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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第8話(後編2)――「残された家」

 西門慶(シーメン・チン)は、隠し持っていた最後の精力薬を酒で飲み、開封の屋敷で息を引き取った。


 商人として複数の店、倉、土地、貸付金を持ち、開封府の治安を裏側から支えていた男である。死んだからといって、棺へ納めれば全てが終わるわけではなかった。


 正室の李瓶児(リー・ピンアル)をはじめ、西門家の妻妾、使用人、番頭、店の者たちが残された。


 さらに、西門慶が王六児(ワン・リウアル)へ与えた別宅と、その夫である番頭の韓道国(ハン・ダオグオ)との関係も、曖昧なままでは済まされなかった。


 倉達也(ツァン・ダーイエ)は、死者の財を奪うのではなく、残された人々が生きていける形へ改めようとする。

 (1118年夏、北宋・開封府(カイフォンフ)・西門家)


 西門家の門に白布が掛けられた。


 表の通りには、朝から弔問の馬車が並んだ。薬種商、質屋、絹商、妓楼の主人、賭場の主人、捕吏、荷車を引く者までが門をくぐった。


 表の商いで恩を受けた者もいれば、裏の弱みを握られていた者もいる。


 誰もが香を手向け、棺の前では深く頭を下げた。


 達也は喪主の席には座らなかった。


 西門慶の妻でも血縁でもない。開封侯であり知府であっても、家の葬儀を奪うべきではなかった。


 正室の瓶児が白い喪服を着て、女たちの先頭に座った。玉楼がその脇で弔問客の名を記し、雪娥は厨房へ入り、訪れた者へ出す粥と湯を切らさなかった。


 嬌児は香や白布の数を確かめた。金蓮は棺から少し離れた場所に座り、終日、顔を上げなかった。如意は瓶児と玉楼の間を行き来し、必要な品を運んだ。


 月娘は倉家から弔問に来た。


 喪服ではなく、地味な白灰色の衣を着ている。すでに離縁した女が正室の位置へ戻れば、瓶児の立場を傷つける。そのため、達也の第2側室として、静蘭と並んで香を手向けた。


 瓶児が立ち上がろうとすると、月娘は手で制した。


「今は、あなたがこの家の奥様です。その席を離れてはなりません」


「月娘様」


「お身体を大切になさい」


 月娘は、それ以上言わなかった。


 棺の前へ進み、深く頭を下げた。


 西門慶と夫婦であった年月は消えない。だが、月娘は泣かなかった。


 戻れと言われても、戻る家ではなくなっていた。


 達也は棺へ向かい、膝をついた。


「旦那様。受けた御恩は忘れません。残された者を飢えさせず、あなたが作った仕事も無駄にはいたしません」


 返事の代わりに、香の煙が細く上がった。


 ◇ ◇ ◇


 葬儀が終わると、次に帳面が開かれた。


 西門慶個人の財産、西門家の店、達也と共同で持つ土地と倉、精力薬の利益で買った荷車、治安維持のために預かった銀を、全て分けなければならない。


 達也は、府衙の官吏を2人立ち会わせた。


「西門家の財を、知府である僕が勝手に動かしたと言われてはなりません。1文まで記録してください」


 静蘭が商いの帳面を開き、玉楼が西門慶個人の出入りを説明した。月娘は同席しなかった。離縁の際、西門家の商いにも家の争いにも関わらないと決めている。


 7日かけて調べた結果、西門慶の財産は4つに分けられた。


 1つ目は、西門家が以前から持つ薬種店、質屋、土地、屋敷である。


 2つ目は、達也と西門慶が共同で買った倉、荷車、店である。


 3つ目は、火消し、護衛、夜回りを養うために預かった銀である。


 4つ目は、王六児の別宅、林夫人へ贈った品、帳面に記されていない貸付金など、西門慶が女や私用へ動かした財である。


「共同の財は、旦那様の持ち分を買い取ります」と達也。


 瓶児が尋ねた。


「その銀は、どなたのものになるのでございますか」


「西門家の財産へ入れます。旦那様が以前から持っていた店と土地も売りません。番頭と使用人を残し、そこから入る銀で、皆の暮らしを支えます」


「知府様が、お取りになるのではないのですか」と嬌児。


「取りません。僕が受け取るのは、共同財の僕の持ち分と、貸した元手だけです」


 静蘭が、書き上げた数字を全員へ見せた。


「今後、西門家を出る方も、ここへ残る方も、御自分が持っていた衣、装身具、持参金は、その方の財産といたします。旦那様から個人に贈られた物も、証人か記録があれば取り上げません」


