第5話(前編2)――「消えた緋色の絹」
孫玉英は、緋色の絹を運んだ6人を倉の前へ並ばせた。崔麗華の右には李月娥、左には沈香児が立ち、その先に張玉蘭、周小蓮、呉春燕が続いた。
朝日は屋根を越えていたが、倉の前は日陰だった。石敷きには夜露が残り、足元から冷えが上がってくる。玉英は倉の帳簿を持ち、その隣には昨日の出庫を担当した陳素娟が控えていた。
「昨日の夕刻、ここから緋色の絹4疋を出しました。ところが、裁縫場の受取帳には3疋と記されています。倉を出てから裁縫場へ着くまでに何があったのか、1人ずつ申告しなさい」
最初に月娥が答えた。
「私は玉蘭さんと前の木枠を運びました。載せた絹は2疋で、途中では止まらず、裁縫場まで運んでおります」
「置いた時にも、2疋あることを確かめましたか」
「木枠に載っているのは見ました。ただ、受け取りの帳簿は見ておりません」
玉蘭も同じ内容を答えた。木枠の左右を歩いていた春燕と小蓮は、布が壁へ触れないよう見ており、途中で絹を持ち去った者はいなかったと申し立てた。
香児の番になると、その声に緊張が表れた。
「私は麗華さんと後ろの木枠を運びました。途中で縄が緩み、麗華さんが気づいて、1度だけ木枠を下ろしております。縄を締め直したのも麗華さんです」
玉英は麗華へ顔を向けた。
「今の申告に間違いはありませんか。その時、ほかの者がどこにいたのかも答えなさい」
「間違いございません。上の絹を留めた縄が緩んで木枠が傾き、そのままでは落ちるため、私が締め直しました。香児さんは木枠の反対側におり、月娥さんと玉蘭さんは前を歩いておりました。春燕さんと小蓮さんも近くにおりました」
「締め直す際、絹を下ろしたり、包みの紐をほどいたりしましたか」
「絹は下ろしておりません。緩んだ縄を引いて結び直しましたが、絹を包んだ紐には触れておりません」
玉英に確かめられ、春燕は麗華が縄へ触れるのを見たと答えた。ただし、通路の先にも気を配っていたため、手元までは見ていなかった。小蓮の返答も同じだった。
「素娟、倉から出す時の確認について申告しなさい」
「4疋あることを確かめ、2疋ずつ木枠へ載せました。帳簿にも4疋と記し、この者たちにも数を読み上げております」
麗華の記憶とも合っていた。素娟は確かに4疋と口にし、倉の中にはその数の絹があった。問題は、裁縫場へ着いたあとだった。
玉英が受け取りの様子を尋ねると、月娥が答えた。
「受け取られたのは、郭芳華様でございます。戸を閉める時刻でしたので、布は広げず、木枠を置いて戻るよう命じられました」
「受け取りの確認が終わる前に、戻ったのですね。なぜ待たなかったのですか」
「芳華様から、もうよいと命じられましたので……」
月娥は床へ視線を落とした。
「命じられれば、数が合うか確かめずに戻るのですか」
「その時は、木枠が2台揃っていることしか確かめませんでした」
玉英はそれ以上問い詰めず、6人を倉の脇の小部屋へ移した。
「調べが終わるまで仕事には戻しません。勝手に部屋を出てはなりません」
入口には見張りの女が立った。腰掛けは2つしかなく、月娥と小蓮が座り、麗華たち4人は壁際に立った。
「確かに4疋あったのなら、裁縫場で数え間違えたのではございませんか」
香児が麗華に尋ねた。
「倉に4疋あったのは確かです。ただ、裁縫場で何があったのかは分かりません」
「途中で落としたなら、通路に残っているはずです。誰かが拾って隠したのでしょうか」
玉蘭が口を挟むと、春燕は戸口の見張りを気にしながら答えた。
「あれほど大きな物を、気づかれずに隠せるとは思えません」
