第152話 Yuhanron 〜レトルトカレーで夜は回る〜
日の入りちょい過ぎの満月家にて。
九女イバラはキッチンに立ち、黙々と夕飯の支度をしていた。
イバラは元いた異世界『ギャングェイジ』で、レストランのシェフとして働いていたという顔もある。
そのため、満月家の朝昼晩の調理担当は、彼女が引き受けている。
献立についても、母親のチヨからの信頼を受けて、食材のセレクトも含め、ある程度は彼女が決める権限がある。
本日はレパートリーを増やそうと、自身のスマホアプリを頼りにエビマヨを作ろうとしていた。
まず冷凍庫からむきエビの大袋を、続けて、冷蔵庫から片栗粉、牛乳、そして要となるマヨネーズを取り出す。
「お、あ……!」
冷蔵庫のドアを閉めた時、イバラは、いつのまにか裏に立っていたマジナに目を向ける。
対するマジナはイバラではなく、キッチンの作業台に注目していた。
イバラはそちらへ一瞥したあとに言った。
「なにかよう……マジナおねえちゃん……」
おっとごめんよ。マジナはイバラに向き直してから、
「イバラ、今日の献立は……エビマヨかな?」
「あたり……」
「あちゃー、やっぱりそうかい……」
「ふふく……?」
「まあ、そうかもね」
イバラも、言ったマジナ当人も思うほどの曖昧で、裏が見え透いた返事だった。
マジナはあまりマヨネーズが好きではない。取り立てて言う理由はないが、どうも好かないのだ。
ケチャップなら一時期何でもかんでもかけるくらい好きではあるけれども。
エビマヨとなると、もう名前から自己表現している通り、ポテトサラダと肩を並べてガッツリマヨネーズを使用する料理。
ナメクジに塩の塊、スーパーマンにクリプトナイトを食わせるほど深刻ではないが、マジナにとってはエビマヨはそれくらいの物体だ。
なので彼女はちょっとしたトリックを試してみる。
「ちょっと失礼」
マジナはイバラの横を通り、シンクと反対側にある壁沿いの棚を開ける。
そこから自分が買いだめしていたチョコ菓子を二つ取り出し、片方をイバラに差し出す。
「これ、君にあげるよ」
「え、いいの……?」
「うん、余ってるから、お好きな時間に食べなよ。それじゃ」
マジナは再びイバラの横を通り、「おっと、忘れちゃいけない」、冷蔵庫からコーヒーのペットボトルも取り出して、キッチンを去る。
しかしその直前、マジナは背後から、ナイフを突き出されるような嫌な気配を覚え、咄嗟に振り向く。
イバラが、自分を睨みつけていた。
「な、なんだい……? あ、もしかして、こっちのほうが好き?」
マジナは持っていた自分用のチョコ菓子をカタカタ振って鳴らした。
するとイバラは首を横に振って、
「いや……ありがとう……いいわすれてたから……」
「なんだそっちか。どういたしまして。今日も美味しい夕食、作っておくれよ」
そういえば、イバラは感情に乏しく、常に誰かを殺そうとしているような目つきだったな。
と、状況的にそのことを忘れていた自分を軽く責めつつ、マジナはキッチンを今度こそ離れ、二階の部屋へ上がっていった。
それから数時間後――夕食の時。
ダイニングテーブルには、冷凍むきエビに衣を付けて作ったエビフライが並んでいた。
「丸いエビフライとか珍しいな」
と、コーリンは自分の皿にあるそれに、四つまとめてソースをかける。
「冷凍むきエビをこういうふうにするって、やっぱ料理のプロはすごいわね」
チヨはマヨネーズをかけて、それをいただいた。
「レシピでみただけ……」
イバラは相変わらず表情は変えず、謙遜して言った。
