第187話 Intoxication 〜満月さんの強くなった高級チョコレート〜
十二月のある日の昼過ぎ頃。
満月姉妹は冬休みに突入し、だいたい家にいた。
トツカはキッチンにある食器棚の下段のドアを開けて、探し物をしている。
(確かこないだ、買っていたはずだが……)
口の寂しさを紛らわすために、好物である麦チョコを探しているのだが、いつもの保管場所にそれがなかった。
記憶違いか。と、捜索をやめようとしたところで、名刺サイズの紙が落ちていた。
そこにはやたらと達筆で、『君にこれ以上の最低な夜が来ないことを願っているよ 怪盗サスペンス』と赤文字で書かれている。
「マジナァーーッ!」
トツカは握りしめたカードをゴミ箱に叩きつけた。
完全にチョコを口に入れる気でいたトツカは、これではまだ諦めきれず、執念で棚をあさる。
するとトツカは、今開けているドアの隣のスペースに、箱が平積みされていることに気づく。
ただのお菓子ではなく、デパ地下で並んでいるような高級志向のものの箱だ。
(そう言えば、母さんが取引先で菓子折をしょっちゅう貰って来てたな……で、そんなんばっかりだから『勝手に食べてもいい』とか言ってたか……)
しかし、こういうお菓子は素材や製法にこだわり過ぎたあまり、癖が強いものが多い。
それでハズレを引くことを恐れて、こうして箱が積み上がっていた。
トツカもそういう思考回路で、そもそもここに貯まっていたことを忘れていたのだが……
「はあ、今日は家を出る気もないし、これで我慢しとこ……」
トツカは菓子折の中から、チョコの箱を見つけ出し、ダイニングテーブルまで持っていく。
高級品らしく、メーカーのロゴ以外、何の文字も装飾もないシックなデザインのパッケージ。これを気持ち慎重に開けると、金色のフィルムで小梱包されたチョコが九個、凝ったデザインの仕切りにより、星座のように静謐に配置されていた。
「……なんか崩すのが申し訳なくなるな。素直に食べさせてくれよ」
些細な緊張により、脳内からバグじみた電気信号が放たれたのだろうか。トツカはこれを食す前に、お手洗いへ行く。
「……よし、行ったのじゃ」
その直後、ルシェヌはスマホの画面に食いつくフリをやめた。
ソファから起き上がり、極力足音を立てないように、ダイニングテーブルへ歩く。
「おお、なんかゴージャスなもの食べようとしてたのう、トツカめ」
ルシェヌは全く躊躇なく一粒取って開封し、ひょいと口に投げ入れた。
「う、うーん? 最初はチョコじゃが、後からなんか変なピリピリ感がするのじゃ……これ?」
ルシェヌはわんぱくにも二個目を取ろうとした右手を引っ込める。
(トツカめ、こんな変なもの食おうと思ってたのかえ? 物好きじゃなあ……)
そして、ルシェヌは自分としては魔王らしいことを閃き、ニヤリと笑った。
さっき出していた右手を開いた箱の上にかざし、数秒ほど怪しい光を照射した。
(食べ物の風味が五倍になる魔法じゃ。きっとトツカのヤツ、あまりにも甘すぎてぶっ倒れるのじゃ!)
