第7話(中編2)――「開封へ来る軍」
(1225年2月上旬、開封東方・達也軍陣営)
玉蘭から金の援軍を発見したとの報告を受けた達也は、その日のうちに斥候を増やした。
開封へ向かう金軍は歩兵を中心に騎兵と荷車を伴い、北東方面から南西へ進んでいる。正確な兵数はまだ分からないが、先頭と最後尾を同時に見通せないほど長い隊列を作っていた。
夕方になると、新しい報告が届いた。
「魯王様、金軍はこのまま進めば明日にも開封へ入ると思われます。少なくとも2万を超えており、後方にも別の部隊が続いておりますので、さらに増えるかもしれません」
達也は地図の上へ指を置いた。
「玉蘭はまだ北東側から見ているんだな」
「はい。敵とは接触しておりません」
「それでいい」
達也は周囲の武将たちを地図の前へ集めた。
「俺たちは明朝、西へ出る。金軍が開封へ続く道へ入る前に正面を塞ぐぞ。向こうは何としても開封へ入りたいんだから、俺たちを追い払わなければ通れない場所に陣を置けば、嫌でも攻めてくる」
達也は続いて地図の北側を指した。
「玉蘭には敵の北側へ回らせる。ただし、後ろまで完全に塞がせるな。逃げ道がなくなれば、向こうも死ぬ気で戦う。正面では俺たちが足を止め、玉蘭には北から圧力をかけてもらう。西へ逃げられると思わせておけば、崩れ始めた時に自分たちから逃げるはずだ」
武将たちは達也の狙いを理解した。
「騎兵も最初から全部出すな。追撃に使う馬と兵を後ろへ残しておけ。戦が終わる頃には敵の馬も疲れている。こっちは疲れていない馬に乗り替えて追うぞ」
蒙古から大量の軍馬を買った利点は、騎兵の人数を増やせることだけではない。同じ騎兵に交代用の馬を用意できれば、行軍や戦闘で馬が疲れたあとでも、乗り替えて追撃を続けられる。
達也は最後に玉蘭への使者を出した。
『敵の北側へ回れ。俺が正面から当たるまでは攻撃するな。西への逃げ道は残せ。敵が崩れたら追撃する。ただし、開封の城壁まで追い込む必要はない』
使者を送り出すと、達也は翌朝の戦に備えて兵と馬を休ませた。
◇ ◇ ◇
(翌朝、開封東方)
朝の空は曇り、冷たい風が東から吹いていた。
達也軍は、金軍が開封へ向かう途中で避けて通れない場所を押さえて布陣した。正面には歩兵を置き、その後ろに弓兵を配置する。騎兵は左右へ分けたが、一度に前へ出さず、後方にも追撃用としてかなりの数を残した。
やがて北東の方角から土煙が上がった。
斥候が戻ってくるより先に、達也にも金軍の姿が見えた。先頭に騎兵、その後ろに歩兵が続き、さらに荷車が長く伸びている。開封へ急いでいるためか、部隊同士の間隔も場所によってかなり違っていた。
金軍も南宋軍の陣を確認すると進軍を止め、隊列を整え始めた。
達也は先に攻めなかった。
開封へ入りたいのは金軍である。ここで時間を使って困るのも向こうだった。
しばらくすると、金軍の騎兵が前へ出た。
「歩兵は動くな。弓兵もまだ撃つな」
達也は敵が距離を詰めるのを待った。
金軍騎兵が前衛へ十分に近づいたところで命令を出す。
「撃て」
矢が一斉に飛んだ。
先頭の馬が倒れ、後続の騎兵が左右へ分かれる。金軍も矢を返しながら前へ出たが、達也軍の歩兵はその場で攻撃を受け止めた。
「陣を崩すな。退いた敵を追う必要もない」
ここで騎兵同士の追いかけ合いを始める必要はない。まずは開封へ向かう敵の足を止めればよかった。
最初の騎兵が退くと、今度は金軍の歩兵が前へ出た。街道だけでなく、その両側の田畑にも広がり、数を生かして南宋軍の陣を突破しようとする。
達也軍は前へ出すぎず、その場で攻撃を受け止めた。
午前のうちに何度か激しい攻撃が繰り返されたが、陣は崩れなかった。
