第3話(前編2)――「開封へ運ぶ品」
華宝舗を開いて4か月後、白麗華は、店を従業員に任せて数日間留守にできる体制を整えた。
その頃、開封から清河県へ来た商人が、傷のない白玉と上質な香料を探していた。品を求めているのは、西北の軍を率いる童貫の配下である。
童貫は、麗華が陸生堂の荷札を整えた時から、その名を知っていた。
今度は陸家の奉公人ではなく、華宝舗の主人となった麗華が、自分の品と帳簿を携えて開封へ向かう。
(1112年10月、北宋・東平府清河県)
華宝舗の帳場には、白い布を敷いた卓が置かれていた。
その上に、香木、玉器、銀の香炉が並べられている。
趙淑英が陸生堂から出す沈香は3斤である。麗華は、それとは別に華宝舗で龍脳8両、麝香3両をそろえた。
白玉の品は、杯が2個、帯鉤が3個、簪が1本である。
聚宝斎の韓雪蘭が預かった品の中から選び、麗華が買い取った。白玉の杯1個には、内側に細い筋があったため外している。
卓の前には、開封から来た商人、周元達が座っていた。
40歳を過ぎた小柄な男で、袖口や履物に汚れがない。清河県へ着いてからも酒楼へ長居せず、陸生堂と取引のある店だけを回っていた。
周元達は白玉の簪を灯火へ透かした。
「傷はないようだ」
「表面に傷はございません。ただし、先端を一度削り直しております」
「見ただけで分かるのか」
「削った部分だけ、磨き方が違います」
麗華は簪の先端を指した。
周元達は簪を目へ近づけたが、すぐには違いを見つけられなかった。
「黙っていれば、買い手には分からぬ」
「開封へ着いてから分かれば、華宝舗が隠したことになります」
「値を下げろということか」
「削り直していない簪としては売れないと申し上げております」
周元達は簪を布の上へ戻した。
「いくらだ」
「銀6両でございます」
「傷のない品なら、8両は取れる」
「先端を削った品ですので、6両です」
「ずいぶん正直な商いをする」
「次も買っていただくためでございます」
麗華は龍脳の包みを開いた。
白い結晶から、冷たさを感じさせる強い香りが立った。
「龍脳は8両ございます。2つの包みに分けておりますが、仕入れ先は同じです」
「なぜ分けた」
「一方は開封へ運び、もう一方は清河県に残して、品質を比べられるようにするためです」
「開封で品が悪いと言われた時のためか」
「はい。運ぶ途中で湿気を含んだのか、最初から品質が悪かったのかを確かめられます」
周元達は、麗華の後ろに並ぶ木箱へ目を向けた。
木箱の蓋と側面には、品名、重さ、仕入れ先、買い取った日が書かれていた。箱の中に入れる札にも、同じ内容が記されている。
「以前、陸生堂の薬箱にも、このような札が付いていた」
「私が書きました」
「童貫様がご覧になった荷か」
「はい」
周元達は改めて麗華の顔を見た。
「白麗華という名に覚えがあった。あの時、陸家の後ろにいた娘か」
「さようでございます」
「今は陸家を離れたのか」
「華宝舗の主人でございます。ただし、陸生堂とは今も商いをしております。今回の沈香も、陸生堂からお預かりしました」
「店を持つために、陸家から銀を出してもらったのか」
「華宝舗の土地と建物は、私が自分の銀で買いました。陸家から借りた銀はございません」
周元達はしばらく黙った。
陸家に拾われた身元不明の娘が、半年もたたないうちに自分の店を持ったのである。疑うのは当然であった。
麗華は、華宝舗の店を買った証文、古物の売買記録、関撲と富くじの収支を書いた帳簿を卓上へ置いた。
「必要であれば、ご覧ください」
「そこまで見せてもよいのか」
「銀の出所を疑われたまま、開封へ品を運ぶことはできません」
周元達は証文の日付と金額を確かめた。
店の購入代金、修繕費、奉公人の給金、古物の仕入れ、小口貸しの元金が別々に記されている。
帳簿に書かれた銭の動きは多かったが、最初に麗華が用意した232貫文余りの範囲から外れていなかった。
「この富くじという商いで、ずいぶん稼いでいるな」
「賞金として返す額を先に決め、残りから札と場所の費用を払っております」
「当たり札を売らずに残せば、もっと稼げる」
「1度は稼げます。ただし、2度目から札が売れません」
周元達は帳簿を閉じた。
「品はすべて買う。沈香は陸生堂へ、残りは華宝舗へ支払う」
「ありがとうございます」
「ただし、開封までお前が来い。品の来歴を尋ねられた時、私では答えられぬ」
「承知いたしました」
「店はよいのか」
「私が数日留守にしても、商いは続けられます」
