4話 ロバはバカ 中
大理石の床に水滴がポツポツと落ちた。その近くに水溜りがあり、人の足の指先がある。
「どうされましたかリリー様。そんな格好でいたら風邪ひきますよ」
窓の外は大雨で風がビュービュー音を立てている。小さい頃はあれが怖いと感じたものが今では騒音にしか聞こえない。
リリーは大人しくメイドに連れられお風呂へと向かう。
「さぁ、まずは濡れた服を脱いでシャワーを浴びて」
リリーの体は冷たく震えていた。でも、リリーの目はずっとメイドに向いていた。
あの時も。突然現れた《超人》あずさという日本人。リリーには身に覚えのないことを言っていたけど、メイドは何故か知った反応をしていた
。
リリーがあの時見ていたのはあずさではなくメイドの方だった。
メイドはあずさに話しかける前にそっと人差し指を唇につけて、しーっというジェスチャーをしていた。
リリーは爪を噛んだ。
場所変わってイタリア。人通りの多い観光地へ行くと自撮り棒をやたら売ってくる人がいたりする者がいたが、当然無視をする。無論、この人達が暮らせていける金を与えることはあずさには可能なことだが、全体主義・社会主義的富の再分配はあずさの思想ではない。受動的に恵みを祈ってただ待つ人でなく、人は自発的であるべきだというのが基本の思想故。勿論、あずさの能力は天から与えられたものかもしれない。だが、与えられた与えられなかったは《超人》に限った話しでなくこの世の中は既に生まれる前からそうだったし今も変わっていない。それが前提の世の中だし、それがクソな世の中だと思っても不思議はないし、それはどうにもなるわけではない話しだろう。その公平でない世の中を平等で押し付けても平等と公平が違うようにそれは公平にはならない。そんなことは分かりきった話だ。
問題は自発的に努力をしたわけでもないのに恵みが与えられることだ。これも《超人》に限った話ではない。例えば莫大な遺産相続とか生まれつきの美貌、才能とか。嫉妬がこの世の中から消えることはない。自分が持っていないものを欲する欲望は既に人の内にあるからだ。その完璧な条件を求めようとする劣等感はそのままいけば自己否定や劣等コンプレックスを生み出す。
だから他人と比較しても仕方がない。理想は他人でなく自分に向けていくしかあるまい。
「イタリアのアンノウンなんだけどあなた一人でいけそう?」
「なんでだよ。レーン救出に私は手伝っただろ?」
「レーンはもう検査も終え退院してるけど政府は慎重になってるのよ。勿論日本にアンノウンが出たら政府は協力を惜しまないわ。でもイタリアはどうかしら」
「またアメリカとEUは揉めてるの?」
「そうではないわ。イタリアにいるアンノウンは積極的な暴力性はない。強いみたいだけど優先度は高くはない。アンノウンは基本出没したら《超人》が退治するわけだけども、例外はある」
「一番最初に出現したアンノウンか」
「ええ。あれはまだ退治出来ていない」
「だって今宇宙にいるんでしょ? 無理だから」
「ええ、分かってる。でも、あれは地球の近くで止まっていてエジプトの空から今も確認できる」
「あれから動いていないんだ」
「いずれ再び地球に戻ってくるでしょうけど」
「戻ってくんな」
あずさは空に向かってそう怒鳴った。
「アンノウンの目的は未だ不明。全てのアンノウンが同じ目標に向かって行動してくれたら分かるんだけど」
「あのアンノウンはエジプトの砂漠から突然現れたんでしょ」
「そうよ。そしてそいつはなにもせず宇宙へと飛んでいった。あとは海底にいるアンノウン。あれも退治出来ていない。あと退治出来ていないアンノウンは」
「南極にいるあいつ。あれは私でも無理。別格。確かに、今あげたアンノウンを並べたら優先度は低い。なら今でなくてもよくない?」
「別に断ってもいいわよ。でも、気になるのは何故リリーがあなたにわざわざ依頼したのか」
「ダナムが調べても分からないの?」
「そもそもリリーのあの能力はアンノウン戦向きではないでしょ? アンノウンは大型で屋外にいるもの。だからリリーの情報はむしろ少ない。まぁ逆に人間相手ではリリーの能力は厄介なことくらいね」
「あのリリーの家にいた時メイドがいた」
「メイド?」
「あのメイドはリリーのかわりに喋ってたけど、今思えば不自然だなって」
「分かったわ。メイドについて調べてみる。意外とそこから分かってくるかもね」
「それじゃ私達イタリア観光し終えたら日本に帰るか」
「いいわよ。それじゃ帰りの飛行機手配しとくわ」
あのダナムがあっさりと素直に従った。あずさはそれが不気味に感じた。
(気のせいか?)
だが、その疑いを晴らす前に二人にとって想定外が起きる。
ヴェネツィアにいたロバのアンノウンが突然2体になったのだ。どちらも同じ大きさ同じ姿。そしてずっとそこにいたロバのアンノウンが動きだし、一体はフィレンツェへと向かい、もう一体はミラノへ向かいだした。どちらも違う方向。
「悪いけど帰るのは無しでロバのアンノウンを退治して」とダナムはあずさに言った。
「てかなんで2体になってるわけ!?」
「そんなの私に聞かれても分かるわけないでしょ」
「まさかあのロバ、ヴェネツィアから動かなかったのってどっちに行こうか迷ってたってこと?」
「まさか……ビュリダンのロバじゃあるまいし。そもそもミラノとフィレンツェは人口も違うでしょうし何が二つにあるっていうの」
「魅力」
「……まぁ、それはそうね。それでどっちを先にやる?」
「どっちだって変わんないよ。多分強さも変わってないんじゃない」
「あなたが決めていいわ。どっち?」
「え」
「ん?」
「どっちでもいいんだけど」
「あなたがビュリダンのロバになってどうすんのよ!」
「ミラノ! ミラノに決めた」
あずさは直感で決めた。
「で、他の《超人》は流石に来るの?」
「要請中よ。決まり次第フィレンツェに向かったアンノウンを退治に向かわせるわ」
場所ミラノ、ガッレリア。そこではアンノウンがミラノに向かっていると知らされた大勢の人達が慌ててその場から走るように逃げ始め映画のワンシーンかのような大混乱な図となっていた。
ヴェネツィアからミラノまで鉄道なら2時間と15分から30分かかるが、巨大なロバアンノウンはそれより速い。恐らく1時間半程度でミラノに着く。その前に軍隊が足止めにどこまで出来るかで時間に差が出るであろうが、その前にあずさはアンノウンに追いつく必要があった。
「全く」
移動中の車内でダナムが項垂れた。
「なに、まだ見つからないの?」
「いえ、政治的な話よ。つまり権力者は自分達の国の《超人》を出す際の色々な手続き的に時間をかけているのよ」
「バカなの?」
「否定はしないわ。本来、国境をこえて共通の敵に対し政治的な友敵をこえて地球が団結する時! と思っても何故かそうはならない。皆、自分達のことしか考えていないのよ。《超人》が単なるアンノウンに対抗する力とだけしか見ない筈はないと分かっていても、こうも膠着するなんて」
「ロバ?」
「まぁ、それに比べたらあなたはまともな《超人》ね。政治にただ従うわけでもなく熱狂するわけでもなく、あずさはあくまであずさって感じが特にね」
「何の話か分からないしどうでもいい」
「そうね。追いついたら宜しく」
「はいはい」




