしているのではと思うだけで、彼女の心は休まることなどなかった。
「……どうした?休んでいるんじゃなかったのか?」
「ゼロスさん。……今は休憩中ですか?」
「ああ。ノクスに『疲れてるだろ』って言われてな。資材の運搬だけやってお役御免だ。……それよりも、休んでないのか?」
アイリーンは心配そうに見つめてくるゼロスの視線から逃れるようにうつむき、小さくうなずいた。彼が「何故」と問いかけると、彼女はぼそぼそと話し出す。
「……ゼロスさんがこうして働いているのに、私だけ休むわけにはいきませんから。……ごめんなさい」
「どうした?俺はアイリーンに謝ってもらうようなことをされた覚えはないんだが」
「カリンから仕事を頼まれたとき、優柔不断だった私の代わりに……」
「代わりに何かをやった覚えはない。その仕事は俺が適していた、それだけのことだ」
ゼロスはまるで何事もなかったかのようにふるまう。彼にとっては本当にただそれだけの事だったのだろう。だが、彼女にとってはそうではなかった。不安に支配された心では、すべての言葉が気を遣ってかけられた言葉だと錯覚する。
「……でも、それなら私に適している仕事って何なんでしょうか?カリンのように皆を率いる力があるわけでもない、あなたのように無双を誇れるほどでもない。……私は、中途半端です」
卑屈をこじらせ肩をすくめるアイリーン。疲れからか、それとも戦果をあげられていない不安からか。今まで抑え込んでいたであろう弱音は留まるところを知らない。ゼロスは少し考える素振りを見せたのち、彼女の肩を掴んだ。
「よく聞いてくれ。……俺は家事ができない。傭兵の頃、食事はただ肉を手に入れて焼くだけだったし、服や鎧の手入れも雑だった。それに、皆を率いる力もない。独断専行して、力だけで解決する。カリンやノクスに言わせれば、俺は問題児だろう。……俺だって、できないことの方が多い」
「でも、あなたには力がある。たった一人で戦況をひっくり返すほどの力が。……私には何も」
「それ以上言うな。アイリーンにもできることがある。……家事ができるし、子供の相手だってうまい。それに、最近は商いの勉強もしているんだろう?力しかない俺よりもできることが多いじゃないか。……ただ、環境が悪いだけだ」
「それなら、私がここにいる意味なんて……」
「ある」
ゼロスはそう言い切ったが、なぜかその後が続かない。何かを言葉にしようと悩んでいる声だけは聞こえるが、それは意味のある言葉にならない。さすがに気になったアイリーンは顔をあげるが、そこにあったのはあれこれ悩んで口をもごもご動かすゼロスの姿だった。普段から言葉に悩む素振りなどあまり見せない彼の珍しい姿に、つい吹き出してしまう。
「ぷふっ……。どうしたんですか?そんなに悩んで」
「……その顔ができるなら大丈夫だろう」
ゼロスは話は終わりとでも言うように、彼女の肩から手を放す。しかし、アイリーンの手が彼の右手をつかみ取った。
「駄目です。なんて言おうとしたのか、教えてください」
「……それよりも、今は休まないか?カリンたちが大打撃を与えたとはいえ、マーゴの兵は未だ健在らしいしな。態勢を整えてすぐさま追撃に来るかもしれない」
「ゼロスさんが何を言おうとしていたのか、教えてくれるのなら休みます」
ヴァーミア家の令嬢として生まれただけはある、わがままなお嬢様らしい振る舞い。本来わがままとは、大抵相手を不快にするものだが……。惚れた弱みとでもいうのだろうか、ゼロスは呆れたように笑うことしかできなかった。
「……わかった、言うよ。……アイリーンが隣にいてくれれば、俺は誰にも負けない。……それだけだ」
ゼロスは恥ずかしいのか、そっぽを向きながらそう言った。あまりに初心な振る舞いに、彼女は笑みを隠せない。
