第8話(前編1)――「二つの帳面」
(1118年夏、北宋・開封府・倉家)
夜明けの鐘が鳴る少し前、衝立の向こうで赤子が泣き出した。呉月娘が隣で眠る倉達也の腕を外して起きようとすると、達也も目を開けた。
「僕が抱きます」
「知府様は、あと半刻お休みください。乳を差し上げるのは、あなた様にはできません」
月娘が笑うと、達也は掛布を押しのけた。
「それでも、ここへ連れてくることはできます」
衝立の向こうの小さな寝台から、生後半年ほどになった赤子を抱き上げた。御前試合で大男を投げた腕も、わが子を抱く時は慎重だった。首と背を支えながら顔をのぞいても、赤子は顔を赤くして泣き続けている。
「泣き方で何を求めているか分かるようになると聞きましたが、まだ難しいですね」
「今はお腹が空いているのでございます。こちらへお連れください」
月娘は寝台に腰を下ろして寝間着の胸を開き、赤子を受け取った。片腕で頭を支えて乳首を含ませると、泣き声が止まり、乳を吸う音が聞こえ始めた。
出産からは日がたち、月娘は家の仕事に戻っていた。腹にはまだ丸みが残っているものの、産後すぐの張りや痛みはない。乳房は以前より豊かになり、授乳の時刻が近づくと乳がにじむこともあった。
達也は隣に座り、赤子の頬を指先でなでた。
「よく飲みますね」
「父親に似たのでございましょう」
「僕は乳を飲みません」
月娘は達也の顔を見た。
「昨夜、何をなさったか、もうお忘れでございますか」
達也は返す言葉を失った。赤子が吸いついている左の乳房とは反対に、右の乳首には昨夜達也が強く吸った跡が残っていた。
「昨夜は暗くて、そこまで赤くなっているとは気付きませんでした」
「では、今夜は灯を消さないことにいたします。ただし、昼の政務を終え、夕餉を召し上がり、静蘭様のお望みも聞いたうえでお越しくださいませ」
「月娘様は、僕の夜まで取り仕切るのですね」
「家の中は、私が預かることになっておりますから」
赤子が乳首を離すと、月娘は肩へ抱き上げて背を軽くたたいた。げっぷが出るのを見て、達也も手を差し出した。
教えられた通りに肩へ布を置き、赤子を受け取ると、眠りかけたままの口が再び乳を探すように動いた。
「僕にはありませんよ」
困った顔をする達也に、月娘が笑いかけた。
「昨夜のあなた様のように吸われては、お困りでしょうね」
「朝からその話を続けるのですか」
「父親に似たと申しましたのに、あなた様がお認めにならないからでございます」
戸の外で女中が起床の時刻を告げた。達也は赤子を小さな寝台へ戻し、月娘が衣を整える間に着替えた。
侯爵になっても、開封知府の朝は変わらない。府衙では訴状のほか、倉や運河、物価、治安の報告が待ち、100人の隊の訓練も見なければならなかった。
「今夜は早く帰ります」
「昨日もそうおっしゃいました。お帰りをお待ちしておりますが、昼餉は抜かないでくださいませ」
月娘は達也の帯を結び直しながら続けた。
「夕刻まで戻れない時は、府衙で何か召し上がるよう、従者にも頼んでおります」
「僕の従者まで月娘様の配下なのですか」
「知府様に食事をしていただくためなら、誰にでも頼みます」
達也は月娘の額に口づけ、小さな寝台をのぞいた。赤子はすでに眠っている。
「行ってきます」
「お戻りになる頃には、また泣いておりますよ。私は泣かずにお待ちしております」
達也は笑い、もう一度月娘に口づけてから部屋を出た。
◇ ◇ ◇
朝餉を終えた月娘は、母屋の広間へ帳面を集めさせた。卓には米や麦、薪、油、炭、衣、薬、使用人の給金を記した帳面が並び、広間の隅に置いた籠では赤子が眠っていた。
乳母は雇っているが、乳が出る間はできる限り自分で飲ませるつもりだった。
