第3話(前編1)――「華宝舗の女主人」
1112年、白麗華は清河県の東門近くに土地と建物を買い、「華宝舗」を開いた。
扱う商いは、古物売買、小口貸し、祭礼での関撲、番号札を使った富くじである。
麗華は陸家から銀を借りず、自分で得た232貫文余りを元手として店を持った。華宝舗の土地も建物も、麗華自身の名義である。
だが、店を手に入れただけでは終わらない。
自分が帳場にいない日にも、銀が戻り、品が売れ、帳簿が残る店を作らなければならなかった。
(1112年8月、北宋・東平府清河県)
華宝舗を開いてから、2か月が過ぎていた。
東門から城内へ入る荷車の音が、朝から通りへ響いていた。麦俵を積んだ車、油壺を並べた車、籠に鶏を入れた農民が門を通り、米屋や油屋の前で止まっている。
華宝舗の戸口にも、開店を待つ者が3人いた。
最初の男は、布に包んだ銅鏡を持ってきた。
鏡面は曇り、縁の一部が欠けていたが、背面には雲と鳥の文様が刻まれている。麗華は布の上へ銅鏡を置き、重さと錆の出方を確かめた。
「どこで手に入れましたか」
「祖父の家にあった物です」
「祖父上は、どちらにお住まいでしたか」
「城外の楊家村です」
「いつ亡くなられましたか」
「去年の冬です」
男は鏡の由来を答えたが、麗華はすぐには値を付けなかった。
「この鏡と一緒にあった品はございませんか」
「木の櫛と、壊れた箱があります」
「箱もお持ちください。鏡だけより、高く売れるかもしれません」
「壊れた箱にも値が付くのですか」
「鏡を納めるために作られた箱なら、直して一緒に売れます」
男は銅鏡を持ち帰り、昼過ぎに黒漆の箱を抱えて戻った。
蝶番は外れていたが、内側のくぼみは鏡の形と一致した。麗華は鏡と箱を合わせて800文で買い取った。箱の修理に120文を払い、銀2両以上で売りに出すことにした。
2人目は、茶舗を営む男であった。
10日前に借りた3貫文と、利息300文を返しに来たのである。
帳場を任されている王志明が銭を数えた。100文ずつ縄に通し、欠けた銭や軽すぎる銭を取り除く。
「3貫286文です」
志明が告げると、茶舗の主人は首を振った。
「店で数えた時は、確かに3貫300文あった」
「こちらの14枚は、縁が欠けております。通常の銭と同じには扱えません」
「前に借りた時は、そんなことを言わなかったではないか」
主人は声を荒らげたが、麗華は帳場の奥から動かなかった。
「欠けた銭14枚を、こちらで半値として受け取ることはできます。ただし、足りない7文はお支払いください」
「わずか7文ではないか」
「7文を受け取らなければ、帳簿には返済が終わったと書けません」
「私を信用していないのか」
「信用しているからこそ、最初に決めた額だけを受け取ります。多くも取りませんし、少なくもしません」
主人は不満そうな顔をしたものの、腰の銭入れから7文を出した。
麗華は受取書へ返済日と金額を書き、印を押した。
「これで返済は終わりました。次に仕入れの銭が必要になった時も、これまでと同じ条件でお貸しできます」
主人は受取書を懐へ入れた。
「秋の茶を買う時には、5貫文を借りたい」
「仕入れる茶葉と売り先を確かめたうえで決めます」
「今、約束してくれないのか」
「今から約束すれば、茶葉が悪くても貸さなければなりません」
茶舗の主人は返す言葉を失い、店を出ていった。
3人目は、夫を亡くした38歳の女であった。
包みの中には、銀の簪が2本と、絹の上着が入っていた。
「売るのですか。それとも、銭を借りるために預けるのですか」
麗華が尋ねると、女は上着の端を握った。
「銀2両を貸してください。30日あれば返せます」
「何に使いますか」
「酒代を払わなければ、店を取り上げられます」
「酒を売る店ですか」
「はい。夫が死んだあとも、私と娘で続けています」
麗華は、戸口で客へ茶を出していた女を呼んだ。
華宝舗で働き始めて1か月になる、31歳の宋春梅である。春梅は以前、酒楼の台所で働いていたが、主人が替わった際に暇を出されていた。
「春梅さん。この方の店を見てきてください。場所、酒の仕入れ先、1日に何卓の客が入るかを確かめてください」
「今から参りますか」
