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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第4話(前編1)――「皇帝から来た側室」

 1223年初夏。


 宿州を守り、奪還に来た金軍約2万人を破り、その勢いで徐州まで奪い返した倉達也(ツァン・ダーイエ)は、皇帝趙擴(ジャオ・クオ)の命を受けて臨安へ戻った。


 皇帝は金銀や絹だけでなく、臨安城内の大きな屋敷まで恩賞として与える。


 さらに後宮から24歳の美女、陳秀英(チェン・シウイン)を達也へ下賜すると告げた。


 これまで正妻を置かなかった達也も、皇帝からの下賜を断るつもりはない。


 達也は秀英を側室として新しい屋敷へ迎える。


 一方、達也が沈氏本家を出て自分の家を構えたことで、蘇玉香(スー・ユーシャン)も自分から達也へ近づくことになる。

 (1223年初夏、南宋・臨安府(リンアンフ)・皇宮)


 徐州から臨安へ戻った倉達也(ツァン・ダーイエ)は、その日のうちに宮中へ入った。


 徐州には守備兵を残し、宿州との街道、兵糧倉、城壁、井戸、渡し場について必要な手配も済ませてきた。金軍が再び南下した場合に備え、遊撃軍5000人も徐州周辺へ配置している。


 殿上には枢密院と兵部の高官が並んでいた。


 皇帝趙擴(ジャオ・クオ)は達也を見ると、すぐに尋ねた。


「徐州は守れるか」


「今すぐ金軍が来ても戦えるようにはしてございます。ただし、敵の兵数と進路によって戦い方は変えます」


「また2万ほどなら?」


「前と同じ手は使いません。金も伏兵を警戒するでしょう」


「では、どうする」


「金軍がどこを通り、どこへ兵糧を集め、どの城を狙うかを見てから決めます」


 達也は続けた。


「こちらから先に戦い方を決めてしまえば、敵の動きに合わせられません」


 皇帝は卓に置かれた戦報へ目を落とした。


 宿州奪還に来た金軍は約2万人。


 達也は周辺へ伏せていた宋軍を一斉に動かし、側面と後方を攻めさせた。そのうえで宿州城から打って出て、指揮の乱れた金軍を北へ追い払った。


 宋軍はそのまま追撃を続け、徐州まで奪った。


「朕は宿州を守れと命じた」


「はい」


「徐州を取れとは命じておらん」


「取れる時に取るべきだと判断いたしました」


「朕が返せと命じたら?」


「返します」


 皇帝が達也を見る。


「随分素直だな」


「陛下の命令には従います」


「そのあとは?」


「また取ります」


 殿上に笑いが起こった。


 達也は平然としていた。


「金へ返したままにしておく理由がございません」


 皇帝も笑いながら戦報を置いた。


「よい。徐州を取ったことを責めるつもりはない」


 皇帝は改めて達也を見た。


「蒙古兵2106人を全滅させ、その後は金軍を破って宿州を奪った。さらに奪還に来た約2万を退け、徐州まで取った。十分な大功だ」


「ありがとうございます」


「褒美を与える」


「ありがたく頂戴いたします」


「遠慮せぬな」


「命を懸けて戦いましたので、褒美を断る理由はございません」


 皇帝は満足した。


 まず金銀と絹が与えられた。


 さらに皇帝は、臨安城内にある大きな屋敷を達也へ与えると告げた。


 以前は高官が暮らしていた邸宅で、主屋のほかに複数の離れ、広い庭、倉、馬屋、使用人の住む建物まで備えているという。


 達也は予想していなかった。


「屋敷まで頂けるのでございますか」


「いつまでも沈家の世話になるわけにもいくまい」


「確かにその通りでございます」


「そなたは徐州まで取った男だ。自分の家を持て」


「ありがたく頂戴いたします」


 達也にとっても都合がよかった。


 これまでは沈氏本家に世話になっていたが、仕事も身分も以前とは違う。


 軍から届く書付は増え、訪ねてくる役人や武官も多くなっている。


 自分の屋敷があれば、軍務と私生活の両方で動きやすい。


 皇帝はそこで話を終わらせなかった。


「もう1つある」


「何でございましょう」


「女だ」


 達也は皇帝を見た。


「女でございますか」


「ああ。連れてまいれ」


 宦官が奥へ下がった。


 やがて女官2人に伴われ、1人の女が殿上へ入ってきた。


