第11話(後編1)――「皇子誕生」
1114年9月の開封府では、夏の暑さがようやく弱まり始めていた。昼の日差しはまだ強かったが、朝夕には涼しい風が吹いた。皇宮の庭では蝉の声が減り、池の蓮も盛りを過ぎていた。
崔麗華は、自室の窓辺に座っていた。腹は大きく前へ張り出し、以前のようには立ち上がれない。寝返りを打つにも重さを感じ、夜中に何度も目を覚ます日が続いていた。
腹の子はよく動いた。その日も右側が押し上げられ、麗華はそこへ手を当てた。
「今日は、こちらでございますか。夜もよく動いて、私が眠ろうとすると元気になるようですね」
そばにいた女官が笑った。
「それほどお元気なら、皇子様かもしれません」
「元気な女の子もおりますから、まだ分かりませんよ」
麗華は腹を撫でた。男児であってほしいという思いは、月が進むにつれて強くなっていた。皇子を産むことが後宮で大きな意味を持つのは、十分に分かっている。それでも、腹の動きだけで男児だと決める気にはならなかった。
女官が卓へ茶を置き、尚服局から記録が届いていると知らせた。麗華が竹札を受け取ると、その朝、皇帝が選んだ香として白檀の名が記されていた。
腹が大きくなってからは香倉へほとんど行かなくなったが、劉彩雲や孫玉英から届く記録には目を通していた。香の種類と量、選ばれた時刻、異常の有無を確かめ、元の記録へ加えてもらうよう女官へ返した。
女官が出ていこうとした時、下腹部から腰へ重い痛みが広がった。時折感じていた張りとは違う。麗華が肘掛けを握ると、女官も気づいて足を止めた。
「崔才人様、お腹が痛むのでございますか」
「少し、お待ちください」
麗華は座ったまま痛みが引くのを待った。しばらくすると楽になったが、医官を呼ぶという女官の申し出を止めなかった。出産が近いことは聞いている。自分だけで様子を見てよいか決める場面ではなかった。
◇ ◇ ◇
医官が来る頃には、もう一度痛みが起きていた。今度は先ほどよりもはっきりしていたため、麗華は寝台へ移って診察を受けた。
「最初の痛みは、つい先ほどでございます。次までにどれほど間があったかは、確かめておりませんでした」
「これからは時刻を残してください。規則的に痛むようであれば、お産が始まった可能性がございます」
女官が記録を始める傍らで、麗華は今日中に生まれるのかと尋ねた。
「すぐとは限りません。初めてのお産ですから、時間が掛かることもございます。破水した時は、すぐに知らせてください。食べられるうちに、消化のよい物を少し召し上がっておきましょう」
麗華は白粥を用意してもらい、食欲のない中で数口ずつ食べた。その間も痛みは消えては戻り、午後になると間隔が狭くなった。麗華にも、いつもの腹の張りとは違うことが分かった。
女官が知らせに走り、部屋では出産の支度が始まった。湯と清潔な布が運び込まれ、人の出入りも増えた。
「陛下には、お知らせしていただけましたか」
「すでにお伝えしております」
麗華はそれ以上、皇帝のことを尋ねなかった。来るかどうかを自分が決められるわけではない。今は医官や出産を手伝う者の指示を聞くことに集中した。
夕方になると、痛みはさらに強くなった。腹の奥をつかまれ、押し下げられるような痛みが来るたび、麗華は寝台の端を握った。引いている間は話せたが、その時間も次第に短くなっていた。
「生まれるまで、まだ掛かるのでございますか」
「もう少しでございます。初めてのお産ですから、焦らずにお待ちください」
「焦れば早く生まれるのでしたら、いくらでも焦るのですが……」
言い終わらないうちに、次の痛みが来た。麗華は口を閉じ、呼吸を整えた。額から頬へ汗が流れ、女官が濡らした布で顔と首筋を拭いた。
外の暑さは弱まっていたが、締め切った部屋には湯の熱と人の体温がこもっていた。麗華は頼んだ水を少しずつ飲み、痛みが引いたところで子の様子を尋ねた。
「今のところ、問題があるとは聞いておりません」
その返事に、麗華は問いを重ねるのをやめた。強い痛みは怖かったが、自分が痛むことと、子に危険があることは同じではない。怖いからといって、何か悪いことが起きていると決めつけるわけにはいかなかった。
◇ ◇ ◇
