↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
北宋の悪女、1986年の男  作者: ひまえび
第一章――「清河県の美しい毒、追う男たち」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
136/138

第10話(中編2)――「逃げた先まで追う」

 (1225年10月中旬、開封(カイフォン)北方)


 金軍の退却は、すでに軍としての形を失っていた。東から達也軍が押し込み、南からは開封の守備兵が追っていた。北へ逃げようとした部隊も、黄河(ホワンホー)へ続く街道に玉蘭の騎兵がいると知り、西や北西へ向きを変えた。


 金軍の将たちは兵を止め、隊列を作り直そうとした。騎兵には歩兵を置いていくなと命じたが、従う者は少なかった。後ろから敵が迫り、兵糧隊は襲われ、帰路にも敵がいる。助かるには自分で逃げ道を探すしかないと考える兵が増えていた。


 倉達也(ツァン・ダーイエ)は馬上からその様子を見て、騎兵を前へ出すよう命じた。ただし、まとまった敵を見つけても、いきなり突入させるつもりはなかった。


 将校が逃げ道を塞ぐのかと確かめると、達也は答えた。

「そうだ。逃げる方向を潰してから叩け。武器を捨てて降る者まで斬る必要はない」


 歩兵には後から進ませ、捕虜と敵が落とした武器をまとめさせることにした。開封から出た守備兵は追いすぎないよう城へ戻し、追撃は達也の主力と玉蘭の騎兵で続ける。


 達也は北の方角へ目を向けた。

「こちらと玉蘭で前後から追えば十分だ」


 命令を受けた騎兵が、逃げる金軍を追い始めた。


 ◇ ◇ ◇


 西へ逃げた金兵の一団は、500人ほどにまとまっていた。歩兵が中心で、数十騎の騎兵が周囲についていた。隊を率いる将は兵を集め直そうとしながら、西へ進むよう命じた。


 黄河は北だと兵が声を上げると、将は答えた。

「北には敵がいる! 西へ回ってから河へ向かう!」


 兵たちは田畑の間を走った。荷物だけでなく、盾まで投げ捨てる者もいた。その後ろから達也軍の騎兵が迫り、気付いた金兵が叫んだ。


「来たぞ!」


 金軍の騎兵の一部が足を止め、槍を構えた。しかし達也軍は正面から突っ込まず、左右へ分かれて一団の前方へ回ろうとした。


 進路を塞がれると知り、歩兵はさらに走った。列が崩れ、馬に乗った金兵だけが先へ進んで、歩兵を置き去りにし始めた。そこへ東側を回っていた達也軍の騎兵が先回りし、行く手を塞いだ。


 後ろからも追手が迫り、金兵は左右の畑へ散った。将は固まって槍を前へ出すよう命じたが、集まったのは数十人だけだった。


 達也軍の騎兵は周囲を回りながら矢を放った。槍を構えた兵が倒れると、残った兵の中から武器を投げ出す者が現れた。


「降る!」


「もう戦わん!」


 降伏を求める声が広がり、剣や槍が次々と地面に落ちた。金軍の将は止めようとしたが、兵は従わなかった。500人ほどいた一団は、ほどなく戦う力を失った。


 ◇ ◇ ◇


 耶律玉蘭(イェリュ・ユーラン)は黄河へ続く街道を押さえると、騎兵をさらに北へ出した。金軍が南下した際に使った渡河点には、舟と筏が残っていた。守る兵もいたが、大軍ではなかった。


 玉蘭は逃げてくる金兵より先に渡河点を奪うため、騎兵を2つに分けた。自ら北へ向かい、残りの兵には街道を押さえさせた。


 敵が多すぎた場合の対応を問われると、玉蘭は正面からすべてを止める必要はないと答えた。


「まとまって来る部隊には矢を浴びせ、左右へ散らしてください。北へ抜ける道だけは通さないでください」


 部下に街道を任せ、玉蘭は契丹兵300騎を率いて北へ走った。交代用の馬を準備していたため、まだ追撃を続ける余力があった。途中でさらに数百騎が合流した。


 黄河へ近づくにつれ、地面は湿り気を増し、川から冷たい風が吹いてきた。やがて前方に舟が見えた。


「敵騎兵!」


 渡河点を守る金兵が玉蘭たちに気付き、急いで陣形を作ろうとした。しかし、兵力の差は大きかった。舟を守れ、筏を流せとの命令が飛び、兵が川岸へ走った。


 玉蘭はその動きを見て命じた。

「舟へ火を付けさせてはいけません!」


 続けて、川岸へ回る兵を先に止めるよう指示した。騎兵が左右へ広がって矢を放ち、舟へ走っていた金兵が倒れた。残った兵は槍で迎え撃とうとしたが、玉蘭の騎兵に押し崩された。