丸まりながらも衣のサクサク感と海老本来の弾力は失っていない。マジナは一尾を食したあと、
「これは美味しいね、ありがとうイバラ」
と、イバラに言った。
端からすればこれは、単にシェフへの感謝の言葉にしか聞こえないだろう。だが、
(ははーん、こういうことができるのじゃな……)
キッチンでの二人のやり取りを、偶然見ていたルシェヌは、もう一つの意味も読み取っていた。
*
別の日の夕方。
イバラはここでもキッチンにいた。
深めのフライパンでパスタ麺を茹で始めてすぐ、卵とベーコン、粉チーズと牛乳を冷蔵庫から取り出した。
本日の献立はカルボナーラ。
イバラはこのメニューのパンチ担当、ベーコンのカットをする。
その時、こちらをリビングからチラ見したルシェヌが、何かに追われるようにバタバタと家から出ていった。
イバラは特に気にせず、ベーコンをカットしていく。
数分後。
茹で終わった麺をフライパンから取り出してザルに移した後、鍋に油を引いてから、ここにベーコンを投下する。
この中でターナーを振り、ベーコンを炒めて、香ばしさを付けていく。
ここで、先ほど外出したルシェヌが、キッチンカウンターのスレスレまでやってきて、
「イバラよ、これを与えてやるのじゃ!」
パッケージの曇り具合からして、すぐさっき買ってきたらしい、コンビニのロールケーキを出してきた。
当然イバラは尋ねた。
「なんで……?」
ルシェヌは『当然のことじゃろうが!』などと伝えることを端折る代わりに、早口でこう言った。
「これをやるから、そのお礼に今日の夕ご飯をカルボナーラにするのをやめるのじゃ!」
「それ……なんで……?」
ルシェヌはロールケーキを持ってない方の手を、カウンターにバンと叩きつけ、その手をプラプラ振りながら、
「アタシはカルボナーラに嫌な思い出があるのじゃ(※第24話参照)! だからカルボナーラだけは絶対にやめるのじゃ!」
ルシェヌはグイグイとイバラにロールケーキを押し付けて、騒ぐ。
「まだ卵も割ってないから間に合うじゃろ! ほら、アタシの褒美が受け取れんというのかえ!? さあ、ほら早く! 別なパスタ作るのじゃ!」
イバラは位置的に鍋の中へ落ちそうになってるロールケーキを受け取った。
それを卵とともに冷蔵庫にしまった後、トマト缶を取り出す。
「わかればよろしい! では今日の夕ご飯も楽しみにしておるぞ!」
自分の頼みが通ったことを確信してすぐ、ルシェヌはキッチンから離れた。
そして、適当なクッションをカーペットに置き、枕にうつ伏せに寝る。
「ああ、久しぶりに全力で走って疲れたのじゃ……」
イバラはそれを気にせず、鍋にパスタ麺を、さらにトマト缶の中身も入れた。
こうして、満月家の本日の食卓には、トマトスパゲッティが並んだのであった。
これにルシェヌは一安心。
「うおっ、今日はトマトスパゲッティなんスか! イバラ、ありがとうございまっス!」
ついでにワノが、好物が出てきたことで両手を上げて喜んだ。
「どう……」
「フハハハ! この魔王ルシェヌの恵みに感謝するがいいぞ、ワノよ!」
「いやなんでアンタに感謝しなきゃいけないんスか。するならイバラっスよね、ね、イバラ」
「……」
イバラは無反応で、黙々とトマトスパゲッティを食べ進める。
夕食後、二階の自室に行く途中、ワノは階段でルシェヌとすれ違った。
その瞬間、ルシェヌは誇らしげに言ってきた。
「で、改めてどうじゃ。アタシのおかげでトマトスパゲッティが食べられて」
「まだ言うスかそれ。アンタがあれ作ったわけじゃないスよね? ちゃんとウマかったスしあれ」
「そうじゃ、イバラが作ってくれたのじゃ」
