第十話
前回のあらすじ
陽動部隊の活躍により、何とか無事にマーゴまでたどり着いたゼロスたち戦闘部隊。だが、デリントに残っていた者達からの抵抗は、想像を絶するものであった。兵士だけでなく住民すら武器を取り、街を守るために命を散らしていく。その姿に、彼らは戦場の常と、この戦いの意味を問い始めるのであった。
一方、フラマロス国の外交官フレイルは、クリステッド公国の蛮行に対抗するべく、援軍を求めて船を出していた。
誤字脱字等、ご容赦ください。
「ぜひとも、レグラス陛下への謁見願いたい。用向きは……クリステッド公国の蛮行について」
フレイルがそう口にしてから十分ほど経った頃。急な用件で現れた客の頼みであるというのに、彼はそれなりの部屋をあてがわれ、茶をすすっていた。そこに、扉を軽く叩く音が響く。
「失礼。……陛下からの許しが得られた。これから玉座の間へとご案内しよう」
「いい」という前に部屋に入ってきた男は、その通りに言った。フレイルはゆっくりと腰をあげ、「よろしくお願い申し上げる」と頭を下げた。……相手の行いは失礼だが、急に押しかけて国王に会いたいといった自分と比べれば屁でもない。普段ならば相手の失礼を叱責していたが、今は彼にその資格はない。案内の男に従ってフレイルは廊下を進む。まだ王都まで戦火は届いていないのか、城下街はいつも通りの平穏を謳歌していた。
「……急な訪問になってしまい、まことに申し訳ない」
フレイルは、今日何度目かの謝罪を口にした。……これは、彼の本心からの言葉である。彼は礼儀正しい人間だ、そうでなければ諸外国との外交を一手に任される外交執政官という役職になどつけるはずもない。下手に出るのは取引や交渉においては悪手ではあるが、非礼を詫びれないよりは幾分かマシである。
「こちらこそ、失礼な態度を詫びなければなりませんな。……知っての通り、我々は今カイナと戦争状態にあるのです。大きな港であるモーテルムは奴らに押さえられ、残るは北部にある小さな港のみ。そこに連絡もない船が来るとなれば、警戒してしまうというのも……。どうか、ご理解いただきたい」
フレイルの繰り返される謝罪に心を揺さぶられたのか、案内役の男がぼそぼそと話し始めた。彼はすぐに「この件はどうか内密にしていただけると」と付け足す。フレイルは「もちろん。こちらの無理難題を聞き届けていただけたのだから」と答えた。……そんな話をしているうちに、彼らは王城内でもっとも大きな扉の前に立っていた。
「ここが、玉座の間でございます。……どうか、くれぐれも、陛下にご失礼のないよう、お願いいたします」
案内役の男からの念押しにフレイルは頷いて答える。それを見届けた案内役は、扉の前に立つ番兵に「扉を開けよ」と告げた。二人がそれぞれ扉の取っ手を掴み、ゆっくりと扉を開けていく。わずかに開いた隙間から、アバニア国王であるレグラスの鋭い眼光が覗いていた。
「レグラス陛下。此度は急な訪問、誠に申し訳ない」
「……よい。何やら事情があるとみるが、如何に?」
「……我が国は現在、聖ミサリオーネ教国との戦争状態にあります。過日、奴らはあろうことかクリステッドと手を組みました。これは重大な条約違反であります」
「ふむ、そうだな。……それで?本題はそれではないのだろう?」
レグラスはフレイルの話をおとなしく聞いているが、彼から放たれる視線は鋭いままだった。まるで、敵を見据えるような視線に、フレイルは恐怖と疑問を覚えていた。……ただ、いちいちそんなことで口を噤むわけにも行かない。彼は問われるがまま、答えるだけだ。
「はい。……重大な条約違反が確認されたのなら、すべきことはただ一つ。……制裁に他なりませぬ。ぜひともアバニア王国には、我々に続いてクリステッド公国への制裁にご参加いただきたい」
「……貴殿も知っての通り、我々はカイナ帝国との戦争状態にある。クリステッドへの制裁に兵を出せば、その間にさらに深く攻め込まれるかもしれんのだ。……帝国との休戦を申し出たところで、奴らがそれを飲むわけもない」
「それについては、教皇様より褒美を賜っております。……アルシオネ大陸のおよそ半分、アバニア王国が好きにしてよいとのことです」
