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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第2話(前編2)――「通じない言葉」

 (1896年10月、香港・直樹商会本邸)


 達也の1日は、日の出前から始まった。起床すると顔を洗い、本邸の庭を30分走る。朝食を終えたあと、午前7時までに東側の客間へ入った。


 室内には卓が2つ置かれている。一方には紙、筆、硯、経書が並び、もう一方には茶碗、銅銭、布、薬包、宿帳を模した帳面が用意されていた。


 書物を読んで言葉を覚えるだけでは、北宋で暮らせない。市場で品物を買い、宿で部屋を借り、役人から名や出身地を尋ねられた時には、その場で相手の言葉を聞き取り、通じる言葉で答えなければならない。


 話し言葉を教えるのは、山東省出身の趙文徳(ジャオ・ウェンドー)である。46歳で、香港の商館に勤めながら北方から来た商人の通訳も務めていた。


 尚人は達也を直樹商会で働く日本人として紹介し、今後、中国各地へ出向くために北方の話し言葉と読み書きを学ばせたいと説明していた。北宋へ渡る目的も、時間移動の仕組みも、フランス女のことも話していない。


 文徳は布袋から銅銭を取り出し、卓上に10枚並べた。


「まず、これが何か答えてみろ。それから枚数を数えろ」


「銭です。10枚あります」


 前日に習った言葉で答えた達也に、文徳は眉を寄せた。


「数は合っている。しかし、今の発音では10と聞こえない。舌を奥へ引きすぎている」


 文徳は自分の口元を示しながら発音してみせた。達也の耳にも違いは分かる。しかし、自分の口で再現しようとすると別の音になった。


 5回目でようやく文徳が先へ進み、今度は銅銭を1枚ずつ横へ動かしながら数えた。達也には途中の数字が似た音に聞こえ、順番を知っているから判別できるにすぎない。


「今、私が何と言ったか分かるか」


「数を順番に読みました。ただ、途中の音はまだ聞き分けられません。紙に書かれた字なら分かるのですが」


「字を見て分かることと、耳で聞いて分かることは別だ。市場の商人は、お前が理解するまで紙に書いてはくれないぞ」


 文徳は銅銭を布袋へ戻すと、折り畳んだ布を卓上へ置いた。


「今度は私を商人だと思って、この布を買ってみろ」


 達也が値段を尋ねると、すぐに発音を止められた。口の開き方を直せば別の音が崩れ、声の上げ下げを意識すると、先ほど直した発音が元へ戻る。


 ようやく値段を尋ねられるようになると、文徳は商人になりきって淀みなく金額を答えた。


 達也には数字が聞き取れなかった。


「もう一度お願いします。できれば、少し遅く話してください」


「市場なら頼んでもよい。しかし、役人から名や出身地を尋ねられた時に、何度も聞き返していれば疑われるぞ」


 達也は布へ目を落とした。


 1896年の山東で使われている言葉と、1112年の北宋で話されていた言葉は同じではない。文徳の発音を覚えたところで、そのまま北宋で通じる保証もなかった。


 それでも、まず中国語の音を聞き分け、耳で聞いた問いに答えられるようにならなければ、780年以上前の言葉へ近づくこともできない。


 文徳は宿帳を模した帳面を開いた。


「次は宿だ。お前は日が暮れてから町へ入った旅人、私は宿の主人だ。部屋を借りてみろ」


 達也は荷物を持って入口へ立つところから始めた。挨拶をして1晩泊まりたいと申し出ると、文徳は宿の主人として、名、出身地、同行者の有無、荷物の数、滞在の目的を続けて尋ねた。