「主人がいない間に、銭を持ち逃げされるぞ」
「帳簿と銭箱を分けております。1人では土蔵も開けられません」
周元達は笑わなかった。
麗華が若い女だからといって、冗談で店を始めたわけではないと理解したのである。
出発は3日後に決まった。
◇ ◇ ◇
麗華は開封へ出る前日、華宝舗の帳場に王志明、宋春梅、張小虎を集めた。
店を空けるのは、往復を含めて10日ほどになる。
「古物の買い取りは、銀1両まで志明さんに任せます。それを超える品は、預かり証を渡してください」
「麗華様がお戻りになるまで待てないと言われた場合は、どうしますか」と志明。
「品を返してください。急ぐ客から安く買えば、その場では利益が出ます。ただし、華宝舗へ持ち込めば足元を見られると思われます」
「貸付は、返済を受け取るだけでよろしいですか」と春梅。
「新しい申し込みも受けてください。銀2両までで、商いの場所と使い道を確認できた者には貸して構いません」
「私だけで決めてもよろしいのですか」
「桂香さんと2人で確かめてください。意見が分かれた場合は貸さず、私が戻るまで待たせてください」
麗華は、春梅へ旅先を記した紙を渡した。
開封の宿、周元達の店、品を納める役所の場所が書かれている。
「急ぎの用があれば、使いを出してください。帳簿を見なければ決められないことなら、帳簿も持たせてください」
「開封まで届けるのですか」
「そのために行き先を書いております」
麗華は奥の小部屋へ入り、10日分の費用を取り出した。
旅費と宿代は華宝舗の商いに使う銭から出す。麗華個人の衣食に使う銭とは分けてある。
華宝舗の所有を誰かへ預ける必要はなかった。
麗華が清河県を離れても、土地と建物の名義は変わらない。銭箱と土蔵の中身も、従業員へ与えるのではなく、管理を任せるだけである。
麗華は翌朝、周元達の隊商とともに清河県を出た。
◇ ◇ ◇
(1112年10月、北宋・開封府)
開封へ入る荷車は、城門の外まで列を作っていた。
穀物、薪、炭、布、陶器を積んだ車が順番を待ち、その間を行商人や旅人が通っていく。門では兵が荷札を調べ、課税される品と数量を役人が帳面へ記していた。
周元達の荷も、門の脇へ寄せられた。
「沈香、龍脳、麝香、玉器」
門吏が荷札を読み上げた。
「薬材は陸生堂、残りは華宝舗とある。店が違うのに、なぜ同じ荷車へ積んだ」
周元達が答えようとしたが、麗華が先に証文を出した。
「陸生堂の沈香は、華宝舗が運送を引き受けております。品の所有者と、運んだ者を分けて記しました」
「この札を書いたのは誰だ」
「私でございます」
「華宝舗の奉公人か」
「主人でございます」
門吏は麗華を見てから、周元達へ顔を向けた。
「この娘が主人だと申しているぞ」
「そのとおりだ」
周元達が答えると、門吏は帳簿へ華宝舗の名を書き加えた。
荷を降ろして調べるよう命じられたが、箱の外と中の札が一致していたため、確認には長い時間を要しなかった。
麗華は城内へ入るまでに、どの品が細かく調べられ、どの荷が早く通されるかを見ていた。
軍や官府へ納める品であっても、すべてが同じ扱いを受けるわけではない。役所が発行した書付を持つ荷は早く通り、商人の証文だけで運ばれる品は、箱を開けて調べられる。
次に開封へ支店を出すなら、品を売る場所だけでなく、城門を通す手続きと荷を預ける倉も必要になる。
清河県の小さな店にすぎなかった華宝舗の名が、開封の城門を通る荷の記録に残った。麗華は、それを開封で商いを始める第一歩と受け止めた。
翌朝、荷は城内の役所へ運ばれた。
広い中庭には、各地から集められた香料、薬材、布、金属器、馬具が並んでいる。
役人が沈香の一部を削り、火へ近づけた。甘く重い香りが立ち上がる。
次に龍脳と麝香が調べられた。
「龍脳の包みが2つに分かれているのはなぜだ」
「一方は華宝舗に残しております」と麗華。「こちらの品に問題があれば、清河県に残した物と比べられます」
「重さは」
「8両でございます。箱へ入れる前に量り、周元達様の店でもう一度量りました」
役人は、記録した重さと実物を照合した。
差はなかった。
白玉の簪を確かめた役人が、先端の削り直しに気付いた。
「これは傷のない品ではない」
「そのため、買い取り値を下げております」
麗華は周元達へ渡した品書きを差し出した。
そこには、先端を削り直したことと、銀6両で売ったことが記されている。
「なぜ納める品へ混ぜた」
「髪へ挿す部分であり、見える場所に傷はございません。使用に差し支えない品として、お選びになるかどうかをご判断いただくためです」
