第117話 今日はドーナツがかえないから
秋休みのある日のお昼前。ユノスは街へ買い物に出かけていた。
今回はお使いではなく、完全なユノスの意思でのお買い物。
秋休みによりたっぷりできた自由時間を有効活用しようと、行きつけの『モモキノドーナツ』へ、お供となるドーナツを買いに来たのだ。
という訳で今のユノスは、とてもごきげん。いつも以上にニコニコであった。
ベレー帽の中で待機しているアザレアはそんなユノスへ尋ねる。
『マスター、本日はどんなドーナツを買うご予定でしょうか?』
「もっちリングと、イエローシュガーチョコドーナツと、もちろんオールドファッションだよ」
『やはりですか、マスター』
ユノスはモモキノドーナツへ歩いている最中の『気分』で、何を注文するか決めている。
ただし、いつも固定でオールドファッションを注文している。
ドーナツの中で一番オールドファッションが好き、というわけではない。
ただ、何となくあの味が食べたくなるのだ。
そうした少し未来の甘味を想像しながら、ユノスは通い慣れたモモキノドーナツの店舗に到着……
「……ほえ……」
……し、閉ざされたシャッターの張り紙を、虚ろな目で見る。
*
数時間後。満月家、六人姉妹の部屋にて。
予定がなく家にいたコーリンとワノは、暇すぎて将棋を指していた。
「思いのほか強いっスね、コー姐」
「前の異世界で死ぬほどやってたからな。家族の中で勝てるヤツ一人もいなかったけど」
その最中、コーリンのスマホからメッセージの着信音が鳴る。
『ごめんコーリン。急に家に会社関係のお客さんが来ることになった。恥ずかしくないように、十五時までに、リビングをキレイにしてくれないかな?』
と、チヨからのメッセージが来ていた。
「本社とかカフェとか貸し会議室とかでやれなかったんスかね?」
「言うなそんなこと。色々あるんだろ色々」
というわけで二人は局を一時中断し、リビングを片付けにいく。
「けどやっぱ、かったるいなぁ」
「そうっスよねぇ」
そんな面倒くさがっている二人に僥倖が訪れる――玄関に、ユノスの靴がひっくり返って置いてあったのだ。
「お、ユノスが帰ってきてるみたいだ!」
「これならユノ姐に片付けを丸な……手伝ってもらえるっスね!」
リビングへの戸が半開きになっていることから、ユノスはリビングにいると断定し、二人はそちらへ入るや否、
「おーっス、おかえりっスユノ姐! で、帰りたてのところ失礼っスけど……」
「部屋の掃除を一緒にしてくれねぇか? 今からここで母さんが接待するらしくてよ」
ユノスはまだガチガチの状態のカップラーメンをかじって、ぶっきらぼうに返した。
「やだ」
「やだ? あ、そうか、今昼飯食ってる最中だもんな。じゃあそれ終わったら……」
「やだ、絶対やらない」
「ご冗談はよしてくれっス。さっきコー姐が言った通り、今からお客さんがくるっスから……」
「知らない。勝手にして」
ユノスは二人のお願いを突き放した後、クソ熱いクソ熱い。と言いながらカップラーメンの汁を飲み干し、カップと割り箸を適当に机に転がしておく。
ユノスはソファで横になり、テレビを付け、薄暗いニュースばかり取り上げるワイドショー番組をつける。
この時取り上げられていたのは、芸能人の不倫のニュースだった。
「馬鹿だねこいつ。お嫁さんがいる時点で十分満たされているはずなのにそれ忘れて他の女とくっつこうとするなんて。
けどそれが芸能人だってことなのかな。芸能界なんて九分九厘異常者だもの。
ま、コイツはご愁傷さまだね。そんな九割九部の中からメディアのライトに照らされるなんて。
これから契約全部切られて、親族からも縁を切られて無一文になって、それから十年後くらいにやつれた姿で『あの人は今……』みたいな番組に出るまで無様に生きてね」
