第4話 サキュバス食堂は午前4時まで
夜食堂《夢灯り》は午前4時までやっている。
理由を店主に聞いたことがある。
「朝までやればいいじゃないですか」
「4時を過ぎると、夜勤の人は飯より布団を欲しがるのよ」
なるほどと思った。
サキュバスが言うと妙に説得力がある。
◇
中央血液医療院を出て、約5分。
《夜食堂 夢灯り》
古い雑居ビルの1階。赤い看板。カウンター8席。奥に小さなテーブルが3つ。
深夜営業の店としては普通だ。
店主がサキュバスであることを除けば。
「いらっしゃい」
ドアを開けた瞬間、カウンターの向こうから声が飛んできた。
店主のミラ。
紫がかった黒髪。頭には小さな角。腰から伸びた細い尻尾。
羽は仕事中は邪魔だから出していないらしい。
エプロンには、
《欲望より先に手を洗え》
と書いてある。
「腹減った」
「見れば分かる」
「サキュバスだから?」
「顔見れば分かる」
それは誰でもできる。
空いている席へ座る。
「何にする?」
「おすすめ」
「それ一番嫌いな注文」
「何で」
「人間の『何でもいい』と同じくらい信用できないから」
「俺、人間じゃないけど」
「もっと面倒ね」
ミラが俺を見る。
正確には、目の奥を見ているような感じがする。
サキュバスは欲望を感じ取る。
程度には個体差があるらしいが、ミラはかなり強い。
「塩」
「はい」
「脂」
「はい」
「炭水化物」
「はい」
「温かい汁物」
「はい」
「あと10分くらい、誰にも話しかけられたくない」
「それも分かるの?」
「顔で」
「だからそれサキュバス関係ないだろ」
ミラが厨房へ声をかける。
「生姜焼き定食。豚汁大。ご飯大盛り」
良いチョイスだ
「最高」
「欲望が安いのよ、あんた」
安くて悪かった。
◇
店には先客がいた。
カウンターの端に、黒馬交通の先輩。人間のトーマさん。 60代。
夜勤専門。
俺よりこの街の道に詳しい。
その隣には、作業着姿のドワーフ。
顔は知らない。
多分、整備か建設関係。
奥のテーブルにはオークの救急隊員が2人。
さっき病院前で見た連中とは別だろう。
夜の《夢灯り》には、こういう客が多い。
タクシー。
配送。
医療。
警備。
工場。
ホテル。
昼間の街を支えている人間が寝ている間に働く連中。
「今日どうだ」
トーマさんが聞いてきた。
「まだ1本」
「何時出た」
「21時過ぎ」
「じゃあ普通だな」
「普通です」
「世界樹通りどうだった」
「流れてました」
「珍しいな」
「医療院の方でちょっと変なナビ出ましたけど」
トーマさんが箸を止める。
「変なナビ?」
「壁の中に道が出た」
「疲れてんじゃねえか」
「俺もそう思って飯来ました」
「そうか」
話はそれで終わった。
タクシー運転手の情報交換は、割とこんなものだ。
大事故。
通行止め。
イベント。
鳴る場所。
鳴らない場所。
変な客。
変な道。
重要なら誰かがもう1度言う。
重要じゃなければ忘れる。
ミラが出来上がった生姜焼き定食を置いた。
「はい」
「ありがとう」
「豚汁熱いから気をつけて」
「分かった」
「あと右前輪は気に過ぎないように」
箸が止まった。
「何で分かるの」
「さっきから気にしてるでしょう」
「ああ」
欲望というより意識を読んでないか。
「昼に整備入れるかな」
「食べ終わったら行きなさいよ」
「夜だし」
「24時間の整備工場、北通りにあるでしょう」
「特に問題は起きてないし」
「そうやって後回しにする人の欲望、私嫌い」
「何で」
「『大丈夫だろう』が強すぎる」
ドワーフが横から笑った。
「運転手は皆そうだ」
「整備士です?」
「ドワーフ重工の下請け」
「やっぱり」
「右前なら見てやろうか」
「今?」
「俺も飯食ったら戻る。駐車場で5分なら」
「助かります」
「5分で済めばな」
嫌な言い方をする。
◇
入口のベルが鳴った。
「いらっしゃい」
若い男が入ってきた。
人間。
スーツ。
ネクタイは緩んでいる。
かなり酔っている。
男は店内を見回して、ミラを見た。
止まった。
「……サキュバス?」
ミラが答える。
「そうよ」
「本物?」
「偽物だったら何?」
男が少し笑った。
「いや、こんな店あるんだ」
「食堂だからね」
「サキュバスの?」
「私の」
「へえ……」
嫌な間。
俺は飯を食う。
トーマさんも飯を食う。
ドワーフも飯を食う。
全員、見ていないふりが上手い。
「サキュバスって、あれでしょ」
男が言った。
「魅了とか」
