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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第5話(前編2)――「消えた緋色の絹」

 倉を出た緋色の絹は4疋であった。しかし、裁縫場に残っていたのは3疋である。


 運搬に当たった6人は仕事から外され、荷と寝所を調べられる。なかでも疑いを向けられたのは、布の値を知り、宮中の外に自分の店を持つ麗華であった。

 孫玉英(スン・ユーイン)は、緋色の絹を運んだ6人を倉の前へ並ばせた。


 麗華の右には李月娥(リー・ユエオ)、左には沈香児(シェン・シャンアル)が立っている。その先に張玉蘭(ジャン・ユーラン)周小蓮(ジョウ・シャオリエン)呉春燕(ウー・チュンイェン)が並んだ。


 朝日が屋根を越えていたが、倉の前は日陰である。石敷きには夜露が残り、足元から冷えが上がってきた。


 玉英は倉の帳簿を手にしていた。その隣には、昨日、緋色の絹を出した陳素娟(チェン・スージュエン)がいる。


「昨日の夕刻、ここから緋色の絹4疋を出しました」


 玉英は6人へ告げた。


「裁縫場の受取帳には3疋と記されています。運んだ者は、お前たち6人です。倉を出てから裁縫場へ着くまでに、何があったかを1人ずつ申告しなさい」


 月娥が最初に答えた。


「私は玉蘭さんと、前の木枠を運びました。絹は2疋でございました。途中で止まることなく、裁縫場まで運んでおります」


「裁縫場へ置いたあと、絹を数えましたか」


「木枠に2疋あるのを見ました。ただし、受け取りの帳簿は見ておりません」


 玉蘭も同じ内容を答えた。


 春燕と小蓮は、2台の木枠の左右を歩き、布が壁へ触れないよう見ていた。2人とも、途中で絹を持ち去った者はいないと答えた。


 香児の番になると、声に緊張が表れた。


「私は麗華さんと、後ろの木枠を運びました。途中で1度、木枠を下ろしました」


「なぜですか」


「縄が緩んだからでございます」


「誰が気づいたのですか」


「麗華さんです」


「縄に触れたのは」


「麗華さんでございます」


 玉英は麗華へ顔を向けた。


「間違いありませんか」


「はい。上の絹を留めた縄が緩み、木枠が傾いておりました。このまま運べば落ちるため、私が締め直しました」


「その時、ほかの者はどこにいましたか」


「香児さんは木枠の反対側におりました。月娥さんと玉蘭さんは前の木枠を運んでおり、春燕さんと小蓮さんは近くにおりました」


「絹を木枠から下ろしましたか」


「下ろしておりません」


「結び目をほどきましたか」


「緩んだ縄を引き、結び直しました。絹を包んだ紐には触れておりません」


 玉英は春燕と小蓮へ尋ねた。


「見ていましたか」


 春燕が答えた。


「麗華さんが縄へ触れたことは見ました。ただし、私は通路の先を見ておりましたので、手元までは確かめておりません」


 小蓮も同様であった。


 玉英は素娟へ向き直った。


「倉から出す時、4疋を確かめましたか」


「確かめました。2疋ずつ木枠へ載せ、帳簿にも4疋と記しました」


「6人へ数字を読み上げましたか」


「4疋と申しました」


 麗華は昨日の場面を思い返した。


 素娟は、確かに4疋と口にしていた。麗華も倉の中で4疋を見ている。


 問題は、裁縫場へ着いたあとであった。


「裁縫場では、誰が受け取りましたか」


 玉英が尋ねた。


 月娥が答えた。


郭芳華(グオ・ファンホア)様でございます」


「その場で布を広げましたか」


「いいえ。戸を閉める時刻でございましたので、木枠を置いて戻るよう命じられました」


「お前たちは、受け取りの確認が終わる前に戻ったのですね」


「はい」


 月娥は視線を床へ落とした。


「なぜ待たなかったのですか」


「芳華様から、もうよいと命じられました」


「命じられれば、数が合わなくても戻るのですか」


「その時は、木枠が2台あることしか確かめませんでした」


 玉英は返答せず、6人を倉の脇にある小部屋へ移した。


「調べが終わるまで、仕事には戻しません。勝手に部屋を出てはなりません」


 入口には別の女が立ち、6人を見張った。


 部屋には腰掛けが2つしかなかった。月娥と小蓮が腰を下ろし、麗華たち4人は壁際へ立った。


 香児が麗華へ尋ねた。


「絹は、本当に4疋あったのでございますか」


「ありました」


「では、裁縫場の方が数を間違えたのではございませんか」


「今は分かりません」


「途中で落としたのであれば、通路に残っているはずです」


 玉蘭が口を挟んだ。


「絹1疋を誰かが拾い、隠したのかもしれません」


「そのような大きな物を、どこへ隠すのですか」


 春燕は戸口の見張りを気にしながら尋ねた。


 緋色の絹1疋は、懐へ入れられる大きさではない。布を解いて体へ巻きつけたとしても、衣服の膨らみと色で分かる。運搬中に持ち去るなら、6人のうち複数が気づくはずであった。