「はい。桂香さんにも声をかけてください。南市で商いをしている者なら、店のことを知っているかもしれません」
春梅は女と一緒に華宝舗を出た。
麗華は女が置いていった簪と上着を、まだ土蔵へ入れなかった。品を預かったとする証文も作っていない。
商いが続いていなければ、銀2両を貸しても返ってこない。簪と上着を売れば元金の一部は戻るが、麗華が欲しいのは、困窮した女の衣服ではなかった。
夕刻、春梅は劉桂香とともに戻ってきた。
桂香は朝に焼き餅を売り終えると、華宝舗が銭を貸す相手の店や住まいを確かめている。麗華と会うために店の裏口から入り、その日に見たことを報告するのが日課となっていた。
「店は開いていました」と春梅。「酒甕は12個あり、そのうち4個は空でした。娘さんが酒と料理を運んでおります」
「客は入っていますか」
「昼に3卓、夕方は5卓ほど入るそうです。魚料理より、羊の煮込みがよく出ます」
麗華は桂香へ顔を向けた。
「借金はございますか」
「亡くなった旦那が、酒の仕入れ代を2軒へ残しています」と桂香。「合わせて銀1両と600文です。ただ、店の建物は借り物ではありません。あの女の名になっております」
「酒代を払えば、商いは続けられますか」
「続けられると思います。娘もよく働いています。旦那が生きていた頃より、酔った客を店へ泊めなくなりました」
麗華は2人の話を帳面へ書いた。
翌朝、酒屋の女を呼び、銀2両を貸した。
返済は30日後ではなく、10日ごとに700文ずつ、3回に分けさせた。1度に銀2両と利息をそろえさせれば、その間の仕入れができなくなるからである。
「簪と上着は、こちらへ置いていきます」
「簪を1本だけお預かりします。上着はお持ち帰りください」
「それでよいのですか」
「店へ立つ時に着る物まで預かれば、客の前へ出られなくなります」
女は簪を1本残し、上着ともう1本の簪を持ち帰った。
◇ ◇ ◇
華宝舗では、古物の売買と貸付の帳場を分けていた。
王志明が古物の仕入れ、売却、預かり品を記録し、春梅が小口貸しの返済日と、借り手の店を調べた結果を書き留める。
品を運ぶ19歳の張小虎には、土蔵へ入る権限を与えなかった。荷を運び入れる時は、必ず志明か春梅が立ち会い、品名と数量を確かめる。
店の銭箱も、3つに分けたままである。
古物売買の銭。
小口貸しの元金。
関撲と富くじに使う銭。
麗華は、どの箱から出した銭も、別の箱へ黙って移すことを禁じた。
店を開いて3か月目には、貸付元金40貫文のうち、31貫文が商人や職人へ貸し出されていた。
借り手は24人である。
最も多いのは、材料や仕入れに1貫文から3貫文を必要とする職人や小商人であった。染物職人、櫛職人、茶舗、酒屋、魚売り、豆腐売り、炭売りが銭を借りている。
返済不能となった者は2人いた。
1人は病で仕事ができなくなった竹細工職人である。麗華は利息を止め、息子が作った籠を華宝舗で売り、売上の一部を元金へ戻させた。
もう1人は、仕入れに使うと偽って賭場へ行った油売りであった。
麗華は油売りから銅の水差しと冬物の衣服を預かり、元金へ充てた。足りない分は毎月返させることにし、二度と銭を貸さなかった。
返済が遅れた者をすべて同じように扱えば、真面目に商いをしている者まで店を失う。
だが、嘘をついて銭を使った者を許せば、華宝舗は返さなくてもよい店だと思われる。
麗華は、帳簿と現物を見て扱いを分けた。
貸した相手の暮らしに情を寄せるかどうかではない。
元金を戻し、次の貸付に使えるかどうかで決めていた。
古物売買も広がっていた。
聚宝斎から回された品だけでなく、華宝舗へ直接、品を預ける者が増えた。高価な書画や玉器は聚宝斎へ回し、銅鏡、櫛、衣服、食器、道具は華宝舗で扱う。
麗華は聚宝斎の客を奪わず、韓雪蘭も華宝舗へ来た安い品を断らなかった。
2つの店は、同じ古物商でありながら、買い手と品を分けていた。
9月の終わりには、開店時に35貫文だった古物の資金が、43貫文余りとなった。
貸付から得た利息は、3か月で7貫文を超えた。
祭礼で行った関撲は、賞品と場所代を引いて11貫文余りの利益を残した。
麗華は利益のすべてを自分の暮らしへ使わなかった。
志明、春梅、小虎の給金を払い、桂香には調べた件数に応じて銭を渡す。屋根と土蔵を再び調べさせ、湿気の入る壁を直した。