「記録がなければ」と金蓮。


「ほかの方が、その人へ贈られた物だと認めればよろしいのです」と静蘭。


 女同士に奪い合わせれば、死者の財をめぐる争いになる。互いに認めた品は本人へ渡し、争いのある品だけを西門家へ残すことにした。


 瓶児は帳面を見つめた。


「私には、これほどの家を守れません」


「玉楼様がいれば、店と屋敷は回せます」と達也。


「私は正室でございます。それなのに、何もできませんでした。旦那様がお倒れになった夜も、おそばへ残らず、王六児様にお任せして帰りました」


「それで旦那様が亡くなったのではありません」


「分かっております。それでも、この席へ座っていると、月娘様と比べられます。旦那様からも比べられました。私は、正室の器ではございません」


 達也はすぐに答えなかった。


 正室を務められないことと、女として価値がないことは違う。その二つを混ぜれば、瓶児は再び自分を責める。


「瓶児様。正室の座を降りたいのですか」


「はい」


「西門家を出たいのですか」


 瓶児は長く黙った。


「ここには、失った子と旦那様のことばかりが残っております」


 達也は、その答えを受け止めた。


「すぐに行き先を決める必要はありません。喪が明けるまで、ここで休んでください。その後、もう一度、御自分の望みを聞きます」


 ◇ ◇ ◇


 王六児と韓道国を西門家へ呼んだのは、葬儀から10日後であった。


 韓道国は帳場の前へ座り、何度も額の汗を拭った。王六児は夫から少し離れ、背筋を伸ばしている。


 静蘭と玉楼が同席し、府衙から書記が1人来た。


「王六児様が暮らしている別宅は、西門慶が西門家の銀で買ったものです」と達也。


 韓道国はすぐに頭を下げた。


「私は何も存じません。旦那様が妻へお与えになった物でございまして――」


「知らなかったのですか」


 韓道国は答えなかった。


「旦那様と奥方の関係を知りながら、仕事を口実に家を空けたことは、番頭仲間も知っています。今さら、何も知らなかったという話にはできません」


「店を追われれば、私どもは食べられませんでした」


「だから、妻を主人へ差し出したのですか」


「差し出したなどとは――」


 王六児が夫を見た。


「あなたは、旦那様が来る夜を私へ知らせ、自分から店へ泊まったではありませんか」


「お前も嫌がってはおらなんだ」


「嫌がらなければ、妻を商いのために使ってよいのでございますか」


 韓道国は口を閉じた。


 達也は2人を見た。


「これは、西門慶の罪だけでも、韓道国殿の罪だけでもありません。王六児様にも御自分の意思があったのでしょう。ただし、夫婦としては、すでに長く壊れています」


 王六児が答えた。


「私は、この人の妻へ戻るつもりはございません」


「韓道国殿は」


「私が離縁すれば、店はどうなります」


「番頭の仕事と夫婦の話は分けます。帳面をごまかさず、店の銀を盗んでいないなら、仕事は続けられます」


「本当でございますか」


「妻を手放せば店を与えるのではありません。働きが正しければ残すと言っているのです」


 韓道国は、王六児を見た。


 夫婦の情より先に、店の行く末を尋ねた男である。王六児の目から、最後の迷いが消えた。


「離縁状を書いてください」と王六児。


 韓道国は、書記が用意した紙を見た。


「私だけが、妻を捨てたことになるのですか」


「互いに夫婦を終えると記します」と達也。


