第5話(後編1)――「戻された1疋」
劉彩雲から、倉を出た数と作業場が受け取った数を竹札へ記すよう命じられた崔麗華は、李月娥たちと仕事を続けていた。
品を渡す時に数を確かめる決まりは守られるようになった。しかし、作業場から倉へ品を戻す時の記録は、これまでどおり担当者の書付に任されていた。
数日後、裁縫場から白絹1疋が戻される。
麗華が竹札へ数を記す仕事を始めてから、5日が過ぎた。
朝は日の出前に倉へ入り、棚の札と品物を確かめる。布を木枠へ載せる時には、麗華が品名と数を読み上げ、月娥たちが目で確かめた。
作業場へ着くと、受け取る女官の前でも同じことを行う。
最初の2日ほどは、数を確かめるよう求められた女官たちが不満を口にした。
しかし、麗華たちが孫玉英から命じられた竹札を見せ、数の確認だけを求めると、拒む者は少なくなった。
麗華は相手の仕事を止めないようにも気を配った。
裁縫場で布を広げている最中なら、卓の脇へ寄って待つ。染色場で染料を煮ている時には、釜の火を扱う者へ声をかけず、受け取りを担当する女官が手を空けるまで動かなかった。
待たされた時刻は月娥が記した。
倉から出した数と、作業場が受け取った数は麗華が記した。
2人が別々に記録するため、戻りが遅れた理由と品の数を、あとで照らし合わせることができた。
5日目の午後、麗華たちは麻布12反を洗い場へ運び終え、空の木枠を持って倉へ戻った。
倉の前には、裁縫場の下働きの女が立っていた。
腕には白い布包みを抱えている。
「裁縫場から、白絹を戻しに参りました」
女は麗華たちの姿を見ると告げた。
月娥が尋ねた。
「何疋でございますか」
「1疋です。衣の裁ち方が変わり、使わなくなりました」
「書付はございますか」
「桂香様から、倉へ戻すよう命じられただけです」
月娥は布包みを受け取ろうとした。
麗華は月娥の袖へ触れず、その場から呼びかけた。
「月娥さん。先に玉英様へお知らせした方がよろしいのではございませんか」
月娥が振り返った。
「戻すだけです。受け取ってから知らせればよいでしょう」
「倉から出す時は数を記しておりますが、戻す時にどこへ記すのか、私は教えられておりません」
「以前から、戻った品は棚へ戻しています」
「その数は、どなたが帳簿へ書かれるのでございますか」
月娥はすぐには答えなかった。
裁縫場の女が布包みを抱え直した。
「私は、これを置いて戻りたいのですが」
「少しお待ちください」
月娥は女へ告げたあと、麗華を見た。
「彩雲様は、納めた数を記すよう命じたのでしょう。戻された品まで、お前が止める必要はありません」
「私が止めているのではございません。受け取ってよいかを、月娥さんに確かめていただきたいのでございます」
「これまで何度も受け取っています」
「では、受け取ったあと、数が増えたことを誰が記していたのでしょうか」
月娥の顔に迷いが表れた。
麗華は、裁縫場の女が事情を知らないことも分かっていた。この女に尋ねても、桂香から命じられた以上のことは答えられない。
「玉英様をお呼びいたします」
麗華は倉へ入り、帳場にいた玉英へ事情を伝えた。
玉英はすぐに表へ出た。
「誰から戻すよう命じられましたか」
玉英が裁縫場の女へ尋ねた。
「楊桂香様でございます」
「いつ倉から出した白絹ですか」
「本日の朝と聞いております」
麗華は竹札を確かめた。
朝、裁縫場へ白絹6疋を運んでいる。桂香が6疋を受け取り、その名も記されていた。
「今朝、白絹6疋を桂香様へお渡しいたしました」
麗華が答えた。
「では、裁縫場では5疋を使い、1疋を戻すのですね」
玉英が女へ尋ねた。
「私は、そこまでは聞いておりません」
「桂香を呼んできなさい。お前を疑っているのではありません。戻す理由と数を、受け取った者から聞く必要があります」
「はい」
女は白絹を抱えたまま、裁縫場へ戻っていった。
月娥は玉英へ頭を下げた。
「申し訳ございません。これまでは、そのまま受け取っておりました」
「戻った品は、誰が帳簿へ記していたのです」
「戻した方から書付が来る場合は、その書付を彩雲様へ渡しておりました。書付がない場合は、棚へ戻し、あとでお伝えしておりました」
「あとでとは、いつですか」
「その日の仕事が終わった時でございます」