「昨日は白米が2升多く出ております。何に使ったのでございますか」
台所を預かる女中が、帳面の該当する箇所を示した。
「府衙の護衛4人へ夕餉を出しました。知府様のお供でしたので、屋敷の分へ入れております」
「公務の護衛に出した食事は、府衙へ請求する分でございます。倉家の客人へ出した分とは分けなさい。公と私を混ぜれば、役所の銭で自分の家を養っていると疑われます」
月娘は女中を責めず、余白に4人分を書き直させた。続いて薪の残りを確かめると、今の使い方なら11日分あるという。
「10日分を切る前に買います。先月の商人と、もう1軒から値を取りなさい。赤子の洗い替えも、不足はございませんね」
「十分にそろえております」
「では、昼にも汗の具合を見て着替えさせてください。暑い日が続いておりますから」
そこへ曹静蘭が、書付を収めた箱を抱えて入ってきた。淡い灰青色の夏衣を着ている。
「月娘様。西門家から、昨日の売上と治安の帳面が届きました」
「朝のお食事はお済みでございますか」
「先に帳面をお見せしようと思いまして」
「食事を抜いて読んでも、数字は増えませんよ」
「減りもしないでしょう」
「静蘭様のお身体が痩せてしまいます」
月娘が女中に命じると、粥と湯が運ばれてきた。静蘭は席に着き、差し出された匙を取った。
「家の中はお任せしたはずですが、私の朝餉まで含まれるのでございますね」
「倉家で暮らす方は、知府様も静蘭様も、あの子も、私が預かります」
「では、逆らわずにいただきます」
静蘭は粥を食べながら箱を開けた。中の3冊は、避妊具と精力薬の売上帳、店や倉、土地への出資帳、それに開封の賭場や妓楼、捕吏から集めた情報を記した帳面だった。
西門慶は正式な官人ではなく、表向きは知府の治安対策に協力する商人だった。実際には、賭場から銀を受け取る捕吏、盗人をかくまう妓楼、盗品を扱う古物商を調べている。
従わない捕吏には証拠を突きつけ、従う者には取り分を残して、達也へ情報を上げさせていた。裏の事情に通じた西門慶は、この仕事を楽しんでいた。
静蘭は治安の帳面を開いた。
「南東の2坊で夜盗が3人捕らえられました。2人は同じ一味で、残る1人は盗品を古物商へ持ち込んだところを押さえられております。西門様が、先に古物商へ話を通していたそうです」
「どのような条件をお出しになったのでございますか」
「今後、盗品を持ち込んだ者を知らせれば、過去の軽い取引は調べないと約束したようです。ただし、人を傷つけた盗人や強盗から品を買った者は除くという条件で、知府様も認めておられます」
「西門様らしいやり方でございますね」
月娘は確認を終えた帳面を閉じた。悪党を残らず捕らえようとすれば、逃れた者は身を隠してしまう。西門慶は捕らえる者と使う者を分け、協力する者に別の悪党を見張らせていた。
籠の中で赤子が身じろぎし、声を上げた。月娘が抱き上げると、静蘭はその口元を見た。
「先ほど乳を飲んだばかりではございませんか」
「父親に似て、欲しいものを我慢いたしません」
「知府様も、夜中にお腹が空いたとおっしゃるのでございますか」
「欲しがるのは食べ物とは限りませんよ」
静蘭は月娘の顔を見て、昨夜のことだと悟った。
「こちらでお休みだったのでございますね。お身体に差し支えはございませんでしたか」
「医者からは、とうに差し支えないと言われております。知府様も初めは遠慮なさいましたが、途中からお忘れになったようでございます」
月娘は赤子をあやしながら、何事もなかったように答えた。
「今夜は静蘭様も、お覚悟なさった方がよろしいでしょう」
「昨夜、十分お疲れにさせたのでございましょう」