「王六児が住んでいる別宅は、どうなります」


「契券は西門慶の名で、西門家の帳面にも代金が記されています。西門家の財産として戻します」


 王六児が達也を見た。


「私が、あの家を追い出されるのでございますか」


「今すぐではありません。行き先が決まるまでは住んでください。御自分の衣や装身具、旦那様から贈られたと認められる品は、全てお持ちになれます」


「家を買い取ることはできますか」


「できます。ただし、西門家へ正当な代価を払わなければなりません」


 王六児は少し考えた。


「あの家へ、そこまで執着はございません。旦那様が来るために買った家でございます。今後も1人で住めば、いつまでも旦那様の女として見られます」


「では、売るか、人へ貸します。得た銀は西門家の暮らしと店の維持に使います」


「それで結構でございます」


「王六児様の新しい住まいは、別に定めます。それまでは、誰にも家から出るよう命じさせません」


 王六児は頭を下げた。


「お願いいたします」


 韓道国は筆を取った。


 離縁状には、夫婦双方の意思で縁を解くこと、互いの財を返すこと、今後、相手の暮らしへ口を出さないことが記された。


 韓道国が署名し、王六児も自分の名を記した。


 書記と玉楼が証人となった。


 こうして王六児は、韓道国の妻ではなくなった。


 ◇ ◇ ◇


 西門慶の死から49日が過ぎた。


 達也は倉家の客間へ、瓶児、嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意を集めた。


 静蘭と月娘も同席した。


 達也は上座へ座らず、女たちと同じ高さの椅子へ腰を下ろした。


「今日、皆様を呼んだのは、西門家を誰が継ぐかを決めるためではありません。皆様が、これからどこで、どのように暮らすかを決めるためです」


 嬌児が最初に尋ねた。


「西門家の屋敷へ、このまま住むことはできますか」


「できます。ただし、主人のいない屋敷へ女だけを置けば、親族や商人が財を狙います。店を管理する者と護衛を置きます」


「知府様が西門家の主人になられるのですか」と金蓮。


「なりません。西門家の店は、旦那様が残した財産です。僕は後見人として帳面を監督します」


「では、私たちは未亡人として、あの屋敷で老いるのでございますか」


「それを望む方には、住まいと毎月の銀を渡します。再婚を望む方には、持参金を返し、相手を調べたうえで送り出します」


「知府様の家へ入る道もあると伺いました」と王六児。


 達也はうなずいた。


「あります。ただし、身分と住まいを明確にします」


 達也は瓶児を見た。


「瓶児様。喪が明けたあとも、西門家を出たいというお気持ちは変わりませんか」


「変わりません」


「僕の側室となることを、望まれますか」


 部屋が静かになった。


 瓶児は膝の上で両手を重ねた。


「私は、旦那様のお子を失いました。旦那様も亡くなり、正室の務めも果たせませんでした。そのような私を迎えて、達也様に何の得がございますか」


「得を数えて妻を迎えるのではありません」


「お情けでございますか」


「それも違います。瓶児様は、僕が西門家へ来た時から、怪我を案じ、食事を運び、科挙へ送り出してくださいました。僕は、その御恩を覚えています。これからは、失った子や旦那様のためだけでなく、御自分のために生きていただきたい」


