第2話(前編1)――「1112年の試験」
1896年10月、香港。
北宋へ渡ることが決まった倉田達也は、持ち込む荷物の検討を始めた。
荷物を積んだ10トン車ごと1112年へ送ることはできる。しかし、到着地点は選べず、送り出された達也は自分の力だけで北宋の社会へ入らなければならない。
何を運び、何を身につけてから出発するのか。達也の最初の試験が始まった。
(1896年10月、香港・直樹商会本邸)
応接間の大きな卓上に、北宋へ持ち込む品を書き出した用紙が7枚並んでいた。
金、銀、銅銭、食料、薬、衣類、紙、墨、工具、武器、燃料。達也は必要と思う品を挙げ、数量を決め、積み方まで書き込んでいた。
荷物を積んだ10トン車には達也自身が乗り込み、片道式リモコンを使って1112年へ移動する。時間移動が完了すれば、達也と10トン車だけが北宋へ渡り、片道式リモコンは1896年の出発地点に残る。
そのため、北宋へ着いた達也の手元には時間移動装置がなく、自分の意思で1896年へ戻ることはできなかった。フランス女に新たな時間移動装置を奪われる危険もない。
用紙の上では、10トン車の荷台に必要な物が収まっていた。ところが、積み終えた車が北宋のどこへ現れるのかを考えると、予定どおりに使える物は一つもなかった。
人里離れた山中なら、時間をかけて荷を降ろし、車を隠すことができる。だが、街道や耕地の近くへ出れば、車を見た者が集まってくる。逃げるために走らせれば、未舗装の地面に深い轍が残り、行方を追われる恐れがあった。
達也は、用紙の余白に書いていた「車輪の跡を残さない」という一文を線で消した。
雨のあとの街道で10トン車を走らせれば、車輪だけでなく車体の重さまで地面に刻まれる。人力で埋め戻せる跡ではない。車を動かさずに済む積み方へ変えた方がよかった。
しかし、荷を降ろしている間に人が来れば、車も荷物も捨てなければならない。
達也は7枚の用紙を並べ直した。積める量を考えるより、車を離れるまでの時間を考える必要があった。
扉が開き、尚人が木製の書類箱を抱えて入ってきた。
「まだ荷物を増やしているのか」
尚人は達也の向かいに座り、卓上の用紙へ目を通した。
「減らしているところです」
「7枚もあるぞ」
「必要品を減らすのではありません。最初に持ち出す物と、捨ててもよい物に分けます」
尚人は、線を引かれた一文を読んだ。
「車輪の跡は消せないと考え直したのか」
「はい。車を走らせれば、どこへ逃げたかを知らせることになります。到着後は、できるだけ動かさずに荷を降ろします」
「街道の真ん中へ出たらどうする」
「背負える荷だけを持って離れます」
「金銀も置いていくのか」
「持ち出せなければ置いていきます。車や荷物を守るために捕まっては、北宋へ行く意味がありません」
尚人は用紙を卓上へ戻した。
「最初に何を持ち出す」
「北宋の衣類、履物、水、食料、銅銭、薬です。人に見られる前に着替え、背負い袋一つで車から離れます」
「武器はどうする」
「拳銃を1丁だけ入れます。弾薬は持てる範囲です」
「金銀より先に銅銭か」
「金の塊を持って宿へ行っても、かえって疑われます。最初に必要なのは、食事と寝場所に使える金です」
「10文で何が買える」
達也は答えられなかった。
宋代の物価を記した資料は読んでいた。しかし、1112年のどの土地でも同じ値段とは限らない。銅銭にも年代や種類があり、古ければ使えるというものではなかった。
「調べます」
「金を何キログラム積むか決める前に、飯1回の値段を知る必要があるな」
「そのとおりです」
達也は金銀の数量を書いた用紙を一番下へ移した。
尚人は持ってきた書類箱を開けた。中には、北宋の官制や学校制度について調べた資料が入っていた。1986年と2026年から取り寄せた研究書の要約、漢文史料の写し、制度が変わった年代を整理した表もある。
「荷物の話は、倉庫で実物を使って確かめよう。今日はもう一つある」
尚人が表紙に「三舎法」と書かれた資料を差し出した。
達也は最初の頁を開いた。
地方の州学から中央の太学へ進み、外舎、内舎、上舎の3段階を上がる仕組みが記されていた。成績や試験の結果によっては、従来の科挙とは異なる道筋で官吏に登用される。
