第一話 毒が足りなくて、枯れていただけでした
豪華絢爛な大広間。煌めくシャンデリアの光に照らされながら、一組の美男美女が周囲の視線を集めていた。
「今夜は私の婚約発表パーティーによく集まってくれた!」
金色の髪を輝かせた美男――この国の王太子であるマクシミリアン・フェルゼンタールは声を張り上げた。
「紹介しよう! 隣にいるのはルミナ。私の婚約者であり、つい先日、浄化の能力があると分かった聖女だ!」
「ごきげんよう、みなさま。ルミナ・ヘレボスと申します。この度、恐れ多くも教会から聖女の称号を賜りました」
透き通った薄紫色の髪をなびかせ、ルミナはお辞儀をする。その可憐な姿に、周囲から小さく感嘆の声が漏れた。
そんな観衆の中、大広間の隅っこで小さくなっている女がいた。灰がかった紫の髪はまとめられているが、パサついているのが分かる。顔は土気色で、明らかに不健康な相貌だった。
「だが、みなも忘れてはいるまい。この国にはすでに聖女と認定された者がいることを」
マクシミリアンの言葉に、観衆の視線が女へと向く。女は居心地が悪そうに、聖女の衣装である白い法衣を握りしめた。
「リーネ・ヘレボス! そう、お前のことだ! 前に出て来い!」
女――リーネはおずおずと前に出る。観衆の目が好奇心で満ちていくのを、肌で感じていた。
「リーネ。お前は聖女と認められてからこの一年、何も功績も上げてこなかった」
「そ、それは……この国が平和だからで……」
マクシミリアンの蒼い氷色の瞳がするどくリーネを刺す。リーネはくすんだ緑色の瞳を伏せるだけだ。
リーネはかつて毒に倒れた国王を救済して聖女となった。毒殺未遂の犯人が捕まって以降、幸いなことに服毒事件は起きず、リーネの聖女としての活躍の機会はなかった。
――だが、それこそがリーネにとっての悲劇だった。
「それにお前のその醜い容貌はなんだ? 聖女と呼ぶには、とてもおぞましい。ルミナの姉とは思えん!」
毒を吸うことで活性化するリーネの身体にとって、平和すぎる王宮は「食糧のない砂漠」と同じ。極度の栄養不足に陥った身体は、日に日に潤いを失い、枯れ果てていったのだ。彼女の顔色はくすみ、シワが目立ち、目元が落ち窪んでいく。まだ年若い令嬢のはずが、老婆のように見えた。
「ゆえに今日! 私はここで宣言する! リーネ・ヘレボスから聖女の称号を剥奪し、聖女を偽った罰として『死の森』へ追放する!」
マクシミリアンの言葉に、観衆は大きくざわついた。死の森といえば、人体を脅かす瘴気にまみれ、魔物の巣窟として知られている、辺境にある呪われた地だ。
「そ、そんな……! そんなところへ放り出されては生きていけません!」
「ふん、聖女を騙った罪はそれほど重いのだ。おい、衛兵! この者を捕らえて追放せよ!」
「ル、ルミナ! あなたからも何か言ってちょうだい!」
「これは王太子殿下が決めたことなの。ごめんなさいね、お姉様」
縋りつくように声を上げるリーネに、マクシミリアンは見向きもしない。ルミナもまた、姉の懇願をあざ笑うかのように一蹴した。
駆け寄ってきた衛兵に、リーネは両脇を掴まれる。そして半ば引きずられるように、大広間から連れ出されていく。
「王太子殿下! どうか再考を!」
――バタン。リーネの願いもむなしく、大広間の扉は目の前で閉じられてしまった。そしてそのまま乱暴に荷馬車へと投げ込まれ、リーネは成す術もなく王都から追放されてしまうのだった。
国境付近にあり、樹木や草木が黒く変色した死の森の入口。何日も走り続けた荷馬車は、そこで停車した。瘴気を吸い込まないよう口元に布をあてた護衛兵たちは、まるで荷物でも投げ捨てるかのように、リーネを雑に放り出した。
「じゃあな、偽聖女様」
「死の森から生きて出られるといいな」
(本当に捨てられた……)
土で白い法衣を汚したリーネをあざ笑いながら、護衛兵たちは荷馬車でその場を離れていく。一人残されたリーネはただ呆然と、荷馬車が走り去った方を見ているしかなかった。
しかし、いつまでもこうしているわけにはいかない。放り出されたときに擦りむいた手のひらが痛むが、手をついてゆっくりと立ち上がる。そのときふと、リーネは思った。
(あれ……? なんだかいつもより息がしやすい?)
