第二話 呪いの瘴気は、特上のデザートでした
黒い瘴気がただよう死の森・最深部。「食べてもいいですか?」というリーネの場違いすぎる発言に、男――カイン・アーセニックは思わず剣を抜くかどうかを考えた。
(いや、待て、動揺しすぎだ俺……)
「あーもう! この手袋、邪魔です!」
「おい! やめ――」
手袋を脱がした瞬間、ゴツゴツとした手から禍々しい瘴気が溢れ出た。カインの制止もむなしく、リーネのやんわりとした手が彼の手に直接触れる。そして――。
ちゅう。
「!?!?」
指先に落ちたリーネの唇に、カインは声にならない悲鳴は上げた。
「おおおお前! なにして……っ」
そこでふと気づく。手から溢れていた瘴気が、次々とリーネの唇の中へと吸い込まれていくのだ。
「……重い感じが、消えた……?」
「――ふぅ、ごちそうさまです。最高にパンチの効いたお味でした」
「って、そうだ! お前、大丈夫か!?」
リーネのツヤツヤとした肌は薄く色づき、どこか色っぽい。恍惚の笑みを浮かべていた表情は、だんだんと瞼が重そうに下りてきて、リーネの身体が大きく傾いた。
「まさか俺の呪いが!?」
腕でリーネを抱き留める。自分の呪いが彼女を死に至らしめたのではないかと焦ったが、リーネから聞こえてきたのは、健やかな寝息だった。
「……寝ている?」
「……むにゃ。もう食べられませんー」
「嘘だろ……」
ここは、この国の誰もが恐れる死の森だ。当然、そんなところにリーネを置いていけるはずもなく。
「――はあ。しかたない」
リーネの手に握りしめられた手袋を抜き取って、カインは口を使いならが器用に手袋をはめる。そして極力彼女に触れないようにしながら、彼女を抱きかかえて森を出ることにした。
死の森を超えた先にある、隣国との国境沿いにある辺境の領地・アーセニック領。城に戻ったカインを出迎えたのは、屈強な騎士団長のオーゼル・グラナイトと年配の侍女長のエルダ・カトレアだった。
「おかえりなさい、坊ちゃん」
「また一人で森に行ってきたんですか、閣下!」
エルダとオーゼルが声をかける。するとカインは何かを説明しようと口を開きかけ、そして諦めたように首を振って一言こう言った。
「あー……、森で女を拾った」
カインが連れていた馬の背に、荷物のように乗せられているリーネ。運び込まれた彼女を見て、エルダは声を上げた。
「まさか! 重症では!?」
エルダが慌てて駆け寄る。しかし近くで見たリーネの顔色は、とてもよかった。
「ええっと……死の森で拾われてきたのですよね?」
「ああ、そうだ」
「元気そうで、気持ちよく眠っているように見えますが?」
「ああ。俺の呪いを吸って、恍惚としていたな」
エルダは、わけが分からないという顔をしている。その後ろでオーゼルは剣呑な雰囲気をただよわせていた。
「閣下の呪いに触れて生きているとは……どこかのスパイですか?」
「さあな。詳しいことは分からんが、このまま森に置いてもおけまい。目が覚めるまで、城で寝かせておくことにする」
カインの配慮のおかげで、リーネは辺境伯城の客室にあるふかふかのベッドの上で目覚めた。
「ふああ、久しぶりによく寝た気がする……」
「あら、目が覚めたのね。滋養のスープを用意したのだけれど、食べられる?」
ちょうどリーネのために温かいスープを持ってきたエルダは微笑む。リーネはそのままベッドの上で、スープを一口頬張った。
「……ああ、温かくておいしい。王宮では味のしない冷めたお粥しかもらえなかったのに……」
「あら、あなた、王宮にいたの?」
「はい、王宮で働いていました」
そのとき扉をノックする音が響いて、カインとオーゼルが顔を出した。
「目を覚ましたようだな」
「あ! デザートが来ました!」
「は?」