「あの方は少し眠れば戻ります。御前試合で5人に勝った方ですから、私1人で勝てる相手ではございません」
2人は顔を見合わせて笑った。やがて赤子が泣き出し、月娘は広間の奥の衝立へ回って、胸を開き乳を含ませた。
その間も売上帳を読んでいた静蘭が、ページを繰る手を止めた。
「月娘様、精力薬が記録より6錠少なくなっております。西門様は、高官2人へ試供品として3錠ずつ渡したと説明しておられますが、相手の名がございません」
「お名前を記せない理由も、お聞きになったのでございますね」
「高官の体面に関わるため、明かせないとのことでございます」
月娘は乳を飲む赤子を支え直した。精力薬は達也が未来から持ち込んだ品で、高官や富商とのつながりを作るため、西門慶の店に扱わせている。ただし、相手の心臓の病や酒量を確かめ、一度に渡す数も制限していた。
「試供品を、そのような相手へ3錠ずつも渡すはずがございません」
「私もそう申し上げました。すると、自分で使ったのではないと笑っておられました」
月娘は返事をせず、西門家に残した薬箱を思い出していた。西門慶が自分で飲む薬は、売り物とは別の木箱に入れてあった。月娘は服用した日と時刻、酒量、身体の変化まで私用の帳面に記していた。
西門慶は細かすぎると文句を言ったが、翌日また飲もうとするたび、月娘はその帳面を見せて止めた。薬箱は西門家に残したものの、帳面はほかの持ち物とともに倉家へ運んでいる。
「今は、どなたが薬箱を預かっておられるのでございますか」
静蘭に尋ねられ、月娘は答えた。
「瓶児でしょう。ただ、流産後の身体も心も、まだ十分には戻っておりません。屋敷と店の帳面も、玉楼が手伝っているはずです」
「それでは、西門様がご自分で薬箱を持っておられるかもしれませんね」
「知府様に知らせ、強く言っていただきます」
静蘭は月娘の方へ顔を向けた。
「飲み方をご存じの月娘様から、お尋ねにはならないのでございますか。命に関わることでございましょう」
「離縁の時、西門家の家内や妻妾の争いには戻らないと申しました。私が薬の飲み方を尋ねれば、未練があると受け取られます。ですから、知府様にお願いするのでございます」
月娘は乳を飲み終えた赤子を抱き直した。
「長く夫婦だった方です。死ねばよいとは思いません。それに、西門様が倒れれば、知府様の治安の仕事も止まります」
静蘭はうなずき、薬の記録があるページに紙を挟んだ。
◇ ◇ ◇
達也が府衙から戻った時には、すでに日が暮れていた。官服の袖には墨が付き、腰には100人の隊の稽古場から持ち帰った木札を下げている。侯爵になっても、帰宅の時刻は早くならなかった。
広間では静蘭と、赤子を抱いた月娘が迎えた。
「お帰りなさいませ。お待ちしておりました」
静蘭の挨拶に、月娘が言い添えた。
「私どもは先に夕餉を済ませております。知府様も、お手を洗ってお召し上がりください」
卓には、温め直した鶏の汁物と麦飯、青菜が並んでいた。達也は手を洗うと、月娘から赤子を受け取って席に着いた。
「今日は泣きませんね。僕の顔を覚えてくれたのでしょうか」
「毎日、あなた様が父親だと話しておりますもの」
世間では西門慶の子を達也が引き取ったことになっている。この子の本当の父親は達也だが、そのことを屋敷の外で明かすわけにはいかなかった。達也は赤子の額へ頬を寄せた。
「今日は町を歩かれたのでございますか」
「南門近くの火除け地を見てきました。小屋が増えて道幅が狭くなっています」
「それで、お昼も十分に召し上がれなかったのでございましょう」
「餅を2つ食べました。昨日より1つ増えています」
「それで済ませてよいことにはなりません。汁物をすべて召し上がるまで、帳面はお見せいたしませんよ」