日が沈み、部屋の灯りが増やされた頃には、麗華は時間の感覚をほとんど失っていた。何度痛みが来たのかも分からず、腰から腹へ押し寄せる痛みの合間に、わずかに休むことしかできなかった。
力を入れるよう指示されると、麗華はその声に従った。苦しくなったところで力を抜き、息を整え、次の痛みに合わせてまた力を込めた。
「もう少しでございます」
繰り返される言葉に、麗華は息をつきながら尋ねた。
「もう少しとは、どこまで進んでいるのでございますか」
「頭が見えております」
初めて具体的な答えが返った。子は下りてきている。ただ痛みに耐えるだけの時間ではなく、出産は進んでいた。
麗華は次の痛みに合わせ、再び力を入れた。それまでとは違う強い圧迫感があり、続いて体の内側から何かが抜けていく感覚があった。周囲の声が変わり、もう一度と言われると、残っている力を振り絞った。
腹を押し続けていた重さが、急に軽くなった。麗華は寝台へ背を預けたが、すぐには泣き声が聞こえず、顔を上げた。
「子は、どうしているのでございますか」
その直後、高い泣き声が部屋に響いた。赤みを帯びた小さな体が布の上で動き、女官たちが体を拭きながら様子を確かめていた。
「男の子ですか。それとも、女の子でございますか」
返事を待つわずかな時間が、ひどく長く感じられた。
「男のお子でございます。皇子様がお生まれになりました」
麗華は目を見開き、ようやく肩の力を抜いた。望んでいた男児だった。それ以上に、泣き声が続いていることが嬉しかった。
「元気なのでございますね。こちらで、お顔を見せてください」
「よくお泣きになっております。処置が済みましたら、お連れいたします」
麗華は待った。やがて布に包まれた子が運ばれてくると、両腕を差し出した。
顔は赤く、目は閉じていた。黒い髪が頭に貼りつき、口を開けてまた泣いた。初めて抱いた子は、想像よりも小さく、それでいて重かった。胸へ寄せると、布越しに体温が伝わってきた。
「この子が、私のお腹にいたのでございますね」
女官がうなずくのを見て、麗華はもう一度、子の顔をのぞき込んだ。皇帝の子であり、自分の子でもある。その男児を無事に産んだのだという実感が、少しずつ湧いてきた。
◇ ◇ ◇
皇子誕生の知らせは、すぐに趙佶へ届けられた。
皇帝が部屋へ来た時には、出産からしばらくたっていた。麗華は寝台に横になり、皇子はそばで眠っていた。起きようとすると、趙佶がそのままでよいと止めた。
「男が生まれたそうだな。よく産んだ」
「ありがとうございます」
「そなたが礼を申すことではあるまい」
趙佶は皇子のそばへ進んだ。子が眠ったまま顔を動かすのを見て、麗華は皇帝の子を無事に産めたことが嬉しいと伝えた。
「そなたの子でもあるのであろう」
麗華は、以前自分が皇帝へ言った言葉を思い出した。
「はい。私の子でもございます」
趙佶は子の顔を見つめた。
「思っていたより小さいな。体に問題はないのか」
「元気だと聞いております。先ほどまでは、ずいぶん大きな声で泣いておりました」
「そなたに似て、よくしゃべるようになるかもしれぬな」
「私は、泣き声で話してはおりませんよ」
趙佶が笑い、麗華も笑おうとしたが、腹に痛みが残っていて顔をしかめた。皇帝はすぐに気づいた。
「まだ痛むのか。今は休め」
「はい。産み終えれば、すぐ元に戻るものと思っておりました」
「香の記録など、見ている場合ではないぞ」
「今日は見ません。明日も、体がつらければ休みます。倒れるまで仕事をするつもりはございません」
「そうしておけ」
趙佶は皇子へ目を戻し、名はあとで決めると告げた。麗華にも改めて休むよう言い、部屋を出ていった。
そのあと、麗華はもう一度、子を抱かせてもらった。
皇子を産んだことで、才人としての立場は強くなるだろう。だが、それだけで皇后になれるわけではない。皇帝には年長の皇子たちがおり、自分はまだ才人だった。
皇后までの道が遠いことは、出産前から分かっていた。それでも、今は腕の中に、無事に生まれた子がいる。皇子を1人産んだことは、麗華にとって確かな前進だった。
麗華は眠る子の頬へ指を触れた。先の地位を考える前に、今はこの子を無事に育てなければならなかった。




