第8話(中編1)――「二人の降参」
1118年夏、侯爵となった倉達也は、開封知府として政務と軍を預かる一方、屋敷では2人の側室に支えられていた。
第1側室の曹静蘭は商いと対外折衝を担い、第2側室の呉月娘は、達也との間に生まれた赤子を育てながら家中を取り仕切っている。
開封府の治安を裏側から支える西門慶は、達也が前夜に月娘と静蘭を2度ずつ抱いたと知り、対抗心を燃やした。西門家へ帰ると、達也から止められた精力薬を酒で飲み、王六児の別宅へ向かった。
西門慶を止めていた月娘は、もう西門家にはいなかった。
(1118年夏、北宋・開封府・倉家)
西門慶を乗せた馬車が門前から去ると、倉達也は客間へ戻った。
卓には食べかけの料理と、ほとんど口を付けられなかった酒が残っている。衝立の近くでは、呉月娘が赤子を抱いていた。
「西門様は、今夜も薬をお使いになるでしょうか」と曹静蘭。
「使うと思います」
「あれほど強く止められた直後でございますよ」
「だからこそです。旦那様は、僕に負けたと思っています」
達也は西門慶が座っていた場所へ目を向けた。
脈は速く、顔は赤かった。額には汗が浮かび、前夜の服用時刻も明かさなかった。在庫から消えた6錠を全て自分で使ったとは限らないが、少なくとも何錠かは西門慶の腹へ入っている。
「旦那様は、薬を売る役から外します」
「お怒りになります」と静蘭。
「怒らせて構いません。明朝、西門家へ人を送り、残っている薬を全部回収します。今後は静蘭様が保管し、売る時だけ必要な数を渡してください」
「西門様ご自身へは」
「当分、1錠も渡しません」
月娘が赤子の背を軽くたたきながら口を開いた。
「今夜のうちに回収なさった方がよろしいのではございませんか」
「旦那様は、もう持ち出しているかもしれません」
「それでも、屋敷に残った分は取り上げられます」
月娘は西門慶の性質を知っている。人から止められれば、一度は笑って聞き流す。その後、自分には何の問題もないと証明するため、かえって無茶をする男であった。
「私が参ります」と月娘。
「いけません」
達也は即座に止めた。
「薬箱の置き場所は、私が存じております」
「月娘様を西門家へ戻したくありません」
「戻るのではございません。薬を取り上げに参るだけです」
「同じです。旦那様は、月娘様が自分を心配して来たと思います」
月娘は反論せず、腕の中の赤子を見た。
西門家を離れてから、月娘が以前の屋敷へ足を運んだことはない。西門慶の妻妾と使用人は開封の新しい屋敷へ移ったが、そこで月娘が再び女主人のように振る舞えば、瓶児の立場も悪くなる。
「僕が兵を連れていけば、旦那様は薬を隠します。静蘭様の番頭を行かせてください。売り物の棚卸しだと言えば、屋敷に残った分は数えられます」
「承知いたしました。今すぐ2人を向かわせます」
静蘭が立ち上がった。
「待ってください。西門家へ着いたら、旦那様が屋敷にいるかも確かめさせてください。いなければ、行き先を聞かせます」
「王六児の別宅か、林夫人の屋敷でございましょう」と月娘。
「潘金蓮様の部屋かもしれません」
「1人の女で済ませるとは思えません」
月娘の言葉に、達也は黙った。
静蘭は女中へ指示を出し、商いを預かる番頭2人を西門家へ向かわせた。
客間の片づけが始まると、達也は赤子を受け取った。生後半年ほどになった子は首が据わり、達也に抱かれても泣かなかった。達也の衣の襟を小さな指でつかみ、口へ運ぼうとする。
「それは食べられません」
「何でも口へ入れる時期でございます」と月娘。
「父親に似たのでしょうか」
「欲しいものへ手を伸ばすところは、よく似ております」
「僕は衣を食べません」
「衣ではなく、女の話でございます」
静蘭が戸口で笑った。
「月娘様。昨夜2度も抱かれたのに、まだ足りなかったのでございますか」
「足りたとは申しておりません」
「では、今夜も知府様を独り占めなさいますか」
「静蘭様もいらっしゃればよろしいでしょう」
達也は2人の顔を交互に見た。
「今夜は3人で休むのですか」
「知府様が、途中でお眠りにならなければ」と静蘭。
「昨夜は眠りませんでした」
「私たちが眠ったあとも、赤子をあやしておられました」
「眠くなかっただけです」
「21歳の若さを、あまり自慢なさらない方がよろしいですよ」と月娘。