残った銀は、次の仕入れと貸付へ回した。
自分が持つ着物は5着で足りた。
髪に挿す銀の簪も、店を開く際に買った2本だけである。
華宝舗の土蔵には銀10両を超える玉器があったが、それを自分の物として使うことはなかった。
預かった品と、自分の財産を混ぜれば、帳簿の数字はすぐに合わなくなる。
◇ ◇ ◇
10月初めの夜、麗華は店を閉めたあと、志明と春梅を帳場へ残した。
卓上には、3冊の帳簿と3つの銭箱が置かれている。
「明日は、私は陸生堂へ参ります」と麗華。「店はお2人で開けてください」
志明が尋ねた。
「古物を買い取りに来た者には、どういたしましょう」
「銀1両までの品は、志明さんが値を決めてください。それを超える品は預かり証を渡し、私が戻ってから決めます」
「急いで銀が必要だと言われた場合は」
「急ぐからという理由で、高い品を安く買ってはなりません。相手が納得しなければ、品を返してください」
春梅が貸付帳を開いた。
「明日は4人の返済日です。そのうち、豆腐売りの家では子供が病にかかっています」
「返済の銭がなければ、いつから商いを休んでいるか確かめてください。利息を重ねるかどうかは、そのあとで決めます」
「新たに借りたい者が来た時は、話だけ聞いておけばよろしいですか」
「使い道、店の場所、仕入れ先、ほかの借金を聞いてください。女の商人や職人であれば、春梅さんか桂香さんが店と住まいを見に行ってください」
麗華は2人へ、それぞれ帳場と裏口の鍵を渡した。
土蔵の鍵は1本を志明、もう1本を春梅に持たせた。2人がそろわなければ、高価な品を入れた箱を開けられない。
「麗華様がお戻りにならない間に、急ぎの用ができた時はどういたしますか」と春梅。
「陸生堂へ使いを出してください。私が清河県にいない時は、行き先と戻る日を必ず帳面へ書いておきます」
「私どもが直接、麗華様へお会いしてもよろしいのですか」
「華宝舗の商いを任せるのです。会わずに報告ができるはずがありません。急ぎでなくとも、少なくとも10日に1度は帳簿を持ってきてください」
春梅はうなずいた。
麗華は華宝舗を手放すつもりはなかった。
清河県を離れることがあっても、店と土地は麗華の名で残る。古物、貸付金、銭箱の銀も同じである。
自分が店の外にいるからといって、それらが奉公人の物になるわけではない。まして、陸家やほかの商人へ渡す理由もなかった。
必要なのは、麗華が帳場へ座らなくても商いが続き、帳簿と銀を持って報告に来る者である。
「明日は、華宝舗を開いて初めて、私が1日も帳場へ座りません」と麗華。「お2人が何をしたのか、戻ってから帳簿を確かめます」
「失敗すれば、暇を出されますか」と志明。
「同じ失敗を隠した時は、辞めていただきます。帳簿へ書き、なぜ起きたかを話せるのであれば、すぐには辞めさせません」
麗華は自分の鍵を腰へ戻した。
「ただし、銭を1文でも抜いた時は、その日に終わりです」
2人はそろって返事をした。
「承知しました」
◇ ◇ ◇
翌日、麗華は陸生堂の帳場で、趙淑英と向かい合っていた。
華宝舗を開いてからも、麗華は月に数度、淑英のもとを訪れている。
陸家で働いていた時のように命令を受けるためではない。薬材の相場を聞き、遠方から来た商人の話を知り、必要な時には古物の買い手を紹介してもらうためである。
淑英は麗華が持ってきた干した果物を孫婆へ渡した。
「店を1日空けてもよいのですか」
「志明さんと春梅さんに任せております」
「銭箱まで任せたのですか」
「数えれば、抜かれたかどうかは分かります」
「分かった時には、銀がなくなっているかもしれません」
「私が1人ですべてを握っていれば、私が病になった日から、華宝舗の商いは止まります」
淑英は麗華の顔を見た。
「お前は、もう次のことを考えているのですね」
「今の店を潰さないことを考えております」
「それだけですか」
麗華は答えず、茶を口へ運んだ。
華宝舗は、清河県で銀を得るための場所である。
だが、清河県で店を10軒持ったとしても、県の外を動かす力は得られない。県令より上には府があり、府より上には開封の朝廷がある。
