第3話(前編2)――「開封へ運ぶ品」
(1112年10月、北宋・東平府清河県)
華宝舗の帳場に置いた卓には、白い布の上に香木、玉器、銀の香炉が並んでいた。趙淑英が陸生堂から出す沈香は3斤で、白麗華は別に龍脳8両と麝香3両をそろえていた。
白玉の杯2個、帯鉤3個、簪1本は、聚宝斎の韓雪蘭が預かっていた品から選び、買い取ったものだった。杯のうち1個は内側に細い筋があったため、納める品から外していた。
卓の前には、開封から来た商人、周元達が座っていた。40歳を過ぎた小柄な男で、袖口にも履物にも汚れがなかった。清河県に来てからも酒楼に長居せず、陸生堂と取引のある店を回っていた。
周元達が白玉の簪を灯火に透かすと、麗華は先端を指した。
「表面に傷はございませんが、先端を一度削り直しております。そこだけ磨き方が違いますので、品書きにも記しておきます」
「黙っていれば、買い手には分からぬだろう。私にも違いがよく見えない」
「開封へ着いてから分かれば、華宝舗が隠して売ったことになります。削り直していない品としては、お渡しできません」
周元達は簪を布へ戻し、値を尋ねた。
「銀6両でございます」
「手を加えていなければ、8両は取れそうだ。ずいぶん正直な商いをする」
「次も買っていただきたいのでございます」
麗華は龍脳の包みを開いた。白い結晶から、鼻に冷たさを感じるほど強い香りが立った。
「こちらは8両を2つに分けました。4両を開封へ運び、残る4両は店に保管いたします。仕入れ先も同じですので、納めた品に問題があれば比べられます」
「途中で湿気を含んだのか、初めから質が悪かったのかを調べるためか」
「はい。品を残しておけば、こちらでも確かめられます」
周元達は麗華の後ろに並ぶ木箱へ目を向けた。蓋と側面には品名、重さ、仕入れ先、買い取った日が書かれ、箱の中へ入れる札にも同じ内容が記されていた。
「以前、陸生堂の薬箱にも、このような札が付いていた。童貫様がご覧になった荷だ」
「あの札も私が書きました」
「それで名に覚えがあったのか。陸家の後ろにいた娘だな。今は独立したというわけか」
麗華は、陸生堂との取引は続けているが、華宝舗は自分の店だと説明した。今回の沈香も陸生堂から預かった品であり、ほかの品とは代金を分ける必要があった。
「店を持つ銀も、陸家から出してもらったのか」
「土地も建物も、自分の銀で買いました。陸家から借りた銀はございません」
周元達は黙って麗華を見た。陸家に拾われた身元不明の娘が、半年もたたぬうちに店を持ったのである。疑われるのは無理もなかった。麗華は購入の証文と、古物売買、関撲、富くじの収支を記した帳簿を卓へ置いた。
「銀の出所を疑われたままでは、お取引に差し支えます。必要なところをお確かめください」
周元達は証文の日付と金額を調べ、帳簿をめくった。店の代金、修繕費、奉公人の給金、古物の仕入れ、小口貸しの元金が分けて記されていた。出入りは多かったが、初めに用意した232貫文余りを、どこへ使ったかは追うことができた。
「富くじでは、かなり稼いでいるな」
「賞金として返す額を先に決め、残りから札や場所の費用を払っております」
「当たり札を売らずに残せば、もっと手元に残る」
「1度は稼げても、その次から札を買っていただけなくなります」
周元達は帳簿を閉じ、品を全て買うと告げた。沈香の代金は陸生堂へ、残りは華宝舗へ支払う。ただし、納品には麗華も同行するよう求めた。
「来歴や扱い方を尋ねられても、私では答えきれぬ。店を留守にして来られるか」
「そのために、帳場を任せる者を育てております。帳簿と銭箱の管理も分け、土蔵は1人で開けられないようにしました」
周元達は、若い娘が思い付きで店を始めたのではないと理解したようだった。それ以上は口を挟まず、出発を3日後に決めた。
◇ ◇ ◇
出発の前日、麗華は王志明、宋春梅、張小虎を帳場へ集めた。留守は往復を含めて10日ほどになるため、買い取りと貸付の扱いを改めて確かめた。
古物は従来どおり銀1両まで志明の判断で買い取り、それを超える品は預かり証を渡す。持ち主が帰りを待てなければ品を返し、急いでいるのを見て買いたたくことはしない。この点を確認すると、麗華は春梅へ向き直った。
「今回は、新しい貸付も任せます。銀2両までで、商いの場所と使い道を確かめられた方には貸して構いません。ただし、桂香さんと2人で調べ、意見が分かれたら私の帰りを待ってください」
「返済を受け取るだけでなく、申し込みも調べておくのですね」
「はい。判断できないことを、無理に決める必要はありません」