 3つ目の問いで、達也の返事が止まった。


「今の質問が分からなかったか」


「荷物について聞かれたと思いました」


「私は、どこから来たのかと聞いたんだ」


 出身地と荷物では、答える内容がまるで違う。実際の宿で同じ間違いをすれば、尋ねられてもいない荷物について突然説明を始めることになる。


「もう一度、最初からお願いします」


「いや、今日はここまでだ。耳が疲れている。今の状態で同じ問答を続けても、間違った音を覚えるだけだ」


 文徳は帳面を閉じ、今朝聞かれた内容と、答えられなかった箇所を午後に書き出すよう命じた。


 達也が「分かりました」と答えると、文徳はすぐに念を押した。


「分かったと言うだけでは駄目だ。私が何を命じたのか、自分の言葉で言ってみろ」


「宿で尋ねられた内容と、自分が答えられなかった箇所を午後に書き出します」


「それでよい」


 達也は席を立ち、文徳を玄関まで見送った。


 授業を始めて4日が過ぎていた。それでも達也は、相手に怪しまれず宿を取ることさえできなかった。


 ◇ ◇ ◇


 午前9時からは、経書と文章の授業である。


 教師の沈克明(シェン・クーミン)は58歳で、広東の書院で長く教えてきた。科挙を受けた経験はあるが、官職には就いていない。宋代の学問を研究している日本人に、経書と文章の基礎を教えてほしいと頼んであった。


 克明は達也が前日に書いた文章を読むと、筆を取り、次々に朱を入れた。1枚の紙に付けられた直しは20か所を超えた。


 問題は字形だけではない。語の使い方や並べ方、文の組み立てにも誤りがある。日本語として意味の通る漢字を並べても、中国の読書人が書く文章にはならなかった。


「何を伝えたいのかは分かる。しかし、これでは試験の答案にならない。読み手に考えさせるのではなく、何を問い、何を根拠に、どの順序で論じるのかを明らかにしろ」


 克明は朱で埋まった紙を返すと、『論語』を開いて1節を示した。


「今日はこれを50回書き写せ。文の形を覚えたあと、自分の言葉で意味を書く」


「50回ですか」


「文章の型が身についていなければ、内容を考えながら語の並べ方まで迷う。試験には時間の限りがある」


 達也は筆を取ったが、1行目を書き終える前に止められた。


「その字では読み手が迷う。書き直せ」


 克明は書法を専門に教える教師ではない。それでも、答案として読めない文字を見過ごすことはなかった。


 達也は新しい紙へ書き直した。墨を多く含ませれば線がにじみ、少なければ筆先がかすれる。字形を整えようとすると時間がかかり、急げば左右の釣り合いが崩れた。


 10回を過ぎるころには、右手の指がこわばり始めた。


 克明は最初の紙と最後に書いた紙を並べた。


「少しは読みやすくなった。ただし、大きさも傾きもそろっていない。試験では何時間も書き続ける。最初の数行だけ整っていても意味はないぞ」


「最後まで読める字を書き続ける必要があるのですね」


「そうだ。書法そのものは午後の教師に習え。私は、読み手が内容を誤らない字で書けているかを見る」


 克明は経書を閉じ、別の用紙を出した。


「次は策を考える。ある土地で洪水が起きたとしよう。被害を減らし、民を救う方法を問われたら何を書く」


「堤防を造り、水路を整備し、被災者へ食料を配ります」


「では、誰が堤防を造り、費用はどこから出す。働く者には何を与え、食料はどこから運ぶ。田畑を失った民はどうする」


 達也は答えられなかった。


 堤防を強くする方法や水を逃がす仕組みを知っていても、それだけでは北宋の政策にならない。役所が動かせる人員、税、倉、船、道路を知らなければ、実行できる策にはならなかった。


「正しいことを並べるだけでは、策とは呼べない。制度や費用だけでも足りないぞ。例えば米を1,000石送れと命じたあと、地方の官吏が途中で半分をごまかしたらどうする。誰が調べ、誰を罰し、その間に残された民をどう救うのか。そこまで考えて初めて策になる」


「分かりました。もう一度考えます」


「今日は答えまで書かなくてよい。策に必要な項目を挙げろ。知らない制度は調べてから書けばいい」


 課題として出されたのは、戸籍、租税、倉、運河、役夫の集め方、地方官の権限だった。


 達也はフランス女を捜すため、北宋の学校へ入り、官吏となる道を考えている。しかし、試験に通るだけでは足りない。洪水や飢饉に苦しむ民を前にした時、未来の知識を並べるだけでは人を救えない。その時代の役所と人員で実行できる方法へ組み直す必要があった。