絹1疋は懐へ入る大きさではない。布を解いて体へ巻きつけても、衣服の膨らみやのぞいた色で分かる。運搬中に持ち去れば、6人のうち誰かが気づくはずだった。
月娥が麗華へ顔を向けた。
「縄を直した時、上の絹を動かしたのではありませんか」
「縄を引きましたので、締め付けられた分は動きました。ですが、木枠から下ろしてはおりません」
「あなたは店で布を扱っていたのでしょう。結び目をほどかずに抜く方法も、知っているのではありませんか」
「私が抜くところをご覧になったわけではございませんね」
「見てはいません。ただ、布の扱いに慣れているのは、あなたです」
麗華は月娥の顔を見た。犯人だと言い切るだけの根拠はなくても、疑いを向けることはできる。宮中で3年働いてきた月娥にとって、入ったばかりの麗華が疑われる方が、自分の立場を守りやすいのだろう。
答えようとしたところで戸が開き、玉英が2人の女を連れて入ってきた。
「これから、お前たちの荷と寝所を調べます」
「私たちは絹を持っておりません。それでも、寝所まで調べるのでございますか」
香児が訴えた。
「持っていないことを確かめるのです。拒めば、隠していると判断します」
◇ ◇ ◇
6人は順に寝所へ戻され、箱や寝具、着替えを調べられた。櫛、紙、針、油まで床へ並べられ、衣服の縫い目を確かめられる。掛布や敷物も裏返され、隠し物がないか探られた。
麗華の荷からは、文亮にもらった帳面が出てきた。調べに来た女が開くと、初めの頁には崔家の住所と父母、兄の名があり、その先には玉英や彩雲、同室の女たちの名が記されていた。
「宮中で会った者の名を書いているのですね」
「はい。忘れないためでございます」
「では、この『藍染めの絹、端に糸の傷』というのは、何の記録ですか」
月娥の顔から血の気が引いた。麗華は、昨日見たことと、そのあとにしたことを答えた。
「染色場へ運んだ絹に傷がありましたので、月娥さんへ知らせました。端を切れば使える傷で、申し出なくてよいと教えられ、そのまま作業場へ置いております」
女が月娥へ向き直った。
「今の話に間違いはありませんか」
「はい。ただ、隠したのではございません。裁つ時に除ける端の傷で、使う部分には及んでおりませんでした」
「使えるかどうかを決めるのは、お前ですか」
月娥は答えられなかった。帳面は玉英へ渡され、今度は緋色の絹について記した箇所を読まれた。
「4疋を2台の木枠へ2疋ずつ載せ、途中で縄を締め直した、とありますね。人の名だけでなく、仕事のことまで記しているのはなぜですか」
「扱った数と、運んだ場所を覚えるためでございます」
「盗むために布の出入りを調べていたとも考えられます」
「そのように受け取られることは承知しております」
玉英は帳面を閉じ、調べが終わるまで預かると告げた。麗華は承知したと答えたが、荷から絹が出てこなくても、疑いは晴れなかった。ほかの5人の持ち物や寝具にも、緋色の糸1本見つからなかった。
6人は再び小部屋へ戻された。朝食のあと何も口にしておらず、昼を過ぎるころには、香児が腹を押さえて座り込んだ。玉蘭は両手を握り、月娥に尋ねた。
「このまま見つからなければ、私たちはどのような調べを受けるのでございますか」
「別々にされ、同じことを何度も聞かれるでしょう。答えが変われば、何かを隠していると思われます。盗んだ者が分からなければ、運んだ者の責任にされることもあります」
香児が顔を上げた。
「6人で弁償すれば、許していただけないのでしょうか」
「上等な緋色の絹です。あなたが持ち込んだ銀で払える額ではありません。それに、高位の妃の冬衣に使う布だと聞いています。銀で返せば済む話ではないでしょう」