「忘れたことはありませんか」
月娥は返答できなかった。
玉英は倉の棚を見た。
「戻った品をすぐ元の棚へ入れれば、帳簿へ書く前でも残りの品と混ざります。書付が届かなければ、なぜ増えたのか分からなくなるでしょう」
「はい」
「麗華」
「はい」
「竹札には、今朝、裁縫場へ6疋渡したとありますね」
「ございます」
「そのうち1疋が戻るなら、どのように書きますか」
「裁縫場受取6疋と記した箇所は直しません。実際に6疋を受け取っていただいたからでございます。その下へ、裁縫場から1疋が戻された時刻と、戻した方の名を記します」
「倉の残りは」
「1疋増えます。ただし、彩雲様が品を確かめ、棚へ戻すと決められるまでは、元の棚の数へ加えません」
玉英は麗華の答えを聞き、月娥へ顔を向けた。
「戻った品を置く場所を決めます。これからは、品を受け取っても、すぐ元の棚へ戻してはなりません」
「はい」
ほどなく、桂香が白絹を持った女とともに倉へ来た。
「白絹を1疋戻すだけで、私まで来なければならないのですか」
桂香は仕事を中断されたことを隠さなかった。
玉英が答えた。
「何疋を受け取り、何疋を使い、なぜ1疋を戻すのかを確かめるためです」
「今朝、6疋を受け取りました。裁つ予定でございましたが、衣の寸法が変わり、5疋で足りることになりました」
「白絹に傷や汚れはありませんか」
「ございません。包みも開いておりません」
「受取帳には、6疋と記してありますか」
「記してあります」
「戻した1疋についても記してください」
「倉で記せばよいのではございませんか」
「倉の帳簿だけを直せば、裁縫場では6疋を使ったことになります」
桂香は、自分が持ってきた受取帳を開いた。
「では、6疋のうち1疋を未使用で返したと記します」
桂香がその場で書き入れたあと、玉英は白絹の包みを開かせた。
白絹は朝に倉から出した時と同じ形で畳まれていた。結び紐にも、ほどいた跡はない。
玉英は布の端を広げ、染みや織り傷がないことを確かめた。
「麗華、竹札へ記しなさい」
「はい」
麗華は、裁縫場から白絹1疋が戻ったこと、桂香が返却を確かめたこと、玉英が品を調べたことを記した。
玉英は倉の奥にある空いた棚を指した。
「今日は、そこへ置きます。彩雲様が帳簿へ記したあと、元の棚へ戻します」
月娥と玉蘭が白絹を棚へ置いた。
桂香は竹札を見た。
「これから、使わなかった布を戻すたび、この手続きをするのでございますか」
「書付があれば、あなたが毎回来る必要はありません。受け取った数、戻す数、理由を記し、名を書いてください」
「急いでいる時もですか」
「数と理由だけなら、長くはかかりません」
「裁縫場の仕事が遅れれば、こちらの責任になります」
「倉の数が合わなければ、裁縫場も調べられます。どちらがよいかは、桂香殿にも分かるでしょう」
桂香はそれ以上反論せず、裁縫場へ戻った。
玉英は月娥たちへ命じた。
「空の棚へ、『戻り品』と記した札を掛けなさい。彩雲様が確かめるまでは、そこから品を出してはなりません」
「はい」
月娥が答えた。
麗華は竹札を帳場へ置いた。
「玉英様。これまでに書付なしで戻された品が、棚へ混じっている可能性はございませんか」
「あります」
「棚の数を、もう一度確かめるのでございますか」
「それを決めるのは彩雲様です。お前が勝手に数え直してはなりません」
「承知いたしました」
「気づいたことを申し出るのは構いません。ただし、答えが出る前に品を動かしてはなりません」
「はい」
玉英は月娥へ向き直った。
「月娥は、戻された品について覚えていることを書き出しなさい。いつ、どこから、何が戻ったかです」
「すべては覚えておりません」
「覚えている範囲で構いません。書付が残っているものは、あとで照らし合わせます」
「はい」
月娥は帳場の端へ座り、記憶をたどりながら竹札へ書き始めた。
香児が麗華へ耳打ちした。
「また仕事が増えましたね」
「増えたのは月娥さんの仕事でございます」
「麗華さんにも増えるのではありませんか」
「まだ命じられておりません」
香児は戻り品の棚を見た。
「でも、麗華さんが尋ねなければ、白絹は元の棚へ入っていたのでしょう」
「月娥さんが、あとで彩雲様へ伝えたと思います」
「忘れたかもしれません」