達也が静蘭を見ると、静蘭も微笑んだ。
「家の中では、月娘様に従うことになっております」
達也は赤子を月娘に返し、2人に見守られながら食事を終えた。差し出された薬の帳面を読み始めると、表情が変わった。
「6錠も合わないのですね。高官2人に渡したという説明は、確かめられましたか」
「名を明かせないとの一点張りでございます。ご自分で使ったのではないと、こちらから尋ねる前におっしゃいました」
静蘭の返答を聞き、達也は帳面を閉じた。
「疑われる前に、使っていないと言い出すのは気になります。明日、旦那様から治安業務の報告を受ける際に確かめます」
「どうか、強くおっしゃってくださいませ」
月娘は腕の中の赤子を見下ろした。
「西門様に倒れられては、瓶児たちも困ります。私も、長く夫婦だった方を見過ごす気にはなれません」
「分かっています。僕にとっても恩人です。死なせるつもりはありません」
達也は静蘭へ向き直った。
「明日の報告は、こちらで受けるのでしたね」
「はい。侯爵のお祝いも兼ねて来られます」
月娘が赤子を抱き直した。
「では、この子にも会っていただきましょうか。抱かせてもよろしいのでございますね」
達也は少し考えてから答えた。
「旦那様は自分の子だと思っていますから、会わせずに隠す必要はありません。月娘様がよければ、抱かせても構いません」
「あの方は、乳離れするまで連れていてよいと申しました。今ごろになって父親の顔をなさるなら、何をおっしゃるか聞いてみます」
その口調には、西門慶への怒りが残っていた。
◇ ◇ ◇
赤子が眠ったあと、達也は月娘の部屋に入った。湯浴みを終えた月娘は薄い寝間着をまとい、ほどいた髪を背へ垂らしていた。
「今夜は静蘭様のお部屋へ行かれるのではございませんか」
「その前に、月娘様の顔も見たいと思いました」
「お顔を見るだけで、お帰りになれますか」
達也は戸を閉め、月娘に近づいた。
「帰ってほしいのですか」
「いいえ。お引き止めするつもりで申し上げたのでございます」
月娘はためらわずに達也の帯を解いた。達也もその腰を抱き寄せ、唇を重ねた。朝の軽い口づけとは違い、舌を絡めて長く唇を離さなかった。月娘は首へ腕を回し、達也の背に爪を立てた。
寝間着の合わせが開くと、達也は露わになった左の乳首に口を付けた。吸われた先から乳がわずかににじみ、月娘は達也の頭を抱えた。
「朝より強うございます」
「痛いですか」
「その程度でやめないでください」
月娘は達也の頭を胸へ押しつけた。達也は片方の乳房を口で愛し、もう一方を手のひらで揉んだ。赤子に乳を与える時とは違う感覚に、月娘の脚の間が濡れていった。
達也の手が腹を下り、太腿の間へ入った。
「もう、こんなに濡れているのですね」
「昨夜、途中で寝かせてくださらなかったのは、どなたでございますか」
「月娘様が、まだ離れるなとおっしゃったからです」
「今夜も同じことを申し上げます」
月娘は達也の下衣へ手を入れ、硬くなったものを握った。
「昨夜あれほどなさったのに、もうこのようになっておられます。お若いというのは恐ろしいことでございますね」
「月娘様が触るからです」
「触らなくても、お部屋へ入られた時から分かっておりましたよ」
2人は寝台へ倒れ込んだ。妊娠中のように腹をかばう必要はなく、産後の傷も癒えている。達也は月娘の脚を大きく開き、自分の腰へ回させた。
「遠慮なさらないでください」
「本当に、このまま進めてよいのですね」
月娘は達也のものを自分の入口へ導いた。
「またお尋ねになるのでございますか。私はあなた様の子を産み、身体もとうに戻っております。今夜は、身重の女を扱うようになさらないでください」