「……もう結婚して一か月も経つんですよ?まだ恥ずかしいんですか?」
「こんなこと恥ずかしからずに言える方が珍しいだろ。俺はそんなに軟派な性格じゃないんだ」
「慣れるためにももう少し気持ちを言葉にしてみては?……いつもの私のように」
「こんなところで何を……。約束は果たしただろう、さっさと体を休めるべきだ」
「わかりました。それじゃ、行きましょうか」
ゼロスからの言葉で立ち直ったアイリーンは、手に取っていた彼の右手に指を絡め、彼の横に並ぶ。そして花が咲いたような笑顔を彼に向け、「ありがとうございます」と感謝を言葉にした。
同刻、カイナ帝国セルパン近海にて。アバニアからの協力を取り付けられなかったフレイルは、一縷の望みにかけて帝国へと船を進めていた。そのさなか、彼は船内で教皇に渡す報告書をしたためていた。
「……『アバニアはすでにクリステッドと手を結んでおり、協力を得ることは不可能。最悪の場合、奴らとも戦火を交えなければならないだろう』……。よし、こんなものか。……しかし、ドラガグリフは何を考えているのだ。ミサリオーネに与するかと思えば、アバニアにまで手を伸ばしている。いくら強国であったとしても、あまりにも無謀。『二羽追う獣、狩人に狩られる』とも言うが、果たして……」
彼が部屋で大きな独り言を言っていた時、ドアがノックされる。彼は椅子から立ち上がることなく「なんだ」と問いかけた。
「あとわずかでカイナ帝国へと到着します。お準備を」
「うむ。わかった」
フレイルは執政官の誇りであるマントを羽織り、身だしなみを整える。アバニアが駄目であったとしても、カイナがいる。……フレイルの心境は、先ほどよりも穏やかであった。さすがのクリステッドも、敵国同士にそれぞれ自分の兵を派遣するわけなどない。味方になってくれるかは未知数ではあるが、アバニアのように敵になることは少なくともないだろう。そう考えていたからである。それから数刻もしないうちに、フレイルを乗せた船はセルパンの港に停まった。
「……帝都は何処だったかな?」
「アダマンテ大陸の西端だったかと。かつてこの大陸は帝国と王国の二か国で東西を分けていたようですから。最近は大陸の中央部に遷都する計画を立てているようですが、それはいつになることやら、といった具合でして」
「ここから帝都まではどれほどかかる?」
「……三日ほど」
「そうか……。仕方あるまい、馬車の手配をせよ」
付き人は「承知しました」と言って彼から離れて行った。……戦時中であるはずなのに、セルパンは平和そのものだった。友好国としてそれなりに近況は把握しているが、ここまで穏やかだとは想像していなかったのだ。
「……戦況は優勢だと聞いてはいたが、まさかここまでとはな。少しは期待できるか?」
カイナに戦火が届いている様子はない。アバニアから最も近いセルパンですら、平和そのものと言った様子なのだからそれは明白だろう。……だからこそ、フレイルはそこに希望を見た。ミサリオーネとクリステッドに対する武力制裁への協力にも応じられるほど戦力を残しているのではないか、と。……そんなことを考えている彼のもとに、付き人は浮かない顔で戻ってきた。
「フレイル様。ただいま戻りました」
「うむ、それで……。駄目だったか」
「申し訳ありません、馬車屋はあったのですが、今は車がないと。……最低でも三日待たねばなりません」
「……馬だけでも借りられるよう頼んでみるか」
「お乗りになるのですか?」
「当然。教皇様にお待ちいただくわけにもいかぬだろう。それに、戦況の変化は瞬く間であるのだ。こんなところで三日も待っていればミサリオーネ共も動き出してしまう」
「……あの、何かお困りですか?」