 24歳の陳秀英(チェン・シウイン)だった。


 淡い緑の衣をまとい、黒髪を高く結っている。派手な装いではないが、白い肌と整った顔立ちが目を引いた。


 秀英は皇帝の前で礼をした。


「陳秀英でございます」


 達也は秀英を見た。


 美しい女だった。


「達也」


「はい」


「秀英をそなたへ与える」


 達也はためらわなかった。


「ありがたく頂戴いたします」


 皇帝から戦功への褒美として後宮の女性を与えられている。


 断れば皇帝の顔を潰し、秀英にも恥をかかせる。


 それ以前に、達也自身、美しい女を貰って不満などなかった。


 ただし、1つだけ決めておきたいことがあった。


「陛下。お願いがございます」


「申せ」


「私は今のところ、正妻を置くつもりがございません」


 皇帝が秀英を見た。


「この女を正妻にはせぬのか」


「側室として迎えたいと考えております」


「秀英が気に入らぬのではあるまいな」


「逆でございます」


 達也は秀英へ目を向けた。


「これほど美しい女性を頂けるのであれば、私に不満などございません。ただ、正妻はまだ決めるつもりがないというだけでございます」


 皇帝は秀英へ尋ねた。


「聞いたな」


「はい」


「側室になるそうだ。構わぬか」


 秀英は達也を見た。


「倉様のお名前は後宮でも聞いております」


 達也が尋ねた。


「何と聞いていますか」


「蒙古軍を破り、金軍を追い払い、徐州まで奪い返した方だと聞いております」


「それなら間違ってはいません」


「その方に側室として迎えていただけるのであれば、異存はございません」


 皇帝はうなずいた。


「ならば決まりだ」


 達也は礼をした。


 皇帝はさらに言った。


「そなたが今は正妻を置きたくないというなら、それでよい」


「ありがとうございます」


「この先、さらに大功を立てれば、朕がまた後宮から女を与えることもある」


「その時も側室として迎えてよろしいのでしょうか」


「構わぬ」


「それなら助かります」


 皇帝が笑った。


「何人貰うつもりだ」


「陛下がお与えになるのであれば、私から断る理由はございません」


「欲深い男だ」


「戦場で欲がなければ、徐州までは取りません」


 武官たちから笑いが起こった。


 皇帝も機嫌をよくした。


「よい。今後、朕から女を与える時も、正妻にせよとは命じぬ。側室として迎えよ」


「承知いたしました」


 達也には金銀、絹、大きな屋敷、そして側室が与えられた。


 徐州で挙げた戦功は、達也の暮らしそのものまで変えることになった。


 ◇ ◇ ◇


 その日の夕方、達也は秀英を伴って沈氏本家(シェンシーベンジア)へ戻った。


 門では沈宗礼(シェン・ゾンリー)と沈文紹(シェン・ウェンシャオ)が待っていた。


 皇帝から恩賞が出たことは、達也より先に伝わっていた。


 文紹が秀英を見た。


「本当に女性まで頂いたのですね」


「私も宮中へ入るまでは知りませんでした」


「屋敷まで賜ったそうですね」


「はい。近いうちに移ります」


 宗礼は満足した顔でうなずいた。


「それがよい。お前はもう自分の家を構える立場だ」


「長い間お世話になりました」


「まだ引っ越してもおらんうちから別れの挨拶をするな」


 宗礼は笑った。


 達也は秀英を紹介した。


「陳秀英(チェン・シウイン)です。今日から私の側室になります」


 秀英は2人へ礼をした。


「陳秀英と申します。よろしくお願いいたします」


「陛下から賜った方だ。こちらこそよろしく頼む」


 宗礼は秀英を丁重に迎えた。


 ただし秀英が沈家で暮らすのは数日だけだった。


 皇帝から賜った屋敷では、すでに掃除と修繕が始まっている。


 達也も秀英を側室に迎えた以上、いつまでも他家の一室へ住まわせるつもりはなかった。


 ◇ ◇ ◇


 5日後。


 達也と秀英は新しい屋敷へ移った。


 正門の上には新しい額が掛けられた。


 そこには「倉府」と書かれている。


 門を入ると、石を敷いた道の先に広い主屋があり、左右には別棟が建っている。


 奥には庭が広がり、池と木立もある。


 東側には倉と馬屋、西側には使用人の住居が並んでいた。


 達也がこれまで沈氏本家で使っていた部屋とは、比べものにならない広さだった。


