第1話(前編2)――「死ぬ前に連れてこい」
1123年6月下旬。
清河県の桑畑から、自然修復した時間移動用リモコンを取り戻した崔麗華は、3人の子どもを連れて別の時代へ逃げようとしていた。
しかし平西王倉達也は麗華の単独行動を監視し、先に2人の皇子と1人の皇女を王府へ移した。
開封へ戻った麗華の前に現れた達也は、11年前に桑畑へ埋めた物まで知っていた。
麗華はここで初めて、達也が自分の本当の過去まで知っていることを悟る。
(1123年6月下旬、開封府・宿舎)
「探し物は、無事に見つかったようだな」
倉達也は椅子に座ったまま言った。
崔麗華は立ったまま答えなかった。
右手は衣の内側にある。
その先には、清河県の桑畑から掘り出したリモコンがあった。
「何のことでございますか」
「まだ続けるのか」
「王様がおっしゃっている意味が分かりません」
「なら、俺から話してやる」
達也は麗華を見た。
「お前は、この時代の人間じゃない」
麗華の指が止まった。
達也は続けた。
「北宋へ来る前、お前はフランス女だった」
麗華の顔色が変わった。
達也は見逃さなかった。
「ようやく分かったか。俺がどこまで知っているか」
「誰から……」
麗華はそこで言葉を止めた。
「誰から聞いたか知りたいか」
達也は椅子から立った。
「鳴海修司という男を覚えているだろう」
麗華の顔が強張った。
今度は隠せなかった。
達也は麗華の前まで歩いた。
「34歳。元銀行員。ホーチミンでお前と暮らしていた男だ」
「……」
「お前は鳴海に生命保険を掛けた。そして、あいつを高層ビルのベランダから落として殺した」
「なぜ、それを……」
「鳴海本人が話した」
麗華が目を見開いた。
「本人?」
「ああ。死んだあとも、殺された部屋から離れられなかった。地縛霊になってな」
麗華はしばらく何も言えなかった。
「そんな……」
「信じる必要はない。俺にとっては、もう確認の済んだ話だ」
達也は卓へ戻った。
「もう1人いる」
麗華が達也を見た。
「倉田佑馬」
達也の声が変わった。
「俺の父親だ」
麗華は黙った。
「お前が関わっていた地面師の一味に騙された。父さんは倉田開発㈱の資本金1億円を土地代として振り込み、それを全部失った」
達也は麗華から目をそらさなかった。
「尚人さんの承認も取らず、周りにも相談しなかった。それは父さん自身の失敗だ。そこまでお前のせいにするつもりはない」
麗華は何も言わない。
「だが、父さんを騙した連中の中に、お前がいた」
「……」
「父さんは責任を1人で背負い、自分で死んだ」
部屋が静かになった。
麗華はようやく口を開いた。
「それで、私を殺すのですか」
達也は首を横に振った。
「殺すだけなら、こんな話はしない」
「では、子どもたちを人質にして、何をさせるつもりですか」
「その言い方でいい」
達也はあっさり認めた。
「3人は俺のところにいる。逃げられないようにするためだ」
麗華の目に怒りが浮かんだ。
「子どもたちは何もしておりません」
「知っている。だから何もさせていない。食事も与えているし、怖がらせてもいない」
「返してください」
「まだ駄目だ」
「王様」
「俺の話を最後まで聞け」
麗華は唇を閉じた。
達也は卓の上へ両手を置いた。
「お前が持っているリモコンは、時間と場所を指定できる。それだけじゃない。肉体の年齢まで指定できる」
麗華は完全に黙った。
「そこまで知っているのですね」
「ああ」
「誰が教えたのですか」
「尚人さんだ」
麗華は目を細めた。
「早乙女尚人……」
「覚えているようだな」
「忘れるはずがありません」
「なら話が早い」
達也は言った。
「俺は北宋へ来る前に、お前が生きていると知った。鳴海が尚人さんへ知らせたからだ」
「鳴海が?」
「お前はヴェスヴィオ火山の溶岩へ落ちて死んだと思われていた。だが、死ぬ直前にリモコンを使って逃げた」
麗華の目が動いた。
「それで北宋へ来た」
「……そうです」
麗華は初めて認めた。
「1112年4月15日です」
「清河県の桑畑だな」
「はい」
「そこでリモコンが壊れた」
「はい」
「それを埋めた」
「はい」
「今日までな」
麗華は衣の内側から右手を出した。
「そこまで分かっているなら、もう隠しても意味はありません」
「そういうことだ」
「子どもたちをどうするつもりですか」
「お前次第だ」
麗華は達也を見た。
「何をすればよいのですか」
達也はすぐには答えなかった。
麗華が自分から尋ねるまで待っていた。
「2人、連れてきてもらう」