ルシェヌは先程の定位置に戻り、悪意のこもった笑顔をスマホで隠す。
間もなく、トツカがお手洗いから戻って来た。
「あれえー、いつの間にか一個開いてるー、誰の仕業だー」
「きししし……」
トツカは、あまりにも怪しすぎる笑い声を漏らしたルシェヌを、しばし白い目で見つめて、
(ま、どうでもいいけど)
無視することにして、ルシェヌが開けた隣のチョコを手に取る。
サクッと包を裂いた瞬間、トツカは強い視線を感じた。
別にトツカは悪いことは何もしていないが、彼女は慌てて、まず横のルシェヌ(いや、そんなわけないか……)、次に背後へ向いた。
そこにはイバラが立っていて、こちらをジーッと見つめている。いつもながらの無表情である。
本当にまだトツカは何も悪いことはしていないが、あちらの人を刺すような眼光に萎縮した。
「ど、どうも、イバラねーさん……これ食べます?」
そう尋ねられたイバラは、スッと片手を開いて出す。
「ありがと……それたべてみたい……」
(ならちゃんと言ってくれればいいのに……言えた義理じゃないけど)
というわけで、トツカはイバラと同時に、このチョコを一口食べた。
「……どうです、イバラねーさんは……?」
「そっちが……さきいって……」
「カカオの原料に砂糖塗りたくったみたいな味してます……」
「それ……いえてる……たべもののあじ……じゃない……」
「なんか苦甘過ぎて気持ち悪くなってきたかもな、これ……」
トツカとイバラは麦茶でも飲んで口内をリセットした。
あのチョコは蓋を閉じて封印した後、二人はダイニングテーブルで向かい合い、適当に雑談を交わす。
「そういえばイバラねーさんは、宿題どれくらい進んでます? もう終わってたりしますか?」
「ぼちぼち……おわってはない……」
「余裕ですね。教科によってはウザいくらい量があったりするんで、俺はクリスマス前には終わるかなーってくらいで急いでます」
「ふうん……」
「特に世界史の二百問一答のプリントが面倒なんですよ」
「ふーん……」
「マーク式じゃなくて、きっちり用語を正式名称で答えないといけないので、クソだるくないか?」
「ふむふむ」
「ふむふむじゃなくて、俺はだるいかだるくないかを聞いてるんだが、イバラ」
「わたしは、さいしゅうびにぴったしおわるようにやってる」
「何故に?」
「しぎょうしきの次に、かだいテストあるじゃん。そのときにきおくが残ってるようにするってわけなの」
「はぁー、それは真面目でご立派ですこと」
今度はイバラの方から話題を出す。
「こないだベルセリヤに行ったときの話、メニュー注文して水取ろうとしたら、大学生カップルみたいなヤツらが、どれにしようあれにしようってダラダラ喋って、注ぎ口をずっと塞いでたんだ」
「いるなあ、そういう周りを顧みない馬鹿」
「わたしそれにブチギレて、靴で床をダンダン言わして、もんのすごい眼力して睨んでやったんだ。
で、二人は気づいたら、舌打ちしてブツブツ文句言いながら自分の席に逃げ帰ったんだよ」
「銃抜かなかっただけマシだけど、お前も結構感じ悪いことしてんな」
「で、ようやくコップ取って水を注いだら、アイツらの席からかすかに『それだけやって水かよ』って……正直殺してやりたかったっての! 悪い!? ドリンクバー注文しなくて悪い!? 気分で今日はいらないかって日も頼まなきゃダメなの!?」
「そんなのでいちいち殺すとか言うな、イバラ! 取るに足らんだろそんなマナーの悪い奴ら!」
「いいや、わたしは許せない! わたしは他人が作った料理を食べて勉強したいっていう一心で、わざわざファミレスに外食したってのに……それを従業員ならまだしも、よりによってただの客ごときになんでこんな嫌な思いしなきゃいけないんだ! 未だに覚えてるからね、アイツらの人生謳歌してます感がダダ漏れした調子乗った面!」
「やっぱイバラ、アンタはいい奴だな! プライベートの時も料理のことに熱心で!
本当に今までもこれからもありがとう! 満月家の食卓を支えてくれて!」
イバラは元々赤めな顔をさらに赤くする。
「そ、そんなこと、ここで言うなよ! そんだけ恵まれたスタイルしてるくせにぃ!」
そして二人は椅子を立ち、ダイニングテーブルの側で、大泣きしながら抱きついた。
「どっちもさっきからうるさいのじゃあッ!?」
ルシェヌはスマホをソファの肘当てに叩きつけ、そちらへ向かって怒鳴った。
よりによって、普段なら満月姉妹トップのうるささの発生源であるルシェヌが。
ルシェヌは抱きつく二人の側に立ち、双方を交互につつく。
「おいこら二人とも、さっきから貴様らおかしいぞい。どっちもめっちゃテンション高いんじゃが……」
トツカはいきなり立ち上がると同時に、ルシェヌの脇に手を当てて、彼女を持ち上げた。
「ああっ! 高くねえよ俺はぁ!?」
「いや高いじゃろうが!」
「人が真剣な話してるのにさあ、邪魔するんじゃないよ、この魔王ごときめが!」
さらに横からイバラが両拳でポカポカ殴ってくる。
「イバラぁ、貴様そんなハキハキ喋れんじゃろうが!?