 瓶児は静蘭と月娘を見た。


「お二人は、よろしいのでございますか」


 静蘭が答えた。


「知府様お一人の思いつきではございません。私と月娘様も話し合いました」


 月娘は瓶児へ向き直った。


「あなたを西門家の正室へ置いたままにしたのは、あの方でございます。その席を降りたいと願ったあなたへ、もう一度、望まぬ役目を背負わせるつもりはありません」


「月娘様。私は、あなた様の代わりになれませんでした」


「私の代わりになる必要はなかったのです」


 瓶児の目から涙が落ちた。


「私を、側室としてお迎えください」


 達也は深く頭を下げた。


「大切にいたします」


 瓶児は、静蘭、月娘に続く第3側室となった。


 正室の座は、これまでと同じく空けたままである。


 次に達也は、残る女たちへ告げた。


「嬌児様、玉楼様、雪娥様、金蓮様、王六児様。それから如意。皆様を、倉家の側女として迎えます」


 金蓮の眉が動いた。


「瓶児は側室で、私たちは側女なのでございますか」


「はい」


「私が瓶児より劣るとおっしゃるのですね」


「誰が優れ、誰が劣るという話ではありません。側室は家の一員として内向きの責任を負います。側女にも部屋と俸銀を定めますが、側室と同じ席次には置きません」


「夜のお相手は」と王六児。


「側女となれば、僕が求めた夜には寝所へ侍っていただきます。その代わり、倉家が身元と一生の暮らしを引き受けます。ほかの男へ嫁ぐことはできません。衣食、部屋、毎月の俸銀を定め、子が生まれれば僕の子として倉家で育てます」


 達也は言葉を切り、6人の顔を順に見た。


「寝所へ入ることを望まない方は、側女になる必要はありません。西門家の屋敷へ残る道も、店で働く道も、持参金を受け取って再婚する道もあります。今ここで、御自分の意思を聞かせてください」


 最初に嬌児が答えた。


「私は、側女として倉家へお入りいたします。知府様がお求めの夜には、寝所へ参ります」


 玉楼も続いた。


「私も同じでございます。帳面を見るだけの雇い人ではなく、達也様の側女としてお仕えいたします」


 雪娥は膝の上で指を組んだが、やがて顔を上げた。


「私も、お迎えください。厨房の仕事をしていても、私は達也様の側女でございます。お召しがあれば参ります」


 王六児は迷わなかった。


「韓道国と縁を切ったのは、別の男へ嫁ぐためではございません。私は達也様の側女となります」


 如意は、瓶児ではなく達也を見た。


「私も、瓶児様付きの侍女としてではなく、達也様の側女としてお迎えください。ほかの皆様と同じお扱いをお願いいたします」


「分かりました。如意にも1人の側女として部屋と俸銀を定めます。瓶児様の世話役にはいたしません」


「ありがとうございます」


 金蓮だけは黙っていた。


 玉楼が尋ねた。


「私どもも、すぐに倉家へ移るのでございますか」


「いいえ」


 達也は、用意していた屋敷の絵図を卓上へ広げた。


 倉家の母屋の裏手に庭があり、その先に新しい建物の線が引かれている。各人の居室、共用の座敷、炊事場、湯殿、使用人の部屋が分けて記されていた。


「倉家の敷地に、皆様が暮らすための離れを建てます。大部屋へ押し込むつもりはありません。1人ずつ部屋を持ち、中央の座敷と庭だけを共用にします」


 嬌児が絵図をのぞき込んだ。


「私どものために、これをお建てになるのでございますか」


「はい。ただし、完成には数か月かかります。それまでは、西門家の屋敷で暮らしてください」


「主人のいない家に、私どもだけでございますか」と雪娥。


「表の帳場には番頭と書記を置き、門には護衛を置きます。夜回りの者も出入りします。倉家からも女中と使用人を加えます」


 金蓮が達也を見た。


「知府様は、私どもを側女にしておきながら、別の屋敷へ置かれるのでございますね」


「離れが完成するまでです。僕も時折、西門家へ参ります」


「帳面を見るために、でございますか」


「暮らしと仕事を確かめるためでもあります」


「それだけでございますか」


「それ以上のことは、その時に決めます」


 金蓮は口元に笑みを浮かべたが、月娘がいるため、それ以上は言わなかった。


 達也は女たちを順に見た。


「旧西門邸にいる間も、皆様は倉家の側女です。必要な衣食と俸銀は倉家から出します。西門家の財産と皆様の俸銀を混ぜてはなりません。玉楼様と静蘭様が、別々の帳面を作ります」


