第10話(後編2)――「平西王」
(1119年春、北宋西北部・征西軍)
2万人の征西軍が西へ進んだ。兵の衣服と装備は統一され、足元には長距離の行軍に耐える靴を履いている。部隊ごとに医療用品と通信機器も配られ、前回の出陣とは光景が変わっていた。
倉達也のもとには、先頭部隊や左右の部隊、後方の補給隊から次々に報告が届いた。敵の移動や抵抗の状況、補給路の異変を、以前とは比べものにならない速さで把握できるようになっていた。
「平西将軍、前方の部隊から連絡です。西夏騎兵約3,000が接近しております」
副将が地図を示すと、達也は位置を確かめて命じた。
「本隊は止めずに進め。前方部隊で追い払い、深追いはするな」
「3,000の騎兵を、前方部隊だけで防げるのでございますか」
「十分に対処できる。そのための装備を持たせている」
副将はまだ、新兵器の威力を実戦で確かめきれていなかった。やがて遠方から連続した発砲音が聞こえ、ほどなく敵騎兵が退き始めたとの連絡が入った。こちらの損害は軽微だという。
「これほどの力があるのですか。西夏軍には防ぎようがございません」
副将は達也を見たが、達也は喜びを表さなかった。これだけの力があるなら、戦を長引かせずに終える必要があった。
「降伏する兵を追って殺すなと、もう一度伝えろ。目的は兵の皆殺しではなく、西夏を降伏させることだ」
「承知しました」
◇ ◇ ◇
西夏軍は、初めは従来どおりの戦い方を続けた。騎兵で宋軍の横へ回って矢を射かけ、補給隊を狙い、正面で戦うふりをして別の方向から襲おうとした。
しかし、今回は通じなかった。迂回する敵を見つけた部隊から達也へ報告が入り、迎え撃つ部隊へ命令が届く。遠方を見渡す道具もあり、騎兵が近づく前に宋軍は迎撃の準備を終えていた。夜襲も成果を上げられず、最初の1週間で、西夏側は相手が以前の宋軍とは違うと悟った。
捕虜となった西夏兵の1人が、達也の前へ連れてこられた。男は通訳を介し、納得できない様子で尋ねた。
「我々がどこへ向かっても、先に待っている。どうして動きが分かるのだ」
「こちらにも、敵を見つけて知らせる者がいる」
「お前たちは宋軍ではない。宋軍が、こんな戦い方をするはずがない」
「俺たちは宋軍だ。お前たちが知っている軍とは、装備が変わっただけだ」
男は黙り込んだ。達也は水と食事を与えさせ、そのあとで帰すよう命じた。副将は、敵に情報を持ち帰られると案じたが、達也にはそれが狙いだった。
「西夏王へ伝えろ。降伏すれば、兵にも民にも手は出さない。戦を続けるなら、王都まで進む」
「本当に、王都まで来るつもりなのか」
「そのために来た。見たことを、そのまま伝えればよい」
◇ ◇ ◇
西夏王は降伏しなかった。宋軍が新しい武器を持ち込んでも、その優位は長く続かないと考えていた。
広い西夏領へ深入りすれば補給が難しくなり、夏を迎える頃には疲弊する。そこを騎兵で襲って補給路を切れば、宋軍は退くはずだった。これまで何度も相手を苦しめた方法であり、今回も通じると判断していた。
だが、達也は出陣前から補給を重視していた。食糧は宋側から運び、占領した町や村から無理に奪うことを禁じた。現地で調達する場合も、代価を払わせた。
「敵国で買い付ける物にも、銀を払うのでございますか」
部下に確かめられると、達也は当然だと答えた。
「戦っているのは西夏王の軍だ。畑を耕す民まで敵に回す必要はない」
村で略奪した兵は厳しく処罰し、女に乱暴しようとした者も許さなかった。そうした扱いが知られるにつれ、宋軍が近づいただけで村人全員が逃げ出すことは減っていった。やがて、西夏軍の居場所を知らせる者も現れた。
ある日、部下が地図を持って報告に来た。
「王都へ通じる道の先に、西夏軍が集まっております。少なくとも2万を超える兵力です」
「残った主力を集めたのだな」
達也は地図を見た。王都を守るため、西夏王が差し向けた最後の大軍だった。
◇ ◇ ◇
決戦の日、達也は2万人の兵の前に立った。
「今日の相手が西夏の主力だ。ここで勝てば、王都まで我々を阻む大軍は残らない。だが、武器が強いからといって油断するな。命令を守り、仲間を助け、勝手に前へ出ないことが大切だ」