 月娥が麗華へ顔を向けた。


「あなたは、縄を直した時、上の絹を動かしましたか」


「動かしておりません」


「少しも触れていないのですか」


「縄を引いたため、締め付けられた絹は動いております。しかし、木枠から下ろしてはいません」


「店で布を扱っていたのでしょう。結び目をほどかずに抜く方法を知っているのではありませんか」


「私が抜くところを見たのでございますか」


「見てはいません。ただ、布の扱いに慣れているのは、あなたです」


 麗華は月娥の顔を見た。


 月娥が犯人だと決めつけているわけではない。自分と同じ部屋から疑われる者が出なければ、6人全員が調べられる。宮中で3年働いてきた月娥にとって、入ったばかりの麗華へ疑いが向く方が都合はよかった。


 麗華が答える前に、戸が開いた。


 玉英と2人の女が入ってきた。


「これから、お前たちの荷と寝所を調べます」


 玉英が告げた。


「絹を持っていない者も調べるのでございますか」


 香児が尋ねた。


「持っていないことを確かめます。拒めば、隠していると判断します」


 6人は順に寝所へ戻された。


 箱、寝具、着替え、櫛、紙、針、油が床へ並べられた。衣服の縫い目まで確かめられ、掛布と敷物も裏返された。


 麗華の荷からは、文亮にもらった帳面が見つかった。


「これは何ですか」


 調べに来た女が帳面を開いた。


 最初の頁には、崔家の住所と、父母、兄の名がある。次の頁には、玉英、彩雲、同室の女たちの名が記されていた。


「宮中で会った者の名を書いているのですか」


「はい。忘れないためでございます」


「こちらは何です。藍染めの絹、端に糸の傷とあります」


 月娥の顔から血の気が引いた。


 麗華は見たことだけを答えた。


「昨日、染色場へ運んだ絹に傷がございました」


「誰へ報告しましたか」


「月娥さんへ申しました」


「そのあと、どうしましたか」


「作業場へ置きました」


「なぜ、上の女官へ申し出なかったのですか」


「月娥さんから、端を切れば使える傷であり、申し出なくてよいと教えられました」


 調べていた女が月娥へ向き直った。


「間違いありませんか」


「はい。ただし、隠したのではございません。裁つ時に除ける端の傷で、使う部分には及んでおりません」


「それを決めるのは、お前ですか」


 月娥は答えられなかった。


 麗華の帳面は玉英へ渡された。


 玉英は緋色の絹について記された箇所を読んだ。


「4疋。木枠は2台。1台に2疋。途中で縄を締め直した、とありますね」


「はい」


「なぜ、仕事のことを記しているのですか」


「数と場所を覚えるためでございます」


「盗むために、布の出入りを調べていたとも考えられます」


「そのように考える方がいることは承知しております」


 玉英は帳面を閉じた。


「これは、調べが終わるまで預かります」


「承知いたしました」


 麗華の荷から絹は見つからなかった。


 ほかの5人の荷と寝具からも、緋色の糸1本さえ出なかった。


 それでも、疑いは解けなかった。


 6人は再び小部屋へ戻された。朝から何も食べておらず、昼を過ぎるころには、香児が腹を押さえて座り込んだ。


 玉蘭は両手を握り、月娥へ尋ねた。