 玉楼が尋ねた。


「私が帳場へ出てもよろしいのでございますか」


「西門家の店を最も知っているのは玉楼様です。静蘭様と一緒に、店と倉の帳面を見てください」


「承知いたしました」


「雪娥様には、当面は旧西門邸の炊事を任せます。離れが完成した後は、倉家と兵の炊事も見ていただきたい。大勢へ同じ量を食べさせ、米と薪を無駄にしない者が必要です」


 雪娥は初めて顔を上げた。


「厨房の人選も、私がしてよろしいのでございますか」


「任せます。ただし、食べ物を罰に使ってはなりません」


「そのようなことはいたしません」


「嬌児様は、衣、布、装身具の目利きを生かしてください。倉家の女たちと兵の家族へ渡す衣を買い、古くなった物を売る仕事があります」


 嬌児は、自分の袖を見た。


「安い布ばかりを着せるお仕事ではございませんね」


「丈夫で、値に見合う布を選ぶ仕事です。見栄のために高い物を買えば、静蘭様が帳面を返します」


「厳しいのでございますね」


「僕より厳しいです」


 静蘭は否定しなかった。


「王六児様には、客の顔と懐を見分ける力があります。高官、富商、妓楼との商談を手伝ってください」


「別宅を出ましたら、私も西門家へ移るのでございますか」


「はい。離れが完成するまでは、ほかの皆様と旧西門邸で暮らしてください。王六児様の部屋も用意します」


「元の妻妾と、旦那様の隠れた女が、同じ屋根の下でございますか」


「争いが起きそうですか」


 王六児は玉楼たちを見た。


「西門慶様が生きておられたなら、起きたでしょう。今は、争う相手がおりません」


「ならば、そこで暮らしてください。別宅は売るか、人へ貸します。どちらにするかは、玉楼様と相談して決めます」


「承知いたしました」


「如意には、旧西門邸で使う日用品と、倉家から送る衣食の受け取りを任せます。品が届けば数を確かめ、玉楼様の帳面と合わせてください」


「承知いたしました」と如意。


 最後に、達也は金蓮を見た。


「金蓮様には、今すぐ仕事を決めません」


「私には何もできないとおっしゃるのですか」


「違います。御自分が何をしたいかを決めてください」


「私が瓶児を押したと思っておられるのでしょう」


「瓶児様は、あなたに押されたとは言っていません。証拠のないことで罰しません」


「では、なぜ私だけ――」


「金蓮様は、人から決められた役目へ置けば、その役目を憎む方です。だから御自分で選んでください」


 金蓮は達也を見つめた。


 かつて西門家の離れで迫った時、達也は恩人の妻妾へ手を出せないと退けた。その男が今、開封侯となり、自分の行き先を決める位置にいる。


「側女となれば、私もお召しになるのでございますね」


「はい。側女として迎える以上、金蓮様だけを寝所から外すつもりはありません」


「では、私が拒めば、側女にはなれないのでございますね」


「なれません。その代わり、側女にならない道は残します」


 金蓮は、かすかに笑った。


「では、側女となります。お召しになれば寝所へ参ります。知府様がいつまで、そのお顔でいられるか見届けとうございます」


「僕を試すために倉家へ入るのですか」


「それも、私が選んだ仕事でございます」


 月娘が口を開いた。


「金蓮。倉家の側女となるなら、旧西門邸にいる間も倉家の決まりに従ってもらいます。瓶児へ手を上げることも、ほかの女の部屋へ勝手に入ることも許しません」


「月娘様は、もう西門家の正室ではないのでございましょう」


「倉家では、私が内向きを預かっています」


 金蓮は月娘を見たあと、達也へ目を戻した。


「離れへ移った後も、月娘様がお決めになるのでございますね」


「その方が家は収まります」と達也。


 金蓮は肩をすくめた。


「承知いたしました」


 こうして、嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意は、達也の側女となった。


 6人は、達也に求められた夜には寝所へ侍ることを承知したうえで、側女となる道を自ら選んだ。


 瓶児は先に倉家へ移り、嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意の6人は、専用の離れが完成するまで旧西門邸で暮らすことになった。