フレイルと付き人の前に現れたのは二人の男女。どちらもかなり若い。二十代ぐらいだろうか。鎧を身に着けていることからも、カイナ帝国の兵士であるとすぐに分かった。
「……君たちは?」
「これは申し訳ありません。俺はオーファン、隣にいるのは妹のメイアです。烈風騎士団の団員なんです」
「ほう、帝国の騎士団か……。私はフレイル。聖フラマロス教国の外交執政官を務めている」
その言葉を聞いた途端、オーファンたちはすぐに「申し訳ありません。それほど高貴な方とは知らず失礼な物言いを」と頭を下げる。しかし、フレイルはすぐに「謝る必要はない」と彼らを止めた。
「私はただの外交官にすぎぬ男だ。それほどかしこまらなくともよい。……それよりも、少し頼まれてくれないか?」
「俺たちにできることなら構いませんが……」
「アルバート皇帝にお目通り願いたいのだが、ここから帝都までは馬車で三日と聞く。その上、今は車を切らしているようでな、帝都に向かう方法が徒歩しかないのだ。馬車屋で馬を借りたいのだが、口添えしてくれないか。帝国の兵士が証人となれば、彼らもそれほどためらうことはないと思うのだが、どうだ?」
「……馬がご入用でしたら、俺たちで用意しましょうか」
「何?」
「つい先ほど、アバニアから戦況報告の書簡が届きまして。俺たちこれから帝都に向かう所なんです。馬車屋ほど豪華ではないですけど、一応馬車もありますし。……どうでしょう?」
「どうと言われても……。良いのか?」
「ええ。これも何かのめぐりあわせという物でしょう。……俺はそれほど信心深くはありませんが」
こうして、フレイルは偶然の出会いで帝都までの足を手に入れた。それからおよそ数刻後。わずかに太陽が動いたのみであったが、彼らは出立の用意を終えていた。豪華ではないと謙遜していた馬車は、確かに無骨な作りではあるものの、かえって頑丈そうでフレイルとしてはこちらの方が好みであった。オーファンとメイアは操縦席に座り、フレイルと付き人二人が馬車へと乗り込む。そして、馬車はゆっくりと動き出し、セルパンから出発した。
「たった二日しか経っていないのに、もうこんなに街の修繕が終わっているのか」
「なんでも、そろそろ豪波騎士団がこちらに来るとか。……出迎えを行う街が荒れていれば彼らにも不安を与えてしまうでしょうから」
ペインス達を迎撃してから二日後、ゼロスとアイリーンは休息がてら街を練り歩いていた。あの戦い以降、アバニア側もかなりの被害を受けたのか小競り合いをする様子もなく、周辺は穏やかそのものだった。
「……豪波か。なら、そろそろ本格的な攻勢が始まるのかもな」
「そうですね。マーゴを制圧して、それから王都へと迫っていくのでしょう。……そううまくいくとは思えませんが」
「……クリステッド。奴らがどう介入してくるか。……今そんなことを考えていても仕方のないことか」
「職業病ですね。せっかく休んでいるというのに、そんなことばかり考えてしまうなんて」
街中央部の広場にあるベンチに腰を下ろし、他愛のない話を繰り広げる。天気も良く、吹き抜ける風も心地よい。ただ穏やかな雰囲気に浸っていると、彼らのもとに団員が駆け寄ってくる。
「お二人とも、こちらにいらっしゃいましたか」
「……何かありましたか?もしや敵襲が?」
「いえ、そうではありません。豪波騎士団の皆さまがご到着なされました。どうかご挨拶をと、団長殿が」
「わかりました、すぐに行きましょう」
アイリーンはすくっとベンチから立ち上がるが、ゼロスは行く気がないのか腰を据えたままだ。
「面倒だな。出迎えはエリオット達がやるんだろう?別に俺たちが出向かなくとも……。それに、以前迅雷騎士団が来たとき、俺は出迎えに参加しろとは言われなかったぞ」
「……あの時は見張りで忙しかったからでは?今日は特に忙しくないのですから、ご挨拶ぐらいはするべきです」
