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北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

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第5話(前編1)――「6人部屋の掟」

 尚服局(シャンフージュー)の下働きとなった崔麗華(ツイ・リーファ)は、宮中で最初の朝を迎える。


 倉から作業場へ布を運ぶ仕事は単純に見えた。しかし、6人部屋には書かれていない決まりがあり、布の傷には、申告すべきものと見なかったことにすべきものがあった。

 麗華は、戸が開く音で目を覚ました。


 部屋の外はまだ暗く、窓紙がわずかに白んでいるだけであった。冷えた空気が戸口から入り、6人分の寝具と衣服がこもらせた臭いを押し流した。


「起きなさい。鐘が鳴ってからでは遅いですよ」


 戸を開けた女は、部屋で最も古い寝台を使っていた。20歳を過ぎているように見える。昨夜、ほかの女たちが彼女を李月娥(リー・ユエオ)と呼んでいた。


 麗華は掛布をたたみ、寝台の端へ置いた。


 同じ日に宮中へ入った沈香児(シェン・シャンアル)は、まだ状況をつかめず、周囲を見ながら髪をまとめている。農家の娘である張玉蘭(ジャン・ユーラン)は、寝台の下へ落とした履物を探していた。


 ほかの2人は、役人の庶子である周小蓮(ジョウ・シャオリエン)と、寡婦の娘である呉春燕(ウー・チュンイェン)である。2人は麗華たちより前から働いており、月娥が戸を開ける前に着替えを済ませていた。


「顔を洗う水は、どちらにございますか」


 香児が月娥へ尋ねた。


「裏の水場です。ただし、今から行っても湯は残っていません。水を使いなさい」


「昨夜は、朝に湯が使えると聞きました」


「使えます。早く起きた者からです」


 月娥は自分の髪を結いながら答えた。


 春先とはいえ、夜明け前の水は冷たい。香児は不満を隠せなかったが、口には出さなかった。


 麗華が水場へ行くと、桶の前にはすでに数人の女が並んでいた。石敷きの床は濡れ、足袋を通して冷たさが伝わってきた。湯を入れた桶は空になっており、井戸水だけが残っている。


 麗華は手拭いを水へ浸し、顔と首を洗った。冷気で指先が痛んだが、後ろにはさらに人が待っている。髪を整え、寝所へ戻ると、月娥が香児の寝具を指していた。


「掛布は端をそろえてください。乱れていれば、部屋の6人が揃って叱られます」


「私だけが叱られるのではないのですか」


「1人の遅れで仕事へ出る時刻が遅れれば、6人全員の責任です。ここでは、同じ部屋の者が別々に扱われるとは限りません」


 香児は返事をせず、掛布をたたみ直した。


 月娥は麗華の寝台にも目を向けたが、直す箇所がないと分かると、次のことを教えた。


「朝の粥は、仕事場へ向かう前に食べます。遅れれば残りません。洗濯は夕食のあとです。水場では、先に働いている者へ場所を識りなさい。油、針、紙は、支給された分をなくしても、すぐには新しい物をもらえません」