それからユノスはニュースの内容やコメンテーターの一挙一動に対して小言をつらつらと言いまくった。
この時、ユノスが持つスマホには、ニュースサイトのコメント欄が映っている。
「……やさぐれてんなぁユノスの奴」
「そうっスね。なんかもう、人生疲れちゃった主婦みたいな感じになってるっス」
コーリンは時計を確認する。
――只今の時間は十二時、お客様が来るまであと三時間。
「このままじゃヤバいぞ。部屋の片付けが終わらない!」
「掃除自体はアタイらだけでもできなくはないっスよ。けど……あのやさぐれユノスをずっとここにおいてはいけないっスよね」
「だよなぁ。そんで、どうしてユノスはあんなになっちまったんだ?」
その時、リビングの外からコンコンと戸を叩く音がする。
ノックしていたのは、いつのまにかそちらに移動していたアザレアだ。
「コーリン様、ワノ様……こちらに来てください」
と、ヒソヒソ声でアザレアから呼ばれた二人は、リビングから廊下に出る。
「ここでアタイらをこっそり呼んだってことは、ユノスがああなった訳を説明してくれるってことっスかね?」
「はい、そのとおりです。マスターの心理状態が異常ステータスであることを感知し、現在、緊急自律行動をしています。
では本題です。マスターがああなってしまった理由は、ズバリ『ドーナツが買えなくなったこと』です」
「ドーナツ……モモキノドーナツがどうかしたのか?」
「マスターが知らない間に、よく利用していたモモキノドーナツが移転のため、一時閉店となっていたのです。
その事実を今日、マスターが気づいて……そのショックでああなってしまわれたのです」
「へー、ショック受けることあるんスか。あの鬼ストレス耐性のユノ姐が」
「今回はドーナツが絡んでるからな。普段は自分を強く出してこないユノスだが、ドーナツに対する熱意は段違いだからな。
だいぶ前、チヨにテスト品のドーナツを食べさせられた時、引くくらいの長い感想をつらつら言ってたんだぜ(※第48話参照)」
「はーなるほどスねー。モモキノドーナツってチェーン店っスよね。街中であちこちみるスし。
ならここはフツーに別店舗のモモキノドーナツで買ってきて、それを食わせてやればいいんじゃないっスか?」
「ワノ様。残念ですがそれはできません」
ここで一つ解説を入れるとしよう。
モモキノドーナツはチェーン店であり、あちこちに出店している。
その店の形態は色々あり、最低限の陳列スペースしかない、『お持ち帰り限定』の店もあれば、買ったドーナツをコーヒーと一緒にいただける『カフェスタイル』の店舗もある。
ユノスがよく行っていたのは『お持ち帰り限定』の店舗。陳列スペースがとても広く、品揃えが豊富なのが彼女の気に入っていた部分である。
「確かにここから片道一時間圏内で行けるモモキノドーナツは数多くございます。
しかしどれもこれも品揃えが豊富ではない、小スペース型の店舗ですので、はたしてマスターがその時その時に望む商品が一式あるかどうか……」
「はぁ、アタイ、今までユノスのことを満月姉妹の中で唯一『めんどくさくない良い子』だと思ってたんスけどね。残念、満月姉妹に良心はいなかったようっス」
「マジナとかピコリとかネロアとかはギリ良いヤツだろ。失礼なこと言うな。
……して、それじゃあもうモモキノドーナツでドーナツを買うっていうのは難しいわけか。じゃあ、そりゃあ別の店で買うしかないよな」
「そうっスよね。じゃあアザレアさんはここでユノスの様子を見守っててくださいっス。アタイとコー姐が急いでドーナツを買ってくるっス」
「了解しました。それと、マスターのためにここまで尽くしてくれまして、ありがとうございます!」
*
数十分後。
二人が買い物から帰ってきた。
ワノが買ったのは、上部にストロベリーチョコが塗りたくられ、さらに中にはストロベリーホイップがぎっしり詰まったドーナツ。