でもっておかしいじゃろうが二人とも! 一体何があったんじゃあこれは!」
トツカは、さっき自分が座っていた椅子にルシェヌを降ろし、イバラと共に彼女を取り囲んだ。
そして目をはっきりと見開いた状態で、二人は口を開いた。
「世界史は視点がフランスやらイギリスやらプロイセンやらにコロコロ変わるから、何を軸にして覚えればいいのかわからないんだって話だ!
コーリン姉さん曰く時代の流行とかで判断せいとか言っているが、どっか主人公格を指定できないのか!?」
「野菜ジュースと白ブドウジュースくらいしか頼む動機もないからね! あとはジュースを混ぜたいときくらい! けど結局炭酸水で割るだけの安易な飲み物になっちゃうから、よっぽど喉乾いてないと頼む気にならないでしょうが!」
「そこは聞いてないのじゃあ!?」
この暴走する二人からどう脱しようか。ルシェヌは混乱が渦巻く頭に別回転を加えて、考える。
すると、二人はルシェヌの押さえをすっかりすっぽかして、ソファとダイニングテーブルの間の空間に、千鳥足で行ってしまった。
「トツカ! あなた見事に言ってやったね!」
「ありがとよイバラ! そっちもナイス連携でしたよ!」
「やっぱり元イルミネーターズとして殺ってきたかいがあったね!」
「だな! 俺たち息ぴったりの最強コンビだ!」
そして二人は向き合って、お互い右手のひらを見せて、数歩踏み出す。
恐らくハイタッチをしたかったのだろうが、奥行き座標が思い切りズレており、二人はすれ違って、カーペットにうつ伏せに倒れた。
ルシェヌは椅子に座ったまま、困惑した様子で一言。
「……も、もう何があったのかさっぱりわからん……のじゃ」
ここで一つ解説を入れるとしよう。
トツカがしぶしぶ引っ張り出した高級チョコは、あの無駄を削ぎ落とし過ぎたパッケージでは判断できないが、実はお酒入りのものであった。
それを食べたことによって、二人は酔っ払ってしまった……と、結論づけるにはまだ早い。
お酒入りチョコに含まれるアルコール分は、酔うにしては相当な個数を摂取しないといけず、どちらかというと先に糖分過多で具合が悪くなるものである。件の高級チョコもそうだ。
加えて、イバラはエルフ、トツカは神寵覚醒者――神の力を借りた人。ざっくばらんに言うとどちらも超人であるため、アルコールへの耐性も人一倍あった(ルシェヌも種族が悪魔なので同じ)。
ここで鍵となるのが、ルシェヌのイタズラ。
彼女は『食べ物の風味が五倍になる魔法』をチョコにかけて、甘さと苦みを過剰にしていたが、これと同時に、内部のアルコールまでも増幅していたのだ。
これを食べた一撃で、超人二人もたちまちノックダウン。こうして酔っ払ってしまったのだ。
つまり結論を言うと、ルシェヌが悪い。
ハイタッチをし損ねたイバラとトツカは、両手を床について立ち上がろうとする。
だがその途中で誰も理由もわからず、四肢のどっかをどっかにやってバランスを崩し、また地面にへばりつく。
そんな不条理な光景を目の当たりにして、ルシェヌの困惑は焦りの段階にまで来てしまった。
「このままじゃマズイぞ、絶対サバキあたりに『貴様、また何か悪さしたな!』と怒られてしまうのじゃ……!」
とりあえず、二人を無事に立たせてあげようと、ルシェヌは両手を二人に差し出す。
二人はヘラヘラしながらその手を取って、
「邪魔すんなっつーの!」
「からかってんのかお前!」
力いっぱい引っ張り、ルシェヌを生贄めいて倒して立ち上がった。
「ねえなんでお前が倒れてんだよー、ルシェヌー!」
「つくづくオッチョコチョイだよなー、お前! アハハ……!」
「……ぐ、ぐぬぬ……」
おでこをカーペットにぶつけた衝撃で、ルシェヌは思い始めた。
(どうしてこんなおバカもの二人に、この魔王ルシェヌが良いようにされているのじゃ……! 許せんぞい!
