第6話(後編1)――「正室を替える男」
『北宋の悪女、1986年の男』
第一章――「北宋の悪女、追う男たち」
第6話(後編1)――「正室を替える男」
西門家の庭から女の悲鳴が上がったのは、昼食を終えて間もない頃だった。女中たちが駆けつけると、李瓶児が庭石の脇に倒れていた。片手で腹を押さえ、もう一方の手で地面をつかんでいる。衣の裾には赤い血がにじんでいた。
「瓶児様!」
女中が抱き起こそうとすると、瓶児は腹を守るように身を縮めた。
「触らないで……お腹が……」
声を聞きつけた呉月娘が、母屋から出てきた。月娘も身重で走ることはできず、女中に腕を支えられながら庭へ急いだ。倒れた瓶児を見ると、戸板を持ってきて揺らさずに部屋へ運ぶよう命じ、医者にも使いを出させた。
瓶児の近くには、潘金蓮が青ざめた顔で立っていた。月娘が事情を尋ねると、金蓮は瓶児が勝手に転んだのだと答え、自分は何もしていないと言い張った。
「何もしていないとは聞いていません。転ぶ前に、何があったのですか」
「知りませんと言っているでしょう」
金蓮は踵を返し、自分の部屋へ戻っていった。月娘は呼び止めず、庭石のそばに落ちている瓶児の靴を見た。その少し先には、踏み折られた花の枝と、引きちぎられた赤い組紐があった。2人がただ並んで庭を歩いていただけとは思えなかった。
◇ ◇ ◇
医者は瓶児の部屋へ入り、長い時間をかけて脈を診た。薬が煎じられ、湯と清潔な布が何度も運び込まれた。
西門慶が屋敷へ戻ったのは、申の刻を過ぎてからだった。部屋から出てきた医者をつかまえ、真っ先に子の容体を尋ねた。
「残念ながら、お子は助かりませんでした」
西門慶の足が止まった。医者は目を伏せたまま、瓶児の命に別状はないものの、血を多く失っているため、当分は寝台を離れず休ませる必要があると説明した。再び子を宿せるのかという問いにも、今は何とも言えず、まず身体を戻すことが先だと答えた。
医者が帰ったあと、西門慶は瓶児の部屋へ入った。瓶児は壁の方を向いて横になり、枕元には涙を拭いた布が置かれていた。名を呼んでも振り向かず、庭で何があったのかと尋ねても答えなかった。ただ、金蓮の名を出した時だけ、肩がわずかに動いた。
「金蓮に押されたのか」
「違います。私が転んだだけでございます」
瓶児は足を滑らせたのだと説明した。金蓮がそばにいたことは認めたが、何もしていないと繰り返した。西門慶は寝台の脇へ座り、壁を向いたままの瓶児を見た。
「俺の子が死んだのだ。何もなかったという話で済ませられると思っておるのか」
瓶児は布団の端を握り、自分が気をつけなかったためだと答えた。金蓮をかばっているのかと問われても否定し、こちらを向くよう求められても動かなかった。やがて小さなすすり泣きが聞こえ始め、西門慶はそれ以上問い詰められずに部屋を出た。
廊下には月娘が待っていた。瓶児は自分で転んだと言い張っていると伝えると、月娘も同じ話を聞いたという。ただ、転ぶ前に金蓮と争ったのだろうと考えていた。
「庭にはちぎれた組紐が落ち、花の枝も折れておりました。言い争っただけでは、あのようにはなりません」
金蓮が押したのかどうかまでは分からない。瓶児が話さないのは、話せば金蓮がどのような目に遭うか分かっているからではないかと、月娘は言った。西門慶は自分の子を死なせたのだと怒ったが、月娘は、金蓮が殺したと決まったわけではないと念を押した。
西門慶は答えず、金蓮の部屋へ向かった。
◇ ◇ ◇
金蓮を部屋の中央へ引き出すと、西門慶は使用人から鞭を受け取った。金蓮は瓶児を押していないと訴えたが、庭で何があったのかは話そうとしなかった。少し話をしていただけだと言い、その内容を問われると、覚えていないと答えた。
鞭が金蓮の肩を打った。乾いた音が部屋に響き、金蓮は床へ手をついた。
「白状せよ」
「本当に、押してはおりません」
西門慶は再び鞭を振るった。衣に細い裂け目ができ、その下の肌が赤く腫れた。それでも金蓮は、瓶児に手をかけたとは認めなかった。身重と知りながら何をしたのかと責められ、顔を上げた。