コーリンが買ったのは、一つの袋に四種のドーナツがはいったアソート。
「あれ、この店って……?」
「結局そっち行ったんスか」
どちらも、自宅から十分くらいで行けるコンビニの商品である。
「自分も買ってきた分際だから絶対言っちゃダメだと思うが……ユノスがコンビニのドーナツで満足すると思うか?」
「まぁ、そのへんは大丈夫っスよ。最近のコンビニスイーツは美味しいもの多いんで」
「それとお二方とも、買ってきてしまったものはしょうがないと思いますので……一応、マスターに召し上がってもらいましょう」
「おう!」
「っス!」
廊下での密談を終え、コーリンら三人はリビングに再入室。
「おいユノス! オレたちドーナツ買ってきたんだが、食ってみないか?」
「今お腹空いてないから食べたくない」
「まぁまぁ、そこはちょっとこらえてもらってくださいっス」
ユノスは二人に無理くり進められる形で、ドーナツ二品を食べることにする。
先に食べたのはコーリンのアソートドーナツ――その内のハニードーナツだ。
「……」
「どう、うまいか? おいしいか?」
「……甘い。けど雑。
幼稚園の子がホットケーキにかけるときみたいに、量とはちみつの甘さを計算しないでメイプルがかかってる……というより浸してる感じがする。
味付けもだけど生地も酷すぎる。もうほぼパン。工場で他の菓子パン作ってたときの生地をそのまま使いましたって言われても『ああそうですか』って納得できるぐらいの低レベル。
あちこちのパン屋さんでも片手間ドーナツ作ってたりしている場合があるけれど、あれの大抵はドーナツを作っていることを意識して、ドーナツとして正しいあり方をしようとしている。
けれどもこれはもう足元に及ばない。ただ輪っか甘ければどうでもいいです、っていう雑すぎる姿勢が透けて見える」
さらにストロベリードーナツ、チョコレートドーナツも食べて、
「やっぱりどっちもダメ。雑。
生地は前のと流用しているから以下同文。
味付けも風味はそれだけどやっぱり無計算の浸しに感じたから以下同文。
あ、二回も以下同文してた。けどこんなのそれくらいの扱いが上等だからいいか」
終いにオールドファッションを少々観察し、いざ食す。
「うん。ダメ、雑。
これはパンの流用ではなくて、最低限、オールドファッションを遵守しているから、『オールドファッションとは何か』って教えるようには最適。
けどまともなのを食べたら絶対忘れるし、二度と食べたいとは思わないと思う」
「……ほら、滅茶苦茶感想が長いだろ?」
「うわー、マジなんスね……ドーナツガチ勢っスね」
「……以上、結果、不合格。
コーリン、お前これ自分が部活中にお腹すいた時に食べたりするやつだろ。
味はともかく四つ入ってて量が多いから、腹一杯になれば全て良しっていうコーリンみたいな阿呆が買いそうな商品だ」
「くっそ、見透かされたか……」
「しかもふてくされモードだから、提供者までディスってくるんスか。これは厄介っスね。
けど、ケチな母さんからどうにか搾り取った大枚をはたいて買ったこのドーナツ、今更引き下がって無駄には出来ないっスので……」
続いてワノがユノスに、ストロベリードーナツを差し出す。
「……ああ、最悪。
さっきのアソートドーナツよりもドーナツじゃない。もうこれできそこないのケーキだ。
チョコがけとクリームいれ。どっちかにしてほしいっていうのは好みの問題だからここはあまり追求しないけど、ただここに限って確実に言えるのは、『両方入れたせいで全て崩壊してる』こと。
どっちも安っぽい甘さでしつこいのに、これが二つ合わさったせいで『しつこ甘すぎる』。
生地もダメダメ。いくらなんでもやわらかすぎる。ドーナツとしての最低限の食べごたえを出すことを放棄してる。
これだったらもうケーキにしてくれよって今、喉のところまででかかったけど、やっぱり、絶対言わない。
