第九話:現実と幻想の狭間で2
扉を開けた瞬間、私と琥珀は早くも身体を強ばらせた。
「兄貴……?」
時計店のカウンターで作業していたのは、今は懐かしい兄貴の姿だった。祖父母の姿はない。
「おかえり。千暁、琥珀」
記憶の中と変わらない笑顔で兄貴は笑う。その姿に私も琥珀も声を発せずにいた。
「どうしたんだ?二人共。突っ立ってないでさっさと入って来いよ」
「落ち着け。これはまやかしだ。甘い夢を見せて、お前をこの世界に閉じ込める算段だ」
「分かってる」
これがまやかしでなければ、兄貴が、私と琥珀が顔見知りであることを知っているはずがない。私は静かに店内へと足を進める。
「なにやってるの?」
問いかけた言葉は、少し震えていた。
「ん?壁時計の修理だよ。古いものみたいで、針に寿命がきたみたいだ」
そっと横に並んで兄貴の手元を覗く。兄貴は手際よく部品の交換を行っていく。
「手伝うよ」
「ははっ。なんだよ。前は時計に興味もなかったのに。でも、まぁ、せっかくだからこれ磨いてくれるか?」
手渡されたのは、埃で汚れた壁時計のカバーだった。
「……千暁」
心配する琥珀に、私は大丈夫だというように軽く頭を撫でた。
兄貴の横に並んで、作業を始める。
こうして兄貴と並んで時計店の仕事をしているなんて、夢みたいな心地だ。もしかしたら、こういう未来もあったのかもしれない。
「私ね、兄貴」
「うん?」
「私、水無瀬時計店を継ぐことにしたの」
私の言葉は静かな店内に響き、宙に溶けていく。
「千暁が?」
「うん。兄貴みたいにまだ上手くはできないけど。おじいちゃんとおばあちゃんに支えてもらいながら頑張ってる。それからね。水無瀬家のことも、私が継いだ」
兄貴の手が、ピタリと止まる。本当に、幻だとは分かっていても、実によくできた世界だ。兄貴も、周囲にある物も、とてもまやかしとは思えない。
動きを止めた兄貴を横目で見ながら、私は静かに続けた。
「琥珀……はここにいるからもう知り合ったことは分かるか。未玖さんにも会ったよ。沢山、兄貴のことを聞いた。それから、九条家の問題も、真琴さんと和解して一緒に解決したの。今や、御三家の長にもなったんだよ」
知らず知らずの内に、私の瞳から大粒の涙が溢れ出す。
琥珀が作業台に上り、そっと寄り添ってくれている。
「……魔術師としての生活はそう甘くないだろう?」
「うん……辛いことも苦しいことも沢山ある」
「なら……」
「あなたが私の記憶の中にいる兄貴なら、私に辞めろとはいわない。絶対に」
※次回更新は明日の予定です。
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