カインをデザート呼ばわりするリーネに、オーゼルとエルダがぎょっとした顔をする。しかしデザートと呼ばれた本人は、自分の呪いのことだと理解していて、呆れたように溜め息をつくだけだった。
「俺はカイン。このアーセニック領の領主だ。それでお前は何者だ? 何の目的があって死の森にいた?」
「わたしはリーネ・ヘレボスです。王宮で一応聖女をやっていましたが、偽物だと死の森に捨てられました」
「は?」
カインはまたもや予想を超えてくるリーネの言葉に、頭痛がしたかのように頭を押さえた。聖女といえば、一年前に毒におかされた王を救った者に与えられた称号だ。カインは訝しげにリーネを見た。
「偽物とはどういうことだ?」
「妹が正しい聖女だと言われました」
「それで? お前は偽物なのか?」
「聖女が何かにもよりますが、解毒することは可能です。というか、定期的に毒を摂取しないといけない体質だったみたいです。死の森に捨てられて、初めて気づきました」
カインのうしろで、オーゼルとエルダが疑わしそうに顔を見合わせる。それに気づいたリーネは、彼らに一つ提案をした。
「領主様の毒、もう一度いただいてもよろしいですか? 実は、どの食べものよりも一番おいしくて……」
「お前、この手のことが分かるのか?」
「原因は分かりませんが、猛毒のような症状が出ていることは分かります」
「………」
カインは手袋に覆われた自分の手を見つめ、それから口を開いた。
「お前の言うとおり、この手は呪われていてな。どうやら直接触れたものの生気を吸ってしまうようなんだ」
「極上の毒のようなものですね! だからおいしかったんだ」
「では改めて」と、カインの手を掴んで手袋をはぎ取ろうとするリーネ。びくりとカインは手を震わせたが、そのままリーネの好きにさせた。
そして死の森のときと同じように、リーネの唇がそっと指先に触れる。それと同時にカインは、自分の身体に清々しい風が吹き込むような感覚を覚えた。今まで重くのしかかっていた心の澱が、彼女の喉を通るたびに消えていく気がする。
「か、閣下の指を食ってる!? いや、吸ってる!? どっちだ!?」
目の前の光景は、オーゼルにとってとても衝撃だったらしい。彼は目に見えて混乱していた。
「あらあら、坊ちゃんたら。初対面のご令嬢にあんなに激しく吸わせるなんて……。春ねえ」
エルダはエルダで、盛大な勘違いをした温かい眼差しを向けている。
「――ぷはっ。領主様、本当においしい方ですね!」
「お、おいしい、のか……?」
「でもだめですね。こうして領主様の毒を吸って一時的に抑えることはできても、呪いそのものを解呪することはわたしにはできないみたいです」
「……そうか」
解毒の能力を持つリーネなら、もしかしたら呪いを解いてくれるかもしれない。言葉にはしなかったが、カインはひそかに淡い期待を抱いていた。
「領主様! 頑張って働くので、わたしをここに置いていただけませんか? 食事の準備、掃除、なんでもやります!」
「それはかまわないが……」
「それにほら! わたしは領主様の呪いを吸えて、領主様はわたしに呪いを吸われる。これって、お互いにウィンウィンの関係じゃないですか?」
キラキラと瞳を輝かせているリーネ。死を招く自分の呪いが、目の前の女の糧になっている。その事実を再認識した瞬間、カインは胸の内にそっと小さな火が灯るのを感じた。
――誰にも触れられなかった自分に、唯一触れられる存在。未知の存在に生理的な警戒を感じる一方、リーネの言葉は抗いがたいほど魅力的に聞こえた。
「王宮から捨てられたというのなら、行く場所もないだろう。お前の提案、受け入れてやる」
「やったあ! ありがとうございます!」
毒吸い聖女と呪われ辺境伯の歪な共存関係がここから始まるのだった。