達也が一息に深く入ると、月娘の喉から声が漏れた。腰を引いて再び奥まで突く動きは、昨夜より速く、強かった。寝台がきしむたびに乳房が揺れ、月娘は達也の背を抱いて腰を受け止めた。
「この方が、よろしいのでございます。もっと深くなさってください」
達也は求められるままに力を抑えず、何度も奥へ突き入れた。月娘も脚を高く絡め、達也が引くたびに腰を上げた。口を閉じても突かれるたびに息が漏れ、乳首を指でつままれると身体が強く震えた。
「知府様、そこを……そのまま……」
達也は動きを緩めなかった。月娘の指が肩へ食い込み、身体が弓なりになったところで、達也も腰を深く押しつけ、中へ放った。
荒い息が重なる間も、達也は身体を離さなかった。月娘はその耳元に唇を寄せた。
「これで終わりでございますか。私は、まだ離れてほしくございません」
達也は答える代わりに月娘の腰を抱いて身体を起こし、今度は自分の上へ乗せた。月娘は達也の胸に手を置き、自分で腰を上下させた。達也は揺れる乳房を両手で包み、乳首を指で転がした。
「静蘭様のお部屋へ行けなくなっても、私は存じませんよ」
「行きます。静蘭様を抱く分は、別に残っています」
「そのようなことを、私の中へ入れたままおっしゃるのでございますね」
月娘は笑いながら腰を速めた。2度目に達也を受け入れ終えると、その胸へ崩れ落ち、しばらく身体を預けていた。
衝立の向こうで赤子が声を上げたため、2人は動きを止めた。達也が起き上がろうとすると、月娘が腕を押さえた。
「起こしてしまいましたね。抱く前に、お身体を拭いてくださいませ」
達也は苦笑し、湯で手と身体を清めた。月娘も下着を替え、胸元を整えてから赤子を抱き上げた。乳を求める口に乳首を含ませると、赤子はすぐに吸いついた。
「先ほどまで父親が吸っていた乳を、今度は子が飲むのでございますね」
「赤子にまで説明しなくてよいです」
「まだ何も分かっておりませんよ」
達也が母子を見守っていると、月娘は顔を上げた。
「今夜は、静蘭様のお部屋へもお行きください」
「ですが、もう遅くなりました」
「遅くしたのは知府様でございます」
「月娘様も、まだ離れてほしくないとおっしゃったではありませんか。あそこでやめれば、怒ったでしょう」
月娘は授乳しながら笑った。
「もちろんでございます。それでも、静蘭様を商いをする者としてだけ扱ってはなりません。私と同じ、あなた様の妻でございます」
「分かっています。これから行ってきます」
「抱いて差し上げてくださいませ。ただし、明朝起きられないという言い訳は認めませんよ」
◇ ◇ ◇
静蘭の部屋には、まだ灯がともっていた。達也が入ると、静蘭は卓上の書付を片づけた。
「月娘様は、お休みになられましたか」
「赤子へ乳を飲ませています。ずいぶん待たせてしまいましたね」
「帳面を読んでいただけでございます」
達也は戸へ手をかけた。
「では、お邪魔しない方がよさそうですね」
静蘭が袖をつかんだ。
「知府様は、時々意地が悪うございます」
達也は振り返って静蘭を抱き寄せた。静蘭は胸に手を添え、達也の顔を見上げた。
「月娘様の匂いがいたします」
「湯で清めてきたのですが」
「身体ではなく、お顔でございます。満足なさった男の顔をしておられます」
「静蘭様にも、同じ顔にしていただきます」
達也は静蘭の唇を塞いだ。帯を解いて衣を肩から落とし、胸を愛撫すると、静蘭は息を吐いて寝台へ手をついた。
「月娘様を2度も抱かれたのでしょう。1度で、あれほど遅くなるとは思えません」
「回数まで数えていたのですか」
「家の外の帳面は、私が預かっておりますから」
「この回数は、帳面に書かなくてよいです」