「旦那様は、初めから私がやったと決めておられるではありませんか。私が何を申しても、信じるおつもりはないのでしょう」
何を争ったのかだけでも話せと西門慶は迫ったが、金蓮は唇を噛んで顔をそむけた。西門慶は鞭を握ったまま荒い息をついた。ここで打ち殺しても子は戻らない。瓶児が証言せず、金蓮も認めない以上、殺せば自分が罪を問われる恐れもあった。人を怒らせる女ではあるが、自分から屋敷へ迎え入れた妻妾の1人でもある。
西門慶は鞭を床へ投げ、しばらく部屋から出ることを禁じた。瓶児にも近づくなと命じると、金蓮は承知したものの、最後まで押していないと言い張った。西門慶はその頬を打ち、部屋を出た。
結局、庭で何があったのかは分からなかった。瓶児は自分を責め、金蓮は関わりを否定した。ただ、月娘は2人の間に何かあったという疑いを捨てなかった。
◇ ◇ ◇
それから瓶児は毎日泣いた。目を覚まして腹へ手を置くたびに子を失ったことを思い出し、女中が薬を持ってきても、庭から子どもの声が聞こえても涙を流した。西門慶が新しい衣や簪を贈っても、箱を開けようとしなかった。
何か欲しいものはないかと尋ねても、何も要らないと答えた。身体が戻ったら杭州や蘇州へ連れていくと誘われても、どこにも行きたくないという。西門慶は慰める言葉に困り、また子を作ればよいと言った。医者も、二度と子を持てないとは言っていない。
瓶児は布団を頭までかぶった。
「同じ子は、もう戻ってまいりません」
西門慶は答えられなかった。商いで損をすれば別の取引で取り戻せるし、女が怒れば衣や宝飾品で機嫌が直ることもある。しかし、失われた子の代わりを買うことはできなかった。
瓶児の部屋を出たあとも、西門慶は何日も酒を飲みながら考え続けた。やがて、自分にできる最も大きな慰めとして、瓶児を正室にすることを思いついた。そうすれば、亡くなった子も第6房の子ではなく、西門家の跡取りになるはずだった子として扱える。瓶児も、この家で最も大切にされていると分かれば、悲しみから立ち直るかもしれない。
すでに正室がいるという問題は、月娘を離縁すれば片づくと考えた。
◇ ◇ ◇
「月娘。お前と別れることにした」
西門慶は夕食後に月娘を呼び出し、そう告げた。月娘が聞き間違いを疑って問い返すと、西門慶は、月娘を離縁して瓶児を正室にすると説明した。子を失って毎日泣いている瓶児も、正室へ上げれば少しは落ち着くだろうという。
「そのために、身重の私を離縁するのでございますか」
西門慶は、子を産むまでは西門家で面倒を見て、その後も暮らしに困らぬ銀を渡すと答えた。腹の子を家へ残し、自分だけを追い出すのかと月娘が問うと、育てたいのなら乳離れするまでは連れていてもよいと言った。
月娘の顔から血の気が引いた。西門慶は、自分が何を言っているのか分かっていなかった。月娘は正室として店や屋敷を守り、使用人と妻妾の暮らしを支えてきた。夫が女の家を泊まり歩いても、商いで危ない橋を渡っても、家を空けなかった。その年月を、瓶児を慰めるという理由だけで捨てようとしている。
妻として何か過ちを犯したのかと月娘が確かめると、西門慶は落ち度を否定した。それでも、離縁するという決定は変えなかった。瓶児は衣も簪も旅も要らないというから、自分に与えられる最も大きなものを与えるのだと繰り返した。
「そのために、私からすべてを取り上げるのでございますね」
お前にも銀を渡すという答えに、月娘は銀の話をしているのではないと言った。西門慶が決めたことだと突き放すと、夫を見据えた。
「金蓮が瓶児を転ばせたと、証拠もないまま鞭で打ちました。今度は瓶児を慰めるため、何の落ち度もない私を離縁なさる。旦那様は、怒りや悲しみのたびに、別の女を罰しなければ気が済まないのでございますか」
「お前に説教されるために呼んだのではない」
「私も、離縁されるために西門家へ嫁いだのではございません」
西門慶は自分が家の主人だと言い、月娘は家を支えてきたのは自分だと返した。それでも西門慶は、何を言われても変えないと譲らなかった。
月娘は腹へ手を添えた。怒りで身体が震えており、これ以上話を続けることはできなかった。今夜はここまでにすると告げて立ち上がると、西門慶は承知したのかと尋ねた。
