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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第7話(後編2)――「陛下が選ぶ香」

 翌朝、崔麗華(ツイ・リーファ)が布倉へ入ると、劉彩雲(リウ・ツァイユン)と孫玉英(スン・ユーイン)が低い卓の前で待っていた。卓上には、黒、黄、紅の紐を付けた香袋と書付が置かれている。


「昨日、陛下の御前へ上がったそうですね。何をお尋ねになり、どう答えたか、順に話しなさい」


 彩雲に命じられ、麗華は香袋を見つけた経緯から説明した。皇帝には、袋を調べてから再使用するよう申し上げたこと、今後は7日ごとに香を1種類替えるよう命じられたことを伝えた。容姿を褒められたことも隠さず、礼を述べたあと、店の商いと宮中へ入った理由を尋ねられたと話した。


 彩雲は最後まで聞き、麗華の顔を見た。


「陛下に気に入られようとして、尚服局の仕事を軽く扱う者もおります。お前は、そのようなことにならぬようにしなさい」


「私は、明日も仕事を任せていただきたいと申し上げました」


「だから、この命令が届いたのでしょう」


 彩雲が書付を差し出した。夏衣に添える香袋を毎朝3つ用意し、7日ごとに1種類を替えること、香りが衣やほかの袋へ移らないようにすることが記されていた。使った布、香の量、紐の色、作った者、受け渡した者も記録する。最後には、崔麗華にも確かめさせるようにとあった。


「陛下が見習いの名を挙げてお命じになりました。もう少し喜ぶかと思いましたが」


「ありがたく存じております。ただ、間違えれば、私の名も一緒に残ります」


「分かっているならよろしい。今朝の品を確かめなさい」


 麗華は手を洗い、清潔な布で水気を拭いた。3つの袋を離して置き、大きさや汚れ、紐の色を調べてから、1つずつ匂いを確かめた。沈香と白檀にはそれぞれの香りだけがあったが、紅い紐の丁子には、わずかに沈香の匂いが混じっていた。


「丁子の袋に、沈香の匂いが移っております。香を詰めたあとは、どのように保管されたのでございますか」


 玉英が卓の脇の箱を示した。


「3袋とも、この箱へ入れてありました。仕切りはありません」


 彩雲も紅い紐の袋を手に取り、匂いを確かめた。


「わずかですが、混じっていますね。昨日も同じように、浅い箱へ並べて届けました」


「昨日は作ってすぐに運びましたが、今朝の品は夜の間も一緒に置かれておりました。その間に移ったのだと思います。陛下がお気づきになるかは分かりませんが、香りを選んでいただく品として、このままお届けすることはできません」


 彩雲は箱を卓へ載せさせた。長方形の浅い木箱で、内側には白い布が張られている。3袋を置く余裕はあっても、運ぶ際に動けば互いに触れてしまう。


 彩雲の指示で玉英が厚手の紙を折り、箱の内側を3つに分けた。麗華は仕切りを確かめるために顔を近づけ、内張りにも丁子の香りが残っていることに気づいた。


「袋だけでなく、この布からも匂いが移るかもしれません」


「毎日、新しい木箱を3つ用意することはできません。ほかに方法を考えましょう」


 彩雲が箱を調べる間、麗華は倉の棚へ目を向けた。


「袋を1つずつ薄い紙で包んではいかがでしょうか。香りを確かめられなくなるほど厚くせず、少なくとも袋同士が直接触れぬようにいたします。紙にも紐と同じ色の印を付ければ、開く前に種類が分かります」


「紙そのものに匂いがあっては困りますね」


「香倉の紙を調べ、油や黴などの匂いがない物を選びます」


 彩雲は今朝の丁子を作り直し、3袋とも個別に包んで、仕切りを入れた箱へ収めるよう命じた。


 作り直した丁子に沈香の匂いはなかった。麗華は選んだ紙で袋を包み、それぞれに黒、黄、紅の印を付けた。竹札には、同じ箱で一晩保管した袋に別の香りが移っていたことと、今朝から包み方を変えたことを記した。


 受け渡し所では、前日に麗華を皇帝のもとへ案内した宦官が待っていた。箱を開けると、昨日との違いに気づいた。


「陛下は袋をご覧になって選ばれる。包んでいては見えぬではないか」


「香りが混じらぬよう、包み紙と仕切りを加えました。紙の印は紐と同じ色でございます。香りをお確かめになる際は、1つずつ開き、ほかの袋から離していただきとうございます」


「選ばれなかった袋は、そのまま戻せばよいのか」


「再び包んでからお戻しください。開いたまま一緒に置くと、香りが移る恐れがございます」


 宦官は面倒そうな顔をしたが、竹札に記された理由を読むと箱を受け取った。


「陛下へ申し上げておく」


「お願いいたします」


 その朝、皇帝趙佶(ジャオ・ジー)は黄色い印の包みを開かせ、白檀を選んだ。翌日は沈香、その次は丁子だった。戻された袋と箱の空いた区画から、どの香が使われたか分かった。