兵たちは顔を上げて聞いていた。達也は、これまで繰り返してきた命令を改めて伝えた。
「降伏した者を殺すな。逃げる民を追わず、王都へ入っても略奪はするな。この命令は必ず守れ」
兵たちの返事が響いた。
戦いは長く続かなかった。西夏軍は騎兵を左右から進めたが、宋軍は隊列を保ち、接近してきた敵を迎え撃った。中央の歩兵も前進を試みたものの、前列が崩れ、後ろから出てきた兵も止められた。
西夏軍は宋軍に近づくことさえ難しかった。これまで馬の速さで宋兵を翻弄してきた騎兵も、前へ出るたびに損害を受けた。やがて一部が退き始めると、別の部隊もそれに続いた。
「敵の中央が崩れます!」
「前進しろ。ただし、急いで隊列を乱すな!」
宋軍はまとまって進み、抵抗する部隊を攻撃した。退く敵は追い詰め過ぎず、逃げ道を残した。行き場を失った兵が最後まで戦うことは、達也も前の戦で知っていた。
夕刻までに西夏の主力軍は崩れ、王都への道が開いた。
◇ ◇ ◇
王都を包囲した達也は、最後の降伏勧告を送った。城門を開き、王が降伏すれば、民には手を出さないと伝えたが、返答は拒絶だった。西夏王は城内の兵に徹底抗戦を命じた。
達也は地図を前に、攻撃を決めた。
「城門と軍事施設を中心に攻める。民家へ攻撃を広げるな」
近代装備を持つ宋軍の攻撃に、王都の防御は長く耐えられなかった。城門が破られると宋兵が入り、西夏兵の抵抗を受けながら城内へ進んだ。
達也も先頭部隊に続いて入城し、各隊へ命令を徹底させた。
「略奪は禁止だ。民家へ入るな!」
王宮を目指す部隊が中心部へ進んだ。西夏王は逃げず、近衛兵を集めて抵抗していた。達也が到着した時にも、王宮の門の周辺では激しい戦闘が続いていた。
「王は中におります!」
「生きて捕らえられるなら捕らえろ。抵抗をやめない場合は討て」
達也も王宮へ入り、広間の奥で王を見つけた。周囲には近衛兵が倒れ、王自身も刀を握っていた。
「お前が倉達也か。宋の犬め」
通訳が言葉を伝えたが、達也は罵りには答えなかった。
「降伏しろ。主力軍は敗れ、王都も落ちた。これ以上戦っても、国は守れない」
「王が降伏すれば、国が終わる」
「降伏しなくても同じだ。生きて降る方がよい」
王は刀を構えた。
「情けをかけるな。余を殺せ!」
西夏王が斬りかかると、達也のそばにいた兵が止めようとした。だが、達也は自ら前へ出て最初の一撃を避け、続く攻撃に刀を抜いて応じた。
刃がぶつかった。王も武芸を学んではいたが、前線で戦い続けてきた武将ではなかった。達也が距離を詰めると動きが乱れ、刀を払い落とされた。
「もうやめろ」
「殺せ!」
王は腰の短刀へ手を伸ばした。達也が腕を押さえても抵抗を続け、なお短刀を取ろうとした。
達也はためらったが、王が動きを止めないのを見て、首へ腕を回した。力を込めると鈍い音がして、王の体から力が抜けた。
達也はその体を床へ下ろした。
「終わった」
王宮の中が静まり返った。西夏王は動かなかった。
◇ ◇ ◇
王妃は王宮の奥で捕らえられた。達也の前へ連れてこられると、顔をこわばらせながらも、まっすぐに達也をにらんだ。
「私も殺すのですか」
「殺さない。人質として、開封へ来てもらう」
「王を殺した男についていけと言うのですか」
「拒まれても、連れていく。ただし、辱めるつもりはない。王妃として扱う」
通訳から答えを聞くと、王妃は口を閉ざした。
王家の有力者たちも次々に降伏した。王都陥落の知らせが各地へ送られ、抵抗を続けていた城も、王の死を知ると城門を開いた。
1119年、西夏王国は北宋軍に完全に屈した。
◇ ◇ ◇
達也は帰還を急がず、占領地の秩序を整えた。宋兵の略奪を引き続き禁じ、宋に従う西夏の役人は職に残した。税の取り立ても急には変えず、農民には田畑へ戻り、商人には店を開くよう命じた。
「役人をすべて宋人に替えなくても、よろしいのでございますか」
副将に尋ねられ、達也は首を振った。
「一度に替えたら、明日から誰が町を動かすのだ。昨日までは敵国でも、今日からは我々が治める土地だ。ここの暮らしを知る者に働いてもらう」
