第7話(前編2)――「2本の道」
(1225年1月中旬、東平)
玉蘭が東平へ入ったのは、達也と徐州で別れてから数日後だった。
城外の馬場には冬越しのために分散された軍馬が並び、兵たちは飼葉を運び、厩の床を乾かしながら馬の脚や蹄を確かめていた。前年に玉蘭自身が整えた場所だけに、どこに何があるかはよく分かっている。
出産後初めて戻ってきた玉蘭の姿を見ると、兵たちは次々に礼をした。
「鎮北将軍、お戻りをお待ちしておりました」
「留守の間、ご苦労でした」
玉蘭は馬から降りると、休むより先に現地の指揮官から報告を受けた。軍馬の状態、飼葉の残量、水場の凍結、東平周辺の金軍の動き、曹州へ向かう街道の様子まで一通り聞いたあと、地図を開いた。
「曹州から来た斥候はおりますか」
「少数ですが確認しております。ここ数日は東平の兵数を探っているようです。徐州方面で魯王様の軍が動いたことも、すでに向こうへ伝わっていると思われます」
玉蘭は曹州へ通じる道を指でたどった。
「では、明朝から西へ向かいます。ただし全軍を1本の街道へ並べてはいけません。歩兵と荷車は街道を進ませ、騎兵はいくつかに分けて別の道を使わせます。曹州へ急ぐ必要はありません」
指揮官が意外そうな顔をしたため、玉蘭はそのまま説明を続けた。
「先に曹州から開封へ向かう道を押さえます。城を攻めている間に使者を何人も出されれば、達也様が帰徳府へ着く前に開封から援軍が動きます。契丹兵300騎も1か所へ集めず、各騎兵隊へ分けてください。実戦経験の少ない者には、速く走らせるより命令どおりに止まり、向きを変え、ほかの隊から離れずに動くことを徹底させます」
「曹州の兵が外へ出てきた場合はいかがいたしましょう」
「追いかけすぎないでください。私たちの目的は曹州を取ることです。敵兵を何人倒したかを競う戦ではございません」
玉蘭は地図を閉じた。
「今日は兵と馬を休ませます。明朝に出ます」
◇ ◇ ◇
翌朝、玉蘭軍は東平を出た。
歩兵と荷車が街道を進む一方、騎兵隊は左右へ広がり、曹州方面へ通じる道を探った。冬の田畑には作物のない場所が多く、遠くまで見通せる。乾いた風が土を舞い上げ、馬の蹄が凍った地面を踏むたびに硬い音が続いた。
昼前、右手の道を進んでいた騎兵隊から使いが戻ってきた。
「将軍、曹州から東へ向かう騎兵8騎を見つけました。まだこちらには気付いておりません」
「捕らえてください。ただし、逃げた者を深追いする必要はありません」
玉蘭は本隊を止めず、そのまま進ませた。
しばらくして5人を捕らえたとの報告が届いた。残る3人は曹州方面へ逃げたが、命令どおり追撃は途中で打ち切っている。
捕虜は曹州の守備兵だった。
玉蘭が知りたかったのは、城内の正確な兵数だけではない。開封へ使者を出す時にどの門を使うのか、どの街道を通るのか、周辺のどの村から兵糧を集めているのかを聞き出させた。
その日の夕方までには、曹州と開封を結ぶ主な道をかなり把握できた。
「今夜から道を見張ります。荷車や農民まで止める必要はありません。調べるのは兵と使者です。城を囲むのは、そのあとにします」
玉蘭は騎兵隊をさらに前へ出した。
「先に城の外を使いにくくしておきます。曹州の兵が開封へ自由に使者を送り、周囲から兵糧を運び込めるうちに城壁を攻めても仕方がありません」
その夜、曹州の東や南東へ通じる道では、何度か小さな衝突が起きた。城から出た騎兵が玉蘭軍の監視に気付いて引き返し、別の道では開封へ向かおうとした使者が捕らえられた。
すべての道を完全に封じることはできなかったが、曹州の守備側も南宋軍が城の周囲へ広がり始めていることは理解した。
◇ ◇ ◇
(1225年1月中旬、帰徳府東方)
同じ頃、達也軍も帰徳府へ近づいていた。
金軍の斥候はすでに達也軍を確認している。今さら進軍を隠す必要はないため、達也は歩兵と荷車の隊列を整えたまま進ませた。
ただし、城へ近づいても攻撃は始めなかった。まず斥候を何方向にも出し、帰徳府へ出入りする道と周辺の地形を調べさせた。