遅れてわかってきた、こいつ、もうドーナツになれないことが確定してるのに泣き寝入りするみたいに余計なドーナツ主張してて、それが凄まじくウザい。
やっぱりこれも、丸くて甘ければドーナツって思ってたんだろうね。
いかにもワノが選んだドーナツだ。総合的な美味しさよりも、見た目が派手でてんこもりボリューミーな味が好きなよくばりな奴にぴったりだ」
ユノスからの悪意しかない感想を聞き届けた後、ワノは周囲にチャネルバットを召喚し、
「……コー姐、第二の作戦は『実力行使』ってのはどうスか?」
するとアザレアはユノスとワノの間に立ち、
「い、いくら状況が状況と言えど、私は黙っていませんので」
コーリンもワノの肩をぽんと叩いて、
「確かに今のユノスはクソムカつく野郎だが、手は出すな。オレはまたユノスと争うのはごめんだぜ」
「……わかったっス」
ワノがチャネルバットを引っ込めた時、時計の針が示すのは一時半――お客様到着まで、あと一時間半。
「そろそろ掃除しないとまずいっスね……じゃあユノスはどうにかこうにかしてリビングから部屋に移して……」
この時、ユノスはソファの上でスヤスヤ眠っていた。
「どうやらマスターは、お腹いっぱいになって眠たくなったようです」
「もしくは、個人的にあんまりにもマズイものを食べ続けて、退屈になってきたからっスかね。丁度いいっス、今のうちに二階へ……」
「連れて行かなくていいぞ。ワノ」
「マジっスか? このまま放置したら掃除しにくいし、商談中に余計なやつがスヤスヤ言ってることになるんスよ?」
「いや、そうはならん。母さんたちが来る前に、ユノスを元に戻す!」
キッチンにいるコーリンは、スマホを見やすいように作業台へ置いて、
「オレがとびっきり上手いドーナツを食わせてな!」
長女として、ユノスの悩みを止めたいコーリンは、『ただユノスをどかす』という安直かつその場しのぎな対応を取りたくなかった。
けれども、もはや時間的にも金銭的にも、ユノスが絶賛するだろうドーナツは用意できない。
だからコーリンは自力でドーナツを作ることを決めた。
味という比較・価値づけ可能な概念はなく、情という比較不能・プライスレスな概念で訴えるために。
「え、まさかコー姐! 料理できるんスか!?」
「えーっと、『ドーナツ レシピ 初めてでも作れる』……」
コーリンはスマホの検索サイトで、言った通りのワードを入力し、レシピを探す。
「ああ、この様子じゃ出来なさそうスね……かくいうアタイも、召使いに作らせるか弁当買うかのどっちかだったんで、まるっきり出来ないんスけど」
*
それから数分後。
「あった、これならオレでもいけそうだ!」
■
『ガサツでも作れるオールドファッション』
《材料》
・強力粉 大さじ20杯くらい
・卵 1個
・牛乳 大さじ3杯くらい
・砂糖 小さじ13杯くらい
・ベーキングパウダー 小さじ1杯
・バター 2個
《作り方》
1. 強力粉、砂糖、ベーキングパウダーをボウルに入れて混ぜる。
2. 卵、牛乳、溶かしたバターをボウルに入れて混ぜる。
3. ボウルの中で粉が見えなくなるくらい生地をまとめる
4. まとめた生地を折って潰すを繰り返す(しんどくなるぐらいまで)
5. ラップで包んで冷蔵庫で10分くらい冷やす
6. 生地を12等分くらいにして、それぞれドーナツ型にする(一つ一つを大きくしたければ等分数を減らす)
7. 見た目をキレイにしたいのであれば、形を整えた生地の上部を、わっかにそって切込みを入れる
8. 中火(170度くらい)に熱したサラダ油に生地を入れてあげる(7で切り込みをいれたのなら、その切り込み面を下に向ける)
9. 生地が茶色く色づいたらひっくり返す。いい感じになったら出す
10. 完成! 皆さんも是非やってみてください!