「傷を隠したわけではないのだな」
「はい」
役人は簪だけを別の盆へ移し、残りの品を受け取った。
麗華には、代金を受け取って帰るだけの仕事に思えた。
ところが、役人は品書きを持ったまま、中庭の奥へ入っていった。
しばらくして、従者を3人伴った男が現れた。
童貫である。
麗華は周元達とともに膝をつき、頭を下げた。
「顔を上げよ」
童貫の声を聞き、麗華は顔を上げた。
童貫は以前と同じく、華美な衣服を着ていなかった。だが、周囲の役人は童貫が足を止めるたび、話すのをやめて一歩下がった。
童貫は麗華の顔を見た。
「白麗華であったな」
「私の名を覚えていただき、恐れ入ります」
「陸生堂の荷札を書いた娘だ。今も陸家にいるのか」
「華宝舗という店を持ちました。陸生堂とは、別の店として商いを続けております」
「自分の店を持ったのか」
「はい」
「誰の銀で買った」
「私の銀でございます」
童貫は役人から華宝舗の品書きを受け取った。
「この簪について、削り直したことを自分から申告したそうだな」
「隠して納めれば、次の商いができなくなります」
「傷のない品を求めた。それならば、最初から持ってこなければよい」
「傷があるのは、髪の中へ入る先端だけでございます。普段使いの品としては十分であり、傷のない品より銀2両安くできます。不要であれば、そのまま清河県へ持ち帰ります」
「私に安物を使わせるつもりか」
「お使いになる方が、童貫様とは伺っておりません」
中庭にいた役人たちが麗華を見た。
童貫の機嫌を損ねたと考えた者もいた。
麗華は言葉を加えず、童貫の返事を待った。
童貫は簪を手に取り、削られた先端を見た。
「誰が使う物か分からぬから、品書きに分かることをすべて書いたのか」
「はい。買う方が決められるようにするためでございます」
「では、この簪は誰に向く」
「髪を結い上げ、簪の先端が外から見えない方でございます。贈り物には向きません。普段お使いになる品でございます」
「値は銀6両か」
「はい」
「買い取れ」
童貫が命じると、役人は簪をほかの玉器と同じ盆へ戻した。
童貫は龍脳の品書きへ目を移した。
「清河県に同じ品を残しているそうだな」
「4両を残しております」
「半年後まで保管せよ」
「承知いたしました」
「この品が湿気で変質した場合、どこで悪くなったのか確かめる」
「毎月、重さと状態を調べ、帳簿へ記します」
「そこまでは命じていない」
「保管するのであれば、状態を記録しなければ、比較には使えません」
童貫は品書きを閉じた。
「半年後、帳簿と残した龍脳を持ってこい」
「華宝舗へお求めの品がなければ、龍脳だけをお持ちすればよろしいでしょうか」
「ほかの品は、その時に決める」
「承知いたしました」
童貫は周元達へ、華宝舗から受け取った品の代金をすべて支払うよう命じた。
さらに、次に香料や玉器を集める際には、清河県で華宝舗にも声をかけるよう告げた。
麗華は深く頭を下げた。
童貫が去ったあと、周元達は息を吐いた。
「童貫様へ、よくあのように答えられたな」
「尋ねられたことへ答えただけでございます」
「普段使いの簪だと申した時には、私まで罰せられるかと思った」
「贈り物に向かない品を、向くと申し上げることはできません」
「童貫様が怒れば、華宝舗など1日でなくなるぞ」
「怒らせないために嘘を申し上げれば、次に品を調べられた時になくなります」
麗華は受取書と代金を確認した。
陸生堂へ渡す沈香の代金と、華宝舗が受け取る銀を分け、それぞれの額を帳簿へ記した。
童貫と話したことも、商いの利益には違いなかった。
だが、それは銀に換えて銭箱へ入れられるものではない。
麗華の名と華宝舗の名が、童貫の記憶へ残ったのである。
◇ ◇ ◇
麗華は開封に5日間滞在した。
昼は周元達の店へ出入りする商人から、香料と玉器の産地、値段、運送にかかる日数を聞いた。
夕方には、城内の市場を歩いた。
清河県では見かけない南方の香木、西域から運ばれた宝石、海路で届いた薬材が並んでいる。値札のない品が多く、客の身なりによって最初に示す値を変える店もあった。
麗華は高価な品を買わなかった。
銭を払ったのは、紙、墨、開封の商人が使う帳面、清河県では手に入りにくい小さな分銅だけである。
宿へ戻ると、その日に見た品と値段を帳面へ書いた。
開封で華宝舗の支店を持つなら、店を買う必要はない。最初は周元達か、信用できる商人の店へ品を預け、売れた分だけ代金を受け取ればよい。