アルシオネ大陸は、クリステッド公国が四つ目の国を支配地域とした際に成立した大陸である。その広さはカイナ帝国が支配地域としているアダマンテ大陸にわずか及ばない程度である。小国であるアバニアには、あらがいきれない誘惑だろう。……フレイルはそう考えていたが、レグラスの口から出た答えは違った。
「……否。我らはクリステッドへの制裁に参加せぬ」
「何故?」
「……我らは、誇りよりも、実を選んだのだ。……クリステッドという力を受け入れ、民の安寧を取り戻すという実をな」
「まさか、アバニア王国もクリステッドからの援助を受けているとでもいうのですか⁉」
レグラスは、もう何も言わなかった。ただわずかながらにうつむき、深く息を吐いている。……フレイルは、引き下がる他なかった。
「……此度は、急な訪問ながら、お時間を頂き感謝いたします。どうか、今日のことは、なかったことにしていただければ」
「……すまない」
小さな声ではあったが、フレイルは国王がこぼした謝罪を聞き逃さなかった。……これ以上、語ることなどない。フレイルは頭を深く下げ、玉座の間から退いた。案内役の男は見送りを申し出たが、彼は固く断った。
「……ドラガグリフ……。飽くなき欲望でアルスを包み込むつもりか……」
デリント攻略から一日後。ゼロスたちは無事にモーテルムへと戻ってきていた。……だが、彼らを出迎えたのは跡形もないほど破壊された北側の出入り口であった。防衛用として作られていた馬防柵や弩弓などもバラバラになっている。
「……攻め込まれたか」
「皆さんの様子が心配です。急ぎましょう」
彼らはモーテルムの守備に当たっていた仲間の無事を確かめるため、歩を急いだ。北口から街の中央部までの大通りはものの見事に破壊の限りを尽くされている。中央にあった噴水も粉々に砕かれ、周囲を際限なく濡らし続けていた。
「ここまで入りこまれたか……」
ゼロスは周囲を見渡しながら、街が受けた被害を確かめていく。そこへ、誰かが姿を現した。
「誰だ!……アイリーン、それにゼロスも。いつ戻ってきた?」
姿を現したのはカリンだった。彼らを敵兵と違えて大声を出していたが、すぐに取り繕う。身に着けていた黒いコートにはいくつか斬られた跡が残っており、その隙間からは包帯の白さが覗いていた。
「戻ってきたのはついさっきです。……それよりも、何があったんですか?」
「……立ち話はやめよう、お前たちも疲れているだろうしな。……来い」
カリンはそう言うと先立って、彼女が来たであろう道を戻り始めた。向こうには西側の拠点がある。拠点に近づくにつれ、今まで見かけなかった仲間の姿を見るようになった。ただし、ほとんどが体に包帯を巻いている状態である。西拠点にたどり着くと、カリンはすぐに二階へと向かう階段へと足を向けた。そこには会議室がある。そこで話をしたいのだろう。ゼロスたちもそれに続き、三人が会議室に揃った。
「何が起きたか気になっているだろうしな、単刀直入に話すとしよう。……あれは、二日ほど前のことだった」
――――――
二日前、モーテルム港前。
「お前ら、足を止めるな!」
殿を務めるラキアは大きな声で叫びながら、後続の追撃を何とかいなしていた。……無事にマーゴでの陽動をこなしたラキアたちは、当初の作戦通りデリントへと向かわず、モーテルムに向かっていた。何故ならば、彼らの予想よりもアバニア兵の諦めが悪かったからだ。途中で諦めてくれていれば、そのままデリントに向かうこともできた。だが、今のままでは大量の敵兵を連れて行くだけに他ならない。ガラードのもとへ援護に行くなら、必死についてくる奴らをどうにかしなければならない。……そこで用意されていた策が、モーテルムの防衛設備だった。
「街に駆け込め!中なら安全だ!」
「北門、開門せよ!」
ラキア達を見つけたのか、彼らを迎え入れるように北門が開く。彼らは転がり込むように街中へとなだれ込み、何とかアバニア兵の追撃をかわした。
「弩弓、始め!」
