第10話(後編1)――「2万の征西軍」
(1119年1月下旬、北宋・開封府)
宮中から使者が来たのは、倉達也が開封へ戻って半月ほどたった頃だった。
倉家では、身ごもった静蘭、月娘、瓶児や側女たちのため、医者と女中が毎日のように行き来していた。達也も朝は府衙へ出向き、昼は軍の訓練を見て、夜は家族の様子を確かめる暮らしに戻っていた。
召しを受けて着替えていると、呉月娘が官服を整えながら口を開いた。
「西夏のことでなければよろしいのですが。せっかく追い返したのですから、今度はほかの方にお任せいただきたいものです」
「まだ用件は聞いていない。誰を行かせるかも、俺が決められることじゃないからな」
月娘が帯を締める手に力を込めたため、達也は顔をしかめた。
「おい、月娘。苦しいぞ」
「私どもの心配に比べれば、その程度は何でもございません。お帰りになって、まだ半月なのですよ」
「まだ戦へ行くとは言われていないだろう」
「嫌な予感がするのでございます。また出陣なさるとおっしゃったら、今度こそ怒りますからね」
達也は笑って受け流したが、宮中へ着くと、その予感を否定できなくなった。皇帝の前には、西北方面の地図が広げられていた。
◇ ◇ ◇
「西夏は此度の戦で退いたが、また来ると思うか」
皇帝に尋ねられ、達也は地図へ目を向けた。
「来ると思います。総大将と多くの兵を失っても、国も王も残っております。軍を立て直せば、再び攻めてくるでしょう」
「余も同じ考えだ。追い返すだけで終わらせぬためには、どうすればよい」
「攻めるのであれば、中途半端にはしない方がよいと思います。国境の城を2つ、3つ取っても、いずれ奪い返されます。西夏そのものを屈服させなければ、同じ戦が続きます」
周囲の重臣たちがざわめいた。皇帝は笑わずに達也を見た。
「余も、それを考えておった。倉達也、西夏を征伐せよ。兵は2万を与える」
達也はしばらく答えられなかった。国境へ侵入した軍を追い払うのではなく、1国を征服せよという命令だった。
2万人を動かすとなれば、毎日の食糧だけでも莫大な量になる。馬や武器、防具に加え、矢や医薬品を補充し、それらを運び続けなければならない。西夏領の奥へ進むほど、補給路も長くなる。
「僕に2万人を任せて、本当によろしいのですか。一騎打ちで敵将を倒すことと、大軍を指揮することは別です」
「その違いが分かっているからこそ、お前に任せるのだ」
皇帝は達也を見据えて続けた。
「お前は知らぬことを知らぬと申す。兵に無理を命じる時には自分も前へ出て、勝ったあとも捕虜をむやみに殺さなかった。戦に強いだけの男なら、ほかにもおる。余が欲しいのは、西夏を取ったあとまで考えられる男だ」
「征服したあとのことも、僕が受け持つのでございますか」
「詳しいことは、取ってから考えよ。まずは勝つことだ」
皇帝はそこで初めて笑った。
「西夏王を屈服させ、降らぬなら討て。都を落とし、再び宋へ兵を向けられぬようにせよ」
「承知しました」
達也は深く頭を下げた。こうして、22歳の平西将軍に2万人の征西軍が与えられた。
◇ ◇ ◇
宮中を出た達也は、そのまま軍営へ向かった。集められた兵を目にすると、引き受けた任務の大きさを改めて感じた。
歩兵を中心に弓兵と騎兵も加わっていたが、実戦経験も装備も一様ではない。十分な鎧を着けた者がいる一方、古い鎧を使い続けている者もいた。弓の強さには差があり、刀や槍も統一されていなかった。
「この軍で、西夏を滅ぼせるだろうか」
思わず口にすると、副将が驚いた顔をした。
「2万もおりますし、西北の軍も合流いたします。兵力は十分かと存じます」
「人数だけでは勝てない。今度は国境で敵を追い返せば済む戦ではないからな」
西夏には騎兵があり、国土も広い。城を1つ落として終わるのではなく、首都まで進んで王を屈服させなければならない。戦が長引けば、攻め込んだ宋軍の方が疲弊する恐れもあった。
達也は兵たちの装備を見ながら、洞窟に残された物資を思い浮かべていた。
◇ ◇ ◇
翌日の夕刻、達也は人目を避けて洞窟へ向かった。以前は栄養補助食品を取りに来たが、今回は、未来から持ち込まれた装備のうち、軍で使える物がどれほど残っているかを調べるつもりだった。
奥へ進むと灯りが見え、達也は足を止めた。この場所を知る者は限られている。身構えて耳を澄ませると、聞き覚えのある声がした。
「これをこっちへ置こう」
「いや、その箱は向こうだ」
達也は目を見開いた。
「直樹さん?」
2人の男が振り向いた。そこにいたのは、直樹と尚人だった。
「達也か。ずいぶん立派な格好になったな」
尚人に言われ、達也は自分の衣服を見た。北宋の衣を着て、腰には刀を差している。2人と別れた時とは、身なりも立場も変わっていた。
「いろいろありまして。それより、どうしてここにおられるのですか」
「それはこちらの台詞だ」
尚人が笑う傍らで、直樹は達也の顔を確かめるように見た。
「無事だったんだな。目的の女は見つかったのか」
「まだです。ただ、今はそれどころではなくなりました。戦に出ることになったのです」