「……わかった。団長の顔をつぶすわけにもいかないからな」
アイリーンからの説得を受け、ゼロスはようやく重い腰をあげる。二人を呼びに来た団員はほっと胸をなでおろし、「こちらです」と案内を始めた。……二人が港に到着すると、すでに彼ら以外の烈風騎士団がそろっていた。
「来たか。……どこにいた?遅かったな」
「どうせゼロスがごねたんだろう。面倒だなんだって言ってな」
二人を待ちわびていた様子のエリオットと、遅れてきた理由を推察するオルコス。ゼロスは彼には何も言い返さず、鼻をフンと鳴らしただけだった。そんなことをしているうちに、水平線の先に小さく見えていた船が次第に大きくなっていく。掲げられた旗は帝国の物と、もう一つ青く染め上げられた物だった。豪波騎士団の団旗である。
「……予定通りだな。さすがウォルハスと言ったところか」
近づいてくる船を前に、エリオットがそうこぼす。団長同士でやり取りをしていたのだろう。彼らがそろって眺めている間にも、船はゆっくりと近づいてきている。そしてようやく、港へと到着した。
「出迎えに感謝する。豪波騎士団団長、ウォルハス。ただいま到着した」
紺色のコートに全身を包み、髪は短く切りそろえられている。腰には敵の急所のみを狙うための刺剣がさげられていた。見る人のほぼすべてが涼やかな印象を受けるであろう男が、豪波騎士団団長を務める、ウォルハス・オリッドである。
「長旅お疲れ様です。休息の場所を用意しています」
「……ああ。早速で悪いが少し休ませてもらおう。案内を頼む」
ウォルハスとエリオットは挨拶もそこそこに、豪波騎士団を引き連れて街の東部へと向かった。出迎えの仕事を無事に終えたゼロスは大きく伸びをする。
「……なんだ、あれだけか。ならなおさら参加せずとも良かったじゃないか」
「過ぎたことをいちいち言うな。……皆、仕事に戻ってくれ」
ゼロスの文句をたしなめたカリンはその場で解散を言い渡す。それを聞いた皆は散らばるようにそれぞれの持ち場へと戻っていった。ゼロスは仕事があるわけではないが、いつまでも港にいる理由もない。先ほどと同じように広場でくつろいでもいいが、そのような気分ではなかった。
「……これからどうしましょうか。いざ休みをもらったところでここには商店なんて物はありませんし、ただ暇を持て余すだけになってしまいますね」
ゼロスの隣を歩くアイリーンも、彼と同じような考えらしい。暇を持て余すならば、やることは一つしかないだろう。
「……鍛錬するか」
「……それしかないですね」
二人そろって呆れたように笑う。その後、二人は街の外で剣を交えていた。何度か団員に「お休みになられては?」と言われたものの、決まって彼らは「体を動かしていないと落ち着かない」と答えた。
翌日、モーテルム街西部。ゼロスたちは西部拠点に呼び出されていた。……理由は単純、マーゴ制圧についてだ。豪波騎士団が到着し、戦力がそろった今、次なる作戦を考えなくてはならない。
「……まず、俺たちはデリントに向かい、ガラードたちと合流する。二騎士団による連合軍を正面戦力とし、烈風騎士団諸君には側面からの追撃を頼みたい」
「異論はありません」
「では、のちにガラードにもそう伝えておこう。……問題はマーゴ側に控えている敵戦力だな。王都前の主要都市というだけあり、保有戦力がいかほどか想像がつかん」
「そのことについてですが、先日……」
カリンはラキア率いる陽動部隊がマーゴの兵をここまで連れてきたこと、そしてそれらをほぼ壊滅まで追い込んだことを話した。だが、ウォルハスは「そうか」とつぶやくだけであった。それが気になったのか、エリオットが問いかけた。
「何か、気になることでも?」