静蘭が笑う間に、達也は背後から抱きついた。月娘の部屋で2度果てたあとだったが、静蘭の尻に触れる頃には再び硬くなっていた。
「本当にお若いのでございますね。私を置いて眠られたら、月娘様へ申し上げるつもりでした」
「まだ21歳ですから、その心配はいりません」
達也は静蘭を寝台へ伏せさせ、脚の間へ入った。月娘のように言葉で強く求めることは少ないが、入口に触れると静蘭は自分から腰を寄せてきた。
「ゆっくりにしましょうか」
「月娘様には、遠慮なさらなかったのでしょう。私にも、同じようになさってください」
達也が背後から深く入ると、静蘭は寝具を握った。達也は細い腰を両手でつかみ、引き寄せながら強く突いた。月娘を抱いた疲れは見えず、待たせた時間を埋めるように動きが激しくなった。
静蘭は声を抑えていたが、角度が変わって奥に届くたび、声が漏れた。
「知府様……そのようになさっては、明朝、起きられなくなります」
「僕は起きます。静蘭様も起こしますから」
「そのお元気があるなら、もっと……」
達也は望まれるままに腰を速めた。静蘭が身体を震わせて達也の名を呼ぶと、達也もその身体を深く抱え込み、中へ放った。
夜が更けても、達也はすぐには眠らなかった。静蘭を仰向けにし、今度は正面から抱いた。口づけながら脚を開かせ、反応に合わせて速さを変えるうち、静蘭も明朝の心配を口にしなくなり、達也の首へ腕を回した。
その夜4度目を終え、達也はようやく静蘭の隣に横になった。静蘭はその顔をのぞき込んだ。
「月娘様を2度抱いたあととは、思えません。薬はお飲みになっておりませんね」
「飲んでいませんよ」
「西門様が張り合いたくなるのも、少し分かる気がいたします」
「張り合うことではありません」
「知府様にとっては、そうなのでしょうね」
静蘭は達也の胸に頬を置いた。
「明朝は月娘様が起こしに来られます。私から、起きると約束なさったことをお伝えしておきます」
「約束しなくても起きます」
「そのお言葉は、明朝まで覚えておきますよ」
静蘭が灯を消すと、部屋は暗くなった。
◇ ◇ ◇
同じ頃、開封市内の西門家で、西門慶は月娘が使っていた部屋に入った。櫃や鏡台、衣桁は倉家へ運び出され、壁際には何も置かれていない場所が残っていた。
棚の奥から小さな木箱を取り出すと、紙に包んだ精力薬が4錠入っていた。売り物の在庫から抜いた6錠のうち、2錠はすでに使っている。高官へ試供品として渡したという説明は嘘だった。
正室に上げた李瓶児は、流産の悲しみから抜けきれず、夜の相手をすることが少なくなっていた。
孟玉楼は店と家の帳面を手伝い、孫雪娥は台所へ下がり、潘金蓮は鞭で打たれた恨みを隠さなかった。家族を全員開封へ移しても、家の中の争いは収まっていない。
西門慶には、林夫人の屋敷や、王六児に与えた別宅、妓楼など、出かける先があった。月娘がいた頃は、その前に薬を飲もうとすれば、前回の服用日を尋ねられた。酒の匂いが強ければ、薬箱を渡してもらえなかった。
今は止める者がいない。西門慶は箱から1錠を取り出した。前夜にも飲んでおり、達也から間を空けるように言われたことも覚えていた。ただし、何時に飲んだかは思い出せなかった。
「1錠くらいで、死ぬものか」
薬を酒で流し込み、西門慶は王六児の別宅へ向かった。その夜、帰宅した時には頭の奥に鈍い痛みが残っていた。寝台に横になっても胸の鼓動は速かったが、人を呼ぶ気にはなれなかった。
月娘がいれば、脈を数え、薬を飲んだ時刻を帳面に書いたはずだ。西門慶は目を閉じ、2人の女を同じ屋敷に迎えた若い達也が、今夜はどちらの部屋で過ごしているのかを考えた。
寝返りを打っても、胸の鼓動はなかなか遅くならなかった。




