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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第7話(中編1)――「陛下が選んだ香袋」

 皇帝趙佶(ジャオ・ジー)の夏衣は、右袖を仕立て直したうえで、尚服局の受け渡し所へ届けられた。


 崔麗華(ツイ・リーファ)は、その帰りに皇帝と数歩の距離まですれ違ったが、命令に従って顔を伏せた。


 翌朝、夏衣を受け取った宦官が、尚服局へ戻ってくる。

 翌朝、麗華が布倉へ入ると、孫玉英(スン・ユーイン)はすでに前日の竹札を調べていた。


 皇帝の夏衣に使った白絹は、最初に4疋を出し、仕立て直しのためにさらに1疋を出している。戻された布、裁ち落とした端布、油の匂いがしたため外した1疋は、それぞれ別の棚へ置かれていた。


「昨日の白絹を、もう一度数えなさい」


「はい」


 麗華は棚から包みを下ろさず、木札と竹札を見比べた。


「裁縫場から戻された白絹が1疋、仕立て直しに使った残りが1包み、端布が2包みでございます。油の匂いがした1疋は、戻り品の棚にございます」


「最初に戻った白絹は2疋ではありませんでしたか」


「そのうち1疋を、右袖の仕立て直しに出しました」


「では、数は合っていますね」


「はい。ただし、仕立て直しに出した1疋の残りは、まだ疋として使える長さがあるか確かめておりません。包みのまま数へ戻すと、残りが多く記される恐れがございます」


 玉英は包みへ目を向けた。


「広げて確かめます。敷布を用意しなさい」


 麗華が月娥たちと床を清め、敷布を広げていると、倉の外から男の声が聞こえた。


劉彩雲(リウ・ツァイユン)殿はおられるか」


 前日に受け渡し所で夏衣を受け取った宦官であった。


 倉にいた女たちは一斉に手を止めた。


 玉英が戸口まで出て頭を下げる。


「彩雲様は帳場にいらっしゃいます。お呼びいたします」


「いや、こちらへ来てもらおう。昨日届けられた御衣について、確かめたいことがある」


 玉英の顔から血の気が引いた。


 皇帝へ渡した衣に問題があれば、裁縫場だけでなく、白絹を出した布倉も調べられる。麗華たちは戸口から離れ、倉の奥へ並んだ。


 間もなく彩雲が入ってきた。


「昨日の夏衣に、何かございましたか」


「陛下は今朝、あの衣をお召しになった」


「袖に不具合がございましたか」


「いや、左右とも長さは合っている。陛下は、これまでの夏衣より腕を動かしやすいとおっしゃった」


 彩雲は息をついたが、表情を崩さなかった。


「それは何よりでございます」


「ただし、衣と一緒に届けられた香袋について、お尋ねがあった」


「香袋でございますか」


「衣へ香をたきしめず、なぜ別の袋にしたのかと尋ねられた」


 彩雲は、右袖が縮んだ経緯を説明した。


 左右の袖へ順に香を移したところ、右袖だけが湯気を多く吸い、指の幅ほど短くなった。残った白絹で右袖を作り直したため、再び湯気に当てることは避け、香袋を添えて届けたのである。