 ◇ ◇ ◇


 西門家の屋敷は、売らずに残した。


 母屋には嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、如意が引き続き暮らした。王六児も別宅を出た後、西門邸の一室へ移った。


 6人はそれまでと同じ部屋へ閉じ籠もるのではなく、それぞれに役目を持った。


 玉楼は表の帳場へ出て、店と倉の帳面を調べた。嬌児は西門家に残る衣や布を選り分け、売る物と使う物を分けた。雪娥は厨房の者をまとめ、屋敷と夜回りの者へ食事を出した。王六児は、かつて西門慶とつながっていた商人や妓楼の主人を訪ね、取引を継続する者と離れる者を見極めた。如意は倉家から届く米、油、布、薪の数を確かめ、玉楼へ報告した。瓶児の侍女としてではなく、自分に任された役目であった。


 金蓮だけは、しばらく仕事を持たなかった。


 しかし、何もせずに遊んでいたわけではない。離れの絵図を広げ、自分の部屋の窓がどちらを向くのか、庭へ何を植えるのかを職人へ尋ねていた。


「蓮を植えてはなりません」と金蓮。


 職人が困った顔をした。


「御名前に合う花かと存じました」


「西門家で見飽きました。桃か杏にしてください」


「実のなる木でございますか」


「花だけ咲いても、腹は満たされません」


 雪娥がその話を聞き、初めて声を上げて笑った。


 旧西門邸の門には、倉家から派遣された護衛が立った。


 表の店を管理する帳場と、夜回り、火消し、護衛の詰所も置かれた。西門慶が集めた裏の情報は、玉楼と王六児を通じ、静蘭のもとへ送られた。


 林夫人との関係は終わらせた。


 林夫人は林太尉の妻であり、西門慶が死んだからといって倉家へ迎えられる女ではない。西門慶から贈られた品については返還を求めず、今後は使いも贈り物も送らないと伝えた。


 韓道国は薬種店の番頭として残った。


 ただし、王六児へ近づくことは禁じられた。仕事の帳面は玉楼と静蘭が二重に確かめ、以前のように主人の情事を手助けして利益を得る道は閉ざされた。


 王六児の別宅は、しばらく人へ貸すことになった。


 急いで売れば買いたたかれる。借り手から得る銭を西門家の帳面へ入れ、離れの建築費の一部に充てる。いずれ値が上がった時に売るか、そのまま貸し続けるかを決めることにした。


 達也は、10日に一度ほど旧西門邸を訪れた。


 昼に来る時は、玉楼と帳面を見て、王六児から商人たちの動きを聞いた。雪娥が作った食事を女たちと同じ卓で食べ、嬌児が仕入れた布を確かめた。


 夜まで残ることもあった。


 夜まで残る時は、達也がその晩に侍る側女を決めた。


 側女となることを承諾した6人も、その意味を曖昧には受け取っていなかった。名を呼ばれた女は湯を使い、髪を整えて寝所へ入った。達也も、側女として迎えながら客のように振る舞うことはしなかった。


 最初の夜、達也は客間を自分の寝所に定めた。


 すると金蓮が酒を持って現れた。


「時折おいでになるとおっしゃったのは、客間でお眠りになるためでございましたか」


「皆様の暮らしを見るためです」


「ご覧になって、いかがでございます」


「思ったより、よく収まっています」


「私どもが毎日、髪をつかみ合っていると思われたのでございますか」


「少しは」


「正直なお方でございますね」


 金蓮は酒壺を卓上へ置いた。


「今夜、私をお召しになりますか」


 金蓮は正面から尋ねた。


「はい。来てください」


「ようやく、私を側女として扱ってくださるのでございますね」


「そのつもりで迎えました」


 金蓮は酒壺を持ち上げた。


「では、湯を使ってまいります。今夜は客間ではなく、御主人の寝所になさってください」


 達也はうなずいた。


 金蓮は自分の部屋へ戻り、衣を替えた後、約束どおり達也の寝所へ入った。


 達也が旧西門邸に泊まる夜は、その後も同じであった。嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意の誰を召すかは達也が決め、呼ばれた女は側女として寝所へ侍った。