「1112年なら、解試、省試、殿試の勉強だけでは足りない」と尚人。
「1104年に、従来の科挙が停止されたのですね」
「徽宗の時代だ。学校から官吏を登用する制度が広げられている。向こうへ着いてから知らなかったでは済まない」
達也は資料を読み進めたが、入学条件が書かれた箇所で手を止めた。
「身元の証明が要ります」
「向こうの戸籍に、お前の名前はない」
「学問ができても、学校へ入れるとは限りませんね」
「名前は決めたのか」
「まだです。出身地も決められません」
「なぜだ」
「到着地点が分からないからです。遠い土地を出身地にすれば、その土地の発音や地名を知らない理由を説明できません。近い土地を名乗れば、役人が照会するかもしれません」
1896年で北宋の証文を作ることもできない。紙や墨を古びさせても、役所の名称、印の形、文面の書式を間違えれば、それだけで偽物と見破られる。
達也は北宋へ渡ったあと、まず周囲の言葉を聞き、街道と町の位置を確かめなければならなかった。その土地を行き来する者がどこから来て、どこへ向かうのかを調べたうえで、自分が入り込める身元を探す。
「学校へ入る前に、暮らす場所を見つける必要があります」
「宿へ泊まれば、名前と出身地を聞かれるぞ」
「働く場合も同じです。身元を整えるまでは、人の少ない場所で暮らすことになるかもしれません」
「それなら、車に食料を多く積むか」
「いいえ。荷物を増やせば、車から離れにくくなります」
達也は答えながら、最初に持ち出す背負い袋の欄へ「7日分」と書いた。
「7日で身元を作れるのか」と尚人。
「作れるとは限りません。ただ、1人で持ち運べる量には限りがあります。食料だけで背負い袋を埋めれば、衣類や薬を捨てることになります」
「水も要る」
「到着した土地で手に入れます」
「飲める水かどうか分からないぞ」
「煮沸できる道具と薬を持ちます。それでも危険なら、最初の数日で使う水を優先します」
尚人は口を挟まず、達也が一覧を書き換えるのを見ていた。
何を加えても、その分だけ別の物を減らさなければならない。大量の荷物を運べる10トン車があっても、達也が持って逃げられる量は変わらなかった。
庭から入る風に乗って、潮の匂いが室内へ流れ込んだ。塀の外では、港へ向かう荷車が石を踏んでいる。木の車輪がきしむ音は次第に近づき、やがて遠ざかっていった。
達也は新しい用紙を1枚取り出した。
「物資と並行して、こちらを始めます」
用紙の中央に「話し言葉」と書き、その下へ「経書、文章、毛筆、礼法」と続けた。
「中国語と学問か」と尚人。
「漢民族の顔と体になっても、北宋の人間が話す言葉を聞き取れるわけではありません。見た目が同じであるだけに、言葉が通じなければ怪しまれます」
「1896年の中国語を覚えれば、1112年でも通じると思うか」
「そのままでは通じないでしょう。780年以上離れています。ただ、何も知らずに行くよりはよい。まず北方出身者から話し言葉を学び、向こうへ着いてから周囲の発音に合わせます」
達也は用紙の端へ、宿、市場、役所、雇用、病気と書き加えた。
「最初は、宿を取り、食事を頼み、道を尋ねられるところまで学びます」
「役人に呼び止められることもある」
「質問の意味が分からなければ、答えを考えることもできません。聞き取る訓練を優先します」
「教師は何人要る」
「話し言葉は山東か北方の出身者に頼みます。経書と文章は、科挙を学んだ者が必要です。毛筆は別の教師に教わります」
「礼法も要るぞ。食事の仕方や年長者への接し方を知らなければ、言葉が通じても育ちを疑われる」
「訪問の仕方、座る位置、贈物の渡し方まで習います。ただし、清国の作法を北宋でも使えるとは考えません。史料と違うところは、向こうで周囲を見て直します」
尚人は三舎法の資料を指で押さえた。
「官吏を目指す方針は変えないのだな」
「女を捜し続けるには、北宋で長く暮らせる立場が要ります」
「商人では駄目か」
「商人なら各地を回れます。しかし、15歳ほどの少女を捜して歩けば、僕の方が不審者になります」