「見つからなければ、私たちはどうなるのでございますか」


「別々に調べられます」


「何を聞かれるのですか」


「同じことを何度も聞かれます。答えが変われば、隠していると思われます」


「盗んでいなくても、罰を受けるのでしょうか」


「誰が盗んだか分からなければ、運んだ者の責任になることがあります」


 香児が顔を上げた。


「6人全員で弁償すれば済むのでございますか」


「上等な緋色の絹です。お前が持ち込んだ銀で払える額ではありません。それに、高位の妃へ仕立てる冬衣に使う布だと聞いています。銀を返せば済む物ではないでしょう」


 誰に使う布であるかを、月娥も詳しくは知らないらしい。


 しかし、高位の妃に仕立てる衣装の材料が消えたとなれば、倉と裁縫場の面目に関わる。紛失した1疋より、誰が責任を負うかの方が重く扱われる可能性があった。


 午後になると、6人は倉の前へ戻された。


 そこには玉英のほかに、劉彩雲(リウ・ツァイユン)がいた。


 彩雲の前には、倉の帳簿と裁縫場の受取帳が並べられている。


「倉の帳簿には4疋を出したとあります」


 彩雲は6人へ告げた。


「裁縫場の帳簿には3疋を受け取ったとあります。どちらかの記録が誤っているか、運ぶ途中で1疋が失われたことになります」


 麗華は尋ねた。


「申し上げてもよろしいでしょうか」


「申してみなさい」


「倉から出た時の数と、裁縫場へ着いた時の数を、私たち6人の誰も帳簿で確認しておりません。倉では素娟様が4疋と申され、裁縫場では木枠を置いて戻るよう命じられました」


 素娟が不快そうに麗華を見た。


「私の帳簿が誤っていると申すのですか」


「いいえ。私は倉で4疋を見ております。素娟様の帳簿と、私が見た数は合っております」


「では、裁縫場の帳簿が誤りだと申すのですか」


「それも分かりません。私が見たのは、木枠を置いたところまででございます」


 彩雲は麗華へ尋ねた。


「お前は華宝舗という店を持ち、布を扱っていたそうですね」


「はい」


「宮中の外に、自分の店と奉公人がいるのですね」


「おります」


「失った絹を売る場所も、買い手を探す方法も知っていることになります」


「はい。布を売る方法は知っております」


 香児と玉蘭が麗華を見た。


 否定すれば、あとで華宝舗の商いを調べられた時に嘘となる。知っていることまで隠す必要はなかった。


「随分、素直に認めるのですね」


 玉英が言った。


「知らないと申し上げても、華宝舗の帳簿と取引相手を調べれば分かります」


「では、お前が最も疑わしいことも分かっていますか」


 彩雲が尋ねた。


「分かっております。私は布の価値を知り、外に店を持ち、運搬の途中で縄へ触れております」


「それでも盗んでいないと申すのですね」


「盗んでおりません」


「証明できますか」


「今はできません。ただし、私が盗んだとすれば、どこから外へ出したのでございましょうか」


 玉英の目が鋭くなった。


「質問しているのはこちらです」


「私が盗んだと考えた場合にも、外へ出す方法が必要でございます。絹1疋は衣服の下へ隠せません。私たちは裁縫場から寝所へ戻り、門を通っておりません。荷も寝所も調べられましたが、絹は見つかりませんでした」