「忘れたかどうかは分かりません。今後、忘れても数が合わなくならないように、戻り品を分けることになったのでございます」
香児は麗華の顔を見た。
「誰かの間違いを見つけても、その人が間違えたとは申さないのですね」
「誰が間違えたかを決めるのは、私の仕事ではございません」
「では、麗華さんの仕事は何ですか」
麗華は戻り品の棚と、竹札を見た。
「品がどこから来て、どこへ渡り、どこから戻ったかを、分かるようにすることでございます」
その日の夕方、彩雲が戻った。
玉英は白絹1疋が返された経緯を説明し、麗華の竹札と桂香の書付を見せた。
彩雲は白絹を調べたあと、帳簿へ返却の数を書き入れた。
「これで、倉の残りへ1疋を加えます」
彩雲は麗華へ告げた。
「はい」
「なぜ、裁縫場が受け取った6疋を、5疋へ直さなかったのですか」
「裁縫場は、一度6疋を受け取っております。5疋へ直せば、最初から5疋しか渡していないことになります」
「同じ日に1疋戻ったのであれば、最後の数は5疋でしょう」
「はい。ただし、6疋を受け取り、そのあと1疋を戻したことが分からなくなります」
「それでは困るのですか」
「戻った1疋に傷があった場合、いつまで倉にあり、どこへ渡された品かを確かめられません。また、裁縫場が6疋を受け取ったあと、1疋を別の場所へ渡していても、倉へ戻したと記せば数だけは合います」
彩雲は帳簿と竹札を見比べた。
「数が合っていても、品の動きが違う場合があるということですね」
「はい」
「店では、すべての品について、このように記していたのですか」
「高価な品や、傷みやすい品については記しておりました。安い品まで同じようにすれば、帳面を書く者が足りなくなります」
「では、宮中では何を記し、何を省けばよいと思いますか」
麗華はすぐに答えなかった。
宮中でどの布が重要かを決める知識は、まだ持っていない。
「私には、まだ分かりません。布の値だけでなく、どなたの衣に使われるか、代わりの品があるかによっても違うと思います」
「よろしいでしょう。分からないことまで決めなかったのは正しいです」
彩雲は玉英へ顔を向けた。
「明日、白絹、染めた絹、刺繍糸について、過去10日分の返却書付を集めます。麻布は後回しにします」
「承知いたしました」
「戻り品の棚は、このまま使います。書付がない品は受け取らず、玉英を呼びなさい」
彩雲は月娥にも告げた。
「月娥。これまで戻った品を受け取っていたこと自体を責めているのではありません。戻す場所も記し方も決めていなかったことは、こちらの責任です」
月娥は顔を上げた。
「はい」
「ただし、今後は決めた通りにしなさい。相手が急いでいても、書付のない品を棚へ戻してはなりません」
「承知いたしました」
彩雲は麗華の竹札を返した。
「明日から、出した数と受け取った数に加え、戻った数も記しなさい」
「はい」
「品を調べるのは、玉英か私です。お前は包みを勝手に開いてはなりません」
「承知いたしました」
「記録が増えます。書き間違えた時は、削って書き直さず、誤りが分かる形で訂正しなさい」
「はい」
麗華は竹札を受け取った。
倉から出る品だけでなく、戻ってくる品にも行き先が決められた。
白絹1疋は、帳簿へ返却が記されたあと、元の棚へ移された。
朝には6疋が倉から出て、裁縫場が受け取った。午後には、そのうち1疋が未使用のまま戻った。
最後に倉へ残った数だけを見れば、1疋増えたにすぎない。
しかし、麗華の竹札には、その1疋が動いた順序まで残されていた。
後編1では、裁縫場から未使用の白絹1疋が、書付のないまま倉へ戻された。
これまでは、作業場から返された品を受け取り、元の棚へ戻したあとで彩雲へ伝えることがあった。そのため、報告や書付が遅れれば、帳簿に記されない品が棚へ混じる可能性があった。
玉英は戻された品を元の棚へ入れず、彩雲が確認するまで専用の棚へ置くよう命じた。作業場から返す時には、受け取った数、戻す数、理由を記した書付も必要となった。
麗華は、倉から出した数と作業場が受け取った数に加え、作業場から戻った数も竹札へ記すことになった。
麗華に品を調べる権限や、帳簿へ書き込む権限はない。
それでも、倉と作業場の間で品が動いた順序を残す仕事が、麗華へ任された。




