第2話(前編2)――「通じない言葉」
北宋へ持ち込む物は、10トン車に積むことができる。
しかし、1112年の人々と話し、文書を読み、学校へ入るための力は、荷台に積んで運べない。
1896年10月、達也は北宋へ渡るための勉強を始めた。
(1896年10月、香港・直樹商会本邸)
達也の1日は、日の出前から始まった。
起床すると顔を洗い、本邸の庭を30分走る。朝食を終えたあと、午前7時までに東側の客間へ入った。
室内には卓が2つ置かれている。一方には紙、筆、硯、経書が並び、もう一方には茶碗、銅銭、布、薬包、宿帳を模した帳面が用意されていた。
書物を読んで言葉を覚えるだけでは、北宋で暮らせない。市場で品物を買い、宿で部屋を借り、役人から名や出身地を尋ねられた時に、その場で聞き取り、相手に通じる言葉で答える必要があった。
話し言葉を教えるのは、山東省出身の趙文徳である。46歳で、香港の商館に勤めながら、北方から来た商人の通訳も務めていた。
尚人は、達也を直樹商会で働く日本人として紹介していた。今後、中国各地へ出向くため、北方の話し言葉と読み書きを学ばせたいと説明している。
北宋へ渡る目的も、時間移動の仕組みも、フランス女のことも話していない。
文徳は布袋から銅銭を取り出し、卓上に10枚並べた。
「これは何だ」
達也は、前日に教わった言葉で答えた。
「銭です」
「何枚ある」
「10枚です」
文徳は眉を寄せた。
「数は合っている。しかし、今の発音では10と聞こえない。もう一度言え」
達也は口の形を意識して言い直した。
「10枚です」
「違う。舌を奥へ引きすぎている」
文徳は自分の口元を示し、同じ言葉を発音した。達也には違いが分かるものの、自分の口で再現しようとすると、別の音になった。
5回目でようやく、文徳が次の課題へ移った。
今度は、銅銭を1枚ずつ横へ動かしながら数えていく。達也の耳には、途中の数が似た音に聞こえ、順番を知っているから判別できるにすぎなかった。
文徳が尋ねた。
「私が今、何と言ったか分かるか」
「数を順番に読みました。ですが、途中の音は聞き分けられませんでした」
「昨日も数え方を教えたはずだ」
「紙に書かれた字なら分かります。聞いただけでは、まだ区別できません」
「字を見て分かることと、耳で聞いて分かることは別だ。市場の商人は、お前が理解するまで紙に書いてはくれない」
文徳は銅銭を布袋へ戻し、折り畳んだ布を卓上へ置いた。
「この布を買え。まず値段を尋ねろ」
達也は客となり、布を買う問答を始めた。
「この布はいくらですか」
文徳はすぐに止めた。
「その発音では、相手が聞き返す。もう一度だ」
達也が同じ言葉を繰り返すと、今度は声の上げ下げを直された。口の開き方を変えると別の音が崩れ、正しいと思った発音も、続けて話せば元へ戻った。
ようやく値段を尋ねられるようになると、文徳は商人になり、淀みなく金額を答えた。
達也は数字を聞き取れなかった。
「もう一度お願いします」
文徳は同じ速さで繰り返した。
「少し遅く話してください」
「市場なら、相手にそう頼むこともできる。しかし、役人から名や出身地を尋ねられた時に、何度も言い直してもらえば疑われるぞ」
達也は、返答の代わりに布へ目を落とした。
1896年の山東で使われている言葉と、1112年の北宋で話されていた言葉は同じではない。文徳の発音を覚えれば、そのまま北宋で通じるわけでもなかった。
それでも、まず中国語の音を聞き分け、耳で聞いた問いに答えられるようにならなければ、780年以上前の言葉へ近づくこともできない。
文徳は宿帳を模した帳面を開いた。
「次は宿だ。お前は日が暮れてから町へ入った旅人で、私は宿の主人である。部屋を借りてみろ」
達也は荷物を持って入口へ立つところから始めた。挨拶をして、1晩泊まりたいと申し出る。
文徳は宿の主人として、達也の名、出身地、同行者の有無、荷物の数、滞在の目的を続けて尋ねた。
達也は3つ目の問いで返答に詰まった。
「今、何を聞かれたか分かるか」
「荷物について尋ねられたと思いました」
「どこから来たのかと聞いた」
出身地と荷物では、返すべき内容がまるで違う。実際の宿で同じ間違いをすれば、達也は尋ねられてもいない荷物の説明を始めることになる。