フランス女は、北宋へ渡った時点で漢民族の15歳の少女になっている。以前の顔は手掛かりにならず、北宋で使っている名前も、到着した土地も分からない。
達也が少女の顔や名前を尋ねて回ることはできなかった。
「相手が未来の知識を使えば、いずれ噂になると思います」
「例えば何だ」
「急に財産を得た少女、見たことのない方法で商売を始めた者、周囲の大人を動かして力を持った者です。女が何かを望むなら、いつか人か金を動かします」
「何年も身を隠すかもしれないぞ」
「その場合は待ちます。学校には各地から人が集まります。官吏になれば、戸籍、訴え、人の移動に関する記録へ触れる機会もあります。旅人として歩き回るより、長く情報を集められます」
「官吏になれるという保証はない」
「ありません。だから、出発前にどこまで通用するかを試します」
達也は三舎法の資料を自分の側へ引き寄せた。
「尚人さん。北宋の試験問題を集めてください」
「どの試験だ」
「解試、省試、殿試だけでなく、太学や州学で使われた問題も必要です。合格者の答案が残っていれば、それもお願いします」
「どの時代まで調べる」
「王安石の改革以後を中心にしてください。新法と旧法のどちらが力を持っているかによって、求められる答えも変わったはずです」
「経書に書かれたことを答えるだけではないのか」
「採点する側が何を正しいと考えているかを知らなければなりません。同じ問いでも、朝廷の方針に反する答えを書けば評価されない可能性があります」
尚人は資料箱の中身を確かめた。
「1896年の古書商だけでは足りないな」
「1986年と2026年からも集めてください。現代の研究書は出発前に読みます」
「北宋へは持ち込まないのか」
「現代の印刷物を見つけられれば、出所を説明できません。必要な内容は覚えます。手元へ残す文章は、北宋でも不自然に見えない紙と墨で写します」
「清国で科挙を教えている者なら捜せる。ただし、八股文を覚えても北宋の答案にはならないぞ」
「清国の教師から学ぶのは、経書、漢文、毛筆の基礎です。北宋の経義、論、策は、集めた史料を使って別に学びます」
達也は1日の予定を書き始めた。
朝は北方の話し言葉、午前は経書と書き取り、午後は文章の作成に充てる。夕食後は毛筆を練習し、その日に間違えた箇所を復習する。週に数日は港や市場へ出て、教師とは異なる発音や、実際に使われる言い回しを確かめる。
「毎日、何時間学ぶつもりだ」と尚人。
「授業と自習を合わせて10時間ほどです」
「体を動かす時間がないぞ」
「夕方に護身の訓練を入れます」
「走る時間も作れ。北宋へ着いた途端、荷を背負って逃げることになるかもしれない」
達也は予定表の午後を1時間減らし、走る時間を書き加えた。
「これで8時間半です」
「短くした分を夜へ移すなよ」
「睡眠は削りません。1年は続けるつもりです」
「1年か」
尚人は予定表から顔を上げた。
「最低でも1年です。1年たったという理由だけでは出発しません。現地の人と話せず、文章も書けなければ延ばします」
「その間にも、女は北宋で動ける」
「分かっています」
「急げば準備不足で失敗する。時間をかけすぎれば、女は新しい身元と仲間を得るかもしれない」
「それでも、北宋へ着いた日に捕まるよりはよい。半年ごとに試験を受け、結果を見て出発時期を決めます」
「自分で合格を決めるな。教師に判定させろ」
「はい。会話、読解、文章、毛筆を別々に見てもらいます」
尚人は予定表を卓上へ戻した。
「片道で行く覚悟は変わらないのか」
「変わりません」
「勉強の話ではない。向こうへ送られれば、順子や俺たちとは二度と会えないかもしれない」
達也の筆が止まった。
出発を決めた時から分かっていた。荷物や学習の予定なら、問題を一つずつ書き出し、順番を決めることができる。しかし、家族との別れには数量も手順もなかった。
「怖くないとは言いません」
達也は筆を硯の脇へ置いた。
「病気になっても、こちらの医者には診てもらえません。女を見つけられないまま、一生を向こうで終えるかもしれません」
「それでも行くのか」
「僕が行かなければ、別の誰かが片道で行くことになります。漢民族の22歳として渡れる僕なら、学校へ入り、長く捜せる可能性があります」
