第七話 猛毒の赤い花は、至高の美容液でした
王都のとある貴族の屋敷で開かれているお茶会。そこに集まる貴婦人たちは、みな同じ香りをまとっていた。
「まあ、貴女もあのお香をお使いになり始めたの?」
「ええ、教えていただいたあと、すぐに試してみましたの。そしたら本当に疲れが取れて驚きましたのよ。すぐに夫にも勧めましたわ」
優雅なお茶会の話題は、巷で流行っているお香だ。少し刺激的な爽やかな香りがするお香なのだが、不思議なことにその香りを嗅ぐと疲れが取れるという代物だ。
「今ではわたくしより、夫の方がそのお香を焚いていますわ」
「一度あの疲れが取れる感覚を知ってしまうと、なかなかやめられませんわよね」
流行に敏感な貴婦人たちから広まったお香。それは紳士たちの嗜みにもなっていった。
貴婦人たちがお茶会を楽しんでいる一方で、王宮のマクシミリアンは、王が倒れた今、膨大な量の政務に追われていた。
「くそっ、次から次へと……! 自分たちで考える頭はないのか!」
次々に運び込まれる書類に、マクシミリアンは悪態をつく。そしてまた聞こえてきたノックに乱暴に返事をすれば、顔を出したのはルミナだった。
「マクシミリアン様! 今流行りのお香なのですが、邪悪な気配を感じたので浄化しました!」
久しぶりに浄化し切れた毒である。ルミナは「よくやった」と褒められることを期待していた。しかしマクシミリアンは苛々した顔のまま、彼女を怒鳴りつけた。
「どうしてもっと早く気づけなかったんだ!? 王宮内にも出回っているじゃないか!」
「え? だって、その……」
「もしや、最近家臣たちの気が抜けているのはそのせいか? ルミナ! 今すぐ王宮中を浄化して回るんだ!」
「そんな一気にはできません! 時間がかかります!」
マクシミリアンの命令に、ルミナは慌てて返す。それを聞いたマクシミリアンは、大きく舌打ちをした。
(何が浄化の聖女だ! 役立たずじゃないか!)
(マクシミリアン様は浄化がどれだけ大変か分かってないわ! そもそもそっちに求心力がないから、王宮内が荒れるんじゃない!)
二人が口にこそ出さないが、心の中で互いを罵り合っていた。
「――リーネがいたときは、こんなことはなかったのに……」
「………!」
マクシミリアンが思わず呟いてしまったその言葉は、ルミナのプライドを激しく傷つけた。
(どいつもこいつもリーネ、リーネって! アンタが追い出したんでしょうが!)
ルミナは聖女らしからぬ形相でマクシミリアンを睨みつける。そして何も言わないまま、執務室をあとにした。
その頃、リーネは。辺境伯城の一室で、小さな釜を使って赤い液体を煮詰めていた。
「……はあ、良い香りです。毒があるときもスパイシーで甘い香りがしていましたが、解毒したあとも甘い香りが残っていて良い感じですね」
赤い液体がグツグツと気泡を立てながら煮え立っている。リーネはそれをひと混ぜすると、香りを堪能するように大きく息を吸った。
「――リーネ様、もう入っても大丈夫ですか?」
部屋の扉越しに、エルダの心配そうな声がかかる。
「大丈夫ですよ! 毒はもうありません!」
リーネの言葉を聞いてから、扉が少し開く。恐る恐るといった表情で、口元に布をあてたエルダが顔を出した。
リーネが煮込んでいるのは、死の森で見つけた猛毒の赤い花だ。その花の毒を吸うと、やけに肌が潤うことに気づいたリーネが、化粧水に使えないかと思い付いて摘んできたものだった。
「……あら。なんだか甘くて良い香りがしますね」
「そうでしょう? よし、これで完成ですね」
リーネは自分の手の甲に、煮詰めた赤い花のエキスを一滴落とす。そして指で広げたあと、一つ頷いた。
「エルダ、少し手を貸してください」
近寄ってきたエルダの手を取り、エキスを落とす。それを馴染ませていくと、あら不思議。エルダの手が瑞々しくふっくらとした。
「まあ、なんですかこれは。シワが和らいだように見えるわ。これは世界中の女性が欲しがりますねえ」
エルダの反応を見て、リーネはにっこりと笑った。
「エルダにも効果があってよかった。上手くいけば、良い化粧水ができると思ったんです。これが辺境伯領の特産になればいいなと思って作ったんです」
「リーネ様……!」
「領地のことまで考えてくれるなんて、本当にカイン坊ちゃんのお嫁さんになってくれないかしら?」。リーネの言葉に感動しているエルダの顔は、たしかにそう言っていた。
「ただ、今はわたししか解毒できないので、他の人でも解毒できる方法を考えなきゃいけませんね」
「リーネ様は辺境伯領の女神ですわ」
エルダの誉め言葉に、リーネは照れたように微笑むのだった。
その日の夜、リーネは執務室でカインに化粧水のことを報告していた。
「なるほど。上手くいけば良い特産になりそうだな。薬学に詳しい者が城にいるから、彼と一緒に研究するといい」
「わあ! ありがとうございます!」
化粧水の価値が認められて喜ぶリーネ。カインはそれを微笑ましく見つめていた。
「……あー、ところでリーネ。そろそろ俺の呪いもまた、よどんできた気がするのだが……」
「解毒ですね! おまかせください!」
自分から言い出したことなのに、なぜか口づけをせがんでいるような気持ちになって、少し顔を赤らめるカイン。しかしリーネはそれに気づかない。カインは自ら手袋を脱いで、リーネに手を差し出した。
やんわりとしたリーネの小さな手が、カインの大きな手を包む。そしてリーネの顔が近づいて、指先にそっと唇が触れた。
「っ!」
カインはそんなリーネの唇をじっと見ている自分に気づき、慌てて視線を逸らす。リーネはそんな熱っぽい視線に気づくことなく、ちゅうちゅうと呪いを吸い続けた。
「――はあ。やっぱりカイン様の毒が一番おいしいです!」
「そ、そうか」
「カイン様に出会えて、本当に幸せです!」
「……!! お、俺も――」
「辺境伯領はおいしいものでいっぱいでうれしいです!」
「……だよな」
場所は王宮に戻る。毒のお香事件の犯人の手がかりが得られないまま一日が経とうとしている。痺れを切らしたマクシミリアンが、ついに暴走を始めた。
「おい! 『百毒の影』はいるか!」
「はっ」
どこからともなく一人の影が現れる。全身を黒い衣装で包んだその男は、マクシミリアンの前に跪いた。
「アーセニック領へ行け。そしてリーネを連れ戻してくるんだ。それ以外はどうなろうとかまわない」
王家だけに従う、毒の扱いに絶対の自信を持つ暗殺部隊。そのリーダーである男は、口を覆っている黒い布の下で皮肉な笑みを浮かべてみせた。
「辺境伯領の者どもに、真の毒の恐怖を教えてやりましょう」
百毒の影には、一子相伝の最強の毒薬『黒蜘蛛の涙』がある。しかし彼らが用意した毒が、リーネにとって最高のご褒美になるとは、まだ誰も知らない。