指揮を任されている者の掛け声で、一斉に弓が放たれる。工兵自慢のカラクリが仕込まれた弩弓は凄まじい威力を誇る。木製の盾ならば簡単に砕き、鉄製であっても穴をこじ開けるほどだ。ただ、装填には時間がかかるという弱点がある。……弓の一清掃射により、最前線に立っていたアバニア兵たちはまさに串刺しとなり、地面に転がっていく。
「ラキア殿。十分お休みになったら、東門からガラード殿を追いかけてください」
「それは出来ねえ。後輩の騎士たちに頼り切るなんてお断りだ」
街の中では、エリオットとラキアが言い合いを繰り広げていた。敵を連れて来た責任を取りたいラキアと、敵は任せて彼らには援護に向かってほしいエリオット。二人の言い争いは平行線をたどりかけたが、エリオットの「ガラード殿も援軍を待っているはずです。無事を知らせるためにも、あなた方はデリントに向かうべきです」という説得に負け、力を温存して援護に向かうことを選んだ。
「みんな、なんとしても食い止めるぞ!あいつらが帰ってくるための場所を守るんだ!」
エリオットは北門の前に立ち号令をかける。団員はそれに続いて威勢をあげ、アバニア兵への攻撃は苛烈さを増した。だが、アバニア兵の執念はそれを上回った。仲間がすでに何人かやられていること、モーテルムを取り戻す好機は今と思い込んでいること。その二つが彼らを後押ししている。仲間が矢で貫かれるのならば、その遺体を盾として。彼らはそうしてじりじりと距離をつめ、ついに門に張り付いた。
「引きはがせ!突破させるな!」
張り上げられた声をかき消すように、門には刃が突き立てられる。防衛用に作ったとはいえ材料も十全ではない中での急ごしらえ。防御力には難があった。貫かれ、引き裂かれ、次第に門に開いていく穴は大きくなっていく。彼らを引きはがそうにも、マーゴから出て来た軍勢はとてつもない人数で構成されていた。一人引きはがす間に三人が張り付く。
「……全員離れろ!もう持たない!」
木製の門はミシミシと悲鳴を上げていた。刃で作られた穴は人一人が通りぬけられる程度の大きさにまでなっており、もはや門の意味を成してないとすらいえる。そして、ついにその時が来てしまった。開けられた穴はそこかしこに広がり、繋がっていく。破られたのだ。アバニア兵がモーテルムに雪崩れ込んでくる。
「迎撃開始!」
だからと言っておめおめと引き下がるほど彼らはやわではない。門が破られるのなら、破らせておけばいい。だが、負けたわけではない。大通りに繋がっている裏路地に控えていた重装団員たちが一斉に飛び出し、アバニア兵の行く手を阻む。さらに、民家の屋根の上からも矢を射かけ、攻撃の手を緩めることはしない。だが。
「『烈風掌突』!……やはり、兵士の訓練量を増やすべきだな。この程度の雑兵すら御しきれんとは。……皆の者!このペインスに続け!」
螺旋状に渦巻く風をまとい、掌底を放ちながら突進してくる。鉄板すら切り裂くほどの風をまとい、道を阻んでいた重装団員たちをなぎ倒した。一瞬で形勢が逆転する。巻き上がっていく風は矢を弾いた。これまでのような抑え込む戦いはもはやできない。ここからは、刃が交わる戦いが始まった。
「エリオット!このままだと街の中央部にまで入られる!」
ペインスを先頭としたアバニア兵の勢いはさらに増していく。今は何とか北口付近で押しとどめているが、ここが突破されるのも時間の問題だった。これ以上、敵兵の侵入を許したくないカリンは、その顔に焦りを浮かべていた。だが。
「……それは構わない。考えがあるんだ。だが、時間がない」
「考えだと?何をするつもりだ」
「時間なら、俺が稼ぐ。任せてくれ」
何か策があるというエリオット。カリンはその策を尋ねるが、答えが出るよりも早くオルコスが時間稼ぎを申し出る。エリオットは「頼む」と短い一言を送り、オルコスはただ頷いて前線へと向かっていった。
「それで、策は?」
「単純だが、挟み撃ちだ。部隊を二つに分ける。一方は奴らを中央広場まで引き込む。もう一方は裏路地を通ってその背後を取る。……街への被害は、今は考えていられない」
「……わかった。エリオットは背後をつく部隊の指揮を頼む。私が正面に立とう」
カリンはコルニッツォ、ヴィズ、そしてセリアの三人と団の半数を引き連れてオルコスと同じく前線へと向かった。残されたエリオットは、ノクスとエリシア、そして残りの団員を引き連れて裏路地へと歩を進めた。