こうなったら、身の毛もよだつほど、アタシの力を見せつけて、是が非でも大人しくさせてやるのじゃ!)
ルシェヌがひょいっと体勢を立て直すと、二人は隣り合ってダイニングテーブルの椅子を掴んで、ただボーッと立っていた。
「やいこの慮外者ども! これ以上好き勝手はさせんぞ!」
ルシェヌは自分の前でポンと手を叩いて、離す。
その手の間に十六個ほどの音符型のエネルギー弾が生成された。
「『躍る音のオウンドメディア』!」
ルシェヌは両てのひらをイバラとトツカへ向け、音符弾を一斉に射出する。
「いきなり魔法撃ってくんなよ!」
イバラが途端にシラフに戻り、両手に銃型アーティファクト『荒廃を広げるツバサ』を握った。
的確に、十六発ピッタリに弾丸を放ち、音符弾を見事相殺した。
下がってな。と、姉に言ってから、トツカは拳を鳴らしてルシェヌへ迫る。
「せっかくこっちが楽しくやってるってのに……こんのガキ!」
「まだお互い同い年じゃろうが!」
「【ヤグルシ・スマッシュ】!」
ルシェヌはトツカから肘打ちを食らい、瞬間的に電撃を流し込まれる。
「しびびびびび!」
高電圧のショックで身動きが上手く取れないルシェヌ。そこにトツカが、流れるような殴る蹴るの連携を、電気を添えて浴びせてきた。
「【アイムール・コンビネーション】!」
「あびょーっ!?」
そしてルシェヌは締めのアッパーを食らい、カーペットに背中から落っこちる。
それぞれの異世界で手にした能力で、過酷な戦闘を乗り切ったこと。
イルミネーターズとしてあちこちの悪徳異世界転生者を始末したこと。
その経験と戦闘力は酔っ払っても健在なのであった。
イバラとトツカは、その倒れたルシェヌを起き上がらせず、酩酊ゆえのヘナヘナなキックの連打を浴びせまくる。
「この、この、よくもわたしたちの大事な時間を邪魔しやがって!」
「貴様には地獄すらも生ぬるい! とにかく嫌なとこ行きやがれ!」
「いだっ、いだっ! アタシ言うほど貴様らにひどいことしたのかえ!?」
「黙れこの魔王めが! わたしはお前ら魔族が嫌いだ! 元はといえばお前らが戦争をふっかけたから、わたしはあれだけ失ったんだ!」
「俺は魔王じゃなくて邪神と戦ってたが! どっちも似たような邪悪な奴らだから、手加減しないぞ!」
「ぎえーっ! どっちも何か勝手に因縁ふっかけるな、のじゃー!?」
「『勇者千殺』の異名の恐ろしさ、とくと思い知ってみろ!」
「俺は悪い勇者を一名撃破しただけだが……イバラには負けないぞー!」
「だからアタシはそんな過去話なんか知らんのじゃー!?」
そしてルシェヌは二十分近く、二人にボコボコにされる。
解放されたのは突然のこと。
二人は急にルシェヌとも、相方とも離れて、自分のスマホをいじり出す。
それぞれ、どこから知り得たんだというような洋楽を大音量で流し、リビングの程々に動き回れるスペースで踊り始めた。
イバラは腕と肩の上げ下げがやたら多い動き、トツカは足元の小石を蹴ったり両足を軸に回るようなステップ……どちらもダサいダンスをしていた。
ルシェヌはそれを床で伸びながら見上げて、
「も、もうこんなのわけわからんすぎ……なのじゃ」
この後、サバキがようやくリビングにやって来て、二人がふざけ始めた理由を調べ上げた。
そしてルシェヌはとことん三人から絞られたのだった。チャンチャン。
【完】