「もう一度、最初からお願いします」
文徳は帳面を閉じた。
「今日はここまでだ」
「まだ予定の時間が残っています」
「耳が疲れている。今のお前に同じ問答を続けさせても、間違った音を覚えるだけだ。午後に、今朝の問答を自分で書き出せ」
「分かりました」
「分かったと言う前に、私が何を命じたのか答えろ」
「宿で尋ねられた内容と、自分が答えられなかった箇所を午後に書き出します」
「それでよい」
達也は席を立ち、文徳を玄関まで見送った。
授業を始めてから4日が過ぎていた。しかし、達也はまだ、相手に怪しまれず宿を取ることさえできなかった。
◇ ◇ ◇
午前9時からは、経書と文章の授業である。
教師の沈克明は58歳で、広東の書院で長く教えてきた。科挙を受けた経験はあるものの、官職には就いていない。
克明には、宋代の学問を研究している日本人へ、経書と文章の基礎を教えてほしいと頼んでいた。
達也が前日に書いた文章を読むと、克明は筆を取り、次々に朱を入れた。1枚の紙に付けられた直しは、20か所を超えた。
問題は字形だけではない。語の使い方、並べ方、文の組み立てにも誤りがあった。日本語として意味の通る漢字を並べても、中国の読書人が書く文章にはならない。
克明は、朱で埋まった紙を達也の前へ戻した。
「何を伝えたいのかは分かる。しかし、これでは試験の答案にならない」
「意味が伝わるだけでは駄目なのですか」
「読み手に考えさせる文章は、試験では不利になる。何を問い、何を根拠に、どの順序で論じるのかを明らかにしろ」
克明は『論語』を開き、1節を示した。
「今日は、この文を書き写してもらう」
「暗記するのですか」
「まず50回だ。文の形を覚えたあと、自分の言葉で意味を書け」
「50回も必要ですか」
「文章の型が身についていなければ、内容を考えながら語の並べ方まで迷うことになる。試験には時間の限りがある」
達也は筆を取った。
1行目を書き終える前に、克明が止めた。
「その字では読み手が迷う。書き直せ」
克明は書法を専門に教える教師ではない。しかし、答案として読めない文字を、そのまま見過ごすことはなかった。
達也は新しい紙へ書き直した。
墨を多く含ませれば線がにじみ、少なければ筆先がかすれる。字形を整えようとすると時間がかかり、急げば左右の釣り合いが崩れた。
10回を過ぎるころには、右手の指がこわばり始めた。
克明は最初の紙と、最後に書いた紙を並べた。
「少しは読みやすくなった」
「これで、少しですか」
「同じ文字を見比べてみろ。大きさも傾きもそろっていない。試験では何時間も書き続ける。最初だけ整っていても意味はない」
「最後まで読める字を書かなければならないのですね」
「書法は午後の教師に習え。私は、読み手が内容を誤らない字で書けているかを見る」
克明は経書を閉じ、別の用紙を出した。
「次は策を考える。ある土地で洪水が起きた。被害を減らし、民を救う方法を問われたとすれば、何を書く」
「堤防を造り、水路を整備し、被災者へ食料を配ります」
「誰が堤防を造る。費用はどこから出す。働く者へ何を与える。食料はどこから運ぶ。田畑を失った民をどうする」
達也は答えられなかった。
堤防を強くする方法や、水を逃がすための仕組みを知っていても、それだけでは北宋の政策にならない。役所が動かせる人員、税、倉、船、道路を知らなければ、実行できる策は書けなかった。
克明は朱筆の先を白紙へ向けた。
「正しいことを並べるだけでは、策とは呼べない」
「制度と費用まで書く必要があるのですね」
「それだけではない。命令を出したあと、地方の官吏がごまかさない仕組みも要る。米を1,000石送れと書くだけなら誰でもできる。途中で半分が消えた時、誰が調べ、誰を罰し、残された民をどう救うのか。そこまで考えて初めて策になる」
達也は白紙を前へ引き寄せた。
「もう一度考えます」
「今日は答えを書かなくてよい。策に必要な項目を挙げろ。知らない制度は、調べてから書け」
克明は課題として、戸籍、租税、倉、運河、役夫の集め方、地方官の権限を調べるよう命じた。
達也はフランス女を捜すため、北宋の学校へ入り、官吏となる道を考えている。しかし、試験に通ることだけを目的にはできなかった。