11. たくさんのいいねありがとうございます♪
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■
このようなレシピを発見したコーリンはさっそく冷蔵庫などから材料をかき集める。
そこからぎこちなく計量スプーンでボウルに強力粉を入れていく。
最中、隣に立ったワノが、砂糖をノロノロとボウルに入れてくれた。
「コー姐! アタイも料理できないっスけど、手伝わせてほしいっス」
「ありがとよ! あとその自虐は今いらん。料理が出来る出来ないってのは今は、関係ねぇ! 問題なのは気持ちなんだからよ!
……まぁ、この際イバラが居てくれればもっと早く終わったんだろうけどよ」
二人は四苦八苦してレシピをたどり、そして、揚がり具合も形も歪な……
「あ、これあんま甘くないっスね?」
「嘘だろ。オレが味見してる方は滅茶苦茶甘いぞ」
……味も歪なドーナツ十一個(※一個は味見に使用)が完成した。
というわけで、ユノスはアザレアに優しく起こしてもらい、
「おーいユノス。お前これも食べてくれよ」
「……だから、ボクはもうお腹いっぱいだって」
「いいからいいからっス。一個だけでもいいっスから」
何がいいからなのかはさっぱりわからないが、ユノスは二人を黙らせるために、ドーナツを一つとって食べる。
「うわぁ……悪い意味で頑張った味……」
と、ユノスはまず第一印象を辛口に言う。
しかし、ここから続きの感想が出てこない。代わりに出てくるのは涙であった。
(あれ……どうしたんだろうボク……こんなガサツなドーナツに文句が言えないなんて……)
何もかもいびつなドーナツ、粉まみれになったコーリンとワノ、それとシンクに積まれた未洗浄の調理器具、それと……
「どうして、オールドファッションを作ったの?」
「一番作りやすかったレシピがそれだからだ。
お前が何となくオールドファッションを気に入ってるってことは知ってたが……そこらへんの好き好みで攻めるのは、ここじゃよろしくないと思ってたから忘れてた。
ただお前に元に戻ってほしかったって一心でやってたからな」
自分を必要としてくれたこと。それが重なり響いて、ユノスはひどく後悔した。
「ごめんなさい……ただドーナツが買えなかっただけで、何もかも嫌になって、あんなひどいこと言って……お仕事ほっらかしにして」
「もう終わったことスから別にいいっスよ。ユノ姐だって人間っスから、イラつくことがあるのは承知っスし」
「そうそう。本当の意味で何もかも嫌になってくれなくてよかったよ」
「……コーリンお姉ちゃん、ワノお姉ちゃん……本当にありがとう……ボク、またこれからもお仕事頑張るよ」
「おう。できれば頑張るのはお仕事限定にしてほしくはないんだがな」
「あ、お仕事といえば……今、時間の方は」
現在時刻。十四時五十五分。残り時間……
「んなもんもう言われなくてもわかるっスよー!」
「やっべー! 早いとこ片付けねぇと、ワノ、とりあえずキッチンのほうは見せないようにしてくれ! あそこの兵どもが夢のあとみてーな有様はとても人様に見せられないからよ!」
コーリン、ユノスとアザレア、ワノたちは残り五分で出来る限り、部屋をキレイにしよと努める。
しかし、ビジネスにおいて人が予定時間のジャストに来るのは非常に稀。
大抵の場合、相手の時間を取っているという自覚を持ち、その数分前に来ているのが当たり前だ。
「どうぞ、お入りください」
「失礼します」
なのでチヨとお客さんは十四時五十六分に家に入り、
「!? この気配は……失礼、私はベレー帽に戻ります!」
「ただいまみんな。掃除の方は……」
主にキッチン周辺が散らかったリビングと、焦りに焦っている三人を目撃した。