どの妃に使う布なのか、月娥も詳しくは知らないようだった。それでも、高位の妃の衣装に使う絹を失ったとなれば、倉と裁縫場の面目に関わる。紛失した1疋を捜すこと以上に、誰に責任を負わせるかが問題になる恐れがあった。
◇ ◇ ◇
午後、6人は倉の前へ戻された。玉英のほかに劉彩雲がおり、その前には倉の帳簿と裁縫場の受取帳が並べられていた。
「倉の帳簿では4疋を出し、裁縫場の帳簿では3疋を受け取ったことになっています。どちらかの記録が誤っているか、運ぶ途中で1疋が失われたことになります」
麗華は発言の許しを求め、彩雲が認めると、帳簿について述べた。
「私たち6人は、どちらの帳簿も見ておりません。倉では素娟様が4疋と読み上げられ、私もその数の絹を見ました。ですが、裁縫場では木枠を置いて戻るよう命じられ、受け取りの確認には立ち会っておりません」
素娟が不快そうな顔をした。
「私の記録を疑っているのですか」
「いいえ。倉の帳簿と、私が見た数は合っております。裁縫場の記録が正しいかどうかは、私には分かりません。見届けたのは、木枠を置くところまででございます」
彩雲は麗華に目を向けた。
「お前は華宝舗という店を持ち、布を扱っていたそうですね。今も外に店と奉公人がいるのなら、絹を売る場所も、買い手を探す方法も知っているはずです」
「はい。店も奉公人もおりますし、布を売る方法も存じております」
香児と玉蘭が麗華を見た。だが、ここで否定しても、店の商いを調べられれば嘘だと分かる。知っていることまで隠す必要はなかった。
「随分と素直に認めるのですね」
玉英が言うと、麗華は答えた。
「知らないと申し上げても、店の帳簿や取引相手を調べれば分かることでございます」
「では、なぜ自分が疑われるのかも分かっていますね」
彩雲が続けた。
「私は布の価値を知り、外に店を持ち、運ぶ途中で縄へ触れました。疑われる理由は分かっておりますが、盗んではおりません」
「それを証明できますか」
「今はできません。ただ、私が盗んだとお考えでしたら、絹をどこへ隠し、どのように外へ出したのかもお調べいただきとうございます」
玉英の目が鋭くなった。
「調べ方を指図するつもりですか」
「そのつもりはございません。絹1疋は衣服の下へ隠せる大きさではなく、私たちは裁縫場から戻ったあと、門を通っておりません。荷と寝所にもなかった以上、私が盗んだというのであれば、別の場所へ隠したか、誰かに渡したことになります」
「ほかの者へ渡した可能性はあります」
「その場合は、受け取った者もいるはずです。私たちのような下働きが1人で持ち出すのは難しく、門を通る荷車や洗濯物、残布を運ぶ籠などへ入れる必要がございます」
彩雲は裁縫場の帳簿へ目を落とした。
「宮中の外へ出たとは限りません。中のどこかに隠してあることも考えられます。お前の話では、その可能性も確かめる必要があるということですね」
「はい。昨日通った道と、裁縫場で木枠を置いた場所、そのあとに出入りした者や荷をお調べいただければと存じます」
「お前自身が調べることは許しません」
玉英が告げた。
「疑われている者が勝手に歩けば、それだけで罪になります。関係する者へ話を聞けば、口裏を合わせようとしたと判断します。命じられた場所を離れず、尋ねられたことにだけ答えなさい」
麗華は承知したと答えた。自分が調べる側へ回れば、都合のよい証言を集めたと疑われる。ここで言い争っても、歩き回る許しが出るとは思えなかった。
その日、6人は仕事へ戻されなかった。夕刻まで倉や裁縫場、通路、寝所の捜索が続いたが、絹は見つからなかった。
◇ ◇ ◇
部屋へ戻ることは許されたものの、入口には見張りが置かれた。冷えた粥と塩漬けの菜が運ばれてきても、香児は椀を前に箸を動かさなかった。
