第3話(後編2)――「徐州まで奪い返す」
1223年初夏。
倉達也は淮河を越え、霊璧県を攻略したあと、金の援軍約6000人を撃破した。
さらに宿州を降伏させ、淮河の北に南宋の領土を取り戻した。
皇帝趙擴は達也を知宿州兼淮北安撫使に任じ、新しく得た土地の統治と防衛を任せた。遊撃軍も3000人から5000人へ増強された。
しかし金が宿州を失ったまま黙っているはずはない。
達也は大軍による奪還戦を予想し、宿州城だけを固めるのではなく、周辺各地へ兵を潜ませた。
やがて約2万人の金軍が南下する。
達也は城を囲ませたうえで、伏兵を一斉に動かすことを決める。
(1223年初夏、南宋・宿州)
宿州を取った翌日から、達也は金軍の反撃に備えた。
兵たちの中には、このまま北へ進み、徐州まで攻めるべきだという声もあった。
蒙古との戦で金は疲れている。
宿州救援に来た6000人も敗れた。
勢いに乗ってさらに北へ進めると考える者が出るのは当然だった。
だが達也は軍を止めた。
「今は北へ出ない」
遊撃軍の隊長が尋ねた。
「金が立て直す前に攻めた方が有利ではありませんか」
「金の方から来る」
「宿州を取り返しに?」
「宿州を奪われたまま放置すれば、淮北の諸城まで動揺する。金にとって、ここは必ず取り返さなければならない場所になった」
達也は地図を広げた。
「前の6000人より大きな軍を寄越すはずだ」
「1万人ほどでしょうか」
「その程度で済むとは考えない方がいい。こちらは蒙古軍を全滅させ、援軍6000人を破って宿州まで取った。金も今度は本気で来る」
「援軍を求めますか」
「すでに求めてある」
達也は宿州周辺を指した。
「だが城の中で援軍を待つつもりはない」
「では、どう守ります」
「城を攻めさせる」
隊長が達也を見る。
「攻めさせるのですか」
「大軍で来るなら、宿州を囲ませる。敵が城へ兵を集めれば、後方の兵糧、軍馬、伝令、退路が長く伸びる」
達也は地図の各所へ指を置いた。
「そこを外から潰す」
◇ ◇ ◇
達也はまず宿州城内の守りを固めた。
城壁を調べ、傷んでいる場所を補修した。
城門を補強する。
矢、弩、石、兵糧を各所へ運ぶ。
井戸も確認した。
だが達也が重視したのは、城外だった。
自ら馬で周辺を回った。
徐州から南へ続く街道。
西から宿州へ入る道。
林。
丘。
村。
川。
水田。
窪地。
大軍が進める場所と、小部隊しか通れない場所を分けて確認した。
そのうえで、5000人に増えた遊撃軍を城内へ入れず、宿州の周囲へ分散させた。
「ここへ800人」
達也は街道東側の林を指した。
「弩兵を多く置く」
「はい」
「こちらの丘へ700人。敵の騎兵と軍馬を狙う」
「承知しました」
「北の街道には1000人。徐州との連絡を切る」
「はい」
「南東へ500人。伝令と兵糧輸送を止める」
隊長が尋ねた。
「残りは?」
「私の命令が出るまで動かさない。敵がどこへ本営を置くか見てから配置を変える」
宿州城と霊璧を守る兵とは別に、淮河方面へ頼んだ援軍も到着し始めた。
達也が直接動かせる兵は、遊撃軍5000人を含めて1万3000人ほどになった。
そのうち城内へ置いたのは4000人だけだった。
残りは宿州周辺の林や村、丘の裏へ分散した。
金軍から見れば、宿州には4000人前後しかいないように見える。
隊長の1人が尋ねた。
「城内が薄すぎませんか」
「城を守るだけなら薄い」
「では」
「城外にも9000人いる」
達也は答えた。
「金軍は宿州城と戦っているつもりになる。実際には周囲全部が戦場だ」
◇ ◇ ◇
達也は各部隊への合図も決めた。
昼は旗。
夜は火。
遠方との連絡には騎兵を使う。
総攻撃を始める時には、宿州城壁から火矢を3本続けて上げる。
「合図が出たら、各隊は指定した目標へ一斉に攻撃する」
達也は隊長たちへ命じた。