 戦いは長く続かなかった。守備兵の一部は北岸へ逃げようと舟に乗ったものの、大半は逃げ切れず、舟と筏は玉蘭軍に奪われた。


 部下から渡河点を確保したとの報告を受け、玉蘭は舟の状態を確かめた。かなりの数が残っていたため、勝手に使われないよう守らせ、北岸にも見張りを置くことにした。


 南を見ると、遠くに土煙が上がっていた。開封から逃げた金軍が近づいていた。


「来ますね」と部下が言った。


 玉蘭は南へ目を向けたまま答えた。

「ええ」


 そして、部下に言い添えた。

「今度は、この川を簡単には渡らせません」


 ◇ ◇ ◇


 達也は開封から北西へ追撃を続けていた。昼を過ぎる頃には、金軍はさらに細かく分かれていた。1,000人以上でまとまった部隊もあれば、数十人で逃げる兵もいた。


 達也は大きな集団を優先して追わせた。

「小さな連中に構いすぎるな」


 1,000人、2,000人でまとまっている部隊を先に崩すため、騎兵を分けて向かわせた。ただし、味方まで散り散りにならないよう、分けすぎることは禁じた。


 先頭の騎兵にはまだ余力があり、後方からは替え馬も運ばれてきていた。玉蘭と相談した時から、追撃が長くなることは想定していた。


 達也は馬を替えられる隊から順に前へ出し、疲れた馬を後方へ回した。兵にも水と食糧を取らせながら進ませた。金軍には休む間を与えず、味方は戦える状態を保って追うつもりだった。


 午後になると、斥候が戻ってきた。北へ逃げた金軍の一部が玉蘭の騎兵に阻まれ、西へ流れているという。玉蘭自身は、渡河点へ向かったとのことだった。


 達也は将校に、西へ逃げた敵をそのまま北へ戻さず、北西へ追い込むよう命じた。玉蘭のいる方へ向かわせるためだった。


「逃げ道を探して走れば走るほど疲れる。そこを捕まえる」


 ◇ ◇ ◇


 夕方になる頃には、金軍の大きな集団は3つほどに減っていた。そのうちの1つは2,000人を超え、指揮官も残って旗を立てていた。北西へ逃げていたが、途中で足を止め、陣を作ろうとした。


「これ以上逃げれば全滅する!」と将が叫んだ。「ここで敵を止める! 騎兵は左右へ! 歩兵は槍を並べろ!」


 逃げ続けていた兵の一部が集まり、前へ槍を並べた。騎兵も左右に配置された。追ってきた達也軍の先頭がその陣を見つけると、達也は敵との距離を取って止まらせた。


 将校に攻めないのかと尋ねられ、達也は答えた。

「疲れた兵が最後に固まっただけだ」


 達也は金軍の陣を見た。

「こちらまで急いで突っ込む必要はない」


 正面から弓で攻撃し、左右にも兵を回すよう命じた。騎兵が広がって矢を放つと、金軍の槍兵は盾を上げた。しかし、逃走中に捨てた者も多く、すべての兵が矢を防げるわけではなかった。


 矢を受けた兵が倒れ、金軍の将は耐えるよう叫んだ。達也は敵の動きを見ながら、手薄な右端へ騎兵を回した。金軍が兵を右へ寄せると、今度は薄くなった左側へも攻撃を向けた。


