第11話 悪魔弁護士は契約書を読む
「口頭ではOKをもらってます」
「ですが契約書には書かれていません」
「でも先方も分かってるんですよ」
「けれど契約書には書かれていません」
「先生」
「はい」
「そこだけ何回言うんですか」
「書かれていないからです」
◇
午後6時22分。
迎車地点は中央企業区。
客は2人。
人間の会社員と悪魔の弁護士。
会社員は30代。
疲れている。
悪魔は女性。
黒い角、細い尻尾。
スーツ、眼鏡、革鞄。
胸から下げた社員証には、
《九十九十九契約法律事務所 弁護士 アデル・クロウ》
とあった。
「聖樹中央商事本社までお願いします」
「承知しました」
発進。
すぐ後ろで会話が再開した。
「ですから、先方も口頭では了承しています」
「契約書には?」
「書いてませんけど」
「では了承していません」
「いや、了承はしてるんです!」
「契約上はしていません」
面倒そうだ。
◇
「先生、そこまで厳密にしなくても」
「厳密にするための契約です」
「実務では多少あるでしょう」
「多少とは、何%です?」
「そういう意味じゃなく」
「ではどういう意味です?」
「……柔軟に」
悪魔の眉が動いた。
「柔軟、嫌いな言葉ですね」
「ですが、現場では厳密さが枷になる場面もあるじゃないですか」
「契約書で『柔軟に対応する』などと書いてあると頭痛がします」
俺はちょっと笑った。
悪魔がミラー越しにこっちを見る。
「運転手さん」
「はい」
「今笑いました?」
「少し」
「あなたも仕事で曖昧な指示を受けることがあるでしょう」
「ありますよ」
「例えば?」
「『駅まで』『少ししたら曲がって』とか」
「ほら!」
食いついた。
「どこの入口とか何個めの信号か言ってほしいですよね?」
「まあ」
「『駅前のいい感じのところで』と言われたら?」
「よくありますが、少し困りますね」
「『少し手前で』」
「何mだよってなる、そう言う人に限ってメーターにうるさいですね」
「そう!」
悪魔の尻尾が1回、座席を叩いた。
「契約も同じです!」
「タクシーで例えると確かに分かりやすいですね」
会社員が言う。
「最初から分かってください」
◇
「悪魔って、やっぱり契約にうるさいんですね」
俺が聞く。
悪魔弁護士が少し考える。
「その言い方は嫌いではありません」
「もっと怒られるかと思った」
「事実なので」
「昔の魂の契約とか?」
「昔はありました」
「今は?」
「消費者契約では魂を担保にできません」
「法律で?」
「当然でしょう」
「悪魔なのに?」
「悪魔だからです」
強い。
「昔は酷かったんですよ」
「悪魔が?」
「人間も」
「両方?」
「説明せずに署名させる。小さい文字で条件を書く。酔わせる。魅了する。未成年と契約する」
「悪魔的ですね」
会社員が言う。
車内が静かになった。
「あ」
「今のは」
悪魔弁護士が眼鏡を直す。
「職業差別ではなく、歴史的に我々もやっていたので否定しません」
「助かった……」
◇
「ただ」
悪魔が続ける。
「契約してから破る方が、我々には理解できません」
「そんなに?」
「契約ですよ?」
「はい」
「約束ではありません」
「違うの?」
「違います」
「どう違うんです?」
悪魔が少し考える。
「約束は人と人の間にある」
「はい」
「契約は世界に書く」
少し格好いい。
「昔の契約魔術では、本当にそうでした」
「魔法?」
「条件を固定し、双方を縛る。契約文そのものが術式です」
「だから曖昧なの嫌なんだ」
「術式に『いい感じに』と書きます?」
「爆発しそう」
「そういうことです」
◇
会社員が書類を見る。
「でも今回、本当に先方は分かってます」
「確認します」
「はい」
「追加作業の範囲は?」
「現場で必要になった分」
悪魔のこめかみが動く。
「必要の定義」
「先方と相談して」
「相談が不成立なら?」
「その時考える」
尻尾が1回。
「費用上限は?」
「なるべく抑える」
2回。
「なるべく、とは?」
「……」
「納期は?」
「できるだけ早く」
3回。
俺は前を向く。
面白くなってきた。
「先生」
会社員が言う。
「怒ってます?」
「怒っていません」
「尻尾が」
「生理現象です」
嘘だ。
◇
「運転手さん」
「はい?」
「例えば今、私が『中央商事の近くまで』と言ったら」
「場所聞きます」
「『その辺で』なら?」
「どの辺か聞きます」
「『常識の範囲で』なら?」
「客によって常識違うんで聞きます」
「そうでしょう!」
悪魔が会社員を見る。
「常識の範囲という文言を契約書へ入れようとしたのは誰です?」
「……先方」
「止めなかったのは?」
「……私です」
「直します」
「はい」
完全に負けている。
◇
途中、電話。
会社員の端末。
「先方です」
「出てください」
「はい」
一瞬で、叱られて情けない声音だった会社員が外行きのはっきりした喋り方へ変わる。
「お世話になってます。はい。今向かってます」
間。
「え?」
顔色が変わる。
「追加分、費用出ない?」
悪魔が目を閉じる。
「でも先日、部長さんが口頭で」
少しづつ青ざめていく会社員。
「……契約書にない?」
悪魔が目を開ける。
会社員は今にも消え入りそうだ。
「確認して折り返します」
通話終了。
悪魔に魂を抜かれたような顔で会社員がポツリとこぼす。
「先生」
「はい」
「すみませんでした」
「直しましょう」
「怒らないんです?」
「怒る時間がもったいないので」
「すみません...」
◇
悪魔弁護士が書類を開く。
「追加作業の定義、費用算定、承認権限者の追加、納期変更条件の記載、中止時の精算規定」
「はい」
「急ぎ、こちらを決めます。」
「車内で?」
「あくまでこれでも最低限早急に必要な部分となります。」
「酔わない?」
「悪魔なので」
そこ関係あるのか?
◇
中央商事本社。
到着。
「料金です」
会社員が決済する。
悪魔が降りる前に俺を見る。
「運転手さん」
「はい」
「目的地を明確に聞くのは良い仕事ですね」
「普通ですよ」
「契約も本来、普通なんです。世界に書くのが契約だとしても各々の世界は違います。」
「意外と詩的な言い回しですね。」
「詩的ではありません。要件は齟齬なく明確にするためです。」
ドアを開ける。
「ありがとうございました」
2人が建物へ向かう。
途中。
会社員が振り返った。
「運転手さん!」
「はい?」
「もし契約書に『駅前まで』って書いてあったら?」
「駅名から書き直した方がいいんですね!」
悪魔弁護士が頷いた。
「その通りです!」
会社員が頭を抱えた。
俺は車を出した。
悪魔は怖い。
契約を破らせないという意味で。
多分、それが1番怖い。