「……出来てなさそうね」
と、お客さん――ロスイはクスクス笑っていった。
「な、なんだ、お客さんってロスイさんのことだったのかよ」
「何よそのロスイさんなら汚い家に招いてもよかったみたいな言い方」
チヨのツッコミに便乗して、ワノはコーリンにこう怒鳴る。
「そうっスよコー姐! もはや説明不要っスけど、ロスイ社長は母さんの親会社の社長、中堅菓子メーカーの満月コーポレーションの社長っス! いくら親しいとは言えど、別格オブ別格のお方なんスから! そんな無礼な真似するなっス!」
このワノによるロスイ社長への媚売りを聞いて、ユノスは気づく。
「だからお客さんが誰か教えずに連絡したんだね」
「そうそう……で、ユノス、どうしてあなたがいるのにここまで掃除が捗ってなかったの?」
「それはね、ボクのためにお姉ちゃんがドーナツを作ってくれてたからだよ」
「あの二人が料理を……ごめん、カクカクシカジカはまた後で聞くね。見るからに面倒くさい事情があるのはわかるから」
「ドーナツを作ってたのね……じゃあこれ、ひょっとしたら不適だったかしら」
ロスイは後ろに隠してた、モモキノドーナツのお持ち帰りボックスを見せる。
「「「!? モモキノドーナツ!?」」」
「ええ、そうよ。ついさっき中心地の方を回ってた時に、無難にみんなが喜んでくれるものはなにかなー、って思って買ってきたの。
同業他社の研究も兼ねて、そこそこ大きなお店で、ね」
夢にまで見たモモキノドーナツの箱を見て、ユノスは目を燦々と輝かせて、
「モモキノドーナツだ……モモキノドーナツだ……!」
「ロスイさん、こちらもあえて言わなかったのですが、ユノスはドーナツが大好きでして……」
「そっか、それはラッキーね。じゃあここはユノスちゃんに渡すわ。十一個入だからみんなで仲良くわけて食べてね」
ロスイからモモキノドーナツの箱を渡された途端、ユノスはこれまで見たことが無いくらい、にんまりと笑った。
これを見た洗い物中のコーリンとワノは、
「ユノスもあんな顔出来るんだな」
「へぇ、付き合いが長いコー姐でもみたことないんスか……なら、色々あったっスけど、これにてハッピーラッキーエンドってことっスね」
「ああ。終わりよければ全てよしってことだ」
疲れがようやく喜びに変わるのを実感した。
ユノスはテーブルに箱を置き、開けた。そしていつもの微笑み顔に戻った。
「あれ、ユノ姐が急にテンションダウンしたっス」
「何だと……あ、そういうことか!?」
チヨとロスイは首をかしげているが、今日の騒動を踏まえたコーリンとワノは、このユノスががっかりした理由を、瞬時に読み取れた。
「「オールドファッションが入ってない!」っス!」
「え、ユノスちゃんオールドファッションが好きだったの!? ならごめんなさい、あれは見た目が地味で華がないから、みんな喜ばないと思って買わなかったわ」
「謝らなくていいですからロスイさん。別にユノスはそこまでオールドファッションが好きなわけではなく、ただ何となく選んで食べてるだけですから……」
ロスイが軽く謝り、それをチヨは遠慮する。ユノスはそんな二人の方を向いて、
「見た目が地味で華がないことこそボクはオールドファッションの良いところだとおも……」
「ワノッ! 急いでユノスを黙らせろっ!」
「わかってるっスよ! あのドーナツマシンガンを野放しにしたらどんな惨事が起こるかぐらいっスね!」
ロスイの本来の目的は、今、満月家がどうなっているかを軽く見に来ただけだった。
それがまさか、ドーナツの選定をミスしただけで小一時間を奪われかけるとは……流石のロスイでも予想できなかったのだった。
【完】