「足りなくなった場合は、どうするのでございますか」


 玉蘭が尋ねた。


「持っている者から分けてもらいます」


「何を返せばよろしいのでしょうか」


「相手によります。洗濯を代わる者もいれば、菓子や髪油で返す者もいます」


 麗華は月娥の寝台脇を見た。小さな木箱の中に、糸、針、灯明油を入れた器が収められている。支給品だけではないらしく、糸の色も太さも何種類かあった。


 月娥は3年間、宮中で働いている。それでも位のある女官にはなれず、この部屋で下働きの女たちをまとめていた。


 頼まれた物を分け、仕事を手伝い、その代わりに別の物や働きを受け取る。それは宮中の最下層で生まれた小さな商いであった。


 麗華は、銀や品を渡して月娥の機嫌を取るつもりはなかった。相手が何を求めているか分からないうちに差し出せば、次からも同じ物を求められる。


 朝の粥は、豆と砕いた麦を煮たものであった。塩気は薄く、冷えかけていた。麗華は椀を空にし、漬物を1切れ食べた。


 香児が月娥へ尋ねた。


「昼の食事は、朝よりよいのでしょうか」


「仕事が遅れなければ食べられます。味より、食べる時刻を気にしなさい」


 月娥は自分の椀を返し、立ち上がった。


「新しく入った2人は、私についてきてください。玉蘭さんたちは糸の倉です」


 麗華と香児は月娥の後ろに従った。


 外へ出ると、東の空が赤みを帯びていた。屋根の向こうから朝日が差し始め、石敷きの通路に細長い光が落ちている。


 宮中には似た造りの建物と塀が続いていた。許可なく曲がってはならない道があり、門の前では宦官や女官が行き来している。麗華は前を歩く月娥との間を空けず、通った門と建物の位置を覚えた。