 疲れ切った金兵は、そのたびに隊列を動かし、向きを変えなければならなかった。次第に槍の列が乱れていった。


「今だ」と達也が命じた。


 騎兵が左右から突入した。金軍の騎兵も迎え撃とうとしたが、馬は長い逃走で疲れていた。何度か衝突するうちに隊列が崩れ、歩兵の一部が逃げ出した。


 将が止めようとしても兵は戻らず、達也軍が空いた場所へ入り込んだ。金軍の陣は2つに割れ、ほどなく降伏を求める声が上がり始めた。


「武器を捨てろ!」と達也軍の将校が呼びかけた。


 味方には、武器を捨てた者を斬るなと命じた。金兵が槍を落とすと、剣を投げる者も続いた。最後まで抵抗した兵は倒され、残った兵の多くが捕虜になった。


 ◇ ◇ ◇


 日が傾く頃、開封から王府の使者が達也のもとへ到着した。金軍は城壁から退き、城内に大きな被害はなかった。北門から出た守備兵も、命令どおり順次戻っているという。


 達也は続けて王府の様子を確かめた。

「王府は?」


「異状ございません。王妃様と太后様もお変わりないとのことでございます」と使者は答えた。


 達也は2人の無事を聞き、ようやく安心した。使者は王妃から、達也が無事か確かめるよう命じられていた。達也は無事だと答え、伝言を頼んだ。


「王妃様と太后様へ、戦は予定どおり進んでおりますと申し上げてくれ。それから、今夜は王府へ戻れないとお伝えしてくれ」


 使者が承知すると、達也は言い添えた。

「お二方には、決してご無理をなさらないようお願い申し上げてくれ」


 使者が開封へ戻ると、達也は再び北へ逃げる金軍へ目を向けた。


 ◇ ◇ ◇


 日没前、玉蘭からの使者が来た。黄河の渡河点を確保し、舟と筏も押さえたとの報告だった。


「よくやった」と達也は応じた。


 北へ逃げた金兵が続々と渡河点へ向かい、すでに戦いも始まっていた。玉蘭は騎兵を街道と渡河点に分けているという。


 達也は周囲の将校たちへ、夜になる前にできるだけ北へ詰めるよう命じた。ただし、暗くなっても無理に追い続けるつもりはなかった。


「暗くなってこちらの隊列まで崩したら意味がない。逃げ道を押さえたまま休み、夜明けにまた動く」


 玉蘭にも渡河点を守り、深追いをしないよう伝えさせた。


 ◇ ◇ ◇


 その夜、金軍の残兵は黄河の南に散らばっていた。渡河点へたどり着いた兵は、舟を玉蘭に押さえられていると知り、別の渡しを求めて川沿いを東西へ逃げた。


 しかし、兵たちは朝から走り続けていた。兵糧隊を失い、食糧を持たない者も多かった。逃げる途中で水筒を捨てた兵もいた。軍馬を失った騎兵は歩き、歩兵の中には武器さえ持たない者がいた。まとまった指揮は、ほとんど残っていなかった。


 一方、達也軍は追撃を止め、部隊ごとに休んだ。玉蘭が奪った兵糧隊から食糧が運ばれ、馬にも水と飼葉が与えられた。疲れた馬を下げて替え馬を前へ出し、夜明けから再び追う準備を整えた。


 ◇ ◇ ◇


 翌朝、達也軍は追撃を再開した。金軍には、すでに大軍と呼べるほどのまとまりはなかった。数百人で固まっている部隊を見つけると、騎兵が前へ回り、逃げ道を塞いだ。抵抗する部隊は崩され、武器を捨てた兵は捕虜になった。


 玉蘭の騎兵も渡河点から東西へ広がり、黄河沿いを逃げる兵を追った。昼になる頃には、金軍の旗を掲げ、まとまって動く部隊はほとんど見られなくなった。


 午後、達也と玉蘭は黄河の南で合流した。玉蘭の鎧には泥が付き、乗っている馬にも長い追撃の疲れが見えた。


「玉蘭。ご苦労だった」と達也はねぎらった。


「そちらも随分追われたようですね」


「ああ。逃げ足だけは速かった」


 玉蘭は周囲を見た。道の脇には回収された槍や弓が積まれ、捕虜が兵に囲まれて座っていた。まだ大きな部隊が残っているかと尋ねると、達也は斥候に捜させているが、軍として動く敵はほとんどいないと答えた。


 玉蘭の側も同じだった。渡河点へ来た兵の多くが降伏し、上流や下流へ逃げた者も大きな集団ではなかった。


「なら、これで終わりだな」と達也は言った。


「5万の軍が、ですか」


 玉蘭が顔を向けると、達也はうなずいた。

「死んだ者、捕まった者、降った者、散り散りになった者はいる。だが、開封へ来た金軍はもう軍として存在しない」


 玉蘭は黄河の向こうを見た。

「ずいぶん大きな損害を与えましたね」


「向こうが開封を取り返すために、兵をまとめて連れてきてくれたからな」


 玉蘭は達也を見て笑った。

「やはり言い方が悪いですね」


 達也は結果は同じだと返した。これで開封へ戻るのかと尋ねられても、すぐには答えず、黄河の北へ目を向けた。


 金軍は開封を取り返すため、各地から兵を集めた。その約5万の軍が、戦死、降伏、離散によって失われた。大量の兵糧、軍馬、牛、荷車、武器も達也たちの手に残っていた。これほどの兵を南へ出した以上、黄河以北の守りも弱まっているはずだった。


 達也は開封へ戻らないと答えた。玉蘭が、このまま北へ進むのかと確かめると、達也は黄河を見たまま言った。


「金が5万近い軍を失った直後だ」


 玉蘭も狙いを理解した。

「今なら、北の城も守りが薄い」


 達也はそのとおりだと答えた。どこまで進むつもりかと尋ねられると、行けるところまで行くと告げた。


「また随分大きく出ましたね」と玉蘭は言った。


「せっかくここまで勝ったんだ」


 達也は玉蘭へ顔を向けた。

「開封へ帰って祝っている場合じゃない」


 玉蘭も黄河の北を見た。

「では、兵を休ませてから渡ります」


「ああ。捕虜と負傷兵は後方へ送る。使える馬と荷車は全部まとめろ」


 兵糧も運ぶのかと玉蘭が確かめると、達也は答えた。

「もちろんだ。金が運んできた物を、今度は俺たちが使う」


 玉蘭は笑った。

「本当に無駄にしませんね」


「使える物を捨てる方がおかしい」


 達也は再び黄河の向こうへ目を向けた。開封奪還のために南下した金軍は、軍としての力を失った。今度は達也軍が、その通ってきた道を北へ進もうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。