 ◇ ◇ ◇


 昼食後、達也は本邸の書庫へ入った。


 卓上には1986年と2026年から集めた宋代史の資料が積まれ、学校制度、官制、貨幣、物価、戸籍、租税、都市生活、交通、医療、服装、食事に分けて整理されていた。


 現代の研究書をそのまま北宋へ持ち込むことはできない。紙、印刷、製本の違いを調べられれば、出所を説明できなくなる。出発前に読み、覚え切れない事柄だけを、北宋へ持ち込んでも不審に見えない形へ直す必要があった。


 達也は克明から出された洪水対策の課題を調べ始めた。黄河の流路、堤防工事、漕運、常平倉、義倉、役夫の動員。名称だけを覚えても策は書けない。1112年には存在しない制度を書けば、未来の知識を持つ者と疑われる以前に、その時代の仕組みすら知らない受験者として退けられる。


 1時間ほど調べたところで、用紙には答えよりも、これから調べるべき項目の方が多く並んでいた。


 そこへ尚人が入ってきた。


「ずいぶん増えたな。勉強は進んでいるのか」


「進んでいるとは言いにくいですね。調べるほど、分からないことが増えています。今朝は宿へ泊まる練習をしましたが、出身地を聞かれたのに荷物について答えそうになりました」


「北宋なら、宿の主人に怪しまれる程度では済まない場合もあるな」


「役人の前で同じ間違いをすれば、身元を詳しく調べられるかもしれません」


 尚人は卓上に置かれた朱だらけの紙を手に取った。


「こちらも派手に直されたものだな」


「昨日書いた文章です。字だけではなく、文の組み立ても直されました。日本語の漢字を知っていることと、中国の読書人が使う文章を書けることは別でした」


 卓の端には、4日間でたまった書き損じが積まれている。達也はそれも捨てず、半年後の答案と比べるつもりだった。


 尚人は書類箱を開き、薄い冊子を取り出した。


「2026年から届いた。宋代の音韻に関する研究資料だ。当時の発音を完全に再現したものではないが、韻書と現代の方言を比較している」


「今すぐ手を出すのはやめておきます。まず文徳先生の言葉を聞き取れるようになってから、宋代の音との違いを学びます」


「それがいい。一度に手を広げすぎるな。経書と文章に加えて、書法、礼法、体力もある」


「どれも省けませんから、順番にやります」


 尚人は少し黙ってから尋ねた。


「女を早く追いたいとは思わないのか」


 達也は朱の入った文章を差し出した。


「今の僕が北宋へ渡っても、女を追うところまでたどり着けません。宿へ入るだけで疑われ、役所の文書も読めず、学校へ入るための文章も書けない。10トン車の荷物を決める前に、僕自身が北宋で暮らせるようになる必要があります」


「こちらで1年勉強したからといって、女に1年の猶予を与えるわけではないからな」


「はい。移動する年月は決められます。だから、準備を省いて出発する理由はありません」


 時間移動先の年月と場所は設定できる。達也が1896年側で1年学んでも、フランス女が北宋へ着いてから1年後へ移動する必要はない。


 ただし、女が1112年のどこへ着いたのかは分かっていない。同じ場所へ直接追うことはできなかった。


 達也の到着場所については、10トン車が現れても人目につきにくく、北宋の町や街道へ移動できる土地を調べてから決める。女の到着から何日、あるいは何か月遅れて入るのかも、準備が整った段階で判断する予定だった。