「承知したとは申しておりません」
月娘は自分の部屋へ戻った。その夜は、ほとんど眠れなかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、月娘は開封府衙へ使いを出した。達也が昼過ぎに訪ねてくると、客間ではなく自分の部屋へ通した。西門家で達也と2人きりで話すのは、清河県で一夜をともにして以来だった。
月娘は昨夜の話をすべて伝えた。達也は黙って聞いていたが、瓶児を正室にするために月娘を追い出すと知ると、表情を変えた。自分から西門慶へ話し、離縁を思いとどまらせるという。瓶児を慰める方法も、静蘭と相談して考えるつもりだった。
「私は、そのような相談をするためにお呼びしたのではございません」
月娘に遮られ、達也は口を閉じた。
「自分でも分かりませんでした。旦那様へ腹を立て、誰かに聞いていただきたくて、知府様をお呼びしました。ですが、今、分かりました」
月娘は、以前、自分を西門慶から奪って妻にしたいと言ったことを覚えているかと尋ねた。達也は、静蘭を迎えた今も思いは変わらず、静蘭も承知していると答えた。側室としてでも迎えるつもりなのかと確かめられると、正室の座は皇女のために空けるよう勧めたのは月娘自身だと返した。
「僕は正室でなければ月娘様を要らないなどとは思っていません。あなたに、僕の妻になってほしいのです」
達也は月娘の前へ進んだ。
「西門慶と別れ、僕のもとへ来てください」
月娘は目を伏せた。清河県で同じ求婚を受けた時には、断るほかなかった。西門慶の妻でありながら達也と関係を持ったことが明らかになれば、達也は恩人の妻を奪った男となる。状元となっても官職を失いかねず、腹の子も西門慶の子として産み、西門家で育てるつもりだった。達也の将来と子の命を守るには、それしかないと考えていた。
しかし、今は西門慶自身が離縁を決めている。月娘から別れを求めたのでも、達也が奪ったのでもない。瓶児を正室にするため、落ち度のない妻を追い出そうとしているのである。この機会を逃せば、二度と達也の妻にはなれないかもしれなかった。
月娘は顔を上げ、本当に迎えてくれるのかと確かめた。達也がうなずくと、腹へ手を置いた。
「この子も一緒でございます」
「もちろんです。旦那様の子だからといって、置いてくる必要はありません。僕の家で育てます」
月娘はしばらく目を閉じた。それから腹を撫で、静かに告げた。
「この子は、旦那様の子ではございません。知府様のお子でございます」
達也は動かなかった。月娘によれば、最後に西門慶と床をともにしたあと、月のものが一度来ていた。その後、西門慶は瓶児や王六児のもとへ通い、月娘の部屋には来ていない。子を宿したのは、達也と過ごしたあの夜だった。
達也は月娘の腹を見た。これまでは西門慶の子がいると思い、目を向けないようにしてきた腹である。なぜ知らせてくれなかったのかと尋ねると、知らせれば自分と子を引き取ろうとしたはずだと月娘は答えた。開封知府の地位も西門家への恩義も捨てて、清河県へ戻ったかもしれない。
「ほかに、あなた様と子を守る道はないと思っておりました」
達也は月娘の前へ膝をつき、腹へ手を伸ばした。触れる直前で止めて許しを求め、月娘がうなずくと、両手で包むように触れた。衣の下にかすかな動きがあり、達也は息を止めた。
「今、動きました」
「あなた様が来られたことが分かったのでしょう」
月娘の目から涙が落ちた。この子に、父の邪魔をしてはならないと言い聞かせていたのだと話すと、達也は邪魔ではないと答えた。月娘も分かっていたが、あの時はそう言うしかなかった。
達也は立ち上がり、月娘を抱いた。
「僕と夫婦になってください。あなたも、この子も、僕の家へ来てください」
月娘は、正室の座は空けておくこと、静蘭の上へ立つつもりもないことを伝えた。達也は席の順については静蘭とも話すと答え、月娘を軽く扱うつもりはないと約束した。
さらに月娘は、西門家とは縁を切り、商いにも妻妾の争いにも今後は関わらないと言った。達也がそれで構わないと答えると、涙を拭い、西門慶と話してくると告げた。夫への怒りは消えていなかったが、自分と子の行き先は、もう決まっていた。