麗華は開封の宿と周元達の店、品を納める役所の場所を書いた紙を春梅へ渡した。
「急ぎの用があれば、ここへ使いを出してください。帳簿を見なければ決められない件は、それも持たせるように」
最後に10日分の旅費と宿代を取り出し、商いの費用として帳簿へ記した。個人の衣食に使う銭とは分けておく。土地や建物の名義を変える必要はなく、留守を任せる2人にも、店の財産を管理する権限だけを与えていた。
翌朝、麗華は周元達の隊商とともに清河県を出た。
◇ ◇ ◇
(1112年10月、北宋・開封府)
開封へ入る荷車は城門の外まで列を作っていた。穀物、薪、炭、布、陶器を積んだ車の間を行商人や旅人が通り、門では兵が荷札を調べていた。課税される品と数量を役人が帳面へ記し、確認を終えた車から城内へ進んでいく。
周元達の荷も門の脇へ寄せられた。門吏は荷札を読み、店ごとに品が分かれていることに目を留めた。
「陸生堂の沈香と、華宝舗の香料や玉器が同じ車に載っている。どういう取引だ」
周元達が答える前に、麗華は証文を差し出した。
「沈香は、華宝舗が陸生堂から運送を引き受けております。品の持ち主と運ぶ者を、別々に記しました。荷札も私が書いたものです」
「華宝舗の奉公人なのか」
「主人でございます」
門吏は周元達にも確かめ、その返答を聞くと帳簿へ華宝舗の名を書き加えた。荷を下ろして箱を開けさせたが、外側と中の札が一致していたため、確認は長引かなかった。
麗華は待つ間も、ほかの荷の扱いを見ていた。役所の書付を持つ車は早く通され、商人の証文だけの荷は箱を開けて調べられている。軍や官府へ納める品なら、全て同じように通れるわけではなかった。
開封で商いを広げるなら、売り場だけを用意しても足りない。門を通す手続きに慣れた者と、荷を預ける倉も要る。麗華はその点を覚え、荷車とともに城内へ入った。
翌朝、品は役所の中庭へ運び込まれた。周囲には各地から集められた香料、薬材、布、金属器、馬具が並んでいた。役人が沈香を削って火へ近づけると、甘く重い香りが立ち上がった。
龍脳と麝香の検査では、仕入れと計量の記録が調べられた。麗華は龍脳8両を4両ずつに分け、同じ品を清河県に残していると説明した。運んだ4両は箱詰めの前と周元達の店で量っており、役人が調べた重さとも合っていた。
白玉の簪を手にした役人は、先端の削り直しに気付いた。
「傷のない品を求めたはずだ。なぜ、これを混ぜた」
「削り直したことは品書きに記し、値も銀6両に下げております。髪へ挿せば見えない部分ですので、使用には差し支えません。お使いになるかどうか、ご判断いただくためにお持ちしました」
役人は品書きの記載を確かめ、簪だけを別の盆へ移した。残りの品を受け取ると、書類を持って中庭の奥へ入っていった。
麗華は代金を受け取れば終わると思っていたが、しばらくして、3人の従者を伴った童貫が現れた。周元達とともに膝をつき、顔を上げよと命じられてから、その姿を見た。
童貫は以前と同じく、華美な衣服を着ていなかった。それでも、近くの役人は足音に気付くと話をやめ、一歩下がった。
「白麗華だったな。陸生堂の荷札を書いた娘だ。今も陸家にいるのか」
「今は華宝舗という店を持ち、陸生堂とは別の店として取引を続けております」
「店を買う銀は、誰が出した」
「私の銀でございます」
童貫は役人から品書きを受け取り、簪の記載を読んだ。
「削り直したことを、自分から申し出たそうだな。傷のない品を求めたのだから、初めから持ってこなければよい」
「髪の中へ入る先端だけですので、普段使いには差し支えません。手を加えていない品より銀2両安くできます。ご不要でしたら、清河県へ持ち帰ります」
「私に安物を使わせるつもりか」
「お使いになるのが童貫様とは、伺っておりません」
役人たちが麗華へ顔を向けた。周元達も表情をこわばらせたが、麗華は言葉を足さずに待った。童貫は簪を取り、削られた先端を眺めた。
「使う者が分からぬから、分かっていることを品書きに残したのか」
「買う方に選んでいただくためです。この簪は、髪を結い上げて先端を隠す方が、ご自身で使うのに向いております。贈り物にはお勧めできません」
童貫は銀6両という値を確かめ、買い取るよう命じた。役人が簪をほかの玉器と同じ盆へ戻すと、童貫は龍脳の記録へ目を移した。
「清河県に残した4両は、半年後まで保管せよ。こちらの品が変質した時、どこで悪くなったかを調べる」
「承知いたしました。毎月、重さと状態を確かめ、帳簿に記します」
「そこまでは命じていない」