「兵糧を狙う隊は兵糧だけを狙え。軍馬を狙う隊は余計な戦闘をするな。街道を押さえる隊は敵本隊へ近づく必要はない」
「別々に戦うわけですか」
「違う」
達也は答えた。
「同時に1つの軍を壊す」
隊長たちが黙って聞いた。
「兵糧が燃える。馬が逃げる。伝令が戻らない。徐州への道にも宋軍が出る。その時に城門を開け、正面からも打って出る」
「金軍は、どこへ兵を向ければよいか分からなくなる」
「それでいい」
「敵の指揮を壊すのですね」
「兵が何万人いても、命令が届かなければ1つの軍ではない」
達也は言った。
「金軍を散り散りにしてから叩く」
◇ ◇ ◇
宿州を取って12日後。
北から斥候が戻った。
「申し上げます!」
「言え」
「金軍が南下しております。確認できただけでも1万5000を超えております」
「騎兵は」
「3000以上おります」
「まだ後続がいるか」
「おります」
達也は地図を見た。
「徐州を出た時点では?」
「およそ2万との情報もあります」
周囲にいた武官の表情が変わった。
「2万……」
達也は落ち着いて尋ねた。
「進路は」
「予想されていた街道を南下しております」
「兵糧車は?」
「非常に多くございます」
「分かった」
達也は地図を閉じた。
「各伏兵へ伝えろ。まだ動くな」
「迎え撃たないのですか」
「宿州まで来させる」
「2万ですぞ」
「だからだ」
達也は武官を見る。
「2万人を野外で追い回す必要はない。宿州へ集まってくれるなら都合がいい」
◇ ◇ ◇
3日後。
金軍が宿州北方へ姿を現した。
最終的に確認できた兵数は約2万人だった。
騎兵約4000。
歩兵約1万6000。
北の平野には金軍の旗が並び、兵糧車、軍馬、攻城用の木材が長い列を作っていた。
城壁の上にいた宋兵の間に緊張が走った。
「多いな」
「本当に守れるのか」
達也は兵たちのそばを歩いた。
「敵の数ばかり見るな」
兵たちが達也を見る。
「城の前に2万人並んでいる。それだけだ」
「それだけ、ですか」
「2万人が同時に城壁へ登れるわけではない」
達也は金軍の陣を見た。
「それに、あちらはまだ知らない」
「何をです」
「自分たちの周囲に、宋軍がいることをだ」
兵たちの表情が少し緩んだ。
「城を守れ。外の戦は私が考える」
「はい!」
◇ ◇ ◇
翌朝から金軍の攻城が始まった。
弓と弩の矢が飛び交う。
梯子を持った兵が城壁へ走る。
宋軍は金兵が十分近づくまで待ち、弩と石で迎え撃った。
「遠い敵へ矢を使うな!」
達也が城壁を歩きながら命じた。
「梯子を運ぶ兵を狙え!」
「はい!」
「城門へ寄る敵を優先しろ!」
攻撃は夕方まで続いた。
金軍は引いた。
翌日も攻めた。
3日目も攻めた。
達也は城外の伏兵を一切動かさなかった。
金軍は次第に、宋軍が宿州へ籠城しているだけだと考えるようになった。
野営地も城へ近づいた。
兵糧車は北東側へまとめられた。
軍馬は西側に集められた。
本営は城の北に置かれた。
達也が予想した配置になった。
4日目の夕方。
斥候から最後の報告が届いた。
「徐州方面から来た兵糧も、北東の陣へ集められております」
「軍馬は?」
「西側です」
「本営と各陣の伝令路は?」
「確認しました」
達也は地図へ目を落とした。
「今夜やる」
隊長たちの顔が引き締まった。
「全軍へ伝えろ。予定通りだ」
「はい」
「一度始めたら止めない。夜明けまでに金軍の指揮を潰す」
◇ ◇ ◇
夜半。
達也は甲冑を身につけ、宿州城の北門へ向かった。
城内で打って出る兵4000人が待っている。
城外では9000人近い宋軍が、すでに指定された場所についていた。
隊長が尋ねた。
「達也殿も出られるのですか」
「私が先頭に立つ必要はない」
「では城内で?」
「前へ出る。だが敵陣へ真っ先に飛び込むほど愚かではない」