 秀英も門を入ったところで足を止めた。


「ここが、達也様のお屋敷ですか」


「今日から秀英の家でもあります」


 秀英は庭から主屋へ目を向けた。


「後宮を出た時には、どのようなところへ行くのかと思っておりました」


「狭い家では困りましたか」


「困りはしません。ただ、少し不安ではございました」


「ここなら大丈夫でしょう」


「十分すぎます」


 達也は秀英を主屋へ連れていった。


 自分が使う書斎と寝室は中央に置き、秀英には庭へ面した一角を与えた。


 居間、寝室、衣服や化粧道具を置く部屋があり、専用の女中も付けた。


「この一角は秀英が使ってください」


「私だけで、これほどですか」


「側室として迎えたのですから」


「ありがとうございます」


「必要な物は買わせます。遠慮はいりません」


 秀英は部屋を見回したあと、達也へ尋ねた。


「今朝まで、私は後宮におりました」


「はい」


「それが今は、この屋敷で達也様の側室です」


「随分急でしたね」


「達也様は平気なのですか」


「何がです」


「突然、知らない女を与えられて」


 達也は秀英の顔を見た。


「美人を頂いて嫌だと言えば嘘になります」


 秀英は思わず笑った。


「本当に隠さないのですね」


「嫌々迎えたと思われる方が困ります」


「それはそうですが」


「正妻にはしません。それは陛下の前で話した通りです」


「承知しております」


「その代わり、側室だからと粗末に扱うつもりもありません」


 達也は秀英の手を取った。


「戦になれば、私は長く留守にします。それでも臨安へ戻れば、ここへ帰ります」


「はい」


「秀英にも、ここを自分の家だと思ってもらいます」


 秀英は達也を見たあと、頭を下げた。


「よろしくお願いいたします」


「こちらこそ」


 その夜から、倉府での2人の暮らしが始まった。


 ◇ ◇ ◇


 達也は屋敷を持っても生活を変えなかった。


 夜明け前には起きて身体を鍛える。


 朝餉を済ませれば枢密院へ出る。


 徐州、宿州、霊璧、淮河方面から届く軍報を読み、金軍の動き、兵糧、軍馬、街道の状態を確かめる。


 徐州を取ったことで、見るべき範囲は以前より広がっていた。


 屋敷を持った利点もすぐに表れた。


 武官や役人を自宅の書斎へ呼べる。


 届いた軍報をまとめて保管できる。


 馬も屋敷内の馬屋へ置ける。


 遠征の準備も沈家に迷惑を掛けずに進められた。


 秀英も新しい暮らしを整えていった。


 達也は秀英が欲しいと言った衣服や化粧道具をそろえた。


 刺繍が好きだと知れば、上等な布と糸も買わせた。


 食事の好みも料理人へ伝えた。


 臨安にいる夜は、できる限り秀英と一緒に過ごした。


 秀英も達也の帰宅を待つようになった。


 朝の鍛錬から戻れば水を用意させ、帰宅が遅い日には食事を残しておく。


 軍務については、達也から話さない限り余計なことを尋ねなかった。


 ある夜、達也が帰ると、秀英は食卓で待っていた。


「今日は遅かったですね」


「徐州から報告が来ました」


「金軍ですか」


「今のところ、大軍が南へ出る動きはありません」


「では安心ですね」


「今日のところは」


「また戦になりますか」


「いずれは」


「怖くはありませんか」


「怖いかどうかで決める仕事ではありません」


 達也は飯を口へ運んだ。


「勝てるように準備して、勝つだけです」


 秀英はそれ以上聞かなかった。


 後宮で噂に聞いていた英雄は、家で自分の武勇を語る男ではなかった。


 しかし毎朝身体を鍛え、昼は軍報を読み、必要があればすぐ徐州へ向かう。


 秀英はそんな達也を見ながら、少しずつ倉府での暮らしに馴染んでいった。


 達也も秀英を気に入っていた。


 美貌だけではない。


 余計な口出しをせず、自分の居場所を早く作ろうとしている。


 達也はその態度も好ましく思った。


 ◇ ◇ ◇


 秀英を迎えて半月ほどした頃、蘇玉香(スー・ユーシャン)が倉府を訪れた。


 達也が沈家を出たあとも、宗礼や文紹とは変わらず付き合っている。


 玉香も秀英へ挨拶をするため何度か倉府へ来ていた。


 その日は屋敷で使う布や食器について秀英と相談し、日が暮れる前に沈家へ戻る予定だった。