夕方になると、集めた情報が達也のもとへ届いた。
「西門から開封へ向かう街道がございます。道幅も広く、荷車が多く通っております。北には村が点在し、北西へ抜ける道もございますが、西の街道ほど広くありません。南は川と湿地があり、冬でも荷車を通すには難しい場所がございます」
報告を聞き終えた達也は、地図の西側を見た。
「なら、西は完全に塞ぐな」
周囲にいた者たちが顔を見合わせた。開封へ通じる道を残せば、援軍を呼ばれる恐れがある。
「それでもいい。城の兵には、まだ開封へ逃げられると思わせておいた方がいい。四方を全部塞げば、逃げ道がないと分かって死ぬまで城にこもるだろう。東と北を固め、南も通りやすい場所だけ押さえろ。西は見張るが、塞いでいるようには見せるな」
達也は続けて、城へ入ろうとする兵糧と、周辺の村へ食糧を集めに来る金兵を止めるよう命じた。
「ただし、農民から物を奪うな。こちらが必要な物は金を払って買え。城兵が外へ出てくるなら、無理に城へ押し戻す必要もない。逃げたければ逃がしてやれ」
「追撃もいたしませんか」
「必要なら追う。だが、城の中の兵が自分から減るなら、それだけでも十分だ」
達也は帰徳府の城壁を見た。上では金軍の兵が動き、南宋軍の布陣を確かめている。
達也が欲しいのは、城壁を登って何人倒したという戦果ではない。開封まで軍を進めるための道である。
帰徳府を落とすことに兵と時間を使いすぎれば、その先にある開封攻略が遅れる。守備兵が自分から城を出るなら、それを利用した方がよかった。
◇ ◇ ◇
翌朝、達也軍は帰徳府の東側へ陣を広げた。
城壁から見れば、南宋軍が本格的な攻城準備を始めたように見える。歩兵が地形を調べ、弓兵が城壁までの距離を確かめ、荷車も後方へ集められた。
それでも達也は攻撃命令を出さなかった。
しばらくすると、北門から50騎ほどの金軍騎兵が出てきた。南宋軍の陣を探るためらしく、城から少しずつ離れながら外側を回っている。
「近づくまで放っておけ」
達也は騎兵をすぐには動かさなかった。
金軍が城門から十分に離れたところで自軍の騎兵を出すと、相手はすぐに向きを変えて城へ戻ろうとした。
「城門まで追い込むな。何人か捕まえればいい」
騎兵隊は命令どおり深追いせず、一部の兵だけを捕らえて戻ってきた。
捕虜を調べると、帰徳府の守備側はすでに開封へ使者を送り、援軍を求めていることが分かった。
側近は援軍が到着すれば帰徳府の守備兵と同時に相手をすることになると心配したが、達也は気にしなかった。
「開封から兵が出てくるなら、それでもいい。中にいる兵をこちらへ引っ張り出せるからな。ただし、今は帰徳府を取る。援軍が来る前に城の兵を減らしておくぞ」
達也は西へ伸びる街道を見ながら、城内の金軍がどう動くかを待った。
◇ ◇ ◇
(1225年1月下旬、曹州東方)
玉蘭軍は曹州の周囲へ姿を現した。
城内ではすでに南宋軍の接近を知っており、城門を閉ざしている。
玉蘭は城壁を見上げたあと、歩兵を東側へ集めた。ただし、本当に力を入れていたのは城壁の正面ではない。騎兵は曹州から開封へ向かう道、北へ抜ける道、周辺の村へ出る道へ分散し、城外を自由に使わせないようにしていた。
城から使者が出れば追い、軍用の荷車が出れば止める。それを数日続けると、曹州の守備兵は外へ自由に出られなくなった。
捕虜から得た話では、城内にはまだ兵糧が残っているものの、開封から援軍が来るかどうかは分からず、送った使者への返事も確認できていないという。
曹州は次第に孤立し始めていた。
玉蘭は城壁を見ながら、指揮官たちへ翌日の動きを伝えた。
「明日は東側へ歩兵を出し、攻めるように見せます。向こうが東へ兵を集めたら、その間に南側を確かめます。入れるなら南から入り、難しければ東から攻めます」
騎兵が周囲の道を押さえている間にも、城壁の高さ、門の警備、堀の状態、夜間の兵の移動を調べさせていた。最初に決めた策だけに固執する必要はない。敵がどこへ兵を動かし、どこが手薄になるのかを見てから攻めればよかった。
