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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第13話(中編1)――「2人目の懐妊」

 1115年7月の開封府(カイフォンフ)は、朝から蒸し暑かった。夜明け前の雨が石畳を濡らし、皇宮の庭には湿った土と草の匂いが残っていた。風は弱く、窓を開けても涼しくならなかった。


 崔麗華(ツイ・リーファ)は朝餉の卓に座り、白粥を口に運んでいた。蒸した魚や青菜、塩漬けの瓜も並び、食欲はあったが、魚へ箸を伸ばしたところで手が止まった。


 いつもより匂いが強く感じられた。吐き気まではないものの、覚えのある感覚だった。


「今日は魚の匂いが気になります。少し遠ざけていただけますか」


 そばにいた女官が皿を移すと、麗華は白粥をもう一口食べた。こちらは問題なく食べられた。


 卓上に置いていた体調の記録を開き、月のものの日付を確かめた。指で日を数え直しても、数日のずれではなかった。


 最初の妊娠でも、食べ物の匂いが気になった。今回も同じかもしれないと思ったが、自分だけで決めるつもりはなかった。


「医官を呼んでください。ひどく具合が悪いわけではありませんが、確かめていただきたいことがあります」


「承知いたしました。陛下にもお知らせいたしますか」


「まず診ていただいてからにしましょう。それまでは、ほかの方にも知らせなくて結構です」


 女官が退出すると、麗華は残った白粥を食べた。


 2人目の子を宿しているのかもしれない。胸の内には期待があり、男児であれば、なお嬉しかった。しかし、まだ診察も受けていない。望んでいるからといって、その通りだと思い込むわけにはいかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 午前中に医官が訪れた。麗華は月のものが遅れていることと、今朝、魚の匂いを強く感じたことを伝えた。


 医官は脈を取りながら、産後の経過を確かめた。


「お産の後、月のものは戻っておりましたか。その後の乱れや、熱、腹の痛みについてもお聞かせください」


「月のものは戻り、その後も大きく乱れることはございませんでした。今も熱や腹の痛みはありません」


 医官が脈を取り直す間、麗華は黙って待った。前回より落ち着いていられたのは、診察で何を尋ねられるか、おおよそ分かっていたからだった。


「まだ月が浅いと思われますが、御懐妊と考えてよろしいでしょう。しばらくして、改めて診せていただきます」


「やはり、子を宿している可能性が高いのでございますね」


 医官がうなずくと、麗華は腹に手を置いた。見た目も手触りも変わらないが、そこに新しい子がいるのだと思うと、自然に口元が緩んだ。


 ただ、気になることもあった。


「前の出産から、まだ1年たっておりません。そのことが、身体の負担にはなりませんか」


「今のところ、特に悪い兆しはございません。ただ、お産から日が浅いことは確かですから、疲れすぎないようになさってください」


「食事や日々の過ごし方は、前回と同じように気を付ければよろしいでしょうか。尚服局へ歩いて行くこともございます」


「食べられる物を召し上がり、ご自分の判断で薬を飲まないようにしてください。強い香で気分が悪くなるなら、それも避けていただきます。普通に歩く程度は構いませんが、具合の悪い時には無理をなさらぬことです」


 医官はさらに、出血や強い痛みがあれば、すぐに知らせるよう告げた。


 麗華は一つずつ覚えた。経験があるため分かることは増えていたが、前回が無事だったからといって、今回も同じとは限らない。身体の変化を見逃さないようにする必要はあった。


「陛下へは、診察の結果をお伝えください」


「承知いたしました」


 今度は知らせることに迷わなかった。自分の判断だけで伝えるより、診察した医官から報告してもらう方が確かだった。


 医官が退出した後も、麗華は椅子に座り、腹に手を置いていた。最初の皇子を産んで10か月ほどで、また皇帝の子を宿した。


 嬉しかったが、すぐに誰かを呼んで知らせようとは思わなかった。男児か女児かも分からず、無事に育つかどうかも、これからだった。今は、懐妊したと告げられた喜びを、自分の胸に収めておきたかった。


