第11話(中編2)――「腹の子を守る才人」
懐妊が明らかになってから数日後、崔麗華の部屋には、人の出入りが増えていた。才人への昇格を祝う布や果物、菓子、香、髪飾りも届くようになった。
届け主の名を記した物もあれば、使いが口頭で伝えるだけの物もあった。正式な祝いの品まで返せば、相手の面目を損なう。麗華は贈り物を一律に拒まなかったが、届いた物をそのまま使うこともしなかった。
卓に紙を広げ、女官に品物を確かめさせた。
「こちらの果物は、どなたから届いたのでございますか。受け取った時刻と、受け取った方も教えてください」
「張婕妤様からでございます。午前中に、私が受け取りました」
麗華は送り主と品物、届いた時刻、受け取った女官の名を書き留めた。別の宮から届いた菓子についても、同じように確かめた。
「崔才人様、お祝いの品も、すべて記録に残されるのでございますか」
「どなたから頂いたか、忘れないためです。食べ物については、体調が悪くなった時に、何を食べたか分かるようにしておきたいのです」
女官は麗華の腹へ目を向けた。
「毒を心配なさっているのでしょうか」
「そのような話は聞いておりません。何も起きていないうちから、誰かが私を害すると決めつけるつもりもありません。ただ、具合を悪くした時に、原因を調べられるようにしたいのです」
麗華は、今後も送り主と受け取った時刻を残し、食べ物は出所が分かるようにしてから部屋へ運ぶよう頼んだ。
張婕妤から届いた果物を1つ手に取ると、柑橘の皮からさわやかな香りがした。食べられそうに思えたが、自分だけでは判断せず、尚食の者に状態を確かめてもらうことにした。
未来から来た記憶があっても、北宋の食べ物や薬をすべて知っているわけではない。毒を見分ける知識もなかった。知らないことは、扱いに慣れた者へ尋ねるほかなかった。
◇ ◇ ◇
懐妊してから、食べられる物にも変化が出た。朝は肉の匂いで気分が悪くなることがあったが、酸味のある果物なら口にできる日もあった。何も食べたくない時でも、粥は少しずつ食べられた。
麗華は、食事とその後の体調も書き留めた。白粥では問題がなく、鶏肉の汁物では吐き気がした。蒸した魚は少量なら食べられ、柑橘は比較的口にしやすかった。
香の感じ方も変わっていた。龍脳は以前と同じように使えたが、丁子を強く焚くと気分が悪くなる日があった。麗華は尚服局の劉彩雲へ相談した。
「私の部屋では、しばらく香を弱くしていただけますか」
「承知いたしました。陛下がお使いになる香の記録も、お休みになりますか」
「記録は続けます。ただ、以前のように全部を自分で嗅いで確かめるのは、控えようと思います」
彩雲は、これまで必ず自分で確認していた麗華の顔を見た。
「人に任せても、よろしいのですね」
「今は体調が違います。私が無理をして倒れても、香がよくなるわけではございませんから」
「では、確認は玉英たちに任せ、記録をこちらからお届けします」
「お願いします。異常があった時は、そのこともお知らせください」
麗華は、これまでと同じ働き方にこだわらなかった。続けられる記録は続け、体に負担の掛かる確認はほかの者に任せる。腹の子を危険にさらしてまで、自分が働く姿を見せる必要はなかった。
◇ ◇ ◇
2月に入ると、吐き気は少しずつ軽くなった。一方で、以前より疲れやすくなり、皇帝に呼ばれても長く立っているのはつらかった。趙佶もそれに気づき、麗華が来ると椅子を勧めるようになっていた。
ある午後、麗華は書画の殿に座り、趙佶が描く梅の枝を眺めていた。外には冷たい雨が降り、室内には炭火の熱と墨の匂いがこもっている。筆の動きが止まると、屋根を打つ雨音が聞こえた。
「最近、そなたのところへ届いた物を、すべて記録しているそうだな。余から贈った物も書いておるのか」
「もちろんでございます。頂いた物を忘れないようにしております」
「食べ物まで調べていると聞いたぞ。余の贈り物も疑っておるのか」
麗華は皇帝へ顔を向けた。
「陛下を疑っているのではございません。病気になった時、前日に何を食べたか分かれば、医官へ説明できます。どなたから頂いた物でも、同じように残しております」
「そなたは何でも書き留めるのだな」
「忘れてしまうよりは、よいと思います」
趙佶は筆を置いたまま、麗華の腹へ目を向けた。
「そこまで、余の子を大切にしておるのか」
麗華も腹へ手を当てた。衣の上からでも、わずかに丸みが出てきたことが分かった。
「陛下の御子でございますが、私の子でもございます」
「そこでは、余に譲らぬのだな」
「同じ子でございますし、私がお腹に抱いておりますので。陛下は絵をお描きになる間、お忘れになることもおありでしょうが、私は1日中、この子と一緒です」
「忘れてなどおらぬぞ」
「失礼いたしました」
趙佶は笑い、1日中一緒というのはそのとおりだと認めた。それから、子が動くのは分かるかと尋ねた。