「……問題は、そのマーゴの兵が全体のどれほどか、ということだ。数千あるいは万に及ぶ敵兵をなぎ倒したところで、それが一割にも満たなければ打撃を与えたとは言い難い。……幸いというべきか、それ以降マーゴからの侵攻はないのだな?」
「ええ、一度も」
「……最低でも半数近くは無効化したと考えていいだろう。奴らとしても、これ以上防衛力を失いたくはない、と言ったところか」
学者気質なのは以前からだったが、コンテッド王国との戦争が終結後、それにより拍車がかかったようだ。彼は顎に右手を添え、左手は右ひじ置き場に。そしてそのままの姿勢でうろうろと歩き回る。何かを考えているときの癖なのだろう。彼の妹であり、副団長を務めているアイリスは「ごめんなさい」と両手を合わせて謝っていた。……それから少しして、ウォルハスはようやく落ち着きを取り戻した。
「……やはり難しいな。王都に防衛力強化のため、増援を要請した可能性が大きい。一体どれほどの戦力差になるのか……」
「やめてくれ、戦いは頭だけでするものじゃない」
ウォルハスの発言に真っ向からぶつかる者がいた。……それはゼロスだった。
「いくら考えても俺たちへの増援はない。帝国から連れてくるにしても、向こうの防衛も考えなければならん。増援要請の伝達、軍の再編、そしてモーテルムまでの移動。早くとも五日近くはかかる。その間、奴らはより戦力をため込み続けるだろう」
「……だが、彼我の戦力差が分からなければ、策など……」
「策ならもうあるじゃないか。豪波と迅雷が正面突撃、俺たちが側面からの追撃、それで十分だろ。……複雑な策は団員の士気にかかわる。ほころびになりかねん」
「……いいだろう。戦いとは英知と武勇、その両方があってこそ初めて制することができる。……会議はここまでだ」
ウォルハスはすぐさま踵を返し、会議室のドアへと向かっていく。彼はドアの前で立ち止まると、振り返らずに話し始めた。
「マーゴ制圧戦の開始は二日後になるだろう。……支度は済ませておけ」
しかし、二日後、マーゴ制圧戦は違う形で行われることになった。
同刻、カイナ帝国帝都にて。
「感謝するぞ、おかげで無事に帝都にたどりつくことができたわ。……それにしても、なんという大きさだろうか」
オーファンとメイアの協力により、安全に、そして迅速に帝都へと到着したフレイル一行。彼は今、帝都の発展具合に驚きを隠せないでいた。街灯はすべて燃料式から魔力式へと変化し、道は石材で綺麗に整備されている。道を行く最中、フレイルは興味深そうにあたりを見回していた。そんな彼が気になったのか、メイアが話しかける。
「フレイル殿、いかがされましたか?」
「いやなに、戦後だというのにこれほどの発展しているとは思わなんだ。……ただ、その割には随分と立ち並ぶ建物が少ないように思えるが……」
「遷都計画の影響かと。重要性の低い建物から解体し、大陸の中央部に新しく建て直しているのです。……あそこは確か研究所の跡地ですね」
「研究所?魔法のか?」
「おそらくは。……あそこは、帝国内でも折り紙付きの魔導士しか立ち入りを許されておらず……。私は一度も入ったことはありません」
「……なるほどな、我が国の魔導院のようなものか。……すまない、寄り道をしたな。城への案内を頼む」
オーファンとメイアは短く「はい」と言い、先を歩く。……フレイルの頭の中は期待でいっぱいだった。これほどまでに余裕があるのならば、必ずや手を貸してくれるはずである。そんなことを考えているうちに、城の前まで来ていたようだ。
「おお、オーファン殿。此度はどのような用で?」
「いえ、用があるのは私ではなく……」
二人は後ろにいるフレイルに視線を送る。これからは彼の仕事だ。彼は二人の前に歩み出て名乗った。
「急な訪問となってしまい、まことに申し訳ない。……聖フラマロス教国、外交執政官のフレイルと申す」