達也は北宋へ来てからの経緯を話した。西門家に助けられ、科挙に合格し、開封知府となったこと、さらに皇帝から侯爵に封じられたことまで伝えると、2人は驚きながらも耳を傾けた。
西夏軍の侵入と、その総大将を一騎打ちで倒した話に及ぶと、尚人が途中で止めた。
「待て。今、総大将の首を折ったと言ったな。お前、こちらへ来て何をしているんだ」
「相手も僕を殺そうとしていましたから。戦だったのです」
直樹が笑った。
「達也らしいと言えば、達也らしいな」
「その功で平西将軍の号を頂きました。そして今度は、2万人を率いて西夏を征服するよう命じられました」
2人の表情が変わった。尚人は達也を見て、何を頼みたいのかと尋ねた。
「装備です。2万人が西夏軍に負けないだけの装備を、用意していただきたいのです」
「国を1つ落とすために、2万人分か。ずいぶん大きく出たな」
「兵を無駄に死なせたくありません。圧倒的に勝てる装備が必要です」
達也は2人を見つめた。尚人はすぐには返事をせず、近代装備を持ち込めば歴史が大きく変わると念を押した。
「もう変わっています。それに、このまま知っている歴史のとおりに進めば、北宋は1127年に滅びます。僕には妻たちも子供もいます。開封を金軍に渡すつもりはありません」
直樹はしばらく考えたあと、引き受けると答えた。
「分かった。必要な物を用意する」
「本当によろしいのですか」
「2万人分だな」
尚人もうなずいた。達也が頭を下げると、直樹は少し待つように言った。
達也が返事をする前に、2人の姿が消えた。洞窟に残された達也は、誰もいなくなった場所を見つめた。
「少しと言われても、どのくらいなのだろう」
腕を組んで待ったが、長い時間はかからなかった。突然、洞窟の奥に2人が現れ、その後ろには大量の物資が積まれていた。
「もう用意できたのですか!」
「こちらには、こちらの都合がある」
尚人は笑い、積まれた箱を示した。
衣服と丈夫な靴、防護具に加え、通信機器、医療用品、双眼鏡、照明がそろっていた。携行食や給水用品もあり、北宋の武器とは比較にならない近代的な火器と、その運用に必要な物資まで用意されている。さらに輸送用の車両もあった。
「これを、2万人に使わせてよいのですね」
「全部を一度に前線へ運ぶ必要はない。まず指揮官と選抜した兵に扱いを覚えさせ、部隊ごとに渡せばいい」
直樹は、現地で難しい整備を必要とする装備は避け、扱いやすい物を中心にしたと説明した。尚人も箱を指し、注意を付け加えた。
「説明書も入れてある。ただし、兵には未来の物だと言うな。それから、戦死者を減らしたいなら、武器だけでなく医療用品も重視しろ。そちらも大量に用意してある」
「ありがとうございます。本当に助かります」
達也が頭を下げると、直樹は西夏を取ったあとのことも考えておくように言った。
「そこは皇帝にも言われました」
「それなら、お前が王になることもあるかもしれないな」
「まさか」
達也が笑うと、尚人も笑った。
「北宋へ来てから、まさかと思うことばかりやっているのではないか。知府になり、侯爵になり、今度は将軍だろう」
達也は返事に困った。尚人の言うとおり、自分でも予想していなかったことばかりだった。
「では、俺たちは戻る。こちらにも仕事があるからな」
「また会えますか」
「時間が合えばな」
直樹と尚人が手を上げ、次の瞬間には姿が消えた。大量の装備の前に1人残された達也は、しばらく動けなかった。
残っている物を調べに来ただけのはずが、2万人の装備がそろっていた。達也は積まれた箱を見渡し、これを軍へ運び、使えるようにしなければならないと考えた。
◇ ◇ ◇
それから数日間、達也は信頼できる部下だけを洞窟へ連れていった。装備の出所は明かさず、自分が用意した新兵器だとだけ伝えた。
まず数百人に扱いを覚えさせ、その者たちを教官にして、順に訓練を広げていった。射撃や停止、前進と後退を命じる合図を整理し、弾薬の管理、通信、負傷者の救護も役割を分けて教えた。
2万人を動かすには、強い武器を配るだけでは足りない。誰が命じ、誰が実行するかを明確にするため、達也は兵を小さな単位に分け、それぞれに責任者を置いた。
「命令なしに動いてはならない。この武器は強いが、勝手に使えば味方まで危険にさらすことになる」
達也は訓練のたびに念を押した。兵たちは初めて見る装備に驚いていたが、繰り返し練習するうち、扱える者が増えていった。
特に大きな変化をもたらしたのは、通信機器だった。従来なら早馬を走らせなければならない命令が、離れた部隊へ短時間で届くようになった。双眼鏡で遠くの動きを確かめ、照明を使えば夜間の行動もしやすくなる。負傷した兵に施せる処置も、以前より充実した。
達也は訓練を見ながら、これなら勝てると口にした。
「勝利の見通しが立ったのでございますね」
副将に問われ、達也は西へ目を向けた。
「この装備を生かして、必ず勝つ。兵を無駄に失う戦にはしない」
2万人の征西軍は、1119年春に開封を出発することになった。今度は国境から敵を追い払うためではなく、西夏王国を征服するための出陣だった。




