↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
65/138

第11話(後編1)――「皇子誕生」

 1114年9月の開封府(カイフォンフ)では、夏の暑さがようやく弱まり始めていた。昼の日差しはまだ強かったが、朝夕には涼しい風が吹いた。皇宮の庭では蝉の声が減り、池の蓮も盛りを過ぎていた。


 崔麗華(ツイ・リーファ)は、自室の窓辺に座っていた。腹は大きく前へ張り出し、以前のようには立ち上がれない。寝返りを打つにも重さを感じ、夜中に何度も目を覚ます日が続いていた。


 腹の子はよく動いた。その日も右側が押し上げられ、麗華はそこへ手を当てた。


「今日は、こちらでございますか。夜もよく動いて、私が眠ろうとすると元気になるようですね」


 そばにいた女官が笑った。


「それほどお元気なら、皇子様かもしれません」


「元気な女の子もおりますから、まだ分かりませんよ」


 麗華は腹を撫でた。男児であってほしいという思いは、月が進むにつれて強くなっていた。皇子を産むことが後宮で大きな意味を持つのは、十分に分かっている。それでも、腹の動きだけで男児だと決める気にはならなかった。


 女官が卓へ茶を置き、尚服局から記録が届いていると知らせた。麗華が竹札を受け取ると、その朝、皇帝が選んだ香として白檀の名が記されていた。


 腹が大きくなってからは香倉へほとんど行かなくなったが、劉彩雲(リウ・ツァイユン)や孫玉英(スン・ユーイン)から届く記録には目を通していた。香の種類と量、選ばれた時刻、異常の有無を確かめ、元の記録へ加えてもらうよう女官へ返した。


 女官が出ていこうとした時、下腹部から腰へ重い痛みが広がった。時折感じていた張りとは違う。麗華が肘掛けを握ると、女官も気づいて足を止めた。


「崔才人様、お腹が痛むのでございますか」


「少し、お待ちください」


 麗華は座ったまま痛みが引くのを待った。しばらくすると楽になったが、医官を呼ぶという女官の申し出を止めなかった。出産が近いことは聞いている。自分だけで様子を見てよいか決める場面ではなかった。


 ◇ ◇ ◇


 医官が来る頃には、もう一度痛みが起きていた。今度は先ほどよりもはっきりしていたため、麗華は寝台へ移って診察を受けた。


「最初の痛みは、つい先ほどでございます。次までにどれほど間があったかは、確かめておりませんでした」


「これからは時刻を残してください。規則的に痛むようであれば、お産が始まった可能性がございます」


 女官が記録を始める傍らで、麗華は今日中に生まれるのかと尋ねた。


「すぐとは限りません。初めてのお産ですから、時間が掛かることもございます。破水した時は、すぐに知らせてください。食べられるうちに、消化のよい物を少し召し上がっておきましょう」


 麗華は白粥を用意してもらい、食欲のない中で数口ずつ食べた。その間も痛みは消えては戻り、午後になると間隔が狭くなった。麗華にも、いつもの腹の張りとは違うことが分かった。


 女官が知らせに走り、部屋では出産の支度が始まった。湯と清潔な布が運び込まれ、人の出入りも増えた。


「陛下には、お知らせしていただけましたか」


「すでにお伝えしております」


 麗華はそれ以上、皇帝のことを尋ねなかった。来るかどうかを自分が決められるわけではない。今は医官や出産を手伝う者の指示を聞くことに集中した。


 夕方になると、痛みはさらに強くなった。腹の奥をつかまれ、押し下げられるような痛みが来るたび、麗華は寝台の端を握った。引いている間は話せたが、その時間も次第に短くなっていた。


「生まれるまで、まだ掛かるのでございますか」


「もう少しでございます。初めてのお産ですから、焦らずにお待ちください」


「焦れば早く生まれるのでしたら、いくらでも焦るのですが……」


 言い終わらないうちに、次の痛みが来た。麗華は口を閉じ、呼吸を整えた。額から頬へ汗が流れ、女官が濡らした布で顔と首筋を拭いた。


 外の暑さは弱まっていたが、締め切った部屋には湯の熱と人の体温がこもっていた。麗華は頼んだ水を少しずつ飲み、痛みが引いたところで子の様子を尋ねた。


「今のところ、問題があるとは聞いておりません」


 その返事に、麗華は問いを重ねるのをやめた。強い痛みは怖かったが、自分が痛むことと、子に危険があることは同じではない。怖いからといって、何か悪いことが起きていると決めつけるわけにはいかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 日が沈み、部屋の灯りが増やされた頃には、麗華は時間の感覚をほとんど失っていた。何度痛みが来たのかも分からず、腰から腹へ押し寄せる痛みの合間に、わずかに休むことしかできなかった。