 布の倉では、すでに孫玉英(スン・ユーイン)が待っていた。


「遅れてはいませんね」


 玉英は麗華と香児の衣服、髪、手元を確かめた。


「爪を伸ばしてはなりません。布へ引っかければ、言い訳はできません。香を身につけることも禁じます。布へ匂いが移るからです」


 玉英は棚から出された布を指した。


「今日は麻布と白絹を作業場へ運びます。棚の札を読み、種類と数を確かめなさい」


 月娥は麻布の束を床へ下ろした。


「麻布は8反でございます」


「札には何とありますか」


 玉英が香児へ尋ねた。


 香児は棚に掛けられた木札を読んだ。


「昨日の残りが26反、本日8反を出すと記されております」


「残りはいくつですか」


 香児は棚の布を見てから、指を使わずに計算した。


「18反でございます」


 玉英は麗華へ向き直った。


「白絹は」


 麗華は棚の札と、木枠へ載せられた布を確かめた。


「12疋ございます。うち4疋を裁縫場へ運びます」


「残りは」


「8疋でございます」


「昨日、染みを見つけた布は数へ入れましたか」


「入れておりません。別の棚へ移され、札も分けられております」


 玉英は月娥へ命じた。


「運びなさい」


 白絹4疋は2疋ずつ重ね、木枠へ載せられた。2人で木枠の前後を持ち、倉から裁縫場まで運ぶ。麗華が前、香児が後ろを持った。


 白絹は見た目より重い。腕だけで支えると木枠が傾くため、腰を落とし、歩幅をそろえる必要があった。


「もう少し遅く歩いてください」


 香児が後ろから訴えた。


 麗華は歩調を合わせた。通路の角へ近づくと、先に自分の体を外側へ寄せ、木枠が壁へ当たらないように曲がった。


 裁縫場には、布を裁つ台と糸を扱う卓が並んでいた。窓から入る朝日が白絹に反射し、室内を明るくしている。布を裁つ鋏の音と、糸巻きを置く乾いた音が続いていた。


 受け取りを担当する女官が白絹を1疋ずつ改めた。麗華たちが口を出すことは許されず、数の記入も女官同士で行われた。


 倉へ戻る途中、香児が麗華へ声を落として尋ねた。


「あなたは、本当に店を持っていたのですか」


「はい」


「それなら、なぜ、このような仕事をするのでございますか。店にいれば、人へ命じる側だったのでしょう」


「ここへ入るためでございます」


「布を運ぶために、店を離れたのですか」


「今は、布を運ぶことしか任されておりません」


 香児は納得できない様子であったが、それ以上は尋ねなかった。


 午前の仕事が終わるまでに、麗華は白絹を2度、麻布を3度、染めた糸を1度運んだ。


 昼の粥には青菜が入り、朝より温かかった。だが、食べる時間は長くない。月娥が椀を空にすると、玉蘭と春燕も急いで箸を動かした。


 麗華は食事を終えたあと、月娥が竹札を前にして困っているのに気づいた。


 午前に運んだ糸の数をまとめているらしい。赤、黄、青の糸巻きが、運んだ時刻ごとに記されている。途中で返された物もあり、書き直した跡が重なっていた。


「こちらは、返された2巻を残りへ戻すのでございますか」


 麗華が尋ねた。


 月娥は竹札を隠さずに答えた。


「戻します。ただし、青糸4巻のうち1巻は、別の作業場へ回しました。どこへ書けばよいか分からなくなったのです」


「受け取った数、最初の作業場へ渡した数、返された数、別の作業場へ渡した数を分ければ、残りを出せます」


 麗華は指先で竹札の空いた場所を示した。


「ここへ順に書けば、青糸は最初に4巻を渡し、2巻が戻り、そのうち1巻を別の作業場へ渡したことになります。倉へ戻ったのは1巻でございます」


「これで合うのですか」


「最初の4巻のうち、最初の作業場に残ったのが2巻、別の作業場へ渡したのが1巻、倉へ戻したのが1巻でございます。合わせれば4巻になります」


 月娥はもう一度、数を確かめた。


「では、ここへ1巻と書けばよいのですね」


「はい。ただし、別の作業場へ渡したことも残した方がよろしいでしょう。後で数を尋ねられた時、説明できます」


 月娥は麗華の示した通りに書いた。


「店では、いつもこのようなことをしていたのですか」


「品を受け取り、売り、残りを確かめておりました。数が合わなければ、その日のうちに調べます」


「宮中では、その日のうちに調べても分からないことがあります」


「なぜでございますか」


「布や糸を動かす者が多いからです。誰かが別の場所へ回しても、書付が遅れて届くこともあります」


「それでは、受け取った者へ尋ねるのでございますか」


「尋ねてよい相手なら、です」


 月娥は竹札を懐へ入れた。


「先ほどのことは助かりました。今夜、髪油が必要なら分けます」


「まだ残っております。必要になった時は、お願いいたします」


 麗華はその場で品を受け取らなかった。


 月娥が数の扱いを苦手としていることは分かった。それならば、針や油を求めなくても、仕事を助けることで相手に貸しを作れる。


 午後、麗華は染色場へ藍染めの絹を運んだ。


 布を置く際、端に糸が引かれた箇所を見つけた。昨日の白絹にあった染みより目立たず、織り目を確かめなければ見落とす程度である。


 麗華は布へ触れず、そばにいた月娥へ知らせた。


「こちらの端に、糸が出ております」


 月娥は周囲を見たあと、麗華を布から離した。


「これは申し出なくてよい傷です」


「昨日、彩雲様から、傷や染みを見つけた時は申告するよう命じられました」


「この程度なら、端を切れば使えます。今から倉へ戻せば、なぜ受け取る時に見つけなかったのかと尋ねられます」


「受け取ったのは、どなたでございますか」


 月娥はすぐには答えなかった。


「見つけても、申してよい傷と、見なかったことにする傷がございます」


「誰が見なかったことにした傷でございますか」


 月娥は麗華の顔を見た。


「今は、それを尋ねない方がよいでしょう」


「私たちが運ぶ前からあった傷であれば、運んだ者の責任にはならないのでございますか」


「証明できれば、なりません」


「証明できなければ、私たちの責任になるのですか」


「だから、すべてを見つければよいわけではないと申しているのです」


 月娥は布の端を内側へ折り、傷が見えないように置いた。


 麗華は、それ以上は口を出さなかった。


 宮中では、傷を見つけた者が褒められるとは限らない。受け取りの段階で傷を見逃した女官がいれば、あとから申告した者は、その女官の落ち度を明らかにすることになる。


 正しい数を記し、傷を申告するだけでは、自分を守れない。


 誰が受け取り、誰が検め、誰が責任を負うのかを知らなければならなかった。


 夕刻、倉へ戻ると、玉英が待っていた。


「裁縫場へ、緋色の絹を運びます。今日中に届けなさい」


 倉の中には、深い緋色に染められた絹が4疋並んでいた。西日の差し込む場所では、赤にわずかな橙色が混じって見える。染料の匂いがまだ残っており、白絹よりも湿気を含んだ重さがあった。