「順子には、まだ出発の日を言うな」
「決まっていない日を知らせるつもりはありません」
「お前が勉強を始めれば、理由は察するぞ」
「隠し続けられるとは思っていません。ただ、毎日、別れの日を待たせたくありません。出発できる段階になったら、僕から話します」
尚人は窓の外へ目を向けた。
庭木の葉が風に擦れ、その向こうから荷車の音が聞こえていた。達也を止めたい気持ちはあった。しかし、代わりに北宋へ行ける者を示すことはできなかった。
「必ず戻るとは言うなよ」
「言いません。帰る方法がないのに、安心させるためだけの約束はできません」
「それでいい」
尚人は三舎法の資料と北宋の官制表を箱から取り出した。
「試験問題は、見つかった分から渡す。古書商だけでなく、書院の教師や元官僚の家にも当たらせる」
「お願いします」
「教師の候補も捜す。ただし、本当の目的は話すな」
「直樹商会で働くために、中国語と漢文を学ぶことにします」
「北宋へ行くことも、時間移動のことも伏せておけ」
「授業に必要なことしか話しません」
達也は最初に作った7枚の用紙を順番に重ねた。
「この一覧は作り直します。北宋で使える銅銭を調べ、金銀はそのまま持ち歩かずに済むようにします。工具も、見られて困る物と、使い道を説明できる物に分けます」
「古い一覧は捨てるな」
「間違いが多いですよ」
「だから残す。半年後の一覧と比べれば、何を知り、何を考え直したかが分かる」
達也は最初の用紙の右上へ「1896年10月」と記した。
「半年後、最初の試験を受けた時に見直します」
「その頃には、荷物より本の方が増えているかもしれないな」
「北宋へ持ち込む物は減らします。出発前に覚えることは増やします」
尚人は書類箱を抱えて席を立った。
「女を見つけても、すぐに近づくな」
「本人かどうかを確かめます」
「未来の知識を持つ少女を見つけただけでは足りない。何を持ち、誰と暮らし、どれほどの人間を動かせるのかを調べろ」
「追われていると気づけば、別の土地へ逃げる可能性があります」
「相手がお前より先に北宋へ入り込んでいることを忘れるな」
「はい」
尚人は応接間を出ていった。
達也は三舎法の資料を開いた。
地方の解試、礼部の省試、皇帝の前で行われる殿試。その道筋だけを覚えればよいと思っていたが、1112年の官吏登用には、学校制度の理解が欠かせなかった。
経義、論、策を書く力があっても、身元を示せなければ学籍を得られない。学校へ入る以前に、言葉を聞き取り、宿を探し、食事を買い、他人から出身地を尋ねられても疑われない人間にならなければならなかった。
達也は白紙を前へ置き、硯へ少量の水を落とした。
墨をする音が、誰もいなくなった応接間に続いた。やがて墨の匂いが立ち、窓から入る潮の匂いと混じった。
筆に墨を含ませ、自分の名前を書く。
倉田達也。
横線の太さはそろわず、払いの途中で筆先が割れた。墨を多く含んだ部分は紙へにじみ、最後の「也」は重く崩れた。
漢字を書けることと、北宋の読書人として通用する字を書けることは違う。
達也は紙の端へ日付を書き、脇へ置いた。
失敗した紙も捨てなかった。半年後、自分の字がどこまで変わったのかを確かめるためである。
新しい紙を広げ、もう一度筆を取った。
10トン車は、多くの物を1112年へ運ぶことができる。しかし、北宋の町へ入り、人と話し、文書を読み、学校の試験を受ける力までは運んでくれない。
達也は崩れた字を見直し、2枚目の紙へ筆を下ろした。
北宋へ渡る日は、まだ決まっていない。
それでも、1112年へ向かう最初の試験は、この日から始まっていた。
達也は北宋へ持ち込む荷物を検討したが、10トン車に積める量と、到着後に持ち出せる量は同じではなかった。
車を捨てて逃げる場合、達也が頼れるのは背負い袋一つと、自分が出発前に身につけた知識だけである。
しかも、北宋の学校へ入るには学問だけでなく、身元が必要となる。戸籍のない達也は、名前や出身地をどう整えるかという問題も、現地で解決しなければならない。
半年ごとに試験を受け、言葉、文章、毛筆、体力を確かめる。その結果を見ながら、出発の日を決めることになった。