 宦官は話を聞き終えると、倉の中を見回した。


「その原因に気づいたのは誰だ」


 彩雲はすぐには答えなかった。


「裁縫場の者たちと確かめました」


「最初に右袖の手触りと跡を調べた者がいるはずだ。陛下は、そこをお尋ねになっている」


 彩雲は麗華を見た。


「こちらの見習いでございます」


 麗華は列から1歩出て、頭を下げた。


「名は何という」


崔麗華(ツイ・リーファ)と申します」


「見習いが、なぜ御衣へ触れた」


「彩雲様のお許しを得て、袖の端だけを確かめました」


「何を見つけた」


「右袖だけ手触りが硬く、縁取りの内側に濡れたような跡がございました。香炉へ水を張った器を置いていたと聞き、湯気を多く吸った可能性を申し上げました」


「湯気が原因だと知っていたのか」


「知っていたわけではございません。左右で異なる箇所を確かめ、その一つとして申し上げました」


 宦官は彩雲へ尋ねた。


「この娘は、昨日、受け渡し所まで来た者か」


「はい。衣を渡した相手と時刻を竹札へ記すため、同行させました」


「陛下がお通りになった時もいたな」


「おりました」


「顔を上げたか」


「いいえ。命じた通り、頭を下げておりました」


 宦官は麗華の顔を見た。


 麗華は視線を上げなかった。自分の容姿を見せるため、今ここで顔を上げれば、前日に命令を守った意味がなくなる。


「昨日の竹札を見せてもらいたい」


 麗華は低い卓から竹札を取り、両手で差し出した。


 宦官は、白絹を出した数と理由を順に読んだ。


「油の匂いがしたため、最初に1疋を外したとある。これも、この娘が見つけたのか」


「はい」と彩雲が答えた。


「その白絹は、どこにある」


「戻り品の棚へ分けております」


「見せてもらおう」


 玉英が包みを下ろし、清潔な敷布の上へ置いた。包み紙を開き、白絹の折り目を広げる。


 前日より匂いは弱くなっていたが、折り重なった内側には油の臭いが残っていた。


 宦官は顔を近づけたあと、すぐに離した。


「確かに匂う。このまま仕立てていれば、陛下がお気づきになったかもしれぬ」


「そのため、別の1疋へ替えました」と彩雲。


「陛下へは、どのように申し上げればよい」


 彩雲は答えを選んだ。


「白絹を選ぶ際に油の匂いがする品を除き、仕立てたあとも左右の袖を確かめ、不具合があったため直したとお伝えください」


「仕立て直したことまで申し上げるのか」


「陛下がお尋ねになったのであれば、隠すことはできません」


 宦官は竹札を見た。


「この記録にも、右袖の仕立て直しと残っている」


「麗華が、布を出した理由を書きました」


「見習いが勝手に書いたのか」


「私が読み、残すことを認めました」


 彩雲は自分の責任として答えた。


 宦官は竹札を麗華へ返した。


「陛下は、香を衣へ移さなかったことをお怒りではない。香袋を袖へ入れておけば、香りの強さをご自分で選べるとおっしゃった」


 彩雲と玉英が顔を見合わせた。


「それでは、今後も香袋を添えるのでございますか」


「すべての御衣を変えるとは決まっていない。だが、夏衣については、同じように別の香袋を用意するよう命じられた」


 宦官は持ってきた書付を彩雲へ渡した。


「香りは3種類を用意せよ。陛下が、その日の御衣と気分に合わせて選ばれる」


 書付には、沈香、白檀、丁子を用いた香を、それぞれ小さな袋へ入れるよう記されていた。香りが混じらないよう、袋だけでなく、入れ物も分けなければならない。


 彩雲は書付を読み終えると、麗華へ命じた。


「香を扱う倉へ行き、袋に使える布を調べなさい」


「私が参るのでございますか」


「お前は昨日の白絹を見分けました。香袋に油や黴の匂いが移っていないか、布を確かめます。玉英も一緒に行きなさい」


「承知いたしました」


 宦官が口を挟んだ。


「袋を作るだけなら、裁縫場へ命じればよいのではないか」


 彩雲は頭を下げた。


「陛下がお使いになる品でございます。袋の布と香を別々に確かめ、完成したあとに匂いが混じっていないことも調べます」


「いつまでに用意できる」


「本日の夕刻までに、3種類を1組としてお届けいたします」


「分かった。受け渡し所へ持ってくるように」


 宦官は倉を出る前に、麗華へもう一度尋ねた。


「崔麗華と申したな」


「はい」


「陛下のおそばへ上がる者へ渡す品である。昨日のように、不確かなことを決めつけてはならぬぞ」


「承知しております。分かったことと、考えられることを分けて申し上げます」


