第13話(後編1)――「2人目も皇子」
1116年3月、北宋・開封府では、冬の寒さがようやく緩み始めていた。朝にはまだ冷たい風が吹くものの、昼の日差しには暖かさがある。皇宮の庭では梅が終わりに近づき、木々の枝に新しい芽が見えていた。
崔麗華の腹は大きく張り出し、夜は寝返りを打つにも時間がかかるようになっていた。長く座れば腰が重くなり、少し歩いただけで息が上がる日もある。医官からは、もういつ産気づいても不思議ではないと言われていた。
その朝、麗華は椅子に座り、最初の皇子が部屋を歩く様子を見ていた。1歳半近くになった皇子は、女官の手を振り払って自分だけで歩こうとしている。
「急がなくてよろしいですよ。こちらへいらっしゃい」
母親の声に顔を向けた皇子は、そのまま麗華へ向かって歩き始めた。以前より足取りが安定し、両手を広げて待つ麗華の近くまで来たが、あと少しのところで足がもつれた。女官が支えようとした時には、尻から床へ座り込んでいた。
それでも泣かず、両手を床について再び立とうとする。女官が手を添えるのを見ながら、麗華は笑った。
「ずいぶん元気になりましたね。今、この子を追いかけるように言われても、私には無理でございます」
「もう間もなくお産ですから、私どもにお任せくださいませ」
麗華が腹に手を当てると、下腹部が固くなるような感覚があった。これまでにも何度か張ることはあったが、今度は少し強い。麗華の様子に気づいた女官が、皇子を支えたまま顔を上げた。
「崔美人様、お加減が悪いのでございますか」
「少し強く張りました。医官を呼んでください」
最初の出産では、痛みが出ても本当に産気づいたのか分からず、何度も医官に確かめた。今回はその時の感覚を覚えている。これから痛みが強くなるかもしれないと思うと、早めに診てもらいたかった。
皇子が膝へ手を伸ばしてきたため、麗華は抱き上げようとした。しかし、女官が先に抱き取り、麗華に座っているよう勧めた。
「まだ産まれると決まったわけではございませんよ」
「それでも、皇子様はずいぶん重くなられました。今はお体をお休めください」
確かにその通りだった。麗華は女官に任せ、腕の中からこちらへ手を伸ばす皇子に声をかけた。
「あとで抱きますから、待っていてくださいね」
皇子は女官に抱かれたまま、母親の顔を見つめていた。
◇ ◇ ◇
医官が来た時には、次の痛みが始まっていた。麗華は寝台へ移り、最初の張りからあまり時間がたっていないことを伝えた。診察を終えた医官は、女官たちに出産の支度を指示した。
「前のお産より早く進むかもしれません。今日中にお生まれになる可能性が高いと存じます。今のうちに水分を取り、食べられるようでしたら、少し召し上がってください」
女官が白粥を運んできたが、麗華は数口食べただけで椀を置いた。これから何が起きるのかを知っている分、初めての時ほど戸惑いはない。それでも、前の出産の痛みを思い出すと気が重くなった。どれほど耐えれば終わるのか、自分では分からない。
「前より早く終わってくれるとよいのですが」
「2度目のお産は、最初より早く進むこともあるそうでございます」
「今は、その言葉を信じたいと思います」
また痛みが来たため、麗華は寝台に手をついて呼吸を整えた。前回よりも早く痛みの間隔が狭まり、昼前には湯や布を運ぶ者が忙しく部屋を出入りするようになった。
痛みが引いたところで、麗華はそばの女官に尋ねた。
「陛下には、お知らせしてありますか。それから、皇子はどうしておりますか」
「陛下には、すでにお知らせしております。皇子様は別のお部屋へお連れしました。先ほどまで機嫌よく遊んでおられましたから、ご心配には及びません」
泣いていないと聞き、麗華は安心した。最初の出産では、自分と腹の子だけを考えていればよかった。今は別の部屋に、母親を待つ子がいる。出産を理解できる年齢ではなくても、普段と様子が違うことは感じているかもしれない。
そばにいてやりたかったが、再び痛みが強くなり、麗華は寝台の布を握った。今は、この子を産むことに力を使わなければならなかった。
◇ ◇ ◇
昼を迎える前に、痛みはさらに強くなった。麗華の額には汗が浮かび、痛みが引くわずかな間に息を整えるのが精いっぱいだった。
「最初の時より、早く進んでいるのでございますか」
「はい。順調に進んでおります」
麗華が返事をしようとすると、腹から腰へ強い痛みが広がった。体の内側から子が下りてくる感覚に、言葉が途切れる。
「力を入れてください」