「おら、どうした!カッコつけた割にこの程度か!」
「忌々しい男だ!すぐにでもバラバラにしてくれる!」
アバニア兵との最前線では、オルコスがペインスの一撃を受け止めて嗤っていた。全身を鋼化させ、嵐にも近い防風にも耐えている。
「『烈風掌突』!」
「……足りねえな、この程度じゃ。こんなそよ風じゃあ俺の身体は貫けねえ。……『嵐』でも起こしてみるんだな」
重装団員をいともたやすく薙ぎ払った一撃を、オルコスは片腕だけで受け止めた。腕を振るって掌底を払いのけると、両腕を大きな刃へと変形させる。
「今度はこっちの番だ!『鋼技・大鋏』!」
大きな刃へと変形させた両腕を交差させながら力尽くで振りぬく。この技を受けたものは最期、身体を両断される運命にある。しかし、ペインスは風をまとって高く飛び、民家の屋根に退避した。彼は無事に逃げたものの、仲間であるアバニア兵たち十数名ほどが一斉に躯と化した。オルコスは血に濡れた刃を振るいながら、腕の変形を解く。そして、屋根の上から見下ろすペインスを見上げた。
「どうした?怖くて逃げたか?」
「……いちいちお前と戦う理由などない。……エリオットと言ったか、奴さえ始末すれば団の統率は乱れる」
「なるほど、頭を狙うってわけか。だが……」
「そううまくいくとは思うなよ!」
ペインスの前に突如として人影が現れた。さすがの彼もこれは想定していなかったのか、わずかに後ずさる。彼の前に現れた黒いコートの女は、腰に下げていた剣を抜いて構えていた。
「烈風騎士団・副団長、カリン!私がお前の相手となろう!」
「女か。……悪いが、俺は女が相手だろうと手加減できん性質だ。痛い目に合わないうちに逃げ帰るべきだと思うが?」
「余計な気を回すな。貴様程度のそよ風では怪我をしたくとも出来ん」
「……後悔するなよ」
瞬間、屋根の瓦が飛び散った。ペインスが屋根を蹴って飛び出したのだ。右手に渦を巻いた風をため込み、カリンへと距離を詰める。彼女は剣に炎を宿し、ペインスの出方を窺っていた。
「まずはこいつからだ!『暴風丸』!」
渦を巻く風を球状にまとめ上げ、相手に投げつける。カリンは正面から斬り裂いたが、その瞬間に暴風丸は爆発を起こした。凝縮された風が一斉に吹き荒れだし、カリンを包み込む。風は刃へと姿を変え、彼女の身体のいたるところを切りつけていく。ただ、彼女は痛みにひるむことなどなかった。
「……『炎王剣』!」
剣に宿った剣は天まで焼き焦がすほど燃え盛っている。カリンは風の刃に包まれている中、燃え盛る剣を一気に振り下ろした。まるで生きているようにうねる炎がペインスに叩きつけられる。彼は炎から逃れるように高く飛び上がり、両腕を空に掲げた。その両腕を取り囲むように風が渦を巻き、燃え盛っていた炎すら巻き上げていく。
「これはどうだ?『覇導烈風』!」
空に掲げていた両腕を前に突き出し、自身にまとわりついていた風が一気に放たれる。放たれた竜巻はカリンの炎すら巻き上げ、破壊力を高めていた。彼女は屋根から飛び降りて難を逃れるが、先ほどまで彼女がいた場所は跡形もないほどに破壊されていた。
「……全員、後退しろ!」
屋根の上から地面に転がり落ちたカリンは、受け身を取ってすぐに立ち上がり、後ろにいる団員に指示を送る。「敵の圧倒的な力を前に後退を指示せざるを得ない」状況で後退の指示を出す。ゆっくりと下がっていく烈風騎士団に対し、ペインスらアバニア兵はじりじりと距離を詰めていた。
「どうした?日和ったか?」
「……」
カリンはペインスからの挑発を意にも介さない。ただ殿を務めてゆっくりと広場まで下がっていく。そこで、彼は足を止めた。
「……全軍停止。これは罠だ」
何かを感じ取ったのか、ペインスは後ろのアバニア兵たちに対して停止を命じた。彼は部下からの声を無視し、正面に立つカリンをじっと見つめている。
「後方の安全を確保せよ。地の利は敵にある」
「させるかっ!『炎王剣』!」
このままでは挟み撃ちが失敗に終わる。それだけは避けたいカリンは、もう一度大きな炎の塊を敵陣目掛けてたたきつけた。しかし、爆炎は瞬く間に渦巻く風に吸い寄せられていく。