 しかし秀英が自室へ下がったあとも、玉香は帰らなかった。


 達也が書斎で徐州周辺の地図を見ていると、玉香が入ってきた。


「まだ仕事ですか」


「もう少しで終わります」


 玉香は戸を閉めた。


 達也は地図から顔を上げた。


「何かありましたか」


「少しお話がございます」


「どうぞ」


 玉香は達也の近くまで来た。


「秀英さんを随分大切になさっていますね」


「私の側室ですから」


「このような立派なお屋敷まであって」


「屋敷は陛下から頂きました」


「私も知っています」


 玉香は部屋を見回した。


「沈家にいた頃とは随分変わりました」


「仕事は楽になりました」


「それだけですか」


「それだけではありませんが」


 達也は玉香を見る。


「何を言いたいのですか」


「以前、私を綺麗だとおっしゃいましたね」


「言いました」


「今でも?」


「綺麗だと思っています」


「それなのに、何も言わなくなりました」


「玉香さんは文紹殿の妻です」


「前から知っていたでしょう」


「知っています」


 達也は地図をたたんだ。


「以前は私から口説きました。今は秀英もいますし、仕事も増えました。玉香さんの返事をいつまでも待つつもりはありません」


 玉香はしばらく達也を見ていた。


「私は、秀英さんが来たと聞いた時、嫌でした」


「なぜです」


「分かりませんか」


「口で言ってください」


 玉香は達也へ近づいた。


「あなたを取られたように思いました」


「玉香さんは私の女ではなかったでしょう」


「だから腹が立つのです」


 達也は立ち上がった。


「今夜ここへ来た意味は分かっていますか」


「分かっています」


「帰るなら今です」


「帰りません」


 玉香は自分から達也の胸へ手を置いた。


 達也はそれ以上何も尋ねなかった。


 その夜、2人は初めて男女の関係になった。


 ◇ ◇ ◇


 それから玉香は、人目を避けて倉府へ来るようになった。


 頻繁ではない。


 達也には軍務があり、玉香には沈家での暮らしがある。


 何度か会ったあと、達也は2人だけの時に話を切り出した。


「玉香さん。決めておきたいことがあります」


「何でしょう」


「文紹殿と離縁する気はありますか」


 玉香の表情が変わった。


「なぜ、その話をするのですか」


「離縁するなら、正式に側室として迎えます」


「秀英さんと同じように?」


「はい」


「この屋敷へ?」


「そうです」


 達也は迷わなかった。


「玉香さんを欲しくなければ、こんな話はしません」


「本気なのですね」


「本気です。ただし、文紹殿の妻のまま側室にはできません」


 玉香はしばらく黙っていた。


 達也は返事を急がせなかった。


 やがて玉香が首を横に振った。


「離縁はいたしません」


「分かりました」


「それだけですか」


「玉香さんが決めることです」


「怒らないのですか」


「なぜ怒るのです」


 玉香は答えた。


「文紹と別れたくありません」


「はい」


「沈家も、家族も大切です」


「分かっています」


「それでも、達也さんのことも好きです」


 達也は笑った。


「欲張りですね」


「あなたほどではありません」


「それは否定しません」


 玉香も笑った。


「では、私はどうなるのですか」


「今のままでよいでしょう」


「愛人ですか」


「そうです」


「それで構わないのですか」


「私は構いません」


 達也は玉香を引き寄せた。


「側室として来るなら迎えます。家族を捨てたくないなら、そのままでいい」


「随分都合がよいですね」


「玉香さんにも都合がよいでしょう」


 玉香は言い返せなかった。


「本当に悪い男ですね」


「知っていて来たのでしょう」


「そうですね」


 玉香は達也の胸へ顔を寄せた。


 これで2人の関係は決まった。


 玉香は文紹と離縁しない。


 沈氏本家を離れない。


 達也の側室にもならない。


 その代わり、2人の関係は愛人として続ける。


 達也も二度と離縁を迫らなかった。


 軍務が増え続ける中で、この問題にこれ以上時間を使うつもりもなかった。


 ◇ ◇ ◇


 (1223年初秋、南宋・臨安府(リンアンフ)・倉府)