達也は馬へ乗った。
「全体が見えるところで指揮する」
「承知しました」
城壁へ上がる。
金軍の野営地では無数の火が見えていた。
攻城を3日続けた金軍は疲れている。
翌日もまた城を攻めるつもりで眠っていた。
達也が命じた。
「火矢を上げろ」
弓兵が火をつけた。
1本目。
夜空へ上がる。
2本目。
3本目。
3本の火が続けて宿州城の上へ昇った。
「始めろ」
◇ ◇ ◇
最初に金軍陣地の北東で火が上がった。
兵糧車へ火矢が飛び込んだ。
「火だ!」
「兵糧が燃えている!」
金兵が駆け出した。
その直後、西から馬の激しい鳴き声が聞こえた。
宋軍が馬柵を切った。
火を見た馬が驚き、何百頭も陣中へ走り出した。
「馬を止めろ!」
「敵襲だ!」
「西側に宋軍がいる!」
本営から伝令が出た。
しかし伝令路にも宋兵が伏せていた。
使者が戻らない。
別の使者を出す。
そちらも消える。
北では徐州へ続く街道に宋軍が現れ、兵糧車を横倒しにして道を狭めた。
林から弩が飛んだ。
「北にも敵!」
「兵糧が焼かれた!」
「軍馬が逃げている!」
「宋軍が後ろへ回った!」
報告が次々と本営へ入った。
だが、どこに何人の宋軍がいるのか分からない。
東へ兵を送れば西から急報が来る。
北へ兵を向ければ城の前が薄くなる。
金軍の指揮官が命令を出そうとした時、宿州城から太鼓が鳴った。
城門が開いた。
◇ ◇ ◇
「前進!」
達也の命令で城内の宋軍4000人が一斉に出た。
先頭の弩兵が射撃する。
その後ろから槍兵が進む。
騎兵は左右へ分かれた。
金軍は後方の伏兵への対応に兵を割いた直後だった。
「宋軍が城から出た!」
「前にも敵だ!」
「本営を守れ!」
達也は敵陣全体へ押し込まなかった。
「中央だけを破れ!」
狙ったのは金軍本営と東側の陣の間だった。
「弩兵、3射!」
矢が連続して飛んだ。
金軍の列が崩れる。
「槍兵、前へ!」
槍兵が間を広げる。
「騎兵は軍旗を狙え!」
宋騎兵が左右から入り込んだ。
金軍の大旗が見える。
守備兵が集まる。
そこへ別方向から伏兵が現れた。
大旗を守る部隊まで混乱した。
やがて旗竿が傾いた。
金軍の大旗が倒れた。
「本営の旗が落ちたぞ!」
宋兵が叫んだ。
離れた場所にいた金兵にも旗が倒れたことが見えた。
「本営が破られた!」
「将軍は討たれたのか!」
「退け!」
事実とは違う叫びまで広がった。
夜のため、誰も確かめられない。
東では兵糧が燃えている。
西では軍馬が走り回っている。
北には宋軍がいる。
南には宿州城から打って出た宋軍が迫っている。
命令を伝える使者も戻らない。
金軍は2万人いても、もはや1つの軍として動けなかった。
達也が命じた。
「全隊、太鼓を鳴らせ!」
宿州城。
東の林。
西の丘。
北の街道。
各所から太鼓が鳴り始めた。
金軍からすれば、四方を何万もの宋軍に囲まれたように聞こえた。
「押し崩せ!」
宋軍が一斉に前へ出た。
◇ ◇ ◇
夜明け前。
金軍の指揮は完全に崩れた。
東側の兵が北東へ逃げる。
西側では軍馬を失った騎兵が歩兵と一緒に逃げ始めた。
本営にいた兵も旗を捨てて北へ走った。
「陣を維持しろ!」
「戻れ!」
金の武官が叫んでも、兵は戻らない。
後方から宋軍が来たという話が広がり、逃げる者がさらに増えた。
やがて金軍全体が北へ崩れ始めた。
達也は丘の上から見ていた。
隊長が馬で近づく。
「敵が退きます」
「あれは退却ではない」
「では?」
「敗走だ」
達也は北へ逃げる金軍を見た。
軍旗がない。
隊列もない。
兵と馬が入り混じり、部隊ごとに勝手な方向へ逃げている。
「騎兵を出す」
「追撃ですね」
「そうだ」
「どこまで追いますか」
達也は北を見た。
「徐州まで押す」
隊長が驚いた。
「徐州までですか」
「今なら取れる」
「宿州を守るのが今回の目的でした」
