トリプルスターズ誕生の前 カウントダウン2
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「やっぱりね。思った通りだったわ」
修練棟201号室(また借りた)に入って来るなり、真理さんが言った。真理さんの後ろには田畑君がいて、田畑君は昨日池永澄子から渡された大きな袋を持っていた。確かその袋の中には、キャンバスが3枚と油絵の具などが入っていたはずだ。
「どういうこと? やっぱりねって」
僕は尋ねた。
「ター君、袋の中身を出してみて」
田畑君が、袋からキャンバスと油絵の具、それに油壺を取り出して床に置いた。
「池永澄子がプレゼントと言って渡したこれらの品物。なぜ、彼女はこれを渡したか。ボクは見た瞬間からピンときた。だからアインシュタイン系の能力者の人に頼んで、この品物について調べてもらったの。結果はボクが思ったとおりだったわ」
「どんな結果だったの? 」
「キャンバスは一九世紀後半に作られたように、その当時の布と木材を使っている。おそらく欧州のどこかの家に眠っていた廃材を利用したのね。絵の具はその当時に使われていた物と同じ原料を使って作られている。油もその当時の物ね。科学的な鑑定方法の炭素年代測定法を用いても、贋作だとバレないでしょうね。つまり、この材料を使ってシュン君が画家のタッチを真似た絵を描いたら、すぐにはばれないような完璧な贋作が出来上がる」
「ゲゲッ、それは大変だぁ! 僕、ダークサイドの人になってしまう」
「でも、池永澄子が頼んだのは、オリジナルの絵だろう。本物をそっくり真似て描いたなら贋作になるかもしれないけど、画家のタッチを真似て描いたくらいの絵が贋作になるのか? 」
田畑君が訊いた。九州の方言が出ていない。何があったのだろう?
そう思ったら、田畑君が真理さんの背後で真理さんの方を指さした。なるほど、真理さんに方言を使うなと命令されたのだ。田畑君が、そうと言うかのように肯いた。
「ター、後ろでコソコソしない! 」
真理さんが言った。もしかして田畑君の動きが見えてたのか? だとすると怖い。
「ったく。…まあ、いいわ。美術部だったシュン君は分かっていると思うけど、今の質問に答えてあげる。本物の絵は所在がはっきりしている。例えば、ルーブル美術館に飾ってあるような絵が、もう一枚あったらおかしいでしょ。はい、続きはシュン君が説明してみて」
急にふられて一瞬「え? 」となったが、真理さんが言いたい事は僕にも分かっていた。ただ説明の台詞を考えてから話し始めた。説明の仕方を間違えたら怖いからだ。
「本物と同じ絵だったら、所在がはっきりしているから、偽物だとすぐばれてしまう。でも、例えばゴッホの絵に似た絵だったら、新たに発見されたゴッホの絵だと偽ることが出来る」
「そう、正解。さすがに美術部だった人ね。つまり、オリジナリティがある絵の方が都合がいいのよ。贋作詐欺を行うには」
「でも新たに発見されたのだったら、それこそ世界的なニュースにならないか? 」
田畑君、良い質問だ。僕もそこのところが分からない。ニュースになってしまったら、それこそ大がかりな鑑定が行われるに違いない。
「売ってしまう前には、ニュースにしなければいいのよ。美術品収集家は自分が欲しいと思った物には幾らでもお金を使うけど、それでも少しでも安く買える方がいいに決まっているわ。だから、あなたに特別な話をもってきましたとか言って、詐欺を行えばいいのよ。詐欺の手口は、相手に不安感を与えるか、もしくは欲望につけ込むかだもの。この場合、今買っておかないと買えなくなるかもしれないという不安感と、今だったら安く買えるという欲望のどちらも相手から引き出せるわ」
なるほど。僕と田畑君は大きく肯いた。
「では、シュン君。今日から池永澄子に渡す贋作づくりお願いね」
「えっ? 」
「そんなに驚かない。大丈夫よ。シュン君が描いた贋作が世に出ることはないから。彼らが贋作詐欺を行う前に彼らは捕まるわ」
「それならいいけど…。真理さん、あと一つ質問していい? 」
「いいけど。でも、ボクのプライバシーに関する質問はNGね」
そんなことは訊かない。ちょっと興味はあるけど。
「これって、ブルーダイヤモンド詐欺事件と関係あるの? 」
「良い質問ね。ボクも池永澄子に会うまでは確信はもっていたけど、断定までは出来なかった。だからター君に池永澄子に会ってもらったの。そして会話の中で、宝石詐欺のことにさりげなくふれた。ター君、ニオイで読みとれたことシュン君に教えてあげて」
「わが輩が宝石詐欺のことを言った時、池永澄子はまず黒崎武夫のことを考えた。あいつがドジを踏んだから、宝石詐欺が出来なくなったと。それから、僕に対して一瞬だけ疑惑をもった。警察関係の人間ではないかと。でも、その疑惑はすぐに彼女自身が否定したけど」
そうか、田畑君を池永澄子に会わせたのは、そういうことだったのか。
「宝石詐欺を行えなくなった彼らが、次の詐欺の手段を考えている時に目に止まったのが、贋作を描けるほどの画力をもった模写小路実篤のホームページ。その絵を見て絵画の贋作詐欺を行う事を思いついた」
なるほどと思う。ついでに僕は真理さんが計画を立てて動き始めた段階から、ずーっと僕の頭の片隅で体操座りをしている?マークのことについて思い切って訊いてみた。
「ずっと疑問に思っていたんだけど…」
「何? 言ってごらんなさい」
真理さんが腰に手を当てる。