 尚人は卓上の予定表を見た。


「午後は書法と礼法だったな」


「その前に洪水対策の課題を調べます。書法を2時間、そのあと礼法を習い、夕方に走り込みと護身訓練です。夜は朝の問答を書き直します」


「睡眠だけは削るなよ」


「8時間は寝ています」


「なら続けろ。4日で結果を求める必要はない。疲れて覚えられなくなれば、勉強時間を増やしても意味がない」


 尚人が書庫を出ていったあと、達也は渡された音韻資料を今日読む本の山には加えなかった。


 文徳の言葉さえ聞き分けられないまま宋代の音まで覚えようとすれば、どちらも曖昧になる。まず目の前の課題を終わらせることにした。


 ◇ ◇ ◇


 午後1時半から、書法の授業が始まった。


 教師は、広州で書状や帳簿の代書もしている52歳の陳伯謙(チェン・ボーチェン)である。北宋の書風をそのまま教えられるわけではないが、筆を正しく扱い、長時間書いても崩れない字を書くための基礎を担当していた。


 伯謙は達也が午前中に書いた『論語』の紙を並べた。


「最初の字は慎重すぎて線が重い。後半は急ぎすぎて形が崩れている。途中から手が動かなくなったのだろう」


「そのとおりです」


「指だけで筆を動かしているからだ。まず姿勢から直そう」


 達也は椅子を離れて卓の前に立ち、足の位置、背筋、肘の高さを整えた。


「筆を立てろ。指先だけで線を引かず、腕を使って運ぶ」


 言われたとおり横線を書くと、今度は力を入れすぎだと指摘された。力を抜けば筆が浮く。墨を含ませすぎれば字がにじみ、少なければ途中でかすれる。筆先を整えずに書き始めれば、最初の一画から線が割れた。


 同じ文字を20回書いたところで、達也の肩と前腕に痛みが出た。


 伯謙は最初と最後の紙を見比べた。


「形は少し整った。しかし、疲れると右へ傾く癖がある。手元だけを見るな。1文字ごとに中心を確かめろ。北宋の書家と競う必要はないが、読む者が迷わず、最後まで崩れない字を書かなければならない」


 達也は再び筆を取った。


 授業が終わるころには、右手の指に墨が付き、肩には走ったあとのような重さが残っていた。


 ◇ ◇ ◇


 午後3時半からは礼法の授業である。


 教師の梁秀英(リャン・シウイン)は41歳で、広州の商家に生まれ、夫を亡くしたあとは商家の子女へ読み書きや礼法を教えていた。


 秀英は客間へ入ると、達也の座っている位置を見て足を止めた。


「客を迎える者が、なぜそこへ座っているのですか」


「入口に近い方が迎えやすいと思ったのですが」


「そこへ客を座らせれば、客は入口へ背を向けます。上座と下座を、入口までの距離だけで決めてはいけません」


 達也が席を直すと、今度は卓上の茶葉を贈物として渡すよう指示された。


 達也は包みを両手で差し出したが、秀英は受け取らない。


「何のための贈物ですか。初めて訪ねる家への手土産なのか、世話になった礼なのか、祝いなのか、詫びなのか。それによって言葉も差し出す時も変わります」


「初めて訪ねる家への手土産ということにします」


「では、部屋の外からやり直してください」


 達也は廊下へ出た。扉の前で訪問を告げ、招かれてから室内へ入り、勧められた席へ進む。挨拶を済ませてから茶葉を差し出した。


 秀英は今回も一度は受け取らなかった。達也が茶葉を引こうとすると、その手を止める。


「目上の者から一度断られたからといって、すぐに引っ込めてはいけません。礼を重ねてもう一度勧め、それでも受け取らなければ引きます。言葉だけでなく、相手の表情と手の動きも見なさい」


 授業では、訪問、着席、茶の受け方、食事を勧められた時の応じ方、辞去の告げ方を繰り返した。


 1896年の清国で行われている礼法が、そのまま北宋で通用するわけではない。それでも、相手の年齢や立場を考え、勧められる前に勝手な行動を取らないという基本は身につけておく必要があった。


 休憩に入ると、秀英は茶を入れながら尋ねた。


「日本人の商館員が、なぜ宋代の礼法まで学ぶのですか。商売へ直接役立つものでもないでしょう」


「宋代の社会と学問を研究しています。書物だけでは分からないことが多いので、今の礼法を学び、古い記録と比べたいのです。利益を得るためではありませんが、僕には必要な勉強です」