「自慢していません」
「では、今夜確かめましょう」
月娘は赤子を抱き取った。
達也は、2人が冗談を言っているのだと思った。
しかし、月娘と静蘭は目を合わせ、同時に笑った。
◇ ◇ ◇
夕刻までに、西門家へ向かった番頭が戻った。
「精力薬は、棚に4錠だけ残っておりました」
静蘭が帳面を開いた。
「前回渡した数から、売った分を引けば10錠残るはずです。6錠足りないという、朝の計算と同じでございます」
「4錠は回収しましたか」と達也。
「こちらにございます」
番頭は封をした木箱を差し出した。
「西門様は、どちらへ」
「王六児という女の別宅へ向かったと、下男が申しておりました。その後は潘金蓮様の部屋へ戻ると話していたそうでございます」
「薬を何錠持って出たかは」
「分かりません。木箱は、西門様がご自分で扱っておられました」
達也は4錠を静蘭へ預けた。
「今夜、王六児の別宅へ人を置きます。中へ入らず、旦那様が出てくるかだけ見張らせてください」
「倒れられた場合は」
「すぐ僕を呼びに来させます」
西門慶が王六児と寝台へ入ることまで止める権限はない。だが、胸の痛みや意識の異常が出れば、一刻を争う。
達也は府衙から医者を1人呼び、薬の特徴と予想される症状を改めて伝えた。西門慶本人が服用を認めなくても、顔色、脈、呼吸、胸の痛みを見て判断するよう命じた。
「今夜は、いつでも出られるようにしておきます」と達也。
「私たちの部屋へ来られないのでございますか」と静蘭。
「呼び出しがなければ行きます」
「呼び出されるまでは、私たちの夫でいてください」と月娘。
「もちろんです」
「そのお返事を、後で後悔なさらないでください」
達也には、月娘の言葉の意味がまだ分からなかった。
◇ ◇ ◇
赤子が眠ったあと、月娘の部屋へ静蘭が寝間着姿で現れた。
夏の夜である。窓は細く開けられ、寝台には薄い掛布だけが置かれている。隣室には乳母が控え、赤子が泣けばすぐ知らせることになっていた。
月娘は髪を下ろし、白い寝間着の帯を緩く結んでいた。静蘭も化粧を落としている。昼間は家と商いを分けて預かる2人が、今夜は同じ寝台の縁へ並んで座った。
「本当に3人で休むのですか」と達也。
「嫌でございますか」と静蘭。
「嫌ではありません」
「では、戸を閉めてください」と月娘。
達也が閂を掛けて振り返ると、月娘が手招きした。
「知府様は昨夜、私たちを2度ずつ抱いたことを、西門様の前で知られてしまいました」
「月娘様が答えたのです」
「隠すようなことではございません」
「西門様は、ひどく悔しそうでございました」と静蘭。
「僕は旦那様と競っていません」
「それは存じております。ですが、私たちは少し困りました」
「何がですか」
「知府様は、私たちが満足したところでおやめになりません」と月娘。
達也は月娘の前へ立った。
「嫌でしたか」
声から笑みが消えていた。
月娘は達也の手を取り、自分の胸へ当てた。
「嫌なら、今夜ここへお呼びいたしません」
「私も参りません」と静蘭。
「では、困るとは」
「どこまで続けられるのか、私たちにも分からないのでございます」
静蘭が達也の背後から帯へ手を掛けた。
「今夜は、私たち2人で知府様を先に疲れさせます」
「僕をですか」
「お嫌なら、お逃げください」
月娘が達也の帯を解いた。
「逃げません」
「では、本当に止めてほしい時の合図を決めておきましょう」と静蘭。
静蘭は達也の右腕を3度たたいた。
「どちらかが、このように3度たたいた時は、言葉にかかわらず、必ずお止まりください」
「分かりました」
「それ以外は、遠慮なさらなくて結構でございます」と月娘。
2人が先に決めた約束であった。
達也は月娘を抱き上げ、寝台の中央へ横たえた。静蘭が隣へ上がり、月娘の寝間着を肩から抜いた。
授乳を続ける月娘の乳房は重く、達也が片方へ口を付けると、月娘は短く息を吸った。
「あまり強くなさらないでください。赤子の分でございます」
「昨夜は、もっと強くと言いました」
「今は静蘭様が見ておられます」
「私は見ておりますから、どうぞお続けください」と静蘭。
静蘭は月娘へ口づけ、達也の手を月娘の脚の間へ導いた。
月娘の身体は、すでに達也を迎える支度を始めていた。達也が指で触れると、腰が小さく持ち上がる。
「先ほどまで、知府様を疲れさせると申していたのではありませんか」と静蘭。