武器を置いた西夏兵も、全員を牢へ入れることはしなかった。農民は村へ、職人は仕事へ戻し、騎兵や軍人の中で今後も使える者は名簿に載せた。
北で金と戦うことになれば、西夏騎兵の経験は貴重だった。達也は征服した土地を壊し尽くすのではなく、人も産業も残し、統治できる状態にするつもりだった。
◇ ◇ ◇
数か月後、達也は西夏王妃を伴って開封へ凱旋した。王の首も、征服の証として運ばれた。
宮中では大規模な祝賀が行われた。皇帝は王の首を確かめ、次に王妃へ目を向けた。
「本当に国を取ってきたか。2万の兵で、西夏を滅ぼすとはな」
「兵たちがよく戦いました」
「またそれを申すか」
「事実でございます。僕1人では成し遂げられませんでした」
皇帝は笑ったあと、居並ぶ重臣たちの前で告げた。
「倉達也。お前の功は、侯爵や将軍の号では足りぬ。平西王に封ずる」
広間が静まり、達也は顔を上げた。
「王にしていただくのでございますか。僕は宋の臣下ですが」
「王になっても、余の臣下であることに変わりはない。西夏旧領を平西王領とし、その軍政をお前に任せる」
「僕が、あの地を治めるのでございますね」
「お前が取った国だ。宋の領土として、お前に預ける」
達也は深く頭を下げた。
「ありがたくお受けいたします」
独立国の王ではなかったが、旧西夏の軍事と政治を統べることになった。達也は北宋皇帝の臣下である平西王として、広大な領土を預かる身となった。
◇ ◇ ◇
皇帝はさらに、褒美を与えると言った。
「公主を1人、お前に嫁がせよう」
達也は顔を上げたが、すぐに頭を下げ直した。
「恐れながら、そのお話だけは辞退させてください」
広間がざわめき、皇帝も驚いた顔をした。
「公主が気に入らぬと申すのか」
「そうではございません。僕には、すでに多くの妻がおります」
皇帝は倉家の事情を思い出したらしく、口元を緩めた。
「確か、身ごもった女が何人もいたな」
「出征前の時点で9人でございました」
「そのあと、さらに増えてはおらぬだろうな」
「長く戦場におりましたので、増やしようがありません」
重臣の何人かが笑いをこらえて顔を伏せ、皇帝は声を上げて笑った。
達也は笑いが収まるのを待ち、辞退する理由を伝えた。
「公主を迎えれば、家の中に特別な序列が生まれます。今いる妻たちを、その下へ置きたくありません」
「公主を正妃に据えれば、何も問題はあるまい」
「僕にとっては、それが問題なのでございます。今まで一緒に暮らしてきた者たちを大切にしたいのです」
皇帝は達也を見た。
「公主より、今いる女たちを選ぶのだな」
「はい」
達也は迷わず答えた。しばらく沈黙が続いたあと、皇帝は再び笑った。
「よかろう。そこまで申すなら、無理には勧めぬ。ただし、あとで惜しかったと申しても知らぬぞ」
「申しません。お聞き届けいただき、ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
倉家へ戻った達也は、静蘭、月娘、瓶児と8人の側女たちを広間へ集めた。身ごもっている者が多いため、全員が無理なく座れるように椅子と長椅子が並べられた。
「皆に話がある」
達也が切り出すと、月娘はすぐに顔を向けた。
「また女が増えるのでございますか」
「今回は増えない。その心配はせずに聞いてくれ」
「今回は、というところが気になりますね」
金蓮が笑ったが、達也は取り合わず、皇帝から平西王に封じられたことを伝えた。女たちがそろって祝いを述べ、頭を下げると、達也は家の中の立場も変えると告げた。
「静蘭、月娘、瓶児。これまでの第1側室、第2側室、第3側室という序列をなくし、3人とも妃にする。正妃は置かず、3人の間に上下は付けない」
月娘が目を見開き、静蘭と瓶児も互いの顔を見た。
「私ども3人が、同じ立場になるのでございますね」
「そうだ。3人とも、俺の妃として家を支えてもらいたい」
達也は続いて、8人の方を向いた。
「嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意、恵蓮、一丈青。お前たちも、今日から全員を正式な側室にする」