 秀英を側室に迎えてから3か月余りが過ぎた。


 その間、達也は臨安と徐州を何度か往復した。


 徐州では城壁の補修が進み、宿州との間には兵糧を運ぶ中継地が置かれた。


 金軍はまだ南へ大軍を出していない。


 北では蒙古との戦が続いている。


 南宋側も徐州を足場として、さらに北の動きを調べ始めていた。


 達也が徐州から倉府へ戻った日の夕方、秀英付きの女中が主屋で待っていた。


「達也様。秀英様がお待ちでございます」


「具合でも悪いのですか」


「医師に診ていただきました」


 達也は秀英の部屋へ向かった。


 秀英は卓の前に座っていた。


 顔色は悪くない。


「どうしました」


「こちらへお座りください」


 達也が隣へ座ると、秀英はその手を取った。


「医師から、子を身ごもっていると言われました」


 達也は秀英を見る。


「間違いないのですか」


「月のものが続けて来なくなりましたので、診ていただきました。まず間違いないだろうと」


「そうですか」


 達也は秀英の腹へ目を向けた。


 まだ衣の上から大きな変化が分かる時期ではない。


 秀英を迎えて3か月余り。


 達也は遠征で留守にすることもあったが、臨安へ戻れば多くの夜を秀英と過ごしてきた。


 比較的早い時期に身ごもったことになる。


「嬉しくありませんか」


「嬉しいですよ」


 達也は秀英を抱き寄せた。


「これからは身体を大事にしてください」


「まだ何でもできます」


「できるからといって無理をする必要はありません」


「戦場ではあれほど大胆なのに、こういう時は慎重なのですね」


「戦と子どもは別です」


 秀英は笑った。


「では、達也様がお留守の間は、私がこの子を守ります」


「お願いします」


「達也様も戻ってきてください」


「当然です」


 達也は秀英の肩を抱いた。


 数か月前まで、達也には自分の家さえなかった。


 今は皇帝から賜った大きな倉府がある。


 側室の秀英がいる。


 その秀英の腹には、自分の子がいる。


 玉香との関係にも決着がついた。


 正妻を置くつもりは、今もない。


 だが達也にとって、それで困ることはなかった。


 家のことは整った。


 次は再び戦である。


 蒙古が北から金を削っている間に、南宋は徐州まで進んだ。


 徐州より北には、まだ金の領土が広がっている。


 達也の目は、すでに次の戦場へ向いていた。

 1223年初夏、宿州を守り、金軍約2万人を破って徐州まで奪還した達也は、皇帝趙擴に召されて臨安へ戻った。


 皇帝は金銀や絹に加え、臨安城内の大きな屋敷を達也へ与えた。


 さらに後宮にいた24歳の陳秀英(チェン・シウイン)も下賜する。


 達也は秀英を断らずに受け入れたが、正妻はまだ置かず、側室として迎えたいと願い出た。


 皇帝はこれを認め、今後さらに女性を下賜する場合も、正妻ではなく側室として迎えてよいと許可した。


 達也は沈氏本家を出て、新たに賜った倉府へ移る。秀英にも専用の部屋と女中を与え、側室として大切に扱った。


 一方、蘇玉香(スー・ユーシャン)は自分から倉府を訪れ、達也と男女の関係になる。


 達也は夫の沈文紹(シェン・ウェンシャオ)と離縁するなら正式な側室として迎えると告げたが、玉香は沈家と家族も大切にしたいとして断った。


 達也もその決断を受け入れ、玉香との関係は愛人として続けることで決着した。


 それから3か月余り後、秀英の懐妊が明らかになる。


 達也は自分の屋敷、側室、そして子を得た。


 私生活に一区切りを付けた達也は、再び徐州より北へ目を向ける。

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