翌朝、南宋軍の歩兵が東門前へ進んだ。
予想どおり、城壁の上では金兵が東側へ集まり、弓兵も増えていく。その動きを少し離れた場所から見ていた玉蘭は、南側の守りが薄くなったことを確認した。
「今夜、選んだ兵を南へ回します。騎兵はこれまでどおり、城から出てくる敵を止めてください」
その日の夜、歩兵は密かに南側へ移り、夜明け前から城壁へ接近した。
城内では東側への攻撃が来ると思っていたため、対応が遅れた。南側で戦いが始まると守備兵は慌ててそちらへ移動し、玉蘭はその動きを確認して東側にも攻撃を命じた。
金軍は南と東の2方向へ兵を分けざるを得なくなった。
昼を過ぎる頃、南側から城内へ入った兵が城門へ取り付き、内側から門を開いた。そこから玉蘭軍が一気に城内へ入る。
抵抗を続けた金兵もいたが、城門が開いたと知ると次第に隊列が崩れ、一部は西へ逃げ始めた。
「遠くまで追う必要はありません。開封へ向かう者を優先して捕らえてください」
玉蘭は追撃する騎兵にそう命じた。
曹州は、その日のうちに玉蘭軍の手へ落ちた。
◇ ◇ ◇
城を取った玉蘭が最初に命じたのは、略奪の禁止だった。
「民家へ入って物を取ってはいけません。食糧が必要なら金を払って買います。倉も命令なく開けないでください」
兵には城門、役所、兵糧庫、馬屋を先に押さえさせた。逃げずに残った役人や商人にも、店を閉じ続ける必要はないと伝えた。
曹州を荒らすつもりはなかった。この先、開封へ兵や物資を送る拠点として使う以上、町そのものを傷めれば自分たちが困ることになる。
午後になると、玉蘭は達也へ使者を出した。書状には曹州を取ったこと、開封へ向かう道を押さえたこと、城内で大きな略奪を起こしていないことを書き、最後に一文を加えた。
『曹州は確保いたしました。達也様の帰徳府攻略が終わるまで、ここから先へは進みません』
使者を送り出したあと、玉蘭は城壁へ上がった。
南西の先に開封がある。
だが、今すぐ向かう必要はない。達也から命じられたのは、どちらが先に開封へ着くかを競うことではなかった。帰徳府と曹州から伸びる2本の進路をそろえ、開封へ迫ることが目的である。
玉蘭は城壁から南西を眺めたあと、達也からの知らせを待つため城内へ戻った。
◇ ◇ ◇
(1225年1月下旬、帰徳府東方・達也軍陣営)
日が暮れる少し前、曹州からの使者が達也の陣へ到着した。
玉蘭の書状を読んだ達也は、周囲の武将たちへ曹州が落ちたことを伝えた。
「もう城へ入っているそうだ。先に行くなと言っておいたから、曹州で俺たちを待つらしい」
「鎮北将軍は早うございましたな」
「ああ。向こうは予定どおりだ。こっちも長く遊んでいるわけにはいかんな」
達也は書状を畳んだ。
ここ数日、城へ入ろうとする兵糧はほとんど止め、外へ出た兵も何度か捕らえている。開封へ向かった使者はいるが、まだ大きな援軍は見えていなかった。
達也は周囲の者を集め、地図の西側を指した。
「今夜から西の守りをさらに緩く見せろ。曹州が落ちたと知れば、城の連中も考えるはずだ。東には俺がいて、北東は玉蘭に取られた。開封へ逃げるなら今しかないとな」
「それでも逃げなかった場合はいかがいたしましょう」
「その時は攻める。だが、出てくるなら好きに出させろ。追撃する部隊は用意しておけ。城門の前では戦わず、十分に離れてから叩く」
達也は最初から、帰徳府の守備兵を全滅させるつもりなどなかった。城を守る兵が自分から減ってくれるなら、その方が早く城を取れる。
曹州は落ちた。
帰徳府も、あと少しである。
2つの城を押さえれば、達也と玉蘭の軍を開封の手前で止める大きな拠点はなくなる。
夜になると、帰徳府の城壁に灯火が並び始めた。達也軍の陣でも兵がそれぞれの持ち場につき、西へ向かう道だけはほかより警戒が薄いように見せてある。
達也は暗くなった城門の方を見続けた。
金軍が、その道を本当に逃げ道だと考えるか。
答えが出るのは、今夜だった。