 6人は、行き場を失ったために名だけの側女となったのではない。達也の女となることを自分で承知し、その立場に伴う務めも受け入れて、次の住まいが完成するのを待っているのである。


 ◇ ◇ ◇


 瓶児が倉家へ移る日、西門家の門には、まだ白布の名残があった。


 瓶児の荷は多くなかった。自分の衣と装身具、亡くした子のために作った小さな産着、西門慶から贈られた香盒だけである。


 月娘が迎えに来た。


「お忘れ物はございませんか」


「ございません」と瓶児。


「後から思い出した物があれば、玉楼へ言えば届けてくれます」


 瓶児は門を振り返った。


「私は、この家で2人を失いました」


「はい」


「それでも、ここを出てよいのでございましょうか」


「亡くなった方のために、生きている者まで家へ閉じ込める必要はありません」


 瓶児はうなずいた。


 嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意が門の内側に並んでいた。


「私だけが先に出ることになり、申し訳ございません」と瓶児。


 玉楼が首を振った。


「瓶児様は側室でございます。私どもより先に倉家へ入るのは当然でございます」


「離れができましたら、また同じ家で暮らせます」と雪娥。


 嬌児が瓶児の衣を直した。


「倉家の側室が、そのように頼りないお顔をなさってはなりません」


「嬌児様」


「先に行って、私どもの部屋が狭くならないよう、よく見張っていてください」


 瓶児の顔に、わずかな笑みが浮かんだ。


 如意が瓶児へ頭を下げた。


「これまで、おそばで多くのことを教えていただきました」


「如意。あなたも達也様の側女となったのです。もう私の世話をする必要はありません」と瓶児。


「はい。離れができましたら、同じ倉家で暮らせます」


「それまでは、御自分の役目を果たしてください」


「承知いたしました」


 王六児が一歩前へ出た。


「私どもは、ここで離れの完成を待ちます。知府様もおいでになります。瓶児様は、何も御心配なさらないでください」


 瓶児は6人へ頭を下げた。


「皆様。長い間、ありがとうございました」


「別れではございません」と玉楼。


「はい」


 達也は馬車の脇で待っていた。


「瓶児様。参りましょう」


「はい」


 達也は瓶児の荷へ手を伸ばした。


「達也様がお持ちになる物ではございません」と瓶児。


「月娘様にも同じことを言われました」


「それでも、お聞きにならなかったのでございましょう」


「はい」


 瓶児の笑みが、少し深くなった。


 馬車が動き始めると、瓶児は窓から旧西門邸を見た。


 門の前に残る6人の姿が、次第に遠くなった。


 だが、取り残してきたのではない。


 倉家の裏手では、すでに職人が土を掘り、材木を運び込んでいる。側女たちが暮らす離れが完成すれば、6人も倉家へ移る。


 それまでは、西門慶が残した屋敷で生活し、達也が時折そこを訪れる。


 女たちが移った後も、旧西門邸は売らない。


 表の帳場、店と倉を管理する拠点、夜回り、火消し、護衛の詰所として残す。西門慶が悪党と商人を動かした屋敷は、開封の町を守るための場所へ変わるのである。


 西門慶の死によって、西門家は消えなかった。


 店も、屋敷も、夜回りも残った。悪党を使って町を守る仕組みも、達也が引き継いだ。


 だが、女たちの暮らしは変わった。


 瓶児は正室という重い席を降り、達也の第3側室となり、1人で倉家へ移った。


 嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意は、達也の側女として旧西門邸で暮らしながら、新しい離れの完成を待つことになった。