清河県へ流れ込む銀も品も、遠くの商人や官員の都合で動いていた。
麗華が知りたいのは、誰がその流れを決めているかである。
淑英が声を落とした。
「開封から来た商人が、珍しい香料と玉器を探しています」
「どなたが使う品でございますか」
「買う者の名は明かしておりません。ただ、値よりも質を優先すると申しております」
「どのような香料ですか」
「沈香、龍脳、麝香です。玉器は白玉で、傷のない物を求めています」
どれも、清河県の普通の商人が日常に使う品ではなかった。
「陸生堂へ話が来たのは、沈香を扱っているからですか」
「それだけではありません。以前、軍へ納めた薬箱のことを覚えていた者がいるようです」
「開封のどなたですか」
「童貫様の配下です」
麗華は茶碗を卓上へ戻した。
童貫は、西北の軍を率い、朝廷で力を持つ宦官である。
陸家の薬材を開封へ運んだ時、麗華が荷札と箱の分け方を整えたことを覚えていた。
「商人は、いつ清河県を発ちますか」
「5日後です。それまでに品をそろえられる者を探しています」
「陸生堂は、沈香をお出しになりますか」
「品質のよい物を3斤だけ出します。玉器は扱っておりません」
「聚宝斎と華宝舗で探します」
淑英は麗華へ念を押した。
「相手は開封の役人につながる商人です。利を急いで、偽物をつかませてはなりません」
「傷のある品を隠して売るつもりはございません」
「お前自身が開封へ行くのですか」
「品がそろえば、私が運びます」
麗華にとって、開封へ品を売ることだけが目的ではなかった。
誰が品を求め、誰が銀を払い、品がどこへ運ばれるのか。
それを自分の目で確かめる機会であった。
夕刻、麗華が華宝舗へ戻ると、店の戸はまだ開いていた。
志明は客へ銅鏡を見せ、春梅は裏の小部屋で返済の銭を数えている。小虎は土蔵の前で、持ち込まれた木箱の数を帳面と照らし合わせていた。
麗華の姿に気付いても、3人は仕事を止めなかった。
麗華は帳場へ入り、3冊の帳簿を開いた。
古物は2点を買い取り、1点を預かっていた。
返済は4人のうち3人が終えている。子供が病になった豆腐売りについては、商いを休んだ日数と、店に残る大豆の量が書かれていた。
銭箱の額も合っていた。
「春梅さん。明日から、開封へ納める品を探します」
「麗華様が開封へ行かれるのですか」
「まだ決めておりません。ただし、私が何日か店を空けても、今日と同じように商いを続けてください」
「承知しました」
「急ぎの件があれば、直接、私のいる場所へ来てください。帳簿も持ってくるように」
麗華は帳簿を閉じた。
華宝舗は麗華の店である。
麗華が清河県にいても、開封へ行っても、その事実は変わらない。
店を捨てて外へ出るのではない。
店を持ったまま、店の外にあるものを取りに行くのである。
麗華は土蔵の鍵を受け取り、高価な品を入れた箱を開けた。
白玉の杯、銀の香炉、金糸を使った帯飾りが並んでいる。
童貫の配下が求める品をそろえるには、華宝舗だけでは足りない。聚宝斎、陸生堂、県内の商人に声をかけ、品の来歴と品質を一つずつ確かめる必要がある。
麗華は白玉の杯を灯火の前へ掲げた。
玉の内側には、細い筋が1本走っていた。
「これは使えません」
麗華は杯を箱へ戻した。
開封への道が、華宝舗の帳場から始まろうとしていた。
華宝舗を開いて2か月後、麗華は古物売買と小口貸しを広げていた。
小口貸しでは、返済が遅れた者を一律に扱わず、病気で商いを休んだ者には利息を止め、借りた銭を賭場で使った者には担保を売らせた。麗華が求めているのは、借り手の家財ではなく、元金と利息が戻る仕組みである。
店では、帳場を担当する王志明、貸付先を調べる宋春梅、品を運ぶ張小虎を雇った。劉桂香も、朝の商いを終えたあと、借り手の店や住まいを調べている。
麗華は華宝舗の土地、建物、古物、貸付金、銀を手放していない。
自分が不在でも店を動かせるよう、従業員へ仕事を分け、女性従業員から直接報告を受ける体制を整えた。麗華が清河県を離れた場合も、従業員は帳簿を持って麗華と面会できる。
その頃、開封から来た商人が、童貫の配下のために珍しい香料と傷のない玉器を探していた。
麗華は華宝舗を所有したまま、開封へつながる商いへ踏み出そうとしている。