 力を入れるよう指示されると、麗華はその声に従った。苦しくなったところで力を抜き、息を整え、次の痛みに合わせてまた力を込めた。


「もう少しでございます」


 繰り返される言葉に、麗華は息をつきながら尋ねた。


「もう少しとは、どこまで進んでいるのでございますか」


「頭が見えております」


 初めて具体的な答えが返った。子は下りてきている。ただ痛みに耐えるだけの時間ではなく、出産は進んでいた。


 麗華は次の痛みに合わせ、再び力を入れた。それまでとは違う強い圧迫感があり、続いて体の内側から何かが抜けていく感覚があった。周囲の声が変わり、もう一度と言われると、残っている力を振り絞った。


 腹を押し続けていた重さが、急に軽くなった。麗華は寝台へ背を預けたが、すぐには泣き声が聞こえず、顔を上げた。


「子は、どうしているのでございますか」


 その直後、高い泣き声が部屋に響いた。赤みを帯びた小さな体が布の上で動き、女官たちが体を拭きながら様子を確かめていた。


「男の子ですか。それとも、女の子でございますか」


 返事を待つわずかな時間が、ひどく長く感じられた。


「男のお子でございます。皇子様がお生まれになりました」


 麗華は目を見開き、ようやく肩の力を抜いた。望んでいた男児だった。それ以上に、泣き声が続いていることが嬉しかった。


「元気なのでございますね。こちらで、お顔を見せてください」


「よくお泣きになっております。処置が済みましたら、お連れいたします」


 麗華は待った。やがて布に包まれた子が運ばれてくると、両腕を差し出した。


 顔は赤く、目は閉じていた。黒い髪が頭に貼りつき、口を開けてまた泣いた。初めて抱いた子は、想像よりも小さく、それでいて重かった。胸へ寄せると、布越しに体温が伝わってきた。


「この子が、私のお腹にいたのでございますね」


 女官がうなずくのを見て、麗華はもう一度、子の顔をのぞき込んだ。皇帝の子であり、自分の子でもある。その男児を無事に産んだのだという実感が、少しずつ湧いてきた。


 ◇ ◇ ◇


 皇子誕生の知らせは、すぐに趙佶(ジャオ・ジー)へ届けられた。


 皇帝が部屋へ来た時には、出産からしばらくたっていた。麗華は寝台に横になり、皇子はそばで眠っていた。起きようとすると、趙佶がそのままでよいと止めた。


「男が生まれたそうだな。よく産んだ」


「ありがとうございます」


「そなたが礼を申すことではあるまい」


 趙佶は皇子のそばへ進んだ。子が眠ったまま顔を動かすのを見て、麗華は皇帝の子を無事に産めたことが嬉しいと伝えた。


「そなたの子でもあるのであろう」


 麗華は、以前自分が皇帝へ言った言葉を思い出した。


「はい。私の子でもございます」


 趙佶は子の顔を見つめた。


「思っていたより小さいな。体に問題はないのか」


「元気だと聞いております。先ほどまでは、ずいぶん大きな声で泣いておりました」


「そなたに似て、よくしゃべるようになるかもしれぬな」


「私は、泣き声で話してはおりませんよ」


 趙佶が笑い、麗華も笑おうとしたが、腹に痛みが残っていて顔をしかめた。皇帝はすぐに気づいた。


「まだ痛むのか。今は休め」


「はい。産み終えれば、すぐ元に戻るものと思っておりました」


「香の記録など、見ている場合ではないぞ」


「今日は見ません。明日も、体がつらければ休みます。倒れるまで仕事をするつもりはございません」


「そうしておけ」


 趙佶は皇子へ目を戻し、名はあとで決めると告げた。麗華にも改めて休むよう言い、部屋を出ていった。


 そのあと、麗華はもう一度、子を抱かせてもらった。


 皇子を産んだことで、才人としての立場は強くなるだろう。だが、それだけで皇后になれるわけではない。皇帝には年長の皇子たちがおり、自分はまだ才人だった。


 皇后までの道が遠いことは、出産前から分かっていた。それでも、今は腕の中に、無事に生まれた子がいる。皇子を1人産んだことは、麗華にとって確かな前進だった。


 麗華は眠る子の頬へ指を触れた。先の地位を考える前に、今はこの子を無事に育てなければならなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。