◇ ◇ ◇
月娘が離縁を受け入れると告げると、西門慶はようやく諦めたのだと思った。銀と屋敷の話を始めようとしたが、月娘はその前に条件を示した。腹の子は、自分が連れていくという。
西門慶は自分の子だと反発した。月娘は、瓶児を正室にして、その子を西門家の跡取りに望むのなら、自分の子まで求める必要はないと答えた。それとこれとは別だと言われると、認めないのなら離縁も承知しないと告げた。
2人はしばらくにらみ合った。やがて西門慶が、誰のもとへ行くつもりなのかと尋ねた。
「倉知府様の側室となります」
西門慶は声を上げた。以前から達也が月娘を妻に迎えたいと話していたことは知っている。それでも、自分と別れてすぐに達也のもとへ行くとは思っていなかった。月娘は、すでに達也と話して求婚を受けたと伝えた。
「俺の子を連れて、ほかの男へ嫁ぐというのか」
西門慶は卓を拳で打った。月娘は、生まれる子を達也の子として育てると答えた。許さないと言われても、それなら瓶児を正室にすることもできないと返した。
「お前は、初めから倉殿のもとへ行きたかったのではないか」
「私は昨日まで、西門家の正室として生きるつもりでございました。その私を追い出すと決めたのは、旦那様でございます」
西門慶が言葉を失うと、月娘はもう一つの条件を告げた。離縁後は西門家と縁を切り、商いにも家の争いにも関わらない。西門慶にも、自分や子へ会いに来ないよう求めた。
子に会うなというのかと西門慶は怒ったが、月娘に迷いはなかった。瓶児のために離縁するのであれば、これからは瓶児を正室として大切にすればよいと言った。
「離縁の書付をお作りください。私の持参した財と、母方から受け継いだ品は返していただきます。西門家で増えた財産は求めません」
銀も要らないのかと問われると、達也の家で暮らすのに困りはしないと答えた。西門慶はそこで初めて、月娘が本当に去るつもりなのだと理解した。
「月娘。瓶児が立ち直れば、いずれ――」
「一度、妻を捨てた男のもとへ戻るつもりはございません」
西門慶は妻を見つめた。どの女のもとへ通っても、商いで何をしても、月娘は正室として家を守り、屋敷を出ようとはしなかった。その月娘が、自分から縁を切ると言っている。
しかし、瓶児を正室にすると決めた以上、今さら撤回すれば、さらに瓶児を傷つけることになる。西門慶は長い沈黙の末、子も連れていくことを認めた。
「倉殿に伝えよ。俺の妻を手に入れたからといって、商いまで自分のものにしたと思うなと」
「それは、ご自分でお伝えください」
月娘は立ち上がり、最後に金蓮を殺してはならないと告げた。瓶児は一度も金蓮に押されたと言っておらず、証拠のないまま殺せば、西門慶が人殺しになる。
「お前には、もう関わりのないことだ」
「はい。ですから、これが最後でございます」
月娘は一礼して部屋を出た。西門家の正室として夫と話したのは、それが最後となった。
◇ ◇ ◇
離縁の書付が作られると、月娘は嫁入りの際に持ち込んだ衣や簪、玉、帳面、家具を選び、西門家の品と混じらないよう一つずつ確かめた。金蓮は依然として部屋から出ることを許されず、瓶児も寝台から起き上がれないままだった。
月娘が別れを告げに行くと、瓶児は自分のために追い出されるのかと泣いた。月娘は、自分で行き先を決めたのであり、瓶児のせいではないと答えた。
「瓶児。正室になったからといって、失った子が戻るわけではありません。それでも旦那様が、その席をあなたへ与えると決めたのであれば、今度はあなたがこの家を守らなければなりません」
できないと訴える瓶児に、初めからできる者はいないと月娘は言い、帳場の鍵と倉の帳面を枕元へ置いた。身体が戻るまでは孟玉楼に助けてもらい、使用人の給金と米だけは遅らせないよう言い聞かせた。西門慶が持ち出す銀も、必ず帳面に書かせなければならない。
瓶児は泣きながら月娘の袖をつかんだ。
「行かないでください。私は、正室になりたいなどと申し上げておりません」
「分かっております」