 倉の中堅女官である陳素娟(チェン・スージュエン)が、帳簿を開いた。


「4疋です。2疋ずつ木枠へ載せなさい」


 麗華は、月娥、玉蘭、春燕、香児、小蓮とともに運ぶことになった。


 2台の木枠へ2疋ずつ載せ、太い縄で固定する。麗華は、載せられた絹を目で数えた。


 4疋である。


 素娟は帳簿へ筆を走らせたが、下働きの6人に記載した数字を見せなかった。


「行きなさい。裁縫場を閉める前に届けるのです」


 最初の木枠を月娥と玉蘭が持ち、2台目を麗華と香児が持った。春燕と小蓮は左右を歩き、布が壁や柱へ当たらないように見張った。


 通路の途中で、麗華の持つ木枠が傾いた。


「止まってください」


 麗華が告げると、香児も足を止めた。


 上に載せた絹を縛る縄が、片側だけ緩んでいる。麗華は木枠を床へ下ろし、結び目を締め直した。


「急いでください」


 前を歩く月娥が振り返った。


「このまま運べば、上の1疋が落ちます」


 麗華は縄を引き、絹が動かないことを確かめた。


 6人は再び木枠を持ち上げた。


 裁縫場では、女官が閉めかけていた戸を開け、荷を受け入れた。麗華たちは木枠を所定の場所へ下ろしたが、受け取りの確認に立ち会うことは許されなかった。


「もうよい。戻りなさい」


 女官から命じられ、6人は空の木枠を持って倉へ戻った。


 日が沈むと、部屋の空気は昼より冷えた。


 麗華は夕食後、衣服を洗い、寝台へ戻った。月娥は灯明のそばで竹札を確かめ、小蓮は破れた袖を縫っている。玉蘭と香児は、水場を使う順番について話していた。


 麗華は文亮からもらった帳面を開いた。


 新たに5人の名を書いた。


 李月娥(リー・ユエオ)


 張玉蘭(ジャン・ユーラン)


 周小蓮(ジョウ・シャオリエン)


 呉春燕(ウー・チュンイェン)


 沈香児(シェン・シャンアル)


 その下へ、月娥が数量の確認を苦手としていること、針や油を分ける代わりに仕事を頼んでいることを記した。


 さらに、藍染めの絹にあった傷について、日付と運んだ場所だけを残した。誰が見逃したのかは分からないため、名は書かなかった。


 最後に、夕刻に運んだ緋色の絹について記した。


 倉で見た数は4疋。


 木枠は2台。


 1台に2疋ずつ載せた。


 途中で縄を締め直した。


 麗華は、帳面を閉じた。


 翌朝、朝食を終えて倉へ向かうと、裁縫場から来た女官が玉英へ何かを訴えていた。


 玉英は帳簿を受け取り、記された数字を見た。


「倉から出したのは4疋です」


「裁縫場で受け取ったのは3疋でございます」


「その場で数えなかったのですか」


「戸を閉める時刻でございました。木枠が2台届いたことを確かめ、今朝、布を広げたところ、1疋足りないと分かりました」


 玉英は倉にいた者たちを見回した。


「昨日、緋色の絹を運んだ6人を呼びなさい」


 麗華は足を止めた。


 倉では、確かに4疋あった。


 裁縫場には3疋しかない。


 1疋は、倉から裁縫場までの間で消えたことになる。

 前編1では、宮中で最初の朝を迎えた麗華が、6人部屋の暮らしと、下働きの女たちの間にある決まりを知った。


 古参の李月娥(リー・ユエオ)は、針や油を分け、仕事を手伝う代わりに品や働きを受け取っている。麗華は銀や品を渡さず、月娥が苦手とする数量の確認を助けた。


 麗華は、布の傷を見つけても、常に申告すればよいわけではないと教えられた。傷を見逃した者の立場によっては、あとから見つけた下働きが責任を負わされるからである。


 夕刻、麗華を含む6人は、緋色の絹4疋を倉から裁縫場へ運んだ。


 しかし翌朝、裁縫場から、受け取った絹は3疋であったとの申し立てが出た。

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