洪水や飢饉に苦しむ民を前にした時、未来の知識を並べても人は救えない。その時代の役所と人員で実行できる方法へ組み直す必要があった。
◇ ◇ ◇
昼食後、達也は本邸の書庫へ入った。
卓上には、1986年と2026年から集めた宋代史の資料が積まれている。学校制度、官制、貨幣、物価、戸籍、租税、都市生活、交通、医療、服装、食事に分けて整理してあった。
現代の研究書を、そのまま北宋へ持ち込むことはできない。紙、印刷、製本の違いを調べられれば、出所を説明できなくなるためである。出発前に読み、覚え切れない事柄だけを、持ち込んでも不審に見えない形へ直す必要があった。
達也は、克明から出された洪水対策の課題を調べ始めた。
黄河の流路、堤防工事、漕運、常平倉、義倉、役夫の動員。名称だけを覚えても、策は書けない。
1112年には存在しない制度を書けば、未来の知識を持つ者だと疑われる以前に、その時代の仕組みさえ知らない受験者として退けられる。
1時間後、用紙には答えよりも、調べるべき項目の方が多く並んでいた。
扉が開き、尚人が入ってきた。
「勉強は進んでいるか」
「進んでいるとは言えません。調べるほど、分からないことが増えています」
「朝の話し言葉はどうだった」
「宿へ泊まる練習をしました。出身地を聞かれたのに、荷物について答えそうになりました」
「北宋で同じ間違いをすればどうなる」
「宿の主人に怪しまれます。役人の前なら、身元を詳しく調べられるかもしれません」
尚人は、卓上に置かれた朱だらけの紙を手に取った。
「こちらは何だ」
「昨日書いた文章です。字だけでなく、文の組み立ても直されました」
「日本でも漢字を書いていたのだろう」
「日本語の漢字を知っているだけです。中国の読書人が使う文章とは違います」
尚人は、卓の端に積まれた書き損じへ目を移した。
「始めて4日で、ずいぶん増えたな」
「捨てないことにしました。半年後の答案と比べます」
「半年後には読める字になっているのか」
「最初の試験で確かめます。通用する段階に達していなければ、出発を延ばします」
尚人は書類箱を開き、薄い冊子を取り出した。
「2026年から届いた。宋代の音韻に関する研究資料だ。当時の発音を完全に再現したものではないが、韻書と現代の方言を比べている」
達也は冊子を受け取った。
「文徳先生の言葉を聞き取れるようになってから、こちらも学びます」
「一度に手を広げすぎるな」
「はい。今は、耳で聞いた問いに答えられるようになることを優先します。そのあとで、宋代の音との違いを学びます」
「経書と文章もある。書法、礼法、体力も要るぞ」
「どれも省けません」
「女を早く追いたいとは思わないのか」
達也は、朱の入った文章を尚人へ差し出した。
「今の僕が北宋へ渡っても、女を追うところまでたどり着けません。宿へ入るだけで疑われ、役所の文書も読めず、学校へ入るための文章も書けません。10トン車の荷物を決める前に、僕自身が北宋で暮らせるようになる必要があります」
「お前がこちらで1年勉強しても、女に1年の猶予を与えることにはならない。移動する年月は決められる」
「はい。だから、準備を省いて出発する理由はありません」
時間移動先の年月と場所は設定できる。達也が1896年側で1年学んだとしても、女が北宋へ着いてから1年後へ移動する必要はなかった。
ただし、フランス女が1112年のどこへ着いたのかは判明していない。女の到着地点が分からない以上、同じ場所へ直接追うことはできなかった。
達也の到着場所については、10トン車が現れても人目につかず、北宋の町や街道へ移動できる土地を調べたうえで決めることになっている。女の到着から何日、あるいは何か月遅れて入るかも、準備が整ってから判断する予定であった。
尚人は卓上の予定表を見た。
「午後は何をする」
「洪水対策の課題を調べたあと、書法を2時間習います。その後は礼法で、夕方に走り込みと護身訓練です。夜は、朝の問答を書き直します」
「睡眠は取っているのか」
「8時間は寝ています」
「ならば続けろ。4日で結果を求めるな。疲れて覚えられなくなれば、勉強時間を増やしても意味がない」
尚人は書庫を出ていった。
達也は音韻資料を、今日読む本の山には加えなかった。