「できるけど」
「使える?」
「店で?」
「まあ」
ミラが男を見る。
「あなた、今1番欲しいもの言ってあげようか」
「お」
「水」
「え」
「次にトイレ」
「……」
「その次が家」
「……」
「そのあと自己嫌悪」
店内が静かになった。
トーマさんが味噌汁を吹きそうになる。
「何だよそれ」
「今のあなた」
「サキュバスってもっとこう……」
ミラがため息をついた。
「欲望って性欲だけだと思ってるの、若いわね」
男が固まる。
「夜中の2時に救急隊員が欲しいのは睡眠。配送員が欲しいのは糖分。タクシー運転手が欲しいのは長距離客」
「最後だけ具体的ですね」
俺は口を挟む。
「あなたもそれは欲しいでしょう」
「欲しい」
「ほら」
男が小さくなる。
「……水ください」
「最初からそう言いなさい」
コップが出てくる。
◇
サキュバスの能力は、昔から色々言われている。
魅了。
誘惑。
夢への侵入。
感情誘導。
今はほとんど法律で規制されている。
本人の同意なしに精神へ干渉すれば普通に犯罪だ。
広告業界や接客業で能力を使う場合も、許可がいる。
ミラが食堂をやっている理由を以前に聞いた。
「サキュバスなのに?」
と聞いたら、3日くらい嫌味を言われた。
今は理由を知っている。
夜中に働いている人間の欲望は、驚くほど単純らしい。
温かい飯が食いたい。
座りたい。
静かにしたい。
誰かと話したい。
帰りたい。
明日休みたい。
あと少しだけ頑張りたい。
そういうもの。
「何で食堂なんです?」
酔った男が聞いた。
俺も前に聞いた質問だ。
ミラは皿を洗いながら答えた。
「欲しいものを出して、お金もらう仕事だから」
「それだけ?」
「十分でしょう」
「もっとこう、種族的な理由とか」
「あるわよ」
ミラが振り向く。
「お腹空いてる人にご飯出すと、大体喜ぶ」
「普通だ」
「普通が1番いいのよ」
いいことを言う。
「で、あなた」
「はい」
「終電ないけどどうするの」
男が時計を見る。
「……あ」
午前1時26分。
ミラが目を細め、男を見透かすように一語一語確かめるように声に出す
「ホテル、いっぱい、家、西区、タクシー、つかまらなかった?」
全員が俺を見る。
「何で俺を見るんです」
「タクシーならいるじゃない、ここに」
「飯食ってるんですけど」
「食べ終わってる」
皿を見る。
終わっていた。
いつの間に。
「営業中でしょう」
「そうだけど」
男が俺を見る。
「西区まで行けます?」
「行けますよ」
「遠い?」
「ここからならそこそこ」
ミラが俺を見る。
「欲しかった長距離客」
「……」
「良かったね」
「サキュバス怖いな」
「顔で分かっただけ」
「絶対嘘だろ」
◇
会計。
俺の生姜焼き定食。
豚汁大。
追加のコーヒー。
酔った男は水だけ。
「水、金取る?」
「取らない」
「優しい」
「次来た時は飯食べなさい」
「はい」
ミラが男を見る。
「あと、さっきの件」
「はい」
「サキュバス相手に変な期待する前に、まず相手が仕事中か考える」
「……すみません」
「よろしい」
ちゃんと謝るなら悪い奴ではない。
外へ出る。
ドワーフも一緒に出てきた。
「右前見てやる」
「お願いします」
駐車場でしゃがみ込む。
タイヤ。
ホイール。
足回り。
「空気圧は問題ない」
「じゃあ何だろ」
「明日ちゃんと工場持ってこい。5分じゃ分からん」
「結局それ?」
「5分で全部分かるなら整備士いらん」
正論だった。
◇
酔った男を後部座席へ乗せる。
「行き先、西区で」
「住所分かります?」
「出します」
端末を見せてもらう。
23.4km。
悪くない。
かなりいい。
「出ますね」
「お願いします」
車を発進させる。
バックミラー。
《夢灯り》の赤い看板。
入口でミラが手を振っている。
俺も軽く手を上げた。
店は午前4時まで。
夜勤が終わるまで。
配送が落ち着くまで。
救急が少し静かになるまで。
タクシーが最後の客を運ぶまで。
そして午前4時を過ぎると、みんな飯より布団を欲しがる。
多分、あの店主は誰よりよく知っている。
「運転手さん」
「はい?」
「サキュバスって怖いですね」
「そうです?」
「全部見透かされる」
「大丈夫ですよ」
「何が?」
「大抵の人が欲しいもの、そんな大したもんじゃないらしいんで」
「次にお客さんがほしいのは家」
「……ですね」
少しして、後ろから寝息が聞こえ始めた。
俺は西区へ向かった。
夜はまだ長い。