達也は戦況を確かめながら、時折北側へ目を向けていた。
昼前になって、遠くに騎兵の一団が現れた。
先頭に契丹兵がいる。
「玉蘭が来たな」
達也はすぐに使者を呼んだ。
「まだ敵の後ろへは回らせるな。北から姿を見せて圧力をかけろと伝えろ」
使者が北へ向かって走っていった。
◇ ◇ ◇
玉蘭は金軍の北側へ出ると、まず騎兵を広く展開させた。
敵の後方へ一気に回り込むのではなく、北側から近づき、別の軍が現れたことを金軍にはっきり見せる。
やがて達也軍と戦っていた部隊の一部が向きを変え、玉蘭軍に備え始めた。
それを見た指揮官が進言した。
「将軍、このまま突撃いたしましょうか。敵もこちらへ兵を向け始めております」
「今はそれでよいのです。達也様の正面にいた兵をこちらへ向かせるだけでも意味があります。まだ深く入る必要はありません」
やがて金軍の騎兵が接近してきた。
「正面からぶつからないでください。近づかれたら距離を取り、横へ回ります」
玉蘭軍の騎兵は、金軍との距離を保ちながら動いた。追ってくれば離れ、追撃をやめれば再び近づく。
金軍は玉蘭軍を追い払いたい。しかし深く追えば、達也軍と戦っている本隊から離れてしまう。追わなければ北側に騎兵を置いたまま戦わなければならない。
しばらくして、達也からの使者が到着した。
「魯王様より、『そろそろ入れ。西は残せ』とのことでございます」
「承知しました」
玉蘭は周囲の指揮官を呼び寄せた。
「これから北側から敵の中ほどを攻めます。ただし後方へ回り込んではいけません。西へ逃げる道は残します。契丹兵を先頭に置き、後続は離れすぎないようにしてください。敵の中へ深く入りすぎる必要もありません」
命令を受けた騎兵隊が動き始めた。
◇ ◇ ◇
達也は玉蘭軍が北側から前へ出たのを確認すると、正面の歩兵にも攻撃を命じた。
それまで陣を守っていた達也軍が一斉に前へ出る。
金軍は正面から受ける圧力が急に強くなったうえ、北側から玉蘭軍の騎兵に攻撃され、前だけを見て戦うことができなくなった。
北へ兵を回せば正面が薄くなり、正面を固めれば玉蘭の騎兵が側面へ入る。
玉蘭軍も1度攻撃すると深く入りすぎず、いったん離れて別の場所へ向かった。同じ場所へ何度も突撃しないため、金軍は次にどこを攻められるのか分からない。
戦いが長引くにつれ、隊列は少しずつ乱れていった。
午後になると、金軍の後方でも混乱が始まった。
荷車を先に開封へ送ろうとする者、前線へ兵を送ろうとする者、玉蘭軍に備えて北へ向きを変える者が入り交じり、部隊同士の連絡も悪くなっていく。
達也が待っていたのは、この状態だった。
やがて西側で数十騎の騎兵が戦場を離れ、開封方面へ走り始めた。
「始まったな」
最初に逃げたのは少数だった。
だが達也軍は西側を塞いでいない。逃げた騎兵が誰にも止められず開封方面へ走っていくのを見ると、歩兵の中にも後ろへ下がる者が現れた。
そこへ玉蘭軍が再び北側から攻撃を加え、金軍の一角が崩れた。
「西へ逃げるぞ!」
誰かが叫んだ。
まだ撤退命令など出ていない。それでも後方へ走る兵が増え始めると、前線の兵まで周囲につられて下がり始めた。
「正面を押せ。ただし、西へ回り込むな。逃げ道はそのままにしておけ」
達也軍が正面から圧力を強めた。
西へ逃げれば助かる。
そう考える兵が増えるほど、戦い続ける者は減っていく。指揮官が止めようとしても命令を聞く者は少なくなり、隊列の崩れは止まらなくなった。
達也は戦場全体を見渡した。
「よし。追撃に移るぞ」
◇ ◇ ◇
達也軍と玉蘭軍の騎兵は、開封方面へ逃げる金軍を追った。