文徳の言葉さえ聞き分けられないまま宋代の音まで覚えようとすれば、どちらの発音も曖昧になる。まず、目の前の課題を終わらせる必要があった。
◇ ◇ ◇
午後1時半から、書法の授業が始まった。
教師は、広州で書状や帳簿の代書もしている52歳の陳伯謙である。北宋の書風をそのまま教えられるわけではないが、達也が筆を正しく扱い、長時間にわたって崩れない字を書くための基礎を担当していた。
伯謙は、達也が午前中に書いた『論語』の紙を並べた。
「最初の字は慎重すぎて線が重い。後半は急ぎすぎて形が崩れている。どちらも答案には向かない」
「途中から手が動かなくなりました」
「指だけで筆を動かしているからだ。姿勢から直す」
達也は椅子を離れ、卓の前に立った。伯謙の指示に従い、足の位置、背筋、肘の高さを整える。
「筆を立てろ。指先だけで線を引くな。腕を使って運べ」
達也は横線を書いた。
「力を入れすぎだ。紙を削るつもりか」
新しい紙へ書き直す。
「今度は筆が浮いている。終わりまで同じ力を保て」
墨を含ませすぎれば字がにじみ、少なければ途中でかすれた。筆先を整えないまま書き始めると、最初の一画から線が割れた。
同じ文字を20回書いたところで、達也の肩と前腕に痛みが出た。
伯謙は最初と最後の紙を見比べた。
「形は少し整った。しかし、疲れると右へ傾く癖がある」
「自分では真っすぐ書いているつもりでした」
「手元だけを見るな。1文字ごとに中心を確かめろ。北宋の書家と競う必要はないが、読む者が迷わず、最後まで崩れない字を書かなければならない」
達也は再び筆を取った。
書法の授業が終わるころには、右手の指に墨が付き、肩には走ったあとのような重さが残っていた。
◇ ◇ ◇
午後3時半からは礼法の授業である。
教師の梁秀英は41歳で、広州の商家に生まれ、夫を亡くしたあとは、商家の子女へ読み書きや礼法を教えていた。
秀英は客間へ入ると、達也の座っている位置を見て足を止めた。
「客を迎える者が、なぜそこへ座っているのですか」
「入口に近い方が、迎えやすいと思いました」
「そこへ客を座らせれば、客は入口へ背を向けることになります。部屋の上座と下座を、入口までの距離だけで決めてはいけません」
達也は席を立ち、座る位置を直した。
秀英は卓上の茶葉を指した。
「贈物を渡してください」
達也は茶葉の包みを両手で差し出した。
秀英は受け取らなかった。
「何のための贈物ですか」
「先生へお渡しするためです」
「それでは相手に伝わりません。初めて訪ねる家へ持参した物なのか、世話になった礼なのか、祝いなのか、詫びなのか。それによって言葉も、差し出す時も変わります」
「初めて訪ねる家への手土産です」
「では、部屋の外からやり直してください」
達也は廊下へ出た。
扉の前で訪問を告げ、招かれてから室内へ入る。相手から勧められた席へ進み、挨拶を終えてから茶葉を差し出した。
秀英は今回も、最初は受け取らなかった。
達也が茶葉を引こうとすると、秀英が止めた。
「目上の者から一度断られたからといって、すぐに引っ込めてはいけません」
「もう一度差し出せば、押しつけることになりませんか」
「何度も勧めれば、そうなります。一度断られた時は、礼を重ねてもう一度勧める。それでも受け取らなければ引く。言葉だけではなく、相手の表情と手の動きも見なさい」
授業では、訪問、着席、茶の受け方、食事を勧められた時の応じ方、辞去の告げ方を繰り返した。
1896年の清国で行われている礼法が、そのまま北宋で通用するわけではない。それでも、相手の年齢や立場を考え、勧められる前に勝手な行動を取らないという基本は身につけておく必要があった。
休憩に入ると、秀英は茶を入れた。
「日本人の商館員が、なぜ宋代の礼法まで学ぶのですか」
達也は、尚人と決めていた説明を崩さなかった。
「宋代の社会と学問を研究しています。書物だけでは分からないことが多いため、今の礼法を学び、古い記録と比べたいのです」
「商売には直接役立たないでしょう」
「利益を得るための勉強ではありません」
「それでも、毎日続けるのですか」
「必要があるからです」
秀英は、それ以上尋ねなかった。
達也も説明を加えなかった。
片道式リモコンを使い、10トン車とともに北宋へ渡ることは話せない。時間移動が終われば、リモコンは1896年の出発地点に残る。北宋へ着いた達也は、自分の意思で戻ることができない。