「誰をですか」
「鳴海修司と、俺の父親だ」
麗華は目を見開いた。
「死んだ人間を?」
「死んだあとから連れてこいとは言っていない」
達也は答えた。
「死ぬ前へ行け」
麗華は達也を見つめた。
「時間を戻すのですか」
「お前ならできるだろう」
麗華は衣の中のリモコンへ手を当てた。
確かにできる。
年月日を指定する機能は戻っている。
場所も指定できる。
年齢指定も使える。
「まず父さんだ」
達也は言った。
「1986年の横須賀へ行け。父さんが自殺する前だ」
「いつの時点へ行けばよいのですか」
「地面師に騙されたあとでもいい。だが、死ぬ前だ」
「騙される前ではなく?」
「どちらでも構わない」
麗華は少し考えた。
達也は続けた。
「俺が欲しいのは、金じゃない」
麗華が顔を上げた。
「父さん本人だ」
達也の声は落ち着いていた。
「1億円を失っていても構わない。地面師に騙されたことも、そのままでいい。自分で死ぬ前に、お前が父さんのところへ行け」
「私が何と説明するのですか」
「何でもいい。俺が生きていると言え。俺が待っていると言え」
達也は麗華を見た。
「信じなければ、リモコンを見せてもいい」
「それでも来なければ?」
「連れてこい」
「無理にでも?」
「ああ」
麗華は達也の顔を見た。
「王様のお父上なのですよ」
「だからだ」
達也は迷わなかった。
「死なせるよりはいい」
麗華は返す言葉を失った。
「開封へ連れてくれば、あとは俺が話す」
「この時代で暮らさせるのですか」
「本人が望めばな」
達也は続けた。
「仕事もある」
「何をさせるつもりですか」
「それは父さんを連れてきてから決める」
達也は少し笑った。
「土地と商売で失敗した男だからといって、使えないわけじゃない。失敗したから分かることもある」
麗華は達也を見た。
父を失った恨みだけで話している男ではなかった。
生き返らせるのではない。
死ぬ前に拾い上げ、そのあと働かせようとしている。
達也はすでに、父親をこの国の人材として見ていた。
「もう1人は鳴海だ」
達也が言った。
麗華の表情が再び硬くなった。
「2026年のホーチミンへ行け」
「……」
「お前が鳴海を殺す前だ」
麗華は目を伏せた。
「できるな」
「できます」
「鳴海を殺すな」
達也ははっきり言った。
「生きたまま連れてこい」
「鳴海が私について来ると思いますか」
「そこはお前が考えろ」
「簡単におっしゃいますね」
「簡単だからお前に頼むんじゃない」
麗華が顔を上げた。
「難しいからお前にやらせる」
達也は椅子へ座った。
「鳴海はお前と暮らしていた。お前なら、あいつがどこにいるか分かる。どう話せば動くかも知っている」
「私が殺そうとしたことも知られています」
「殺す前へ行くんだ。まだ鳴海は死んでいない」
「それでも私が何を考えていたかは、私が知っています」
「だから何だ」
達也は気にしなかった。
「今度は殺さなければいい」
麗華は言葉を失った。
達也は本当にそれだけのことだと思っている。
「連れてきた鳴海を、どうするおつもりですか」
「使う」
「何に?」
「元銀行員だろう」
達也は即答した。
「金を扱える。帳簿も読める。銀行の仕組みも知っている」
麗華は達也を見た。
「この時代に銀行はありません」
「だから使えるんだ」
「……」
「これから作るものを、昔から知っている奴に任せるより早い」
麗華は返事をしなかった。
「金の出し入れ、貸し借り、信用、帳簿、遠方への送金。国が大きくなれば全部必要になる」
達也は言った。
「鳴海にはやらせる仕事がいくらでもある」
「私が殺した男を、王様の国で働かせるのですか」
「ああ」
「私と顔を合わせることになります」
「嫌なら別の役所へ置く」
「そういう問題ではありません」
「俺にとってはそういう問題だ」
達也はそこで話を切った。
麗華は達也を見つめた。
この男は、人を恨みだけで見ていない。
父を死なせた事件も、鳴海の殺害も忘れてはいない。
それでも、死者を取り戻せるなら取り戻し、その能力を使う。
麗華自身についても同じなのだと、ようやく分かり始めた。
「2人を連れてきたら」
麗華が尋ねた。
「私をどうするのですか」
「罪は許す」
達也は言った。
麗華の目が動いた。
「本当に?」
「ああ」
「私がしてきたことを、すべてですか」
「この件で俺が追うことはやめる」
「鳴海を殺したことも?」
「ああ」
「あなたのお父上を死へ追い込んだ一味にいたことも?」
「ああ」
「なぜですか」
「2人とも生きて戻るからだ」