 麗華は日付とともに衣の色、天候、選ばれた香を記していった。暑さの強い日には沈香が残り、雨の朝には白檀が選ばれることが多かった。書画を見るために庭へ出る日には、丁子が使われていた。


 ◇ ◇ ◇


 7日分の記録がそろい、最初に香を替える日が来た。彩雲は香倉を預かる女官と相談し、麝香、龍脳、乳香、甘松を候補に挙げた。


 麗華は4種類を少量ずつ別の器へ置き、夏衣に使う白絹の端布と並べて確かめた。麝香は少量でも強く、ほかの香りを覆うようだった。龍脳は涼しさを感じさせる一方、近くで嗅ぐと刺激がある。乳香には甘みが残り、甘松は土に近い匂いがした。


「夏衣に合わせるなら、どれがよいと思いますか」


 彩雲に尋ねられ、麗華は竹札を見ながら答えた。


「陛下は暑い日に沈香をお選びになっておりません。麝香や乳香も重く感じられるかもしれませんので、少量の龍脳がよいと思います。ただ、丁子と香りが混じると刺激が重なりそうですから、保管には気をつける必要がございます」


「丁子と替えるのがよいのでしょうか」


「庭へ出られる日には丁子を選ばれております。残した方がよいように思いますが、私には決められません」


 彩雲は7日分の記録を読み直した。


「沈香が選ばれたのは1度だけですね。今回は沈香を外し、龍脳を加えましょう」


 空くことになった黒い紐を使うと聞き、麗華は申し出た。


「昨日まで黒は沈香でございました。同じ紐のままでは、受け渡す者が取り違える恐れがございます」


「決めてある紐は3色だけです」


 香倉の女官が答えると、麗華は黒い紐を指した。


「それでしたら、白い糸を1本結び添えてはいかがでしょうか。竹札にも、黒と白の組み合わせは龍脳と記します」


 彩雲が認め、龍脳の袋には黒い紐と白い糸が付けられた。その日の夕刻に戻された箱では、黒と白の印を付けた包みがなくなっていた。皇帝は新しく加えた龍脳を選び、翌朝も同じ香を使った。


 3日目、受け渡し所から書付が届いた。龍脳は暑い日に涼しく感じられるため、夏衣には常に用意するようにとの命令だった。白檀と丁子も残し、沈香は涼しくなってから戻すという。