「その焦り。やはり何か策を隠しているな。だが、我らは貴様らの思い通りになどならん!後方の確保を急げ!」
カリンが放つ炎はペインスが発生させる風に遮られ届かない。このままでは彼女に勝ち目はないが、彼女は一人で戦っているわけではないのだ。
「調子乗ってんじゃねえぞ!」
飛び出したオルコスが文字通り、鉄拳をペインスに見舞う。彼が反撃に出ようとしたところ、セリアが操る植物が身体をからめとった。
「思い通りに行くと思うなよ。私たちもそれなりに死線はくぐってきているのだ」
「姑息な手を使うものだ。帝国の手先にふさわしい、汚らしい戦い方だ。……誰か!この草を刈りとれ!」
ペインスを助けるため、アバニア兵がセリアの操る植物に剣を振るう。しかし、その刃は空気を斬ることすらなかった。
「……『崩術・地烈撃』!」
いつの間にか屋根の上に昇っていたコルニッツォが飛び降り様に技を放った。両の掌に凝縮させた魔力を一気に地面へと解き放つ。魔力は衝撃波となって地面を伝い、あふれた魔力が大地をひび割れさせ、噴水のように敵を襲う。アバニア兵は一斉に打ち上げられ、なすすべもなく宙を舞っていた。ペインスは後方を睨みつけ、さらに奥にいる部下たちに助けを求めたが、それも無駄に終わった。
「『ヴェノム・スワンプ』。湯加減はどう?……答えられないか」
ヴィズが生み出した毒沼にとらわれ、兵士は必死にもがいていた。だが、鎧の重さがそれを許さず、彼らはゆっくりと沼に沈んでいく。助けを求める必死の形相でペインスを見つめていたが、彼に何かができる訳ではなかった。
「貴様ら……。汚い真似を!」
ペインスの身体を中心として風が渦を巻き始める。彼の怒りに共鳴するように、風は勢いと鋭さを増していた。揺さぶられるだけだった木の根には切り傷が付き始めた。
「クソッ、まだやる気かよ!」
「文句は後だ!ひとまず離れろ!」
渦巻き始めた風はもはや暴風の域に達していた。近くにいれば立っていることすら危うい。彼を自由にしてしまうことよりも、退いて態勢を整えることをカリンは選んだ。
「皆殺しにしてやるぞ、帝国の犬ども!」
ついに、ペインスが解き放たれてしまった。怒りに任せて魔力を解放しており、周りの物をすべてなぎ倒す竜巻を巻き起こしている。彼はその場で大きく深呼吸をした。風はそれに共鳴するように落ち着き、竜巻も収まる。……彼の目には殺意が宿っていた。
「卑怯者には死を。……生かしておくものか」
「全員退け!奴とは戦うな!」
もはやなりふり構わないといった様子のペインス。渦巻く風の鎧を身にまとい、立ち向かった者の剣を弾いている。そして、その者は彼が放つ暴風にとらわれ、バラバラになって空から降り注いだ。一人の勇敢な団員の死に様が、カリンに戦うことは無謀だと教えてくれた。……奇しくも、元の作戦通りに彼らを中央広場まで引き込むこととなった。
「オルコス、頼む!」
「わかった。ああいう手合いは俺が適任だろうからな」
カリンは殿をオルコスに任せ、皆を引き連れて中央広場へと急ぐ。皆それほど疲弊はしていないが、今のペインスが相手ならば怪我をするよりも早く殺されてしまうだろう。
「……またお前か。……そろそろ目障りだ」
「ならさっさと回れ右して帰るんだな。……俺たちは何としても勝つ。手段は選ばねえ」
両者ともに睨み合う。双方、拳を構えるものの一歩たりとも動かない。アバニア兵がオルコスの隣を走り抜けていくが、彼はそれに目もくれない。
「いいのか?殿のくせに敵兵を素通りさせて」
「俺の仕事はお前の足止めだ。あんな雑兵ども、カリンたちが簡単にどうにかするさ」
「……では、俺も広場に向かわせてもらおう」
ペインスはそう言った途端、そこらの屋根よりも高く飛び上がり、オルコスの頭上を飛び越した。しかし、彼もただ空を仰ぐばかりではない。
「『鋼技・鉄網』!」
両腕を変形させ、空を覆うほどの「網」を張り巡らせる。ペインスの行く手を阻み、近くに引き戻す。
「そう簡単に抜かせるかよ!こちとら団員の命背負ってんだ!」
「……終始小賢しい男だ。お前だけは、楽に殺さんぞ!」