ただし、売れ残った品や代金をごまかされる恐れがある。
品ごとに番号を付け、預けた日と最低売値を記し、月ごとに照合する必要があった。
麗華は、清河県へ戻る荷車の出発日を確かめた。
華宝舗から使いは来なかった。急ぎの問題が起きていないということである。
それでも、店の帳簿を見るまでは安心できなかった。
◇ ◇ ◇
清河県へ戻った麗華は、その足で華宝舗へ入った。
戸口には客が2人おり、志明が銅の香炉を見せている。春梅は裏の小部屋で、炭売りの夫婦から返済の銭を受け取っていた。
小虎は荷車から古い家具を下ろしている。
店は閉まっていなかった。
麗華の帰りを待って、商いを止めていたわけでもない。
春梅が帳簿を持ってきた。
「お帰りなさいませ」
「留守の間に、問題はございましたか」
「返済が3日遅れた者が1人おります。病気ではなく、仕入れた薪が雨で売れなかったためです。桂香さんと店を見てまいりました」
「薪は残っていましたか」
「半分ほど残っております。次の市で売れれば、返せると思います」
「利息は増やしましたか」
「3日分は増やしておりません。その代わり、次の市の日を返済日として証文を書き直しました」
「それで構いません」
志明は、麗華が留守の間に買い取った古物の記録を出した。
買い取りは7点、売却は5点である。銀1両を超える品は2点持ち込まれたが、どちらも預かり証を渡して麗華の帰りを待たせていた。
銭箱の額も帳簿と合っている。
麗華は、開封から持ち帰った代金を銭箱へ入れなかった。
まず陸生堂へ沈香の代金を届け、受取書をもらう必要がある。華宝舗の分も、仕入れ代、運送費、宿代を差し引いてから利益を計算しなければならない。
「春梅さん。開封で童貫様から、龍脳4両を半年間保管するよう命じられました」
「売らずに置いておくのですか」
「はい。毎月1度、重さ、色、香りを調べます。私がいない時も、春梅さんと志明さんの2人で確認してください」
「帳簿は新しく作りますか」と志明。
「保管品だけを記す帳簿を作ります。華宝舗の売り物と混ぜてはなりません」
麗華は、開封で買った小さな分銅を卓上へ置いた。
「次に開封へ行く時は、華宝舗の品をいくつか預けて売らせます」
「開封に店を出すのですか」と春梅。
「まだ店は買いません。周元達様の店へ品を預け、売れるかどうかを確かめます」
「清河県の華宝舗は、どうなさいますか」
「何も変わりません。ここが本店です」
麗華は帳簿へ目を落とした。
「私は華宝舗を持ったまま、開封でも商いを始めます。清河県の店を誰かへ譲るつもりはございません」
春梅はうなずいた。
「開封へおられる間も、私どもは帳簿をお届けすればよろしいのですね」
「はい。急ぎの時は、私のいる場所まで持ってきてください」
麗華は、童貫から受け取った書付を帳場の奥へしまった。
童貫は麗華へ官位も身分も与えていない。
半年後に龍脳と帳簿を持ってこいと命じただけである。
だが、その命令があれば、麗華は再び童貫の前へ出られる。
次に会った時、童貫が麗華の容貌を覚えているだけでは足りない。
華宝舗へ品を求めれば、どこから仕入れ、どのように運び、どのような状態で届いたかを答えられる。そう思わせなければならなかった。
麗華は保管用の木箱を用意させ、開封へ持っていった物と同じ龍脳4両を入れた。
箱の外と内側へ、品名、重さ、仕入れ先、購入日、保管を始めた日を書いた札を付ける。
土蔵の棚には、売るための古物と、貸付の担保となる品が並んでいる。
その一角へ、童貫の命令で保管する龍脳が加わった。
華宝舗は、清河県東門近くの小さな店である。
しかし、麗華の帳簿には、開封で売った品と童貫の名が初めて記された。
麗華は、陸生堂の沈香と華宝舗で集めた龍脳、麝香、玉器を開封へ運んだ。
童貫は、以前に陸生堂の荷札を整えた麗華を覚えていた。麗華は童貫の前でも玉簪の削り直しを隠さず、用途と値段を説明した。
童貫は華宝舗の品を買い取り、清河県に残した龍脳4両を半年間保管するよう命じた。半年後、保存状態を記した帳簿とともに、再び開封へ持参させるためである。
麗華が開封に滞在している間も、清河県の華宝舗は営業を続けた。
土地、建物、古物、貸付金、銀はすべて麗華が所有したままである。麗華は女性従業員を含む奉公人から直接報告を受け、開封にいる時も、必要であれば帳簿を届けさせる。
清河県の店を手放さず、開封でも品を売る。
華宝舗の帳簿には、この日、童貫へ納めた品と代金が初めて記された。