「私は絹そのものには触れてもおりません。それなのに疑われたままでは、家にも知らせていただけないのでございましょうか」
「運んだ6人に入っている以上、調べは受けます。家へ知らせることも、今は難しいでしょう」
月娥の返答に、香児は顔を伏せた。玉蘭は麗華へ向き直った。
「絹を外へ出すには、やはり手を貸す者が必要なのでございますね。私たちが門を通れないのなら、上の女官が盗んだのでしょうか」
「私たちのような下働きが、絹を抱えて門を通るのは無理です。ただ、それだけで上の女官が盗んだとは申せません」
「ですが、誰かの名を言わなければ、私たちが罰を受けます」
「根拠もなく名を挙げてはなりません。相手が上の女官なら、絹の紛失とは別に、その方を偽って訴えた罪まで問われます」
月娥が麗華を見た。
「あなたも疑われているのに、恐ろしくはないのですか」
「恐ろしゅうございます。絹が見つからなければ、私が最も疑われます。ただ、怯えていても疑いは消えません」
麗華は粥を口へ運んだ。空腹のまま翌日の取り調べを受ければ、考える力も落ちる。味はほとんど感じなかったが、椀は空にした。
食器が下げられたあと、玉英と彩雲が入ってきた。6人が立ち上がると、彩雲は全員を見回した。
「今日の調べでは、絹は見つかりませんでした」
香児の顔に安堵が浮かんだが、話はそこで終わらなかった。
「だからといって、お前たちへの疑いが消えたわけではありません。明日の日暮れまでに見つからなければ、6人を別々に取り調べます」
香児の表情がこわばった。玉蘭が何か言おうとすると、月娥がその腕を押さえた。
「こうして同じ部屋にいられるのも今夜までです。話を合わせようとしても、別々に聞けば食い違いが出ます」
玉英が続けた。
「答えが違えば、どちらかが嘘をついたと判断します。見たことだけを話しなさい。ほかの者をかばえば、自分まで罪を負うことになります」
彩雲は麗華へ目を向けた。
「布の値と売る相手を知り、途中で縄へ触れ、自分の帳面にも布の数や傷を記していた。お前が最も疑われやすいことは、もう分かっていますね」
「承知しております」
「明日までに絹が見つからなければ、華宝舗も調べます。宮中へ入る前に誰へ店を任せ、どの商人と布を取引していたのか、すべて尋ねます」
麗華は、それまで以上に焦った。自分が罰を受けるだけでは済まない。奉公人や取引相手まで調べられれば、店の信用に傷がつく。春梅や志明が盗みに関わったと疑われ、麗華が宮中にいる間に商いが止まる恐れもあった。
「承知いたしました。ただ、華宝舗の者は、今回の絹について何も知りません」
「それを確かめるのはこちらです」
彩雲は玉英とともに出ていった。戸が閉まると、外から閂を掛ける音がした。
麗華は寝台へ戻らず、昨日の運搬を初めから思い返した。倉には4疋あり、2台の木枠に載せて運んだ。途中で縄を締め直し、裁縫場へ着いたのは戸を閉める間際だった。芳華は布を広げず、木枠を置いて戻るよう命じた。
絹が消えたのは、運搬中とは限らない。受取帳に記されるまでの間に、誰かが持ち去った可能性もある。だが、自分で裁縫場へ行くことも、芳華へ尋ねることも許されていなかった。明日も、命じられた場所で見聞きできることを手掛かりにするしかない。
麗華は同室の5人を見た。宮中で3年働いてきた月娥には、自分の知らない事情が分かるかもしれない。玉蘭と香児は怯え、春燕と小蓮は口を閉ざしている。何か知っていたとしても、進んで話す様子はなかった。
誰が力を貸してくれるのかも分からないまま、麗華はこの部屋に閉じ込められていた。店へ調べが及ぶまでに残された時間は、明日の日暮れまでだった。