それは教師たちが知る必要のない秘密であり、同情を得るために話すことでもなかった。
◇ ◇ ◇
日が沈む前、達也は庭へ出た。
背負い袋には、水、乾パン、衣類、薬を合わせて15キログラム入れてある。
北宋へ到着したあとも、10トン車を隠して物資を運べるなら、すぐに背負い袋だけで逃げる必要はない。しかし、車がぬかるみにはまる、道幅が足りない、人に見つかるなど、使い続けられない事態には備えなければならなかった。
達也は袋を背負い、庭を10周したあと、石段を上り下りした。
5往復を過ぎるころから呼吸が乱れた。肩紐が鎖骨へ食い込み、背中と袋の間に汗がたまる。10往復を終えた時には、足の裏が熱を持ち、ふくらはぎが張っていた。
続く護身訓練では、袋を背負った状態で横から押され、倒れずに踏みとどまれるかを試した。
荷物の重みで上体が後ろへ引かれる。身軽な時と同じように向きを変えようとすると、足が遅れた。倒れないことに気を取られれば、相手から距離を取るのも遅くなる。
北宋へ着いた時、平らな庭や乾いた道を歩けるとは限らない。雨にぬれた山道、耕した畑、石の多い河原へ車ごと出る可能性もあった。
翌日からは庭だけでなく、砂地やぬかるんだ斜面でも訓練することになった。
夕食を終えると、達也は書庫へ戻った。
朝の宿屋で行った問答を書き出す。文徳に直された発音は、カタカナだけでは正確に残せない。達也は口の開き方、舌の位置、息の出し方を脇へ記した。
書き終えると、克明から出された洪水対策の課題へ戻った。
堤防を造る。
水路を整える。
被災者へ食料を配る。
午前中に挙げた3つの案は、いずれも実行する方法が抜けていた。
達也は新しい紙を広げ、調べるべき事柄を書き始めた。
被害を受けた戸数を誰が調べるのか。
倉の米を、誰の命令で出すのか。
輸送に使う船と人夫を、どのように集めるのか。
途中で米を抜き取られないために、どの帳簿を照合するのか。
堤防工事へ出る者の家族へ、誰が食料を渡すのか。
田畑を失った者の租税を、どのように扱うのか。
達也は用紙の左側へ、北宋の制度について調べる項目を書いた。右側には、出発前に身につけなければならないことを記していく。
話し言葉。
宋代の発音。
経書。
文章。
書法。
礼法。
戸籍と身元を整える方法。
荷物を背負って移動する体力。
用紙はたちまち文字で埋まった。
答えは、まだ一つも出ていない。しかし、自分が何を知らず、何ができないのかは、4日前より明確になっていた。
達也は紙の右上へ「1896年10月」と書いた。
前編1で初めて自分の名を書いた紙とは別に、この用紙も残すことにした。半年後に最初の試験を受けた時、どこまで項目を消せるようになったか確かめるためである。
10トン車には、食料、工具、武器、金銀を積むことができる。
だが、人の言葉を聞き取る耳も、文章を組み立てる力も、何時間書き続けても崩れない字も、荷台に積むことはできない。
達也は、朝に聞き取れなかった宿屋の問いを、もう一度声に出した。
最初の発音は崩れた。
口と舌の位置を直し、同じ問いを繰り返す。
1112年へ向かう準備は、持ち込む荷物を選ぶ段階から、達也自身に足りない力を一つずつ身につける段階へ移っていた。
達也は、北方の話し言葉、経書と文章、書法、礼法の勉強を始めた。
漢字を知っていても、中国の読書人として通用する文章を書けるわけではない。未来の知識があっても、北宋の制度、財政、人員、輸送手段を知らなければ、実行できる政策は示せなかった。
市場や宿で使う言葉も、紙の上で覚えただけでは聞き取れない。1896年の言葉を学んだあとには、宋代の発音との違いも身につける必要がある。
10トン車を北宋で使い続けることを前提としながらも、車が動けなくなった場合に備え、荷物を背負って移動し、自分の身を守る訓練も始めた。
達也が1896年で準備に1年を費やしても、フランス女に同じ1年を与えることにはならない。移動する年月は、準備を終えてから決められる。
最初の4日間で達也が得たものは、北宋へ渡れるという自信ではなかった。
北宋へ渡る前に、自分が何を身につけなければならないのかを知ったのである。