指示に合わせ、麗華は力を込めた。前回も、1度では終わらなかった。痛みが引けば体を休め、次の痛みが来ると再び力を入れる。その合間に子の様子を尋ねると、今のところ問題はないという返事があった。
それを聞いて、麗華は次の痛みに備えた。寝台の布を握り直すと、そばから励ます声がかかった。
「もう少しでございます」
「前にも、その言葉を何度も聞きましたよ」
「今度は本当に、もう少しでございます」
麗華は呼吸を整え、次の痛みに合わせて力を込めた。腹の奥から強い圧迫感が下りてくる。さらにもう1度力を入れると、体の中の重さが急に抜け、麗華は寝台へ身を預けた。
周囲の動きが慌ただしくなる中、麗華は赤子の声を待った。やがて大きな泣き声が響くと、そばの女官が麗華に顔を向けた。
「崔美人様、元気な皇子様にございます」
「今度も、男の子なのですね」
「はい。よくお泣きになっておりますよ」
泣き声を聞きながら、麗華は全身に疲れが広がっていくのを感じた。それでも、望んでいた男児を無事に産めたことがうれしかった。
男児を願ったからといって、その通りになるわけではない。自分にも選べないことだけに、2人続けて皇子を産んだ意味は大きかった。しかし、今はその先を考えるより、生まれた子の顔を見たかった。
「見せてください」
必要な処置が済むのを待つと、布に包まれた赤子が運ばれてきた。麗華は最初の出産の時より落ち着いて受け取り、胸に抱いた。赤い顔で目を閉じていた皇子は、小さな口を開いてまた泣き始めた。
「兄も、生まれたばかりの頃は、このような顔だったのでしょうか」
「よく似ておられるようにも見えますね」
「今は、どの赤子も似て見えます。もう少したてば、分かるのでしょうけれど」
麗華は布の中で動く小さな手を見つめた。
「あなたも男の子だったのですね。元気に生まれてきてくれて、よかった」
◇ ◇ ◇
皇子誕生の知らせは、すぐに皇帝へ届けられた。趙佶が訪れた時には、麗華は身なりを整えてもらい、寝台で休んでいた。そばでは、生まれたばかりの皇子が眠っている。
趙佶は部屋に入ると、まず赤子の顔をのぞき込んだ。
「また男だそうだな。本当に2人続けて皇子を産んだか」
「私も驚いております。望んではおりましたが、自分で決められることではございませんから」
「それでも、産んだのはそなただ。よくやった」
赤子が身じろぎし、顔をしかめた。趙佶はその顔を眺めてから、麗華に尋ねた。
「兄に似ておるか。余には、そう見えるが」
「生まれたばかりですから、まだ分かりません。もう少したてば、似ているところも分かると思います」
「前にも同じように答えたな。そなたは毎回、余に同じことを申す」
「同じ時期に同じことをお尋ねになるからでございます」
趙佶は声を上げて笑った。
「疲れていても、口は変わらぬな。そのような返しをする女は、そなたくらいだ」
「口を使って産んだわけではございませんので」
麗華も笑ったが、腹に痛みが走り、顔をしかめた。それに気づいた趙佶が、寝台へ近づいた。
「まだ痛むのか。無理をせず休んでおれ」
「はい。前より早く産まれましたが、終われば何も感じなくなるわけではございませんね。しばらく休ませていただきます」
趙佶はもう1度赤子を見てから、兄の皇子も連れてくるよう女官に命じた。
ほどなく部屋へ入ってきた皇子は、母親を見つけると自分で歩いて寝台へ近づいた。麗華が手を伸ばすと、その手を握り、そばで眠る赤子へ目を向けた。
「弟ですよ。今日、生まれたのです」
皇子は見慣れないものを見るように赤子を眺め、手を伸ばそうとした。女官がそっと止めると、麗華も握った手を引き寄せた。
「触るのは、もう少し大きくなってからにしましょうね」
趙佶は寝台のそばに立ち、兄と弟を見比べた。
「本当に2人になったな。そなたは、まだ19歳にもならぬのに、もう皇子が2人か。このまま3人、4人と産むつもりか」
「授かりましたら、産みます。けれど、今日のお産を終えたばかりでございますよ」
「皆、男であったらどうする」
「それは、ずいぶん幸運でございますね」
「欲張りだな」
「陛下も男児をお望みでしたでしょう。それでしたら、私だけが欲張りということにはなりません」
趙佶は笑いながら、そうだったと認めた。麗華はそれ以上話を続けず、握っていた皇子の手をなでた。
その横では、生まれたばかりの弟が眠っている。2人の皇子を産んだことが自分にとって何を意味するのか、皇帝に説明するつもりはなかった。今は、そばにいる子たちを見てもらうだけで十分だった。