 ◇ ◇ ◇


 昼前に皇帝の使いが来た。輿を用意してあると聞き、麗華は笑みを浮かべた。


「前の時と同じですね」


 使いの宦官が不思議そうな顔をしたため、麗華は何でもないと答え、支度を整えた。最初の懐妊を知った時にも、趙佶は歩かせずに輿を寄こしてくれたのだった。


 皇帝の部屋へ入ると、趙佶(ジャオ・ジー)は書を見ていた。麗華が礼をすると、すぐに顔を上げた。


「また子ができたそうだな。医官から報告を受けた」


「はい。御懐妊と考えてよいと言われました。改めて診ていただくことになっております」


「もう1人欲しいと話していたことが、実現したのだな」


「授かれば嬉しいと申し上げましたが、本当にそうなるとは、私も驚いております」


 趙佶は麗華の腹へ目を向けた。まだ、衣の上から分かるような変化はなかった。


「今度も男であればよいな」


「私も、男児であれば嬉しゅうございます。もちろん、女児でも大切にいたしますが、男の子をもう1人欲しいという気持ちはございます」


「ずいぶん正直になったな。最初に男を産むと、次も欲しくなるものか」


「そう思うのは、私だけではないと思います」


「余も欲しい。では、願いは同じだな」


 麗華が笑みを返すと、趙佶はその顔を見た。


「前より落ち着いておる。2度目ともなれば、慣れるのか」


「慣れたというより、何に気を付けるべきかを、前より知っているのだと思います。最初は何が起きても初めてでしたが、今は前回と比べられますので」


「それなら、今度は余も安心してよいか」


「身体のことは、医官へお尋ねくださいませ。私より詳しくご説明できると思います」


「また医官を頼るのだな。余よりも詳しいと申すか」


「そのことについては、医官の方が詳しゅうございます」


「ためらいもせずに答えるな」


 趙佶が笑い、麗華も笑った。


 近くの椅子を勧められて腰を下ろすと、皇帝は最初の皇子について尋ねた。


「また身重になれば、前ほど抱いてやれぬ時もあろう。上の子の世話は、どうするつもりだ」


「女官たちに任せます。今のうちから、私だけがそばにいなければ困るという育て方にはしないつもりです」


「母親らしくないことを申すな」


「私が眠っている間も、子には世話が必要です。すべて自分で引き受けてしまえば、私が病気になった時にも困ります」


 趙佶は納得したようにうなずいた。


「人手はあるのだから、任せればよいか。今度も無事に産むのだぞ。男なら、なおよい」


「はい。私も、それを願っております」


 麗華は頭を下げた。


 この日は位の話は出ず、麗華からも求めなかった。前の懐妊では御侍から才人となったが、今はすでに美人である。次に位が上がるなら、無事に出産してからでよいと考えていた。


 ◇ ◇ ◇


 懐妊の知らせは、その日のうちに後宮へ広まった。最初の皇子を産んでから1年もたたないうちの2人目とあって、祝いの品も届き始めた。


 麗華は、前回と同じように送り主と品を記録させた。女官たちはすでに手順を心得ており、細かく説明しなくても、食べ物と布や衣を分けていった。


「果物は尚食で確かめてもらってください。布と衣は、送り主ごとにまとめておいてくださいね」


 それだけ念を押し、品物の扱いは女官たちに任せた。


 午後、最初の皇子が部屋へ連れてこられた。床に敷いた厚い布の上へ下ろすと、自分の手で身体を支えた。


 麗華がそばに座ると、皇子は母の方へ向きを変えようとした。


「こちらへ来たいのですか」


 手を差し出すと、皇子は腹ばいになり、腕と脚を動かした。なかなか前へ進めなかったが、何度か身体を動かすうちに、ほんの少しだけ麗華に近づいた。


「今、前へ進みましたね」


「はい。崔美人様の方へ、おいでになろうとしております」


 女官と顔を見合わせてから、麗華は皇子を抱き上げた。


「もうすぐ、自分で私のところまで来られるようになりますね」


 皇子は麗華の頬に手を伸ばした。麗華はその手を握り、膝の上で身体を支えてやった。


 腕の中で動く皇子の重みを感じながら、腹にはもう1人の子がいることを思った。1年前とは、自分の立場も暮らしも変わっていた。


 その変化を、誰かに誇るつもりはなかった。今は身体を大切にし、この子と同じように、次の子も無事に産みたかった。位や待遇について考えるのは、その後でよかった。

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