「彼らは、未だジュエル黒崎から宝石を盗み出した犯人が捕まっていない事に危機感をもったんだよね。だから、彼らもその犯人を捜そうとしていた。彼らは犯人探しは止めたのかな? 」
「止めてはないわよ、おそらくね。彼らが犯人かもしれないと目星をつけたジュエル黒崎の元従業員の女の人は警察に保護を求めた。結果、彼女は犯人ではないと立証された。警察には正義の味方がいるから嘘はみんなばれてしまうからね。ジュエル黒崎で盗みを働いた犯人は未だ捕まらず、彼らに接触してくる様子もない。そこで、彼らは犯人を探すことを一時延期することにしたのよ。自分たちに警察の捜査の手が伸びてくることは、当分ないだろうと踏んで。で、次の詐欺を計画し始めた」
「それが絵画詐欺なんだ。でも、彼らに絵画の贋作詐欺を思いつかせたのって真理さんていうことになるよね? 」
「細かいことにこだわらないの。大事の前の小事って言うでしょ」
確かその言葉って、相反する二つの意味があったような気がするけど、まあいいか。相変わらず真理さん手を腰に当てて仁王立ちになっているし…。触らぬドSにたたりなしだ。
「じゃあ、納得できたところで、贋作づくりお願いね。シュン君」
二週間近く前に僕に絵を描くように言った時には、模写と言っていたのに、今では完全に贋作と言い切っている。僕は真理さんの言葉遣いの変わり様に、一抹の不安を覚えながらも「うん」と肯いた。
十日間で三枚の贋作(僕は本当は贋作なんて描きたくないんだからね! そこんとこ強調)を描いた。ゴッホの絵の贋作とモネの絵の贋作と、セザンヌの絵の贋作だ。
「この三枚で三百万か。すごかね」
田畑君が、僕の描いた絵を見ていった。田畑君、ちょっと興奮しているのか、真理さんに禁じられている方言がちょっと出ていた。
「池永澄子が一枚につき一〇〇万円出すと言っていたからそうなるわね。池永澄子を欺くために一応代金は頂くけど、そのお金を使ったらボクたちも犯罪者になってしまうからね。分かっているでしょうね、二人とも」
「もちろん」
と力強く答えたが、そんな現金を目の当たりにしたら、ちょっと自信がないかも。
「わが輩も」と田畑君が言ったが、真理さんの問いかけへの返事か、僕が思ったことへの同調か分からなかった。
「さてと、今から池永澄子と会う事になるんだけど、その前にやっておく事があるの。キャンバスにGPS発信装置を仕込むのね。ボクがそれをしてくる間に、二人とも着替えて変装しててね。ター君は模写小路実篤に、シュン君は模写小路実篤の妹に」
そう言って、真理さんが田畑君が両手に持っている袋を指さし、それから三枚の絵を抱えると部屋を出ていった。
以前、二度目に池永澄子に会う時は、僕が模写小路実篤(田畑君)の弟役になると真理さんが言っていたのを思い出した。
ん? でも、さっき真理さん妹とか言っていなかったっけ? 単なる言い間違いかな?
そう思いながら、田畑君が持っている袋の一つを受け取ると中身を出した。
ゲゲっ。何これ?
ゴスロリよりマシだ。自分にそう言い訊かせて、泣く泣く袋の中身から取り出した服に着替えた頃、真理さんが戻ってきた。
「やっぱり、よく似合うわね。シュン君」
真理さんが微笑む。真理さんの側で模写小路実篤に変身した田畑君が「はあ~」とため息をついた。
「質問していい? 」
僕はそう言って右手を半分挙げた。真理さんが優しく肯く。
「僕って、田畑君の弟役になるはずだよね。でも、この格好はどう見ても女の子だよ」
僕はそう言って両手を広げた。胸元に大きなリボンが付いた空色のシャツはまだ許せるとしても、チェック柄のキュロットスカートを穿く男子なんていない。いるかもしれないけど、少なくとも自分を男性だと思っている男子は穿かない。僕もそうだ。うう、今は穿いてるけど。
「ホームページにね、模写小路実篤のプロフィール書いてあったでしょ。そこに書いた家族構成に、父、母、弟って書くはずだったのが、妹って書いていたのね。シュン君、だから妹役をしてね。その方があなたの正体がばれるリスクも減るし」
嘘だ! 最初からそのつもりだったんだ、真理さんは。や、やっぱりドSだ! でも、女の子の姿がよく似合う僕っていったい…。
「シュン君、今の姿は完璧に女の子だけど、もっと完璧にしてあげる。これを首に付けて」
真理さんが、そう言って僕に渡したのは、中央に小さなオープンハート型のリングがついた首輪風のチョーカーだった。渋々それを受け取ると、首に付けた。
「シュン君、話してみて」
「えっ? 何を? 」
と言った自分の声に驚いた。高く澄んだ女の子の声だ。「えっ? なぜ? 」と言った声も女の子の声だった。
「そのチョーカーにはボイスチェンジャーが仕込まれているの。だからシュン君が喋った声は、全て女の子の声に変換されるわ。やっぱりボクが作っただけの事はあるわ。完璧ね」
真理さんがニンマリと微笑んだ。**の笑みだ。ぞぞっ。
「さあ、池永澄子に会いに行くわよ」
真理さんがミッションの開始を告げた。
池永澄子が会う場所に指定してきたのは、池永澄子が経営しているという画廊だった。そこは、S駅の近くにあるビルの二階にあった。S駅は、以前池永澄子と会ったコーヒー店ナボコフのあるF駅から三つ目の駅だ。もし、あの時、池永澄子が自分の画廊に帰ろうとしたら、彼女が乗ったタクシーが走り去った方向と逆方向になる。
そのビルに向かうために歩きながら僕がそのことを言うと、真理さんが「だって、池永澄子の画廊は、一週間前にできたのだもの」と言った。今日の