8人の表情が変わった。玉楼が姿勢を正し、確かめるように尋ねた。
「私ども全員を、側室にしてくださるのでございますか」
「全員だ。側女としての扱いは、今日で終わりにする」
静蘭は達也を見た。
「公主を正妃に迎えられることは、ないのでございますか」
「皇帝陛下から話はあったが、辞退した」
広間が静まった。月娘が、そんな申し出を断ってよかったのかと尋ねた。
「公主を迎えれば、お前たちより上に置かなければならなくなる。それは嫌だと申し上げた」
「公主であれば、当然のことではございませんか」
「俺は、今まで一緒に暮らしてきたお前たちを、あとから迎えた者の下へ置くつもりはない」
誰もすぐには言葉を返さなかった。最初に口を開いたのは瓶児だった。
「平西王様。いつか後悔なさるのではございませんか。美しい方かもしれませんよ」
「そう聞けば、少し迷われるかもしれませんね」
金蓮まで口を挟んだので、達也は顔を向けた。
「金蓮、俺を何だと思っている。後悔しないと言っただろう」
女たちが笑う中、月娘は達也へ頭を下げた。
「私どもを選んでくださって、ありがとうございます」
「最初から選んでいる。王になったからといって、別の家族に替えるつもりはない」
静蘭も、これからは3人の妃と8人の側室で家を支えるのだと受け止めた。達也は全員を見回した。
「立場が変わっても、家の中まで堅苦しくするつもりはない。俺にとっては、今までと同じ家族だ」
「そうおっしゃっても、以前と同じ家ではございませんよ。妃が3人に側室が8人、もうすぐ赤子も次々に生まれます」
瓶児に続き、月娘も口を開いた。
「しかも、今度は西夏まで預かってお帰りになりました。家族だけでなく、国を治める責任も増えたのでございます」
「俺も、ここまで話が大きくなるとは思わなかった」
達也が苦笑すると、金蓮が笑った。
「女を増やすだけでは足りず、とうとう国まで増やされたのでございますね」
「今回は女を増やしていないぞ」
「そこは褒めて差し上げます」
「ずいぶん偉そうになったな、金蓮」
「王様の側室になりましたから」
広間に笑いが広がった。
◇ ◇ ◇
その夜、倉家では祝いの宴が開かれた。しかし、平西王となった達也には、これまで以上の仕事が待っていた。
開封知府の務めを続けながら、西夏旧領の統治と軍の整備も進めなければならない。西方の脅威は大きく減ったが、北では金が遼を追い詰めていた。次に備えるべき相手は明らかだった。
達也は宴の途中で庭へ出た。屋内の笑い声を背に、外の風に当たった。
西夏はもう敵国ではなく、自分が治める土地になった。2万人を率いて1国を征服し、その統治を任されるとは、北宋へ来た時には考えもしなかった。
「平西王か」
口にしてみても、まだ自分のこととは思えなかった。背後から月娘が近づいてきた。
「まだ信じられませんか」
「ああ。妙な感じがする」
「私は、少し分かる気がいたします。あなたは何かをなさるたびに、話を大きくしてお帰りになりますから。今回は国まで預かってこられました」
「褒めているのか。それでも、女は増やしていないぞ」
「そこは大きな進歩でございます」
2人は笑った。達也は月娘へ向き直った。
「出陣する時は、ずいぶん心配を掛けたな。悪かった」
「生きてお帰りになったのですから、もうよろしゅうございます」
「これからは西夏を治めるため、向こうへ出向くことも増える。家のことは頼む。静蘭と瓶児、それに身ごもっている側室たちにも、無理をさせないでくれ」
月娘は少し黙ったあと、うなずいた。
「王になられた以上、お務めを果たしていただかなければなりません。家のことは、お任せください」
「俺より月娘の方が、この家をよく分かっているからな」
「ようやくお気づきになりましたか」
「前から分かっていたさ」
達也は西の空を見た。西夏を征服したことで、知っていた歴史は大きく変わった。だが、金の脅威は残っている。
1127年まで、まだ時間はあった。達也は開封の陥落を待つのではなく、預かった領土と軍を整え、金に対抗できる力をつけるつもりだった。