「まだ分かりません。医官からは、もう少し先だと聞いております。男か女かも、今は分かりません」
「男であればよいな。皇子が増えて困ることはない」
趙佶には、すでに皇子がいた。腹の子が男児でも、初めての皇子になるわけではない。そのことは麗華も承知していた。
「私も、男児であれば嬉しく思います」
「以前より素直になったではないか」
「女児でも嬉しいという気持ちは、変わっておりません。私には選べませんので、どちらであっても無事に産みとうございます」
「そなたらしい答えだな」
趙佶は再び筆を取った。麗華は腹へ手を置いたまま、梅の絵を眺めた。
皇子を産めば、自分の立場は強くなるだろう。だが、まだ生まれてもいない子を当てにして先の地位を考えるより、今は腹の中で育てることが先だった。
◇ ◇ ◇
数日後、張婕妤から呼び出しがあった。麗華は以前のように長い廊下を1人で歩かず、女官を伴って向かった。
張婕妤は麗華の腹を見て、少し分かるようになったと声を掛けた。
「自分でも、衣がきつくなってまいりました」
「陛下はお喜びでしょう。やはり、男児をお望みなのですか」
「男児であればよいと仰せです。私も、皇子であれば嬉しく思います」
張婕妤は、皇帝に気に入られているかどうかを、もう尋ねなかった。懐妊し、才人へ昇格したことが、その答えになっていた。
「贈った果物は召し上がりましたか」
「はい。ありがとうございました」
「わざわざ尚食で確かめさせたそうですね。私が毒でも入れたと思いましたか」
麗華はすぐに否定した。
「そのようには思っておりません。今は、どなたから頂いた食べ物でも、同じように状態を確かめております。陛下からの品も例外ではございません」
「陛下からの物まで調べるのですか」
「はい。送り主を疑うことと、食べ物の状態を確かめることは別でございます。私1人の体ではなくなりましたので、念のために」
張婕妤はしばらく麗華の腹を見ていた。
「初めての子は、誰でも心配になるものです」
麗華はその顔を見た。言葉に別の意味があるのかは分からず、敵意だと決めつけることはしなかった。
「分からないことばかりでございます」
「それでも、陛下の前では平気な顔をしているのでしょう」
「分からないことは、陛下にもそう申し上げております」
「そこは変わらないのですね」
張婕妤は女官に果物を切らせた。
「今ここで切った物です。これも確かめさせますか」
「婕妤様がお召し上がりになる物と同じでしたら、頂きます」
麗華が笑って答えると、張婕妤はあきれたように見た。
「賢くなったのか、失礼になったのか分かりませんね」
「申し訳ございません」
「謝る顔ではありませんよ」
張婕妤が自分でも1切れ食べたので、麗華も手を伸ばした。甘みの中に酸味があり、今の麗華には食べやすかった。
「男児が生まれたら、どうするつもりです」
「まずは、育てます」
「もっと高い位を望むのではありませんか」
麗華は少し考え、隠さずに答えた。
「高い位は欲しゅうございます。ただ、男児を産めば必ず頂けるとは思っておりません。陛下には、すでに皇子がおられますので」
張婕妤は麗華の顔を見た。
「そこまで分かっているのですね。では、男児を産んでも意味がないと考えているのですか」
「そのようなことは申し上げておりません。私の子が皇子であれば嬉しく思います。ただ、それだけで何もかも決まるとは考えていないのです」
張婕妤はすぐには返事をせず、麗華も言葉を足さなかった。
男児を産みたいし、高い位にも上がりたい。その望みを隠す必要はなかった。だが、まだ生まれていない子の立場を持ち出し、すでにいる皇子たちと争うつもりもない。無事に産んで育て、その先は、その時に考えればよかった。
◇ ◇ ◇
2月の終わり、医官が再び診察に来た。脈を取り、食事の量や眠りについて確かめたあと、今のところ腹の子は順調と考えてよいと告げた。
麗華は初めて診察を受けた時よりも、はっきりと安堵した。
「ありがとうございます。吐き気も、以前より軽くなりました」
「食べられる物を少しずつ増やしてください。ただし、疲れるほど歩く必要はございません。腹が張ったり、出血や強い痛みがあったりした時は、すぐにお知らせください」
「承知いたしました」
医官を見送ったあと、麗華は窓を開けた。冬の終わりの空気には、わずかに土の匂いが戻っていた。庭の木はまだ葉が少なかったが、春になれば、腹の子もさらに大きくなっているはずだった。
御侍から才人へ進んだ今も、まず考えるのは子を無事に産むことだった。食べ物を確かめ、薬を勝手に飲まず、強い香や無理な仕事を避ける。分からないことは医官や担当の者へ尋ね、体調の変化を記録に残した。
麗華は北宋へ来てから続けてきた確認と記録の習慣を、今度は自分と腹の子を守るために使っていた。