 彩雲は書付を麗華へ渡した。


「陛下のお気に召したようです。記録はこれからも続け、袋を用意する前に、前日までの竹札を確かめなさい」


「承知いたしました」


 麗華は日付順に札をそろえ、紐を通してまとめた。


 その日の午後、香倉から年若い女官が訪ねてきた。龍脳を袋へ詰めた周春梅(ジョウ・チュンメイ)だった。


「麗華殿に、お尋ねしたいことがございます」


「私は見習いでございます。殿とお呼びになる必要はありません」


「では、麗華さん。明日の龍脳へ、これを少し混ぜていただけませんか」


 春梅は袖から小さな紙包みを出した。麗華は受け取らず、中身と、正式に納められた品かどうかを尋ねた。


「姉が作った練香でございます。龍脳へ混ぜると香りが長く残ります。尚服局へ納めた物ではございませんが、私も使っており、害のある物は入っておりません」


「それを、なぜ陛下の香袋へ入れるのでございますか」


 春梅は周囲を見た。布倉には玉英と月娥たちもいて、人に聞かれず話せる場所ではなかった。


「姉は宮中の外で香を売っております。陛下がお気に召せば、尚服局へ納められるかもしれません。龍脳だけでは香りが消えやすいので、ほんの少し加えるだけでよいのです」


 麗華は差し出された包みから手を離したまま、春梅を見た。


「書付にない品は入れられません。私が受け取れば、明日の香袋に使ったと疑われます。お持ち帰りください」


「少しなら誰にも分かりません。陛下のお体に悪い品でもございません」


「こちらでは中身を調べておりませんから、そうとは申し上げられません。黙って加えれば、陛下がお使いになった物と記録も食い違います」


 春梅は包みを握ったまま動かなかった。


「麗華さんも外に店をお持ちだと聞きました。華宝舗(ファーバオプー)の香を陛下へ使っていただくおつもりではないのですか」


「私の店の品も、同じ手続きを通します。命令にない物を入れることはございません」


「では、ご自分の店が選ばれるまでお待ちになるのでございますね」


「どの店であっても、調べて許された品だけを使います」


 春梅の顔に不満が表れた。


「昨日まで見習いだった方が、陛下へ呼ばれた途端、偉そうにおっしゃるのですね」


「陛下へ届ける品に、竹札へ記した物だけを使うことは、私が決めたのではございません」


 春梅は紙包みを袖へ戻した。


「もう結構でございます」


 麗華は背を向けた春梅を呼び止めなかったが、玉英が戸口に立った。


「お待ちなさい。今の包みを見せなさい」


「見せただけで、何もしておりません。姉の店を助けたかったのでございます」


「陛下の香袋へ、書付にない物を混ぜるよう求めましたね。聞かなかったことにはできません。包みを卓へ置きなさい」


 春梅の顔から血の気が引いた。


「私を捕らえるのでございますか」


「私には決められません。彩雲様と香倉を預かる方へ報告します」


 春梅が卓へ置いた包みは開かず、別の紙で覆った。持参した者の名と時刻を竹札へ記し、彩雲の戻りを待った。


 彩雲は麗華と玉英から事情を聞き、春梅にも説明を求めた。


「姉の店の品を納めたいのであれば、なぜ正式に香倉へ持ち込まなかったのですか」


「外の店の品は、なかなか調べていただけません。少しだけ試していただければと思いました」


「量の問題ではありません。陛下がお使いになる物へ、許しなく混ぜようとしたのです」


 彩雲は紙包みを香倉の責任者へ渡し、中身を調べるよう命じた。春梅には調べが終わるまで香へ触れることを禁じた。春梅は泣きながら連れていかれた。


 その姿を見送った李月娥(リー・ユエオ)が、麗華へ話しかけた。


「姉の店を助けたかっただけなのでしょうに、罰せられるのでしょうか」


「どのような処分になるかは分かりません。お姉さんのためだったとは思いますが、何も起きなければ店が得をし、陛下が体調を崩されれば、香を詰めた者も確かめた私たちも調べられます。頼まれた通りにするわけにはいきません」


 玉英も月娥たちへ告げた。


「陛下へ届ける品に、中身の分からない物を入れてはなりません。麗華が受け取らなかったため、今回は香袋へ入る前に止められました」


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、麗華は器と匙を確かめ、書付にある龍脳、白檀、丁子だけが使われることを見届けた。仕上がった袋を個別に包み、仕切りのある箱へ収めて受け渡し所へ運んだ。


 待っていたのは、皇帝のそばに控えていた年長の宦官だった。


「昨日、書付にない香を入れようとした者がいたそうだな。そなたへ渡そうとしたと聞いた」


「はい。受け取らず、香袋へ入る前に止められました」


「外に店を持つ者同士、協力しようとは思わなかったか」


「華宝舗の品も、命令がなければ使いません」


 宦官は麗華の顔を見た。


「陛下も、そなたが自分の店の香を使わせるために、この役目を望んだのではないかとお尋ねになった」


 麗華は箱から手を離し、頭を下げた。


「華宝舗の品をお調べいただけるのでしたら、正式にお持ちいたします。ただ、私が宮中にいることを理由に、華宝舗だけを選ばぬようお願いしたく存じます」


「自分の店を選ぶなと申すのか」


「ほかの店と同じ品であっても、私が関わっているため選ばれたと思われかねません。比べたうえで、明らかに優れている時だけお使いいただければ十分でございます」


 宦官は箱を受け取り、皇帝へそのまま伝えると答えた。


 夕刻、戻された箱には白檀と丁子が残り、龍脳の区画が空いていた。添えられた書付には、新たな命令が記されていた。


 夏衣に添える香袋について、使った布、香、量、紐、作った者を毎日記録する。書付にない品は使わず、新しい香を試す際には、先に香倉と尚服局で調べる。その記録をまとめる役目を、崔麗華へ命じるというものだった。


 麗華は最後まで読み、彩雲へ確かめた。


「今後は、香袋に関わる記録をすべて私がまとめるのでございますか」


「はい。ただし、香を決める権限まで与えられたわけではありません。私と玉英が確かめたうえで、受け渡し所へ届けます」


「承知いたしました」


「お前は、運ぶだけの見習いではなくなりました。陛下がお使いになる香について、誰が何をどれほど用いたか、あとから確かめられるように残すのです」


 彩雲は布倉の奥へ、新しい卓を1つ置かせた。低い卓だったが、そこには香袋の竹札だけを置き、ほかの布や糸の記録と混ぜないよう命じた。


 麗華はその日の札を卓へ置いた。龍脳、白檀、丁子を詰めた白絹の袋が3つ。紐と印の色、香を詰めた者、箱へ収めた者、受け渡した者に加え、皇帝がどれを選んだかも記してある。これからは1日の仕事が終わるたびに、札が増えていく。


 その後の数日間、皇帝の前へ出る機会はなかった。それでも、龍脳が使われれば黒と白の印の包みがなくなり、雨の日に白檀が選ばれれば黄色い印の包みが戻らなかった。麗華は御前へ行かずとも、その日の選択を知ることができた。皇帝のもとへ届く記録にも、確かめた者として麗華の名が残った。


 地位はまだ低く、皇帝の寝所にも食事の席にも呼ばれない。だが、夏衣に添える新しい香を試す時には、麗華も確かめることになった。


 麗華は、その役目を軽く見なかった。顔を見せる機会を急いで求めるより、毎朝の品を間違いなく届け、任された仕事を守る。そのうえで次の命令を待つことが、今の自分には必要だった。

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