「まだ始まったばかりでございます」
月娘は達也の肩を引き、脚を開いた。
達也が身体を重ねると、月娘は声を抑えながら受け入れた。出産後の身体を気遣って遠慮していた頃は、もう過ぎている。達也は腰を抱き、深く、速く突いた。
寝台が一定の間隔で鳴り、月娘の乳房が揺れた。静蘭は隣で月娘の手を握っていたが、やがて達也へ背中を向け、寝間着を脱いだ。
「私を忘れておられませんか」
「忘れていません」
「口だけでは困ります」
達也は月娘を抱いたまま、静蘭の尻へ手を伸ばした。静蘭は自分からその指へ身体を寄せた。
「静蘭様まで、知府様を助けておられます」と月娘。
「月娘様ばかり先に満足なさるからです」
達也の動きがさらに速くなると、月娘は静蘭の手を強く握った。
「知府様、もう……」
月娘の声が途切れ、身体が震えた。
達也は止まらなかった。右腕を3度たたく合図はない。月娘は達也の腰へ脚を絡め、むしろ逃がすまいと引き寄せている。
「もう十分でございます。今度は静蘭様を……」
「僕を疲れさせるのでしょう」
「申しましたが、少し待って……」
達也が奥へ突き上げると、月娘は言葉を失い、静蘭の肩へ顔を伏せて悲鳴を漏らした。
それでも、右腕をたたく手は伸びてこない。
達也は月娘をもう一度絶頂へ追い込み、自分もその中へ放った。
月娘は息を乱し、掛布へ身体を沈めた。
「これで、お疲れになりましたか」と静蘭。
「まだです」
「すぐにお答えになるところが、腹立たしゅうございます」
静蘭は達也を仰向けにし、その上へまたがった。
「次は私が動きます。知府様は、何もなさらないでください」
静蘭は達也を自分の中へ導き、ゆっくり腰を沈めた。
月娘を抱いた直後である。それでも硬さを失っていないことを確かめ、静蘭は目を見開いた。
「本当に、少しもお休みにならないのでございますね」
「静蘭様が乗ったからです」
「私のせいになさるのですか」
静蘭は両手を達也の胸へ置き、自分の速さで腰を動かした。初めは達也を疲れさせるつもりで、深く、激しく上下した。しかし、次第に息が上がり、腕に力が入らなくなる。
「静蘭様、交代いたしましょうか」と月娘。
「まだでございます」
静蘭は意地を張った。
達也は何もせずにいられなくなり、静蘭の腰を両手でつかんだ。下から強く突き上げると、静蘭の身体が跳ねた。
「知府様、何もなさらない約束で……」
「約束していません」
「ずるいお方でございます」
静蘭は責めながらも、達也の胸へ倒れ込み、自分から腰を押しつけた。
達也は細い腰を抱え、下から容赦なく突き続けた。静蘭は声を抑えきれず、月娘の名を呼んだ。
「月娘様、代わってください。もう、私は……」
「知府様を疲れさせるのでございましょう」
「その前に、私が動けなくなります」
静蘭は達也の肩をつかんだ。しかし、3度たたくのではなく、離れまいと抱き締めている。
「知府様、もうやめて……これ以上は、本当に……」
達也は一度、腰を止めた。
「合図ですか」
静蘭は荒い息をしながら首を横に振った。
「止まらないでください」
「どちらですか」
「聞かないでください。恥ずかしゅうございます」
月娘が笑い、静蘭の手を達也の右腕から外した。
「静蘭様は、お続けいただきたいのでございます」
「月娘様」
達也は静蘭の返事を確かめてから、再び腰を動かした。
今度は遠慮しなかった。静蘭の身体を胸へ抱き寄せ、奥へ届く角度で何度も突き上げる。静蘭は月娘の肩へ顔を埋め、寝台の外まで響く声を上げた。
絶頂が過ぎても、達也の動きは弱まらない。
「もう無理でございます。知府様、お願いですから……」
「合図をしますか」
静蘭はまた首を横に振った。
「では、続けます」
「容赦のないお方でございます」
達也は静蘭をもう一度震わせたあと、深く抱いて果てた。
静蘭は達也の胸から滑り落ち、月娘の隣へ横たわった。
「月娘様。知府様は、人ではございません」
「御前試合を御覧になったでしょう」
「5人の男より、私たち2人の方が先に負けました」
達也は2人の間へ横になった。
「もう休みますか」
月娘と静蘭は同時に達也を見た。
「まだ続けるおつもりでございますか」と月娘。
「2人が僕を疲れさせると言ったので」
「取り消します」と静蘭。
「私も取り消します」と月娘。
「では、僕の勝ちですね」