「目的は達した」
達也は落ち着いて答えた。
「その結果、金軍2万が潰れ、徐州までの軍が崩れている。ここで止まれば金へ立て直す時間を与えるだけだ」
「朝廷から徐州攻略の命令は受けておりません」
「承知している」
「では」
「責任は私が取る」
達也は言った。
「勝った軍が敵を追う機会を捨てる必要はない。徐州が守れる状態なら止まる。守れないなら、そのまま取る」
「承知しました」
「追撃を始めろ」
◇ ◇ ◇
宋軍の騎兵が先に出た。
敗走する金軍へ追いつく。
ただし、手当たり次第に殺さなかった。
武器を捨てた兵は通す。
まとまって抵抗する部隊だけを崩す。
橋。
渡し場。
街道の分岐。
先に騎兵を送り、金軍が立ち止まって隊列を作る場所を与えなかった。
「休ませるな!」
達也は命じた。
「徐州まで追い続けろ!」
敗走兵は南宋軍に追われながら北へ走った。
途中にある金側の砦にも逃げ込んだ。
しかし敗残兵が押し寄せたことで、守備兵まで動揺した。
「宿州の2万が負けた!」
「宋軍が後ろにいる!」
「徐州まで退け!」
小さな砦では、戦わず逃げる兵が出た。
降伏する砦もあった。
宋の旗が1つ、また1つと北へ進んだ。
追撃する宋兵の間では、宿州での勝利が繰り返し語られた。
「金の大軍を追い散らしたぞ!」
「2万が逃げている!」
「俺たちが金軍を追っているんだ!」
「徐州まで行くぞ!」
兵の声が大きくなっていた。
少し前までは、金軍が南へ来ることを恐れていた。
今は自分たちが北へ逃げる金軍を追っている。
兵の顔つきそのものが変わっていた。
◇ ◇ ◇
敗残兵が徐州へ到着すると、城内は混乱した。
最初に数百人。
続いて1000人以上。
その後も次々と南から兵が来る。
「宋軍が来る!」
「宿州で負けた!」
「大軍が追っている!」
敗走の途中で話は膨らんでいた。
「宿州の金軍は全滅した!」
「宋軍は3万いる!」
「倉達也が徐州を取ると言っている!」
事実ではない話まで広がった。
徐州の金軍は城門を閉じることもできなかった。
閉じれば味方の敗残兵を城外へ捨てることになる。
開けておけば混乱した兵が城内へ流れ込む。
徐州の指揮官が決断できないまま、時間だけが過ぎた。
翌日。
南の街道に宋騎兵が現れた。
さらにその後ろから達也の遊撃軍が来た。
宿州から追撃してきた主力も続いている。
達也は徐州城を見た。
「守備兵の状態は」
斥候が答えた。
「宿州からの敗残兵が多数入っています。北門から逃げ始めた役人もおります」
「城内の軍はまとまっているか」
「いいえ」
達也は頷いた。
「北を開ける」
武官が尋ねた。
「包囲しないのですか」
「城が欲しい」
「兵を逃がす?」
「逃げたい者は北へ行かせろ」
達也は答えた。
「こちらが欲しいのは徐州だ。城壁を壊し、何千人も死なせて取る必要はない」
宋軍は南、東、西へ展開した。
北だけは開けておいた。
徐州へ使者を送る。
条件は単純だった。
城を明け渡す。
武器を置く。
降伏した兵と役人は殺さない。
民への略奪もしない。
金へ戻りたい兵と役人は、武器を置けば北門から出てよい。
拒否すれば攻城する。
◇ ◇ ◇
徐州城内では激しい議論になった。
「戦うべきだ!」
武官が叫んだ。
「城壁は残っている!」
役人が言い返した。
「何人で戦う!」
「兵はいる!」
「宿州から逃げてきた兵が、今すぐ戦えると思うのか!」
敗残兵の多くは疲れ切っていた。
武器を失った者もいる。
馬を失った騎兵も多い。
何より、宿州での敗北を自分たちの目で見ている。
「宋軍は四方から出てきた!」
「夜なのに、どこへ逃げても宋兵がいた!」
「蒙古軍2106人を全滅させた男だぞ!」
「今度は2万の軍まで破られた!」
恐怖が話を大きくしていた。
夕方。
金の役人の一部が北門から出た。
その後を兵が追う。