「な、フレイル執政官!い、一体どのような用件で?」
「端的に申し上げる。……皇帝陛下に謁見願いたい」
「……しばしお待ちを。ただいま中に……」
門番が要件を中に伝えようと振り返ったとき、まるでそれを待っていたかのように門が開いていく。門の先には一人の男が立っていた。真っ白な髪と深い皺が刻まれた顔から、彼がどれほどの年月を生きて来たか簡単に想像できる。その上、鋭い目つきと怖いほどまっすぐな背筋は、皇帝には及ばずとも中々の威圧感を放っていた。
「これは、ドメル殿。話を聞いておられたのですか」
「うむ。……フレイル殿。事前の知らせもなく、陛下に謁見したいとは何故ですかな?」
「……クリステッド公国への制裁戦争に、カイナ帝国も参加していただきたいのです」
フレイルは包み隠さず訳を話す。ドメルの表情は変わることなく、彼に冷たい視線を注いでいた。
「申し訳ないが、我々は今アバニアとの戦争で忙しいのです。その中でさらにクリステッドとの戦争などと、そのようなことは……」
「アバニアの後ろにクリステッドがついているとしても、ですかな?」
その瞬間、場の空気は一変した。ドメルは目を少しだけ見開き、フレイルを見つめている。その場に居合わせた門番は一体何が起きているかを理解できずに戸惑い、両者を交互に見比べていた。
「……わかりました。中へどうぞ」
短い思案の果て、ドメルはフレイルを皇帝に合わせることを選んだ。彼の言っていることが事実だとしてもそうでなくとも、自分の一存でどうにかしてよい問題ではないと、ドメルは判断したのだ。
「案内いたします、こちらに」
ドメルが先を歩き、城の中を進んでいく。……それから少しして、城の最上階にある大きな扉の前に到着した。
「陛下はこの先に。……どうか失礼のないよう」
「道案内に感謝いたします」
フレイルがドメルに頭を下げると、それが合図になっていたかのように扉が開いていく。扉の先にある玉座、そこにカイナ帝国皇帝、アルバートが腰を下ろしていた。
「……フレイル殿、よくぞ参った」
「これはこれは皇帝陛下。私のことを覚えておいででしたか」
「当然、どれほどの付き合いかと思っている。……それで?雑談をしにここまで来たわけではあるまい」
「……では、本題の方に。……カイナ帝国には、聖フラマロス教国との連合軍を組織し、クリステッドへの制裁戦争に参加していただきたい」
「制裁戦争……。というと、奴らが何か国際法上に違反する行いをした、ということだな」
「おっしゃる通りです。……奴らは、他国間戦争不可侵条約を反故にしたのです」
アルバートはその言葉を聞いてただ天井を仰いだ。閉ざされた口からは「うむ……」とうなり声が漏れている。……それからわずかの後、彼は首を横に振った。
「ならぬ。知っての通り、我らは今アバニアとの戦争で忙しい。クリステッドに向けて出せる兵はわずかでしかない」
フレイルにとって、この答えは想像通りだった。……彼には切り札がある。今がそれを使う時だ。
「陛下。そのアバニアですが……。奴らはクリステッドと手を組みました」
「……何だと?」
「先日、連合軍編制の打診をしにアバニアに向かったのです。そこで、国王のレグラスが自らそう言ったのです。勝利のため、クリステッドに頼ることを選んだと」
アルバートは目を大きく見開いた。まるで心の奥底まで見透かされるような眼力で、フレイルを睨みつけている。嘘をついたわけではないというのに、彼にできることはただ冷や汗を流してアルバートの言葉を待つだけだった。……しばらくしてようやく、彼の口が開かれる。
「……手を組むとしよう、フラマロス。……だが、条件がある」
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