第五話 瘴気に汚れた土は、熟成されたチーズの味でした
ある晴れた日のこと。リーネはカインの執務室を訪れていた。
「あの、領主様! 町の方から良い匂いがしているので町歩きがしたいです! エルダと行って来てもいいですか?」
「良い匂い? お前の良い匂いといえば……毒か」
「だめ、ですか?」
明らかにしょぼんと眉を下げてみせるリーネ。無自覚なのだろうが、その表情がカインの胸を刺す。
「……お前は何をしでかすか分からん。俺が一緒に行こう」
照れ隠しのように咳払いをしながらカインが言う。エルダは扉の先で、にっこりと笑いながら二人の会話を聞いていた。
早速リーネはカインを伴って町へと繰り出す。カインはいつも以上に入念に手袋をはめていた。
「わあ! 良い匂いが濃くなりました! ね、領主様、あっちへ行ってみましょう!」
「……リーネ。領主と呼ぶと民が委縮する。カインと呼べ」
「わかりました、カイン様!」
「っ、」
町に出てきたハイテンションの満面の笑み。それで名前を呼ばれたカインは、また胸を刺された。
「カイン様、カイン様! あそこの土、すごく発酵した良い匂いがします!」
「畑か……。やはり畑の土にも瘴気が混ざっていたか」
死の森が近いせいか、辺境伯領では作物が育ちにくい。今までも他の土地から土を持ってきたり、肥料を蒔いたりするが、あまり効果はみられなかった。
「――すまない、少し畑の土を見せてもらってもいいだろうか」
ちょうど畑仕事をしていた町人にカインが声をかける。町人の男は不思議そうな顔をしたが、快諾してくれた。
リーネが土を触る。水を撒いているはずなのに土は乾燥気味で、パラパラと手のひらから落ちていった。
「うーん。土が少し瘴気を含んでいますね」
「作物が育ちにくいのはそのせいか?」
「そうかもしれません」
次の瞬間、ズボッとリーネが両手を畑の中に突っ込んだ。その光景を見た町人の男がぎょっとした顔をする。
「ちょ、ちょ、あんたら、何してるんだね!?」
「すまない。少し調べたいことがあるんだ。悪いようにはしない」
「だ、だが……」
町人の男は心配そうにリーネを見ている。リーネは男を見て、にこっと笑った。
「ちょっとおやつをいただきますね」
「はい?」
リーネが息を大きく吸い込んでいく。それと同時に土の中の瘴気が、リーネの手を介して吸い込まれていった。
「うわあ、ヴィンテージの毒ですね! 深みがあって、まるで熟成されたチーズみたいです!」
「は? え? 毒?」
町人の男は混乱が隠せない。しかしリーネが呼吸をするたびに、黒ずんでいた土がふかふかになり、黄金色へと変わっていくのを見て、驚きに大きく目を見開いた。
「な、なんだこれは……!?」
「……ふぅ。ごちそうさまでした」
土の瘴気が消えた瞬間、すこし萎れていた作物たちにハリが出た気がする。それを見て町人の男は大興奮した。
「あんた、女神様か!? うちの畑が生き返ったみたいだ!」
すると遠目にリーネとカインを見ていた領民たちが、一斉に駆け寄ってきて口々に叫んだ。
「うちの畑も見ておくれ!」
「うちの家畜も見てくれないか!」
リーネは様子を伺うようにカインを見上げる。カインはそれに黙って頷いた。領民の助けになるならと、他の町人を助けることを許したのだ。
他の畑も、同じように瘴気におかされていた。その度にリーネは、土の中に両手をつっこんで毒を吸う。汚れた手を洗えば、カインが甲斐甲斐しく拭いてくれた。そうして大量の毒を摂取したリーネは、またしても美貌に磨きがかかった。ハッとするような鮮やかな紫色の髪がなびき、緑の瞳は透き通って太陽を反射させる。陽光のもとで煌めく彼女の姿は、まさに地上に降臨した女神そのものだった。
(彼女を偽物だと言った王宮の者たちに、この姿を見せてやりたい)
カインはリーネを追放した王宮の者たちに憤りながらも、同時に誇らしさを覚えていた。
「女神様……! ありがとうございます!」
夕暮れの城下町。頭を下げる領民たちを背に、リーネとカインは城へと戻る。
「これでおいしいお野菜が育ちますね。ウシもブタもニワトリも元気になりましたし、楽しみです!」
リーネの笑顔が眩しい。これまで瘴気でどうしようもないと諦めかけていた領地に、光が差した。リーネのおかげで再生していく領地に、カインの心は今までにないほど穏やかなに凪いでいた。
「何もかもお前のおかげだ。ありがとう、リーネ」
リーネが辺境伯領に来てくれてよかった。彼女が隣にいてくれてよかった。カインは、心からそう思った。
「でもやっぱり、一番おいしいのはカイン様の呪いですね!」
「そういえば最近吸ってませんでした」と、自然にカインの手を取るリーネ。そして手袋をはいで、そっと指先に口づけをする。カインはそれを、呆れたようなうれしいような顔で見ていた。
「その……リーネ。別に口づけをする必要はないのだろう?」
「そうなんですが、この方が直接摂取できておいしさが増すんです!」
「そ、そうか……」
指先が熱い。リーネの触れたところから熱が広がったかのように、自分の心臓の音がうるさい。カインは赤くなった顔をみられないように手で隠しながら、リーネを見ないよう視線をそらした。
瘴気や呪いの問題だけでなく、まるで心の澱みまでも晴らしてくれるような明るいリーネ。彼女を想うとぎゅっと切なくなるこの想いに、カインはようやく名前をつけた。
(ああ、俺は――)
――リーネが愛しいんだ。そう認めてしまえば、もう彼女を手放せそうになかった。
その頃、王宮では。中庭の花が枯れるという事件が発生していた。まるで誰かが除草剤でも撒いたかのように、不自然に枯れている。
頭を地面につけて震えている庭師を横目に、マクシミリアンは焦った表情を隠せないまま叫んだ。
「ルミナ! 浄化を!」
(やってるけど、全然元気にならない……!)
ルミナの浄化の力により、枯れた花は少しだけ頭を持ち上げる。しかしそれ以上返り咲くことはなく、色も褪せたままだった。
(私には確かに浄化の能力があるはずなのに……っ。こんなに弱いなんて)
ここでルミナはふと思う。自分の浄化の能力は、弱いものなのではないかと。
その光景をみていた大臣たちは、顔を寄せ合い、こそこそと話していた。
「最近、物騒なことが続いているな……。反王制派のやつらが動き出したのだろうか……」
「リーネ様がいなくなった瞬間、動き出したように見えるな……」
「リーネ様、実はすごい聖女だったんじゃないのか……?」
その囁きは、マクシミリアンとルミナの耳にも届いていた。羞恥と怒りで肩を震わせるマクシミリアン。ルミナもまた、自分が姉より劣っていると認めたくなかった。
(あんなみすぼらしいリーネがすごい聖女ですって!? そんなはずないわ!)
未だに枯れた花は元に戻らない。王宮の空には、分厚い灰色の雲がひしめき合っていた。