「そうスよね。じゃあアタイはここで……」
ワノが一段上がった瞬間、ルシェヌはワノの服の裾をギュッと掴んで、
「け、けど! イバラにあのパスタを作るようにしたのは、アタシのおかげじゃぞ!」
「は、どゆことスか?」
この後、ルシェヌはイバラとマジナのやり取りを見たところから、トマトスパゲッティが出てきたことまでの一連の出来事を話した。
ちょっとおバカな彼女特有の話の散らかり具合と、階段の途中というパジャマで過ごすには肌寒い場所での会話。この悪条件二つを乗り越え、ワノはうっすら怒りをにじませて言った。
「なあるほどっスね……ちょいっと袖の下に細工すれば、自分の好きなように献立の内容を変えられるんスね……」
「というわけじゃ。いいこと教わったじゃろ!」
「そう……スかね? 別にアタイはルシェヌと違って好き嫌い無いし、イバラならどんな料理でも微妙と思うことはないんで……まあ、一応知識としては置いとくっス」
「なんじゃその冷たい態度は。せっかくこのアタシがいいこと教えてくれたってのに……」
ルシェヌはほっぺたを膨らませて、ドスドス階段を降りていった。
ワノは数秒空けて、自分が二階の部屋に行こうとしたことを思い出し、階段を上る。
その最中、ワノは急にふらつき、危うく階段を踏み外しかけた。
(アブなかったっス。これはまさか……!)
*
翌日の夕方。
イバラは学校から帰宅してすぐ、部屋着に着替える。
そこからさらにエプロンを装着し、キッチンに立つ。
その刹那、ワノがかしこまった態度で、彼女の元に赴き、
「イバラ、ちょっと上に来ていただけますっスか? なるべくお時間は取らせないようにするっス」
「いいよ……?」
ワノとイバラは、二階にある自分たち二人と、ネロア・トツカの部屋に行く。
後者二人はここにまだ来ていない。
ワノは、本来ここにない鍵を閉めるような意識で、ドアを確実に閉めて、部屋の中央で正座をして向き合う。
「では速やかに本題へ参りましょうっス」
ワノは脇に自分の眷属、チャネルバットを召喚し、その口に出来たブラックホールに手を入れる。
そこから素朴な茶色い紙箱を取り出して、前に置き、そっとイバラへ押し出す。
「つまらないものですが、どうぞっス。すぐ開けてもいいっスよ」
イバラはすぐに上面を開ける。
不安定バウム三本(バナナ味、チョコ味、イチゴ味)に、レトルトカレーがワンパック。
シンプルなデザインと良質な素材でおなじみ、無銘良品のギフトセットだ。
イバラは戸惑った様子で、箱の中身とワノの姿勢の良さを交互に見て、尋ねる。
「どうしたの……これ……」
ワノは十分な間を置いて答えた。
「結論から申し上げますと、イバラには今日の夕食に、何でもいいんで肉を使ったコッテリ目の料理を作ってほしい……という話っス」
「なるほど……」
イバラはしばし箱を見つめて、思案する。
この時、ワノはイバラの前のめりに固定された頭を見つめ、背中で冷や汗をかいた。
二人の間の空気が張り詰め、もうじき爆発しそうな感覚もあった。
最悪の場合、イバラに銃を突きつけられる予感すらあった。
イバラが異世界『ギャングェイジ』でレストランで働いていたのは事実だが、これは一面に過ぎない。
本来の業務は、ギャングに属する殺し屋。
その世界でのさばる品格不相応の悪徳勇者を、外部の依頼の元、徹底的に『始末』していたのである。
(もしイバラがあのギフトを気に入らなかったり、そもそも賄賂を受け取る感じが嫌だと思われたら、アタイは怒りのままにボコされるっス……
それよりもまず、注ぎ込んだ八百円が無駄になるかもしれないっス……!)