達也は追撃させなかった。
夜の間にも北へ逃げる者が続いた。
翌朝。
徐州の南門に白旗が上がった。
使者が城外へ出てきた。
「城を明け渡します」
達也が尋ねた。
「守備兵は武器を置いたか」
「はい」
「住民には略奪しないと伝えろ」
「承知しました」
「北へ帰る者は止めない。ただし武器と軍馬は残させろ」
「はい」
「では城門を開けろ」
◇ ◇ ◇
徐州の南門が開いた。
達也は馬で城内へ入った。
後ろに宋軍が続く。
住民は道の両側や戸口から様子を見ていた。
喜んでいる者ばかりではない。
不安そうな顔も多い。
達也は兵へ命じた。
「民家へ入るな」
「はい!」
「商人の品を取るな」
「はい!」
「軍倉と役所だけを押さえろ」
「はい!」
「降伏した者に手を出すな。違反した兵は厳しく処罰する」
「承知しました!」
徐州の役所へ到着した。
金の旗が降ろされる。
代わって宋の旗が上がった。
城壁にも旗が掲げられた。
宋兵から大きな声が上がった。
「徐州を取ったぞ!」
「宋の旗だ!」
「金軍を追って、徐州まで来たぞ!」
歓声が城内へ広がった。
達也は今回も止めなかった。
「各城門にも宋の旗を上げろ」
「はい!」
「宿州へ急使を出せ」
「何と伝えます」
「徐州を奪回した。今日から宋の城だと伝えろ」
◇ ◇ ◇
宿州で金の大軍を破り、その勢いのまま徐州を奪ったという報告は、急使によって臨安へ送られた。
宮中では再び大きな地図が広げられた。
皇帝趙擴は戦捷報告を聞いた。
「金軍は何人だった」
「約2万でございます」
「宿州は」
「守り切りました」
「金軍は?」
「各所に伏せていた宋軍が夜間に一斉攻撃し、兵糧、軍馬、伝令、退路を襲いました。そこへ倉達也が城内の兵を率いて打って出たため、金軍の指揮が崩壊しております」
「その後は」
「北へ敗走しました」
「達也は追ったのだな」
「はい」
「どこまで」
官人が答えた。
「徐州まででございます」
皇帝が地図へ目を向けた。
「徐州まで追った?」
「いいえ」
官人は続けた。
「徐州も取りました」
広間が静かになった。
皇帝が顔を上げた。
「徐州を取ったのか」
「はい。金側の役人と守備兵の多くが北へ退き、残った者が降伏しております」
皇帝はしばらく地図を見た。
淮河。
霊璧。
宿州。
そして徐州。
宋の支配を示す地域が、さらに北へ伸びている。
「朕は徐州まで取れとは命じていないな」
「仰せの通りでございます」
官人の1人が慎重に尋ねた。
「命令の範囲を越えたことについて、何らかの処分を」
皇帝がその官人を見る。
「処分?」
「はい」
「金軍2万を破り、徐州を取り返した者を何の罪で処分する」
「それは……」
皇帝は笑った。
「褒めろ」
官人たちが頭を下げた。
「大いに褒めよ」
「承知しました」
皇帝は再び地図を見た。
「宿州を取った時にも言ったはずだ」
「はい」
「これは税の問題ではない」
「はい」
「蒙古軍を倒した。宿州を取った。取り返しに来た金の大軍も破った。そして徐州まで取った」
皇帝は徐州を指した。
「宋の兵がこれを聞けば、どう思う」
枢密院の官人が答えた。
「金に勝てると考えるでしょう」
「それでよい」
皇帝は言った。
「これまでの宋軍は、金が来ることを恐れていた」
誰も口を挟まなかった。
「今度は金軍が宋軍に追われて徐州まで逃げた」
「はい」
「この違いは大きい」
皇帝は命じた。
「淮東だけではない。淮西、京湖、四川にも戦捷を知らせよ」
「承知しました」
「金軍2万を破り、徐州まで奪回したと、そのまま書け」
「はい」
「兵に読ませろ」
◇ ◇ ◇
戦捷の知らせは南宋各地へ送られた。
軍営では役人や武官が兵を集め、報告を読み上げた。
「宿州へ侵攻した金軍約2万を撃破!」
「金軍は北へ敗走!」
「宋軍が追撃!」
「徐州奪回!」
兵たちから歓声が上がった。
「徐州まで取ったのか!」
「金軍2万を破った?」
「俺たちが金軍を追う側になったぞ!」
「倉達也だ!」
「蒙古軍を全滅させた状元だろう!」
「今度は金軍2万か!」
北方の地名を口にする兵が増えた。
「次はどこだ」
「もっと北へ行けるのではないか」
「金は本当に弱っているぞ」
これまで金軍の南下に備えることばかり考えていた兵たちが、北へ進む話をするようになった。
将たちにも変化があった。
金軍だから勝てない。
淮河を越えれば危険だ。
そう考える者ばかりではなくなった。
自分たちも宿州や徐州を取れる。
金の大軍にも勝てる。
それを実際の戦果が示していた。
◇ ◇ ◇
徐州を取った翌日。
達也は城内の役所で武官たちを集めた。
卓の上には徐州と宿州、その周辺地域の地図がある。
「さらに北へ進みますか」
武官が尋ねた。
達也は首を振った。
「ここで止める」
「金軍は崩れています。追えばさらに取れるかもしれません」
「取れる可能性はある」
「なら、なぜ」
「取った土地を守れなければ、今回の戦勝を自分で潰すことになる」
達也は徐州を指した。
「宿州を取った時、金は2万を寄越した。徐州まで失った以上、次はそれ以上を動かす可能性がある」
「では守りを」
「まず宿州から徐州までの道を確保する。途中の砦を押さえ、兵糧を運べるようにする。徐州の城壁、軍倉、井戸も確認する」
「行政も始めますか」
「当然だ」
達也は答えた。
「取ることと、領土にすることは別だ。宋の役人を置き、住民がここを宋の土地だと思える状態まで持っていく」
「それから北へ?」
「金に余力があるうちは、また大軍が来る」
達也は地図の北へ目を向けた。
「次も叩く」
「さらに領土を取りますか」
「勝った後に取れる土地があるなら取る」
達也は静かに言った。
「守るだけの戦へ戻るつもりはない」
武官たちが頷いた。
達也は地図を見た。
淮河。
霊璧。
宿州。
徐州。
少し前までは、淮河の北は金の領土だった。
今は宋の旗が北へ伸びている。
蒙古は北から金を削っている。
南からは達也の軍が金の土地を奪い始めた。
宋軍は、負け続ける軍ではなくなり始めていた。
1223年初夏。
宿州を奪われた金は、約2万人の大軍を送り込んで奪還を図った。
達也は反撃を予想し、宿州城の守りを固める一方、5000人の遊撃軍を中心とする兵を周囲の林、丘、村、街道へ分散して伏せた。
金軍が宿州を包囲し、警戒を緩めるまで3日間待つ。
4日目の夜、城壁から火矢3本を合図として伏兵を一斉に動かした。
宋軍は金軍の兵糧を焼き、軍馬を追い散らし、伝令を遮断し、徐州へ戻る街道を押さえた。
同時に達也は宿州城から4000人を率いて打って出る。
各所から宋軍が現れ、本営の大旗まで倒れたことで金軍の指揮は崩壊した。
約2万人の金軍は部隊ごとに散り散りとなり、北へ敗走した。
達也はそこで軍を止めず、騎兵を先頭に追撃した。
敗走軍に立て直す時間を与えず、徐州まで追い込む。
宿州での大敗を知った徐州城内では金軍と役人が相次いで北へ逃げ、残った者は南宋軍へ降伏した。
達也は徐州を占領し、金の旗を降ろして宋の旗を掲げた。
宿州に続いて徐州まで奪回したのである。
皇帝趙擴は、宿州防衛の命令を越えて徐州まで取った達也を処罰せず、その戦功を大いに賞した。
蒙古軍2106人の全滅、宿州奪還、金軍約2万人の撃破、徐州奪還という一連の勝利は南宋各地の軍へ伝えられた。
長く金に押され続けてきた宋軍にとって、その意味は大きかった。
金軍を恐れて守るだけだった兵たちは、自分たちも北へ進み、金の大軍を破って領土を取り返せると考え始めた。
達也は徐州で軍を止め、宿州から徐州までの新領土を固めたうえで、次に金軍が来れば再び叩き、その機会にさらに北へ進む方針を固めた。