ただし、朝から戦っていた馬をそのまま使い続けたわけではない。後方で待たせていた交代用の馬が前へ送られ、騎兵たちは疲れの少ない馬へ次々に乗り替えた。
玉蘭も自分の馬を替えた。
そこへ達也が近づいた。
「身体は大丈夫か。まだ追えるか」
「大丈夫です。どこまで追いますか」
「開封の城壁までは行かん。敵が城へ逃げ込み始めたら離れる。深追いする奴がいたら止めてくれ」
「分かりました。隊を崩さず、まとまって逃げる部隊を狙います」
玉蘭は騎兵隊へ同じ命令を伝えた。
逃げる金軍には徒歩の兵が多く、騎兵の馬も朝からの移動と戦闘で疲れている。一方、達也軍は交代用の馬を用意していたため、追撃へ移ってからも速度が落ちにくかった。
まとまって逃げる金軍に追いつくと側面から攻撃し、敵が散ればそれ以上は追わず、次の集団へ向かう。
金兵は逃げるために荷車や武器を次々に捨てた。開封へ向かう街道には、放棄された荷や馬具が残っていった。
夕方が近づく頃には、金軍の多くが散り散りになっていた。一部は開封へ逃げ込んだものの、援軍として来た時の隊列を保っている部隊はほとんど残っていない。
達也は開封の城壁が遠くに見えるところで追撃を止めた。
「ここまでだ。城へ逃げ込んだ奴は放っておけ」
「よろしいのでございますか」
「朝から逃げ続けて疲れ切った兵が少し増えたところで構わん。それより、外から来た軍が負けたと城の中で喋ってもらった方がいい」
やがて玉蘭も追いついた。
「かなり逃がしましたね」
「逃がしたから早く崩れたんだ。全部囲んでいたら、まだ戦っていただろうな」
「途中からは、こちらと戦うより開封へ逃げる兵の方が増えておりました」
「ああ。今日はそれで十分だ」
玉蘭が開封の方へ目を向けた。
「明日は開封を攻めますか」
「いや。まず兵と馬を休ませる。お前も今日は休め」
「承知しました」
達也は負傷者の収容と捕虜の整理を命じた。
開封を攻める前に、自分たちの軍を疲れ切らせる必要はなかった。
◇ ◇ ◇
(翌日、開封東方・達也軍陣営)
前日の戦場には、金軍が捨てた荷車や武器がまだ残っていた。
達也軍は使える物だけを回収し、負傷した敵兵にも手当てを受けさせた。
捕虜を調べると、開封へ向かっていた援軍は複数の部隊を急いで集めたもので、帰徳府と曹州が続けて落ちたため派遣されたことが分かった。開封の守備側も、この援軍が来ることを当てにしていたらしい。
達也は玉蘭とともに地図を広げた。
「これで外から来た大きな軍は1つ潰した。次は開封の中にいる兵を外へ出す」
玉蘭はその言葉を聞いて、すぐに達也の考えを察した。
「帰徳府と同じように、また逃げ道を残されるのですね」
「ああ。東と北と南は締めるが、西だけは少し緩くする。援軍が負けたと知れば、城の中にも逃げたい奴が出てくるだろう」
「では、私は西側へ回りましょうか」
「いや。最初からお前の軍が見えていたら逃げてこない。西門から続く道を空けておいて、お前は少し離れたところで待ってくれ。城からまとまって出て、引き返しにくいところまで来たら叩けばいい」
玉蘭は地図の西側を確かめた。
「開封そのものは、できるだけ傷つけずに取るおつもりですね」
「当たり前だ。これから使う町を、わざわざ焼く必要はない」
達也は地図を畳んだ。
「援軍は片付いた。次は城の中の兵を外へ出すぞ」
金の大軍を野戦で破った達也軍は、翌日から開封の周囲へ兵を動かし始めた。
今度の戦いは、城壁を力任せに破るためのものではない。
東、北、南から圧力をかけながら、西には逃げられると思わせる。
城内の金軍が自分から兵力を減らすのを、達也は待つつもりだった。