 王六児は韓道国と離縁し、誰かの妻としてではなく、自分の名で商いを助ける女となった。


 西門慶が女を集めた家は、主人の欲を満たすための家であった。


 達也が引き受けたのは、女たちを行き場のない居候として養うことではない。側室と側女の身分を分け、それぞれが承知した立場に応じて、住まいと俸銀と役目を定めることであった。


 死者が残した縁を切り捨てず、生きている者が自分の名で暮らせる形へ改めることであった。


 夕暮れの開封に、夜回りの拍子木が響いた。


 旧西門邸の門前に立つ護衛が、その音を聞いて通りの先へ目を向けた。


 屋敷の奥では、玉楼が帳面を閉じ、雪娥が夕餉の支度を始めていた。嬌児は新しく届いた布を広げ、王六児は翌日の商談について話している。


 金蓮は庭へ出て、西の空を見上げた。


 倉家の方角には、達也がいる。


 いずれ自分たちも、そこへ移る。


「次においでになるのは、いつでございましょうね」


 金蓮の独り言に、玉楼が帳場から答えた。


「知府様にも、お仕事がございます」


「分かっております」


「待ち遠しいのでございますか」


 金蓮は振り返らなかった。


「離れの出来具合を、お尋ねしたいだけでございます」


 玉楼は、それ以上追及しなかった。


 西門慶の名は、やがて町の噂から薄れていく。


 しかし、彼が集めた人と財と悪知恵は、開封を守ろうとする21歳の侯爵の手に残った。

 第8話後編2では、西門慶(シーメン・チン)の葬儀と、死後に残された家、財産、妻妾の処置を描いた。


 倉達也(ツァン・ダーイエ)は、知府の地位を利用して西門家の財を奪ったと見られないよう、府衙の官吏を立ち会わせた。西門家固有の財産、達也との共同財産、開封の兵と夜回りのために預かった銀、西門慶が私用へ動かした財を分けて清算した。


 王六児(ワン・リウアル)と番頭の韓道国(ハン・ダオグオ)は、すでに夫婦として暮らしていなかった。韓道国は西門慶と妻の関係を知りながら、店を守るために家を空けていた。達也は仕事と離縁を交換条件にせず、王六児本人の意思を確かめ、双方の署名と証人をそろえて離縁させた。


 王六児が暮らしていた別宅は、西門家の銀で買われ、契券も西門慶の名であった。そのため、西門家の財産として残し、当面は人へ貸すことにした。王六児は旧西門邸へ移り、ほかの側女たちと暮らす。


 西門慶の死から49日後、李瓶児は正室の座を降り、達也の第3側室となり、先に倉家へ移った。


 李嬌児、孟玉楼、孫雪娥、潘金蓮、王六児、如意は、達也の側女となった。


 ただし、側女全員が直ちに倉家へ移ったわけではない。達也は倉家の敷地内に、側女たちのための離れを増築することにした。各人の居室、共用の座敷、庭、炊事場、湯殿を備えた生活区画である。


 離れが完成するまで、嬌児、玉楼、雪娥、金蓮、王六児、如意は旧西門邸で暮らす。達也は時折同邸を訪れ、女たちの暮らしと仕事を確かめる。


 玉楼は店と倉の帳面、雪娥は炊事、嬌児は衣と布の仕入れ、王六児は富商や妓楼との折衝を担う。如意は倉家から届く日用品の受け取りと数量確認を任され、金蓮には本人が望む仕事を選ばせることにした。


 6人は、達也に求められた夜には寝所へ侍る立場であることを承知し、それぞれ自分の意思で側女となった。如意も瓶児付きの侍女には戻さず、ほかの5人と同じ達也の側女として扱う。


 林夫人は林太尉の妻であるため、倉家へ迎えず、西門慶との関係を終わらせた。


 側女たちが離れへ移った後も、旧西門邸は売却しない。店と倉を管理する帳場、夜回り、火消し、護衛の詰所として残す。


 西門慶が女を囲い、商人と悪党を動かした屋敷は、やがて開封を守るための拠点へ変わっていく。

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