番外編:書道を愛する妖3
それからというもの。書道教室が終わった帰りに神社の境内で私は平仮名と常用漢字を雫ちゃんに教えていった。
その全てを教えるとなると、膨大な量になるので、あくまで一般的に使用するものに限定しているのだが。
「だいぶ覚えてきたね。習字も上達してるみたいだし」
私が臨時特別講師を始めてから一ヶ月程が経とうとしていた頃。雫ちゃんは文字で会話のやり取りが問題なくできるまでに成長していた。
「全て千暁さんのおかげです。ありがとうございました」
「雫ちゃんの努力の賜物だよ」
「なんとか、引っ越しまでに間に合いました」
「引っ越しの日はいつ?」
「三日後の朝です」
「叔母さんのところに行くんだったね」
「はい。ここより、少し南にある山です」
「そっか。寂しくなるね」
「そういってもらえると嬉しいです。でも、また必ず会いに来ます」
「その時は是非、うちの時計店にも顔を出して」
「是非」
心地よい夕方の風を頬に感じながら、私は残り少ない彼女との日常を大切にしたいと思った。
翌日。私は琥珀(ぬいぐるみ姿の)と雫ちゃんと共に隣町に出向いていた。
理由は、書道の展覧会だ。今年初めて、小規模ながらも展覧会を開催すると、うきうき顔の幸子さんからそう報告を受け、書道教室の面々で作品を募り、展覧会に出展することとなった。
生徒の作品を沢山の人に見てもらえることが幸子さんは嬉しいらしい。いかにも彼女らしいと思った。
「雫ちゃん本当に上達したねぇ」
雫ちゃんの作品を見ながら私がしみじみ呟くと、彼女は照れたように「そうですかね?」とはにかんだ。
この展覧会は、彼女にとっても、いい思い出となっただろう。
作品に書かれているのは漢字二文字。
「感謝」の二文字だった。ストレートな言葉だが、その文字は力強く、今、雫ちゃんが幸子さんに伝えたい思い全てが詰まっているのだろうと、そう感じる。
「この作品を幸子さんに見てもらうことができて本当に良かった。引っ越しをしても、習字の楽しさは覚えててもらいたいな。幸子さんきっと喜ぶだろうから」
「もちろんです!」
この時の、弾けるような雫ちゃんの笑顔を、私はきっと忘れることはないだろう。
ーーこうして。雫ちゃんは展示会翌日に開かれた書道教室の参加を最後に、この街を離れて行った。
もちろん、幸子さんへの感謝の言葉を残して。
後日、時計店を訪れた幸子さんによれば、書道作品と共に直筆の手紙を受け取ったそうだ。そこにはこう書かれていたとか。
ーー親子二代で幸子さんの書道教室にお世話になっていました。書道教室での時間はとても楽しい時間でした。本当にありがとうございました。少し遠くに引越しをするので、今までのように書道教室に通うことはできませんが、また必ず会いに来ます。その時はまた、習字について教えてください。お元気で。
いかにも、誠実な雫ちゃんらしい文面だった。幸子さんはとても喜んでいて、再会できる日を今から楽しみにしている。
私もその内の一人だ。それまでに彼女に負けぬよう、書道の腕を磨いておくとしよう。
「できた!」
時計店の閉店後。自分の部屋で家にあった習字道具を広げていた私は、半紙を両手で持って、墨で書かれた文字を眺めた。我ながらいい出来栄えだ。半紙の上の黒い文字を「見て!」と琥珀にも見えるように掲げる。すると、琥珀が「はいはい。分かった」とめんどくさそうにこちらに視線を向ける。
「……なんだそれは」
しかし、その文字を見た琥珀は、どこかバツが悪そうに視線を逸らした。
「えっ?琥珀」
「それは見れば分かるわ!なに故、私の高貴な名前をその薄っぺらい紙の上に書こうと思ったのだ!」
そう。私が書いたのは「琥珀」の二文字。不思議と、書きたいと思う言葉はこれだった。なぜといわれても。
「えぇ?だって、真っ先に思い浮かんだのがこれだったんだもん。直感だよ、直感。それに、もう相棒として過ごしてだいぶ経つし、ふとした時になにをするにも琥珀のことが思い浮かぶというか。琥珀ならどうするかなーとか、琥珀がいたらなーとか」
素直にそう答えると、なぜか琥珀は黙り込んでしまった。
不思議に思って顔を覗き込むと、微かに頬が赤い。これは。
「もう可愛いなぁっ!」
私は感情のままに照れている琥珀を抱きしめた。
「や、やめんか!バカ者!だいたい、お前のバカさ加減にはいつも振り回される!こっちの身にもなってみろ!」
「なんとでもー」
いくら怒られたって今はただただ可愛いだけだ。
「みなさーん!私と琥珀は今日も仲良しでーす!」
「誰に向けていっている!?無理やりまとめようとするな!!」
ーー夜がゆっくりと更けていく。今日も今日とて、水無瀬時計店は平和です。
※次回更新は明日の予定です。
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