 秀英はそれ以上尋ねなかった。達也も余計な説明はしなかった。


 片道式リモコンを使い、10トン車とともに北宋へ渡ることは話せない。時間移動が終わればリモコンは1896年の出発地点に残り、北宋へ着いた達也は自分の意思で戻れない。


 それは教師たちが知る必要のない秘密だった。


 ◇ ◇ ◇


 日が沈む前、達也は15キログラムの背負い袋を背負って庭へ出た。中には水、乾パン、衣類、薬を入れてある。


 北宋へ到着したあとも10トン車を隠し、そこから物資を運べるなら、すぐに背負い袋だけで逃げる必要はない。しかし、車がぬかるみにはまる、道幅が足りない、人に見つかるといった事態には備えておかなければならなかった。


 達也は庭を10周してから石段を上り下りした。


 5往復を過ぎるころには呼吸が乱れ、肩紐が鎖骨へ食い込んだ。背中と袋の間に汗がたまり、10往復を終えた時には足の裏が熱を持ち、ふくらはぎが張っていた。


 続く護身訓練では、袋を背負ったまま横から押されても倒れずに踏みとどまれるかを試した。


 荷物の重みで上体が後ろへ引かれ、身軽な時と同じように向きを変えようとすると足が遅れる。倒れないことへ意識を取られれば、相手から距離を取るのも遅くなった。


 北宋へ着いた時、平らな庭や乾いた道を歩けるとは限らない。雨にぬれた山道、耕した畑、石の多い河原へ車ごと出る可能性もある。そのため翌日からは、庭だけでなく砂地やぬかるんだ斜面でも訓練することになった。


 夕食を終えると、達也は書庫へ戻った。


 まず朝の宿屋で行った問答を書き出した。文徳に直された発音は、カタカナだけでは正確に残せないため、口の開き方、舌の位置、息の出し方まで脇へ記しておく。


 それを終えると、克明から出された洪水対策の課題へ戻った。


 午前中に考えたのは、堤防を造る、水路を整える、被災者へ食料を配るという3つの案だった。しかし、いずれも実行するための仕組みが抜けている。


 達也は新しい紙を広げ、被害を受けた戸数を誰が調べるのか、倉の米を誰の命令で出すのか、輸送に使う船と人夫をどう集めるのかを順に書き出した。さらに、途中で米を抜き取られないために照合する帳簿、堤防工事へ出る者の家族へ食料を渡す方法、田畑を失った者の租税の扱いまで調べる必要がある。


 用紙の左側には北宋の制度について調べる項目を書き、右側には出発までに自分が身につけるべきことをまとめた。


 話し言葉と宋代の発音を学び、経書を読み、文章を書けるようにする。長時間崩れない字を書くための書法と、相手の身分や立場に応じた礼法も必要である。北宋へ渡ったあとには戸籍のない自分の身元を整えなければならず、その前に荷物を背負って移動できる体力もつけなければならない。


 用紙はたちまち文字で埋まった。


 答えは、まだ1つも出ていない。しかし、自分が何を知らず、何ができないのかは、4日前よりはっきりしていた。


 達也は紙の右上へ「1896年10月」と書いた。前編1で初めて自分の名を書いた紙と同じように、この用紙も残す。半年後に最初の試験を受けた時、どこまで課題を減らせたのか確かめるためである。


 10トン車には食料も工具も武器も金銀も積める。


 だが、人の言葉を聞き取る耳も、文章を組み立てる力も、何時間書き続けても崩れない字も、荷台へ積んで運ぶことはできない。


 達也は朝に聞き取れなかった宿屋の問いを、もう一度声に出した。最初は発音が崩れたため、口と舌の位置を直して繰り返す。


 1112年へ向かう準備は、持ち込む荷物を選ぶ段階から、達也自身に足りない力を1つずつ身につける段階へ移っていた。

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