「勝ち負けの話ではございません」
達也が月娘の腰へ手を回すと、月娘はその手首をつかんだ。
「知府様。本当に、少しお休みください」
「嫌ですか」
「嫌ではございません。身体が追いつかないのでございます」
月娘は達也へ口づけたあと、自分から脚を開いた。
「あと一度だけでございます」
「月娘様が望んだのですよ」
「分かっております。ですが、ゆっくり……」
達也は月娘を抱き寄せた。
初めは望まれた通り、ゆっくり動いた。しかし、月娘が達也の背へ爪を立て、もっと深くと耳元で求めると、若い身体は再び勢いを取り戻した。
「ゆっくりと申したばかりでございます」
「月娘様が、もっと深くと言いました」
「深くと、速くは違います」
「では、遅くします」
達也が動きを緩めると、月娘は自分から腰を上げた。
「遅過ぎます」
「どちらですか」
「意地の悪いお方でございます」
静蘭は隣で笑おうとしたが、疲れて声が出なかった。
達也が再び強く腰を打ちつけると、月娘は耐えきれず悲鳴を上げた。もうやめてほしいと訴えながらも、達也の背へ回した腕をほどかない。右腕を3度たたく合図もなかった。
達也は言葉だけに甘えず、月娘の顔と身体の反応を確かめ続けた。月娘が自分から腰を寄せ、口づけを求めるたびに、さらに深く抱いた。
「もう、満足を通り越しております……知府様、これ以上は……」
「止めますか」
「止めないでください」
月娘は恥じらいを捨てて答えた。
達也は月娘を抱き締め、最後まで力を緩めなかった。
月娘の身体が大きく震え、寝台に悲鳴が響いた。達也も深く腰を押しつけ、その中へ放った。
終わった時、月娘は達也の胸へ額を預けたまま動けなかった。
「知府様」
「はい」
「明日は、静蘭様のお部屋でお休みください」
「月娘様が呼んだのですよ」
「今は後悔しております」
「私は明日、別の屋敷へ泊まります」と静蘭。
「僕を置いていくのですか」
「身を守るためでございます」
3人は同じ寝台で笑った。
その時、隣室で赤子が泣いた。
月娘が起きようとしたが、脚へ力が入らず、寝台へ戻った。
「僕が連れてきます」
達也はすぐに起き、寝間着を身に着けた。
「なぜ、知府様だけが普通に歩けるのでございますか」と静蘭。
「まだ21歳だからです」
「そのお答えは、もう聞きたくございません」と月娘。
達也は隣室から赤子を抱いて戻り、月娘へ渡した。月娘は胸を開いて乳を含ませたが、赤子を支える腕に力が入りにくい。
達也が後ろから支えた。
「私たちをここまでになさって、平然と子の世話までなさるのですね」と月娘。
「僕の子です」
月娘は達也へ身体を預けた。
「この子が乳離れするまで、西門家へ返さぬという約束でございました」
「返しません」
「西門様は、いずれ返すと思っておられます」
「この子は僕の家で育てます」
静蘭が掛布を月娘の脚へ掛けた。
「その話は、いつか西門様と決着をつけなければなりません」
「分かっています」
達也が答えた直後、門の方で激しく戸をたたく音がした。
3人の顔から笑みが消えた。
廊下を走ってきた女中が、戸の外から告げた。
「知府様。王六児様のお宅へ置いた者が戻りました。西門様がお倒れになったそうでございます」
達也は赤子を月娘へ預け、立ち上がった。
「医者と護衛を呼んでください。すぐ向かいます」
先ほどまで2人の妻を抱いていた21歳の身体は、疲れを見せなかった。
しかし、達也の表情からは、夜の熱が完全に消えていた。
第8話中編1では、西門慶が精力薬を隠して服用している疑いを受け、倉達也が残りの薬を回収した。
西門家に残っていたのは4錠だけであり、帳面から消えた6錠の行方は分かっていない。西門慶は達也の警告を受けた直後、王六児の別宅へ向かった。
夜、呉月娘と曹静蘭は、2人で達也を疲れさせようとした。本当に止めたい時は達也の右腕を3度たたくという合図を決め、互いの意思を確かめたうえで、3人で寝台へ入った。
達也は月娘と静蘭が満足したあとも衰えず、2人は「もうやめてほしい」と訴えるほど追い込まれた。しかし、達也が止めるかを確認すると、2人とも続けることを望んだ。
21歳の達也は、満足を通り越した2人が降参したあとも、平然と赤子を抱いて世話をした。
その直後、王六児の別宅を見張っていた者が倉家へ駆け込み、西門慶が倒れたと知らせた。