 宦官はそれ以上何も言わず、帳場の方へ戻っていった。


 麗華は玉英とともに、香袋に使う布を保管する倉へ向かった。


 布倉より狭い建物で、戸を開ける前から複数の香りが漂っている。沈香の重い匂い、白檀の甘い匂い、丁子の刺激のある匂いが、乾燥させた草木の臭いと重なっていた。


 倉を預かる女官が、色の異なる小さな絹を並べた。


「香袋なら、この3つが使えます。白、薄黄、淡紅でございます」


 玉英は布を手に取り、織り目を確かめた。


「香りごとに色を替えれば、袋を開けなくても見分けられますね」


「同じ色を使い、刺繍で区別することもできます」


 麗華は並べられた布へ顔を近づけた。


 白と淡紅には布そのものの匂いしかない。薄黄の布には、すでに白檀の香りが移っている。


「この薄黄の布は、以前にも香袋へ使われましたか」


 倉の女官が答えた。


「白檀を入れた袋の残りでございます」


「では、沈香や丁子には使わない方がよいと思います。袋へ入れる前から、白檀の香りが混じっております」


 玉英も薄黄の布を確かめた。


「確かに残っています。白檀の袋だけに使いましょう」


「沈香と丁子には、白と淡紅を使いますか」


「それでは、3色で見分けられます」


 麗華は首を振った。


「同じ組の3袋へ異なる布を使えば、布の厚さによって香りの出方が変わります。陛下がお選びになるのであれば、布は同じ物にそろえ、紐の色を替えた方がよろしいのではないでしょうか」


 玉英は3枚の布を指で押し、光へ透かした。


 薄黄はほかの2枚より厚く、淡紅は織り目が粗い。香を同じ量だけ入れても、外へ出る匂いの強さは変わる。


「では、白い絹で3袋を作り、紐を替えましょう」


 倉の女官が尋ねた。


「どの色を、どの香へ使うのでございますか」


「沈香は黒、白檀は黄、丁子は紅にします」


 麗華は口を挟まなかった。


 色と香の組み合わせを決めるのは、玉英の役目である。麗華に任されたのは、布に別の匂いが移っていないかを確かめるところまでであった。


 3袋分の白絹を裁縫場へ運び、袋を縫う女官へ渡した。袋は同じ大きさにそろえられ、口を閉じる紐だけが3色に分けられた。


 香を詰める際には、匙も器も別々の物を使った。


 完成した3袋は、離れた場所へ並べられた。麗華は1つずつ匂いを確かめたが、別の香りは混じっていなかった。


 夕刻、彩雲は3袋を浅い箱へ収めた。


「麗華、この箱を受け渡し所へ運びます」


「昨日と同じように、竹札へ記すのでございますか」


「香の名、袋の数、紐の色、渡した相手を記しなさい」


「承知いたしました」


 受け渡し所では、朝に来た宦官が待っていた。


 麗華は箱を開け、3つの香袋を順に示した。


「黒い紐が沈香、黄色い紐が白檀、紅い紐が丁子でございます。それぞれ1袋ずつ、合計3袋でございます」


「袋の布は同じか」


「同じ白絹でございます。香りの強さが布の違いで変わらないよう、紐の色で分けました」


「そなたが決めたのか」


「布をそろえることは、私が申し上げました。紐の色は玉英様がお決めになりました」


 宦官は3袋の匂いを確かめ、箱を受け取った。


「陛下へお届けする」


 麗華は竹札へ、香袋3つを渡した時刻と宦官の名を記した。


 皇帝の姿は見えなかった。


 それでも、その日の朝に皇帝が選んだ夏衣から、新しい命令が尚服局へ届いた。そして夕刻には、麗華が選んだ布で作られた3つの香袋が、皇帝のもとへ運ばれていく。


 麗華は皇帝へ近づくため、自分から禁を破る必要はなかった。


 皇帝が使う品に必要とされ続ければ、受け渡し所へ来る理由も続く。


 まず覚えられるべきなのは、美しい顔ではない。


 任せた品を間違えずに届ける女として、名を残すことであった。

 皇帝趙佶(ジャオ・ジー)は、仕立て直された夏衣を着用した。


 右袖に問題はなく、衣へ香をたきしめず、別の香袋を添えたことも皇帝に気に入られた。


 皇帝は、夏衣とともに使う香袋を3種類用意するよう尚服局へ命じた。


 崔麗華(ツイ・リーファ)は、袋に使う布を調べ、異なる布では香りの出方が変わるため、同じ白絹を使い、紐の色で香を区別するよう提案した。


 完成した沈香、白檀、丁子の香袋は、麗華の記録とともに受け渡し所へ届けられた。


 麗華は皇帝の顔を見ることなく、皇帝が使う品を通じて、自分の名を宮中の奥へ届かせた。

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