地面に叩きつけられたペインスは弾みをつけて飛び起きると、両手を突き出して竜巻を生み出す。それはオルコスに直撃するが、彼の鉄の身体には傷一つつかない。彼はそのまま風圧にあらがってペインスへと近づいていく。だが、ペインスもされるがままという訳ではなかった。一度大きく跳躍して退くと、右手を地面につける。すると、そこを中心として風が巻き起こり始めた。それはすぐに大きくなり、周囲の民家や崩れていた民家の瓦礫を吸い込んで破壊力を増していく。
「『烈風崩陣』!」
ペインスが生み出した竜巻は海の向こうであってもはっきりと見えるほど大きくなっていた。広場まで後退したカリンたちですら、あまりの風の強さに立っていることすらままならない。もっとも近くにいるオルコスは、全身を鋼化させて体重を増しているというのに、身体を持っていかれそうになっていた。
「……クソッ、なんだよコレ……!」
「手段を選ばないのは俺も同じだ。……動けまい。このまま空に投げ出してくれる」
オルコスの身体がじりじりと竜巻に吸い寄せられていく。身体がわずかに浮いた。
「……ッ!これでどうだ!『鋼技・鉄杭』!」
オルコスは両腕を地面に突き刺し、地中に深く刺しこんで張り巡らせていく。そして、正面を向いて笑って見せた。
「あいにく、俺は馬鹿じゃないんでな。高いところはそれほど好きじゃない。今日は遠慮させてもらうぜ」
「……どこまでも小賢しい!『烈風掌突』!」
ペインスは「烈風崩陣」での攻撃を諦め、正面からオルコスと戦うことを選んだ。彼は両腕を地面に埋め込んだまま、身体でその一撃を受け止める。しかし、先ほどとは比べ物にならない威力に、オルコスは地面ごと吹き飛ばされた。彼は何とか地面を転がることで衝撃を抑えこむ。偶然というべきか、ちょうど皆が逃げ込んでいた広場へと転がり込んでいた。
「オルコス!大丈夫か⁉」
「俺は大丈夫だ!だが……」
オルコスが何かを言う前に、竜巻をまとったペインスが広場に突進を仕掛けて来た。彼はとっさに起き上がり、その身で受け止める。しかし、またもや弾き飛ばされ、広場の真ん中にあった噴水の彫刻へと身体を叩きつけられてしまう。彫刻は砕け散り、オルコスはその破片の下敷きとなってしまった。
「児戯はこれまで。……これから俺が始めるのは殺戮だ。精々あがいて見せろ」
手ひどく仲間がやられた故か、ペインスの怒りは留まるところを知らない。オルコスを吹き飛ばしてなお、湧き上がる魔力は勢いを増している。だが。
「『銀世界』」
一瞬にして、広場が吹雪に包まれる。視界は真っ白に染め上げられ、一歩先すら何があるかわからないほどだ。ペインスは自らを竜巻で包み込み、吹雪から逃れようとしているようだが、次第にその竜巻すら白く染まっていく。荒れる吹雪の中、誰かが指を鳴らす音が聞こえた。その瞬間に吹雪は止まる。
「……エリシアか。随分と派手にやるものだ」
カリンは吹雪の主が誰かすぐに理解した。その名を呼ぶと、背後から「お気に召さなかったかしら」と声が聞こえて来た。……どうやらいつの間にか屋根の上に上がっていたらしい。彼女は堂々とした立ち振る舞いでカリンたちを見下ろしていた。
「私よりも、今はその氷像のことを考えるべきですわ」
屋根から飛び降りたエリシアはそう言って目の前を指し示す。そこには氷漬けになったペインスがいた。意識があるのかどうか、分厚い氷の下にいる彼の表情を読み取ることはできない。そこへ、エリオット達も集まってきた。
「作戦通り、ってことでいいか。……それより、こいつを……」
どうしようか。そうエリオットが口にしようとした途端、氷像にひびが入る。次の瞬間、氷像は破裂し、閉じ込められていたペインスが解放されてしまった。
「……鉄に氷。いささか不利か」
彼はそう言って足元に風を呼び起こす。そのままふわりと浮かび上がるとゆっくりと高度を上げていく。……もしやこのまま逃げる気か。エリオットはとっさに風の刃を放ったが、彼に簡単にいなされてしまった。
「……次はこうは行かんぞ」
彼は龍のようにうねる風を身にまとい、そのまま空へと消えて行った。
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