「誰かへ渡したのかもしれません」


「その場合は、私のほかにも、絹を受け取った者がおります」


「仲間がいると申したいのですか」


「盗みがあったとすれば、1人で宮中の外へ出すことは難しいと申し上げております。門を通る荷車、洗濯物、残布を運ぶ籠のいずれかへ入れなければなりません」


 彩雲は、裁縫場の帳簿へ目を落とした。


「絹が宮中の外へ出たとは限りません。中のどこかへ隠されていることもあります」


「はい。その可能性もございます」


「では、どこを調べるつもりですか」


「昨日、私たちが通った道、裁縫場で木枠を置いた場所、そのあとに出入りした者と荷でございます」


 玉英が告げた。


「お前に調べることは許しません」


「なぜでございますか」


「お前は疑われている者です。勝手に歩けば、それだけで罪になります。関係する者へ質問すれば、口裏を合わせようとしたと判断されます」


 麗華は反論しなかった。


 玉英の判断は当然であった。麗華が調べる側へ回れば、自分に都合のよい証言を集めたと疑われる。


「命じられた場所から出ず、尋ねられたことだけに答えなさい」


「承知いたしました」


 6人は、その日の仕事から外された。


 夕刻になっても絹は見つからなかった。倉、裁縫場、通路、寝所を調べたが、緋色の布はどこにも残っていない。


 部屋へ戻ることは許されたが、入口には見張りが置かれた。


 食事として、冷えた粥と塩漬けの菜が運ばれてきた。香児は朝から空腹を訴えていたにもかかわらず、椀を前にして箸を動かせなかった。


「私は、絹へ触れてもおりません」


 香児は月娥へ訴えた。


「分かっています」


「それでも調べられるのですか」


「運んだ者が6人である以上、調べられます」


「家へ知らせてもらえるのでしょうか」


「今は無理でしょう」


 玉蘭が麗華へ尋ねた。


「本当に、外へ出すには仲間が必要なのでございますか」


「私たちのような下働きが、絹1疋を抱えて門を通ることはできません」


「では、上の女官が盗んだのでしょうか」


「分かりません。分からない者の名を挙げてはなりません」


「誰かの名を言わなければ、私たちが罰を受けます」


「根拠のない名を言えば、その者が私たちより上であった場合、絹の紛失とは別の罪を問われます」


 月娥は麗華を見た。


「あなたは、恐ろしくないのですか」


「恐ろしゅうございます」


「そうは見えません」


「絹が見つからなければ、私が最も疑われます。恐れていても、疑いは消えません」


 麗華は粥を食べた。


 空腹のまま明日の取り調べを受ければ、考える力が落ちる。味はほとんど感じなかったが、椀を空にした。


 食器が下げられたあと、戸が開いた。


 玉英と彩雲が入ってきた。


 6人は立ち上がった。


 彩雲は全員を見回した。


「今日の調べでは、絹は見つかりませんでした」


 香児の顔に安堵が浮かんだが、彩雲の話は終わっていなかった。


「見つからなかったからといって、お前たちへの疑いが消えたわけではありません。明日の日暮れまでに絹が見つからなければ、6人を別々に取り調べます」


 香児の表情が変わった。


 玉蘭は何かを言おうとしたが、月娥が腕を押さえた。


「同じ部屋で話を合わせられるのは、今夜までです」


 玉英が告げた。


「明日、答えが食い違えば、どちらかが嘘をついたと判断します。見たことだけを話しなさい。ほかの者をかばっても、自分まで罪を負うことになります」


 彩雲は麗華へ目を向けた。


「お前は外に店を持っているそうですね。最も疑われやすいのが誰か、分かっているでしょう」


「私でございます」


「そうです。布の値を知り、売る相手も知っている。運搬の途中で縄へ触れ、自分の帳面に布の数と傷を記していた」


「はい」


「明日までに絹が見つからなければ、華宝舗についても調べます。宮中へ入る前に、誰へ店を任せ、どの商人と布を取引していたのかを尋ねます」


 麗華の胸に、初めて強い焦りが生じた。


 自分が罰を受けることだけではない。華宝舗の奉公人や取引相手まで調べられれば、店の信用を失う。春梅や志明が絹の盗みに関わったと疑われれば、麗華が宮中にいる間に商いが止まる恐れもあった。


「承知いたしました」


 麗華は答えた。


「ただし、華宝舗の者は、今回の絹について何も知りません」


「それを決めるのはこちらです」


 彩雲は玉英とともに部屋を出た。


 戸が閉まり、外から閂を掛ける音がした。


 麗華は寝台へ戻らず、昨日の運搬を最初から思い返した。


 倉には4疋あった。


 木枠は2台であった。


 途中で縄を締め直した。


 裁縫場では、戸を閉める間際であった。


 受け取った郭芳華(グオ・ファンホア)は、布を広げず、木枠を置いて戻るよう命じた。


 絹が消えたのは、運搬の途中とは限らない。


 帳簿へ記入される前に、誰かが数を変えた可能性もある。


 しかし、麗華は疑われている。自分で裁縫場へ行くことも、芳華へ質問することも許されなかった。


 調べられるのは、明日も命じられた場所で見聞きできることだけである。


 麗華は、同室の5人を見た。


 月娥は3年間、宮中で働いている。


 玉蘭と香児は怯えている。


 春燕と小蓮は、何かを知っていても、自分から話す様子を見せていない。


 麗華は、誰が味方かをまだ知らなかった。


 絹を見つけるまでに残された時間は、明日の日暮れまでである。

 前編2では、緋色の絹4疋のうち1疋が消え、運搬に当たった6人の荷と寝所が調べられた。


 麗華の荷からは、宮中で見聞きした人名、布の数、傷を記した帳面が見つかった。絹は発見されなかったが、麗華は布の価値と売り方を知り、外に華宝舗を持ち、運搬の途中で縄へ触れたことから、6人の中で最も疑われる立場となった。


 麗華は、絹1疋を下働きの女が1人で宮中の外へ出すことは難しいと指摘した。しかし、疑われている麗華が自ら調べることは許されなかった。


 翌日の日暮れまでに絹が見つからなければ、6人は別々に取り調べられる。


 さらに彩雲は、華宝舗の奉公人や取引相手についても調べると告げた。麗華は自分の身だけでなく、宮中の外に残した店の信用も守らなければならなくなった。

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