達也は言った。
「死んだままなら話は別だ。だが、お前が2人を死ぬ前の時点から連れてきて、俺の前へ立たせるなら、俺が欲しかったものは戻る」
「それだけですか」
「それだけじゃない」
達也は麗華を見た。
「お前が使えるからだ」
麗華は黙った。
「1112年に15歳の姿でこの時代へ来た」
達也は指を1本立てた。
「言葉も分からなかった」
もう1本立てる。
「それでも清河県で商売を始めた」
さらに続けた。
「華宝舗を作り、金を稼ぎ、崔家へ入り、後宮へ入った」
麗華は何も言わなかった。
「女官から皇后まで上がった」
達也は麗華をまっすぐ見た。
「北宋が滅びても、3人の子どもを連れて生き残った」
「王様は、私を褒めているのですか」
「評価している」
達也は答えた。
「褒める必要はない」
麗華はわずかに眉を動かした。
「お前は悪党だ」
「王様に言われたくありません」
達也は笑った。
「そこは否定しない」
麗華も一瞬だけ口元を緩めた。
すぐに表情を戻した。
達也は続けた。
「だが、悪党だから使えないとは思わない」
「私を使うのですか」
「ああ」
「何に?」
「開封だ」
麗華は聞き返した。
「開封?」
「俺は近いうちに皇帝になる」
達也は当然のことのように言った。
「その時、お前には太后の身分を与える」
麗華は達也を見た。
「私を太后に?」
「ああ」
「あなたの皇后ではなく?」
「違う」
「側室でもなく?」
「違う」
「では、何のための太后ですか」
「北宋を継いだ者たちをまとめるためだ」
麗華は黙った。
「お前は旧北宋皇帝の皇后だった。2人の皇子と1人の皇女の母でもある。その身分は消さない」
「……」
「お前を辱めて俺の女にする必要もない。そんなことをしても役には立たん」
達也は続けた。
「太后として残す」
麗華はようやく言った。
「名だけの太后ですか」
「違う」
達也は即答した。
「開封知府をやれ」
麗華は本当に驚いた。
「私が?」
「ああ」
「開封知府を?」
「そうだ」
「女ですよ」
「知っている」
「旧北宋の皇后です」
「それも知っている」
「あなたがこれから皇帝になる国で、旧北宋の皇后だった女を太后にして、そのうえ開封知府にするのですか」
「そう言っている」
麗華はしばらく達也の顔を見た。
冗談ではない。
達也の表情は変わらなかった。
「なぜ私なのですか」
「さっき言っただろう」
達也は卓を指で軽く叩いた。
「お前は使える」
「それだけで?」
「それで十分だ」
達也は続けた。
「開封は大きすぎる。役人だけ見ていても治まらん。商人、職人、女、宮中にいた者、旧北宋の役人、地方から来た者。全部がいる」
麗華は黙って聞いた。
「お前は商売を知っている」
「はい」
「帳簿も読める」
「はい」
「宮中も知っている」
「知っています」
「役人の動きも分かる」
「分かります」
「貧しいところから皇后まで上がった」
達也は言った。
「なら、開封を見るにはちょうどいい」
麗華はゆっくり息を吐いた。
「王様は、私を許す代わりに飼うつもりなのですね」
「働かせるつもりだ」
「同じことではありませんか」
「全然違う」
達也は笑った。
「飼うだけなら飯を食わせて部屋に置けばいい。開封知府にしたら、朝から晩まで働くことになるぞ」
麗華は思わず達也を見た。
「それが恩赦ですか」
「嫌なら太后だけでもいい」
「いいえ」
麗華はすぐに答えた。
「やります」
今度は達也が少し驚いた。
「即答だな」
「何もしない太后など退屈です」
「やはりお前はそういう女か」
「王様も、そういう女だから使うのでしょう」
「その通りだ」
2人はしばらく黙って向かい合った。
麗華はようやく理解した。
達也は自分を軽蔑していない。
許してもいない。
まだ何も終わってはいない。
だが、自分が何をしてきた人間であるかを全部知ったうえで、その能力だけは高く買っている。
皇后まで上ったこと。
商売をしたこと。
人を動かしてきたこと。
北宋滅亡の中で3人の子どもを守ったこと。
そのすべてを見て、殺すより使う方が得だと判断している。
麗華には、その考え方がよく分かった。
自分も同じだからである。
「条件を確認します」
麗華が言った。
「言え」
「佑馬さんを、自ら命を絶つ前に1986年の横須賀から連れてくる」
「ああ」
「鳴海修司を、私が殺す前の2026年のホーチミンから連れてくる」
「ああ」
「2人とも生きたまま、この開封へ連れてくる」
「そうだ」
「2人を無事に王様の前へ連れてきたら、私の罪は問わない」
「約束する」
「3人の子どもも返していただく」
「返す」
「私が逃げないと分かれば?」
「その時点で返してもいい」
麗華は続けた。
「その後、王様が皇帝になった時、私は太后になる」
「ああ」
「そして開封知府に任命される」
「ああ」
麗華は最後の条件を待った。
達也が言った。
「ただし、2人を連れて戻ったら、リモコンは俺へ渡せ」
麗華の顔がわずかに変わった。
「やはり、それもですか」
「当然だ」
「私には残さない?」
「残さない」
「二度と時間移動するなと?」
「俺の許可なしではな」
麗華は衣の内側へ手を入れた。
リモコンを取り出した。
黒い筐体が掌の上に載った。
11年間、桑畑の土の中へ埋まっていた物である。
麗華はそれを見てから、達也へ向けた。
「今、渡しましょうか」
達也は首を横に振った。
「まだだ」
「なぜですか」
「お前が使う」
「信用するのですか」
「子どもは俺が預かっている」
麗華は苦い顔をした。
「やはり人質ではありませんか」
「最初からそう言っている」
達也は悪びれなかった。
「それに、お前が本当に逃げたいなら、今ここでリモコンを使って逃げればいい」
麗華はリモコンを見た。
達也は動かない。
護衛を呼ぶこともしない。
「使わないのですか」
達也が尋ねた。
麗華はしばらく黙っていた。
そしてリモコンを衣の内側へ戻した。
「使いません」
「なぜだ」
「3人を置いて行けません」
「それだけか」
麗華は達也を見た。
「もう1つあります」
「何だ」
「あなたの条件は、悪くありません」
達也が笑った。
「そう思うか」
「鳴海を生かせる。佑馬さんも生かせる。私の子どもたちも生きられる。そのうえ私は太后になり、開封知府になる」
麗華は言った。
「逃げるより得です」
達也は満足そうに頷いた。
「そういう答えをすると思っていた」
「だから私を殺さなかったのですね」
「ああ」
「王様」
「何だ」
「私はあなたが嫌いです」
「構わん」
「かなり嫌いです」
「それも構わん」
「ですが、あなたの下で働くのは面白そうです」
達也は笑った。
「それで十分だ」
麗華は深く頭を下げた。
「承知しました」
達也は笑みを消した。
「では行ってこい」
「先にどちらへ?」
「父さんだ」
答えは早かった。
「まず父さんを連れてこい」
「分かりました」
「そのあと鳴海だ」
「はい」
麗華は部屋を出ようとして、足を止めた。
「王様」
「何だ」
「2人とも、私の顔を見て素直について来るとは思えません」
「分かっている」
「多少、乱暴なことをしても?」
「生きて連れてくるなら構わん」
麗華は頷いた。
「では、そうします」
「麗華」
達也が呼び止めた。
麗華が振り返る。
「逃げるなよ」
「子どもたちがいるから?」
「それもある」
達也は言った。
「だが、お前自身も分かっているだろう」
「何をですか」
「ここへ戻った方が、お前には面白い」
麗華は少し黙った。
やがて笑った。
「そうかもしれません」
麗華は部屋を出た。
衣の内側には、11年ぶりに動き始めたリモコンがある。
これまで麗華は、その装置を逃げるために使ってきた。
今度は違う。
死んだはずの2人を、死ぬ前の時間から拾い上げる。
1人は達也の父、倉田佑馬。
もう1人は、自分が殺した鳴海修司。
2人を生きたまま開封へ連れてくれば、自分の過去には決着がつく。
そして、その先には太后という身分と、開封知府という仕事が待っている。
達也は麗華を許したわけではない。
使う価値があると判断したのである。
麗華にとっては、その方が分かりやすかった。
1123年6月下旬、達也は麗華に本当の正体を知っていると告げた。
達也が求めたのは、麗華の処刑ではなかった。
麗華が持つ時間移動用リモコンを使い、1986年の横須賀で自殺する前の父・倉田佑馬と、2026年のホーチミンで麗華に殺される前の鳴海修司を救い出し、生きたまま開封へ連れてくることである。
2人が無事に開封へ来れば、達也は麗華の過去の罪を問わないと約束した。
さらに達也は、皇帝となった後、麗華へ太后の身分を与えるだけでなく、開封知府に任命すると告げた。
それは恩情だけではない。
15歳の姿で北宋へ来た麗華が、言葉も分からない状態から商売を始め、後宮へ入り、最後には皇后まで上った能力を、達也が高く評価しているからである。
麗華もまた、ただ守られる太后ではなく、開封を治める仕事を選んだ。
条件は決まった。
最初に救うのは、達也の父・倉田佑馬である。