死の森は、普通の人間であれば数時間で身体が痺れ出す瘴気に満ちている。そうして毒の胞子が身体中を巡る頃には、死に至るという恐ろしい場所なのだが――。
リーネは肺いっぱいに空気を吸ってみる。森の奥から、芳醇な香辛料のような香りが感じられた。
――ぐうぅぅぅ。おいしそうな香りを嗅いだからか、リーネの腹の虫が大きな音で鳴いた。王宮から連れ出されてからというもの、リーネには水一滴さえ与えられていなかったのだ。
「ああ……、おなか、すいた……」
腹と背がくっつきそうとは、まさにこのことだ。空腹でかすみだした視界で、とりあえず何か口にできそうなものはないかと探した。すると、森を少し入ったところに、紫色のキノコが生えているのを見つけた。
「キノコだ……。食べられるかな……」
のろのろとした足取りで森へ入る。とにかく空腹が辛くて、瘴気のことは頭から抜け落ちていた。そして木の根元にしゃがみこんで、キノコを観察してみた。
キノコは、なにかぬるりとした粘り気を帯びている。どう見ても食用ではないキノコだったが、背に腹は代えられない。
「ええい! 死んだときは死んだときだ!」
リーネはやけくそでキノコを採る。ぬるりとした感触が気持ち悪かったが、そのまま勢いよく一口かじった。
「……っ、おいしい!?」
正直、食感は悪い。だが見た目に反して、噛めば噛むほど燻製にしたナッツのような香ばしさが弾けた。
「あっ、あそこにもある! あそこにも!」
キノコを追いかけて、リーネはどんどん森の奥へと入り込む。そしてキノコをかじっては、そのおいしさに驚いて目を見開いた。
しかし、三つ目のキノコを食べたところで、リーネの身体に異変が起きた。身体の内側を針で突かれているようなチクチクとした違和感が現れ、次第にそれは雷に触れたかのようにビリビリと激しさを増す。
「あれ、これ……もしかしてわたし、死ぬ?」
身体が熱い。心なしか、青白い肌が赤みを帯びてきた気がする。まるで身体が火に包まれたかのように熱くなったと思った瞬間、リーネは自分の変化に気づいた。
「……うん? なんか、髪に艶が出た?」
灰色がかっていた髪が、綺麗な紫色になっていた。さらにシワだらけで青白かった手が、ふっくらとして白くなっている。つまるところ、年老いていた見た目が、若返っていた。
「何これ! 王宮にいたときよりずっと身体が軽い!」
リーネはその場で跳びはねてみた。まだお腹はすいているが、動けないほどではない。すると風に乗って、さらに森の奥からより濃くて良い香りがしていることに気づいた。
「なんかもっと良い匂いがする……。こっちの方かな?」
ふらふらと誘われるように歩き出した先は、森の最深部。目に見えて瘴気が黒い霧となり、渦巻いている場所だった。そこに一人、禍々しいオーラを放つ軍服の男が立っていた。その周りには彼に倒されたであろう魔物の死骸がいくつか転がっている。剣を納めた男が、リーネの気配を感じて振り返った。
「お前……っ、こんなところで何をしている!? 死にたいのか!?」
リーネの姿を見るなら、大股で駆け寄ってきた男。しかしリーネは、男から漂う極上の香りにうっとりと頬を染め、恍惚の表情を浮かべていた。
「――キノコなんて比べものにならない。ヴィンテージのワインと、焦がした砂糖を混ぜたような、濃厚で芳醇な香り……」
「……まさか、瘴気にあてられて気が触れたか?」
リーネは何も答えない。ただ唐突に、手袋に覆われた男の手を掴んだ。
「っ、触るな!! 死ぬぞ!!」
男が慌ててリーネの手を振り払う。それでもリーネは引かず、再度、男の手を取った。男は全身で拒絶しているのに、彼女だけはじゅるり、と喉を鳴らして彼の手を見つめている。
「あの! あなたの手から良い香りがするんです。食べてもいいですか?」
「……は?」
リーネの言葉に呆然とする男の言葉を待たず、リーネは男の手袋をはぎ取ろうとするのだった。