「保管中の状態を残さなければ、あとで比べる時に困りますので」
童貫は品書きを閉じた。
「では、半年後にその帳簿と龍脳を持ってこい。ほかに必要な品は、その時に決める」
続いて周元達へ、華宝舗から受け取った品の代金を全て支払うことと、次に香料や玉器を集める際も華宝舗へ声をかけるよう命じた。麗華は頭を下げ、童貫が立ち去るまで待った。
姿が見えなくなると、周元達は息を吐いた。
「普段使いの簪だと申し上げた時には、私まで罰せられるかと思った。童貫様の機嫌を損ねれば、華宝舗など1日でなくなるぞ」
「贈り物に向かない品を、向くとは申し上げられません。怒らせまいと嘘をつけば、次に調べられた時に困ります」
麗華は受取書と代金を確かめ、陸生堂へ渡す分と華宝舗の分を分けて帳簿に記した。童貫から次の取引を命じられたことも、今回得たものの1つだった。半年後に品と帳簿を持参すれば、再び会う機会があった。
◇ ◇ ◇
麗華は開封に5日間滞在した。昼は周元達の店へ来る商人から、香料や玉器の産地、値段、運送日数を聞き、夕方には市場を歩いた。清河県では見かけない南方の香木、西域の宝石、海路で運ばれた薬材が並んでいる。値札のない品も多く、客の身なりを見て最初の値を変える店もあった。
高価な品には手を出さず、紙と墨、開封の商人が使う帳面、清河県では手に入りにくい小さな分銅を買った。宿へ戻ると、見てきた品と値段を書き留め、華宝舗から何を運べば売れるかを考えた。
初めから店を買う必要はない。周元達か、ほかの信用できる商人に品を預け、売れた分の代金を受け取る方法がある。ただし、売れ残りや売上をごまかされないよう、品ごとの番号、預けた日、最低売値を記し、毎月照合しなければならなかった。
帰りの荷車の出発日を確かめたあとも、華宝舗から使いは来なかった。急を要する問題は起きていないようだったが、帳簿と銭箱を調べるまでは安心できなかった。
◇ ◇ ◇
清河県へ戻った麗華は、その足で華宝舗へ入った。戸口には客が2人おり、志明が銅の香炉を見せていた。春梅は裏の小部屋で炭売りの夫婦から返済を受け、小虎は荷車から古い家具を下ろしている。
客の相手を終えた春梅が帳簿を持ってきた。
「お帰りなさいませ。留守の間に、返済が3日遅れた方がおります。仕入れた薪が雨で売れなかったそうで、桂香さんと見に行くと、半分ほどが店に残っておりました」
「返済日は、どのようにしましたか」
「次の市で売れれば返せるとのことでしたので、その日まで延ばして証文を書き直しました。遅れた3日分の利息は増やしておりません」
「品が残っていることを確かめたのなら、それで構いません」
志明からは古物の記録を受け取った。買い取りは7点、売却は5点だった。銀1両を超える品も2点持ち込まれていたが、どちらも預かり証を渡し、麗華の査定を待たせていた。銭箱の額も帳簿と合っていた。
麗華は持ち帰った銀を、すぐには銭箱へ入れなかった。先に陸生堂へ沈香の代金を届け、受取書をもらう必要がある。華宝舗の分も、仕入れ代と運送費、宿代を差し引いてから利益を計算するつもりだった。
「開封で童貫様から、残した龍脳4両を半年間保管するよう命じられました。毎月1度、重さと色、香りを調べます。私がいない時は、お2人で確かめてください」
麗華は買ってきた分銅を卓に置き、保管品だけを記録する帳簿を作るよう命じた。売り物と混ぜず、半年後に状態を説明できるようにしておく。
「次に開封へ行く時には、華宝舗の品をいくつか周元達様の店へ預け、売っていただくつもりです」
「開封にも店をお持ちになるのですか」
春梅に尋ねられ、麗華はまず売れ行きを確かめるのだと答えた。
「まだ店は買いません。ここを本店としたまま、開封でも商いを始めます。留守の間の仕事は今回と同じです。急ぎの報告は、私のいる場所へ帳簿を持ってきてください」
2人に指示を終えると、麗華は童貫の書付を帳場の奥へしまった。官位も身分も与えられたわけではないが、半年後に訪ねる用件はできた。その時までに、顔と名だけでなく、華宝舗の仕事を覚えてもらわなければならなかった。
どこから仕入れ、どのように運び、どのような状態で納めたかを尋ねられても答えられる。その信用を得られれば、次の注文につながる。
麗華は木箱を用意させ、残してあった龍脳4両を納めた。外側と内側に、品名、重さ、仕入れ先、購入日、保管開始日を記した札を付ける。売り物や担保の品とは分けて土蔵の棚に置くと、保管帳にも同じ内容を書き入れた。
開封での売上を記した帳簿に続き、半年後に童貫へ持参する帳簿が、華宝舗の帳場に加わった。