ここでイバラが、箱を閉じる。
交渉不成立か。ワノは身構え、背中裏にチャネルバットを召喚する。
運命の瞬間。イバラは口を開いた。
「いいよ……ぶたロースがあったから……しょうがやきでいい……?」
ワノは表情筋をフル活用して笑った。
「ええ、ええ、ええ! 是非ともよろしくお願い致しますっス!」
そして一階に直で降りてしまうかもしれないくらいの勢いで、頭を床に叩きつけるのだった。
「ちなみに……りゆうは……?」
「へ、それは……そういう口だからっスよ」
と、ワノはもっともらしい理由を言った。
実の理由はそこそこ複雑である。
ここで一つ解説を入れるとしよう。
ワノは吸血鬼であり、その特性上、二ヶ月周期で誰かの血を吸わないと力が大幅ダウンしてしまう。
昨月中旬にネロアの血を吸っていた(※第138話参照)のだが、その前に、彼女のこだわりで半月我慢していたことが災いしてか、周期が乱れてしまい、昨日からその症状が現れ始めたのだ。
肝心な彼女のこだわりというのは、どうせ二ヶ月に一度吸う血を、肉類などを食べたあとのこってりしてきたものにしたい。というものだ。
だから今、ワノは決死の八百円を注ぎ込んで、イバラとの交渉に臨んだのである。
「そう……じゃあ……わたしのちは……やめてね……」
なお、イバラは姉のめんどくさいこだわりを把握している。
「あ、はい、恩を仇で返しはしないっスよ」
「……」
この時、少し開けられた部屋のドアが、こっそりと再び閉じられたことに、二人は気づかないでいた。
*
さらに翌日。
イバラが今晩の支度をしようとした直前、ユノスがキッチンにやってきた。
ユノスは冷蔵庫を開けて、モモキノドーナツの紙袋を取る。
「いつもご飯作ってくれてありがとう、イバラ」
そこからストロベリードーナツを取り出して、イバラに渡した。
「なににするの……?」
「ボクも、イバラに感謝しなきゃって思ったんだよ」
イバラとワノ、それとネロア・トツカが満月家に合流する前、一家の料理担当はユノスだった。
だからイバラの大変さはよくわかっていた。自分は七人分なのに、彼女は十一人分も料理しなきゃいけない。
「それで、ルシェヌとかワノとかに倣ってボクからも、何かちょっとしたプレゼントをしたんだよ……あ、もしかしたら他のドーナツがいい? オールドファッション以外ならなんでもいいよ?」
「だから……なににするの……?」
「イバラが決めていいよ。オールドファッション以外ならね」
「そうじゃなくて……ユノスはきょう……なにたべたいの……?」
「このオールドファッションは必ず食べたいから、選ばな……ん? まって、イバラ、今どういう話をしているの?」
ここから二人は、これまでの経緯と、それで生じたズレを確認した。
イバラは、ユノスが献立を注文しようとしたつもりはないこと。
ユノスは、イバラが自分の感謝の形を賄賂的なものだと勘違いしていたことに気づいたのだ。
「なあんだ、そういうことだったんだね。ごめんごめん、変な流れでこんなことしちゃって」
イバラはストロベリードーナツの一欠片を飲み込んだ後、
「いいよ……おいしかった……」
「じゃあ、あとはイバラが作りたい料理を作っていいからね。もしよければボクも手伝……」
「それはいい……」
「わかった。じゃあボクは二階で漫画描いてるよ」
ユノスは冷蔵庫にモモキノドーナツの紙袋を戻し、リビングの出入口へ歩いていった。
背後では、ピコリがカウンター越しにイバラへ向かっていた。
「イバラ! ちょっとワガママ言いたいんだけどさ、今日の夕ご飯、塩ラーメンにしてくれない? なんかそういう口になっちゃってさ! いい?」
「いいよ……!」
「やったー! ありがとね、イバラ!」
その後、ユノスにこの一件をさらっと報告されたサバキとチヨが、賄賂のやり取りを問題視し、関係者三人にきつーく事情聴取した。
同時に、イバラもたまには楽をさせようという風潮が満月家内に広まるようにもなった。
後日、夕食に無銘良品のレトルトカレーがそのまま出たのも、その一環だ。
【完】