月娘は瓶児の手を外さず、その上へ自分の手を重ねた。そして、金蓮との間に何があったのか、自分にも話せないのかと尋ねた。瓶児は目を伏せ、自分が転んだのだと答えた。
月娘はそれ以上尋ねなかった。
「身体を治しなさい。亡くした子のためにも、まずあなたが生きるのです」
部屋を出ると、庭には達也と静蘭が待っていた。静蘭は近づいて頭を下げ、迎えに来たと告げた。月娘が迷惑をかけると詫びると、静蘭は首を横に振った。
「月娘様には、私を知府様のもとへ行かせていただきました。今度は私が、月娘様をお迎えする番でございます」
達也が荷を持とうとすると、使用人たちが慌てて止めた。月娘も知府が持つものではないと言ったが、達也は自分の妻の荷だと答えた。
「妻となる前から、言うことを聞かれないのでございますね」
「月娘様にだけは言われたくありません」
静蘭がかすかに笑った。そこへ、母屋の戸口に立っていた西門慶が声をかけた。
「倉殿。月娘を泣かせたら、連れ戻すぞ」
「旦那様が泣かせたから、僕が迎えるのです」
西門慶は顔をしかめ、商いは別だと告げた。達也もそれは承知しており、清算するものは清算すると答えた。ただし、月娘を西門家の争いへ戻すつもりはなかった。
「俺の子を、お前の子として育てるそうだな」
達也は月娘の腹へ目を向けた。
「はい。僕の子として育てます」
月娘は黙ってその言葉を聞いた。西門慶は鼻を鳴らして屋敷へ戻り、月娘は門を出た。嫁いでから守り続けた屋敷を、振り返ることはなかった。
◇ ◇ ◇
婚礼は静蘭の時と同じく、身近な者だけで済ませた。表向きには、西門慶が瓶児を正室へ上げるために月娘を離縁し、以前から慕っていた達也が側室として迎えたことになった。
離縁より前に2人が関係を持っていたことも、腹の子が達也の子であることも、ほかには明かさなかった。西門慶は自分の子を達也へ渡したと思い、屋敷の者たちも、達也が恩人の子まで引き取ったと受け止めた。静蘭は詳しい事情を尋ねなかった。
月娘が移ってきた夜、静蘭は自分で寝室を整え、今夜は月娘の部屋で休むよう達也へ告げた。身重であることを気にする達也に、同じ寝台で休むだけでもよいと答えた。
「月娘様は西門家を離れ、長年守った家も正室の座も失われました。今夜、お1人にしてはなりません」
月娘が礼を言うと、静蘭は、ただし達也を甘やかさず、翌朝はいつも通り府衙へ送り出してほしいと頼んだ。月娘が承知すると、達也が口を挟んだ。
「2人で僕の扱いを決めないでください」
静蘭は、それなら自分で明朝起きられるのかと確かめた。達也が起きられると答えると、景仁も同じことを言っていたと返した。達也が黙り、月娘の口元に久しぶりの笑みが浮かんだ。
その夜、達也は月娘の隣へ横になり、腹の子の動きを何度も確かめた。自分の子なのだという実感が、まだ追いつかなかった。男の子か女の子かは分からないが、どちらでも構わなかった。
月娘は、西門家では夫の子として育てるつもりだったと話した。もうその必要はないと達也が答えると、今度は出生の時期を疑われる心配を口にした。
「西門慶の子を承知で引き取ったことにします。外では、それで通します」
「ご自分の子なのに、他人の子を引き取ったと言われるのでございますよ」
「僕たちが本当の父母だと知っていれば十分です」
月娘は達也の手を取り、自分の腹へ重ねた。腹の中で子が動いた。
「この子も知っております」
達也は月娘を抱き寄せた。かつて月娘は、達也の将来を守るため、子の父を偽って育てる覚悟をしていた。西門慶が離縁を決めたことで、実の父と暮らせるようになった。瓶児を慰めるために思いついた正室の入れ替えは、西門慶が手放すつもりのなかった妻を、達也のもとへ送り出す結果となった。
呉月娘は、倉達也の2人目の側室となった。正室の座はなお空いたままであり、静蘭も月娘も、いずれ皇女を迎えて皇室との結び付きを得ることを望んでいた。
一方、李瓶児は西門家の新しい正室となったが、庭で起きたことは語らなかった。部屋に閉じ込められた潘金蓮も、瓶児を押したとは認めなかった。子を失うに至った詳しい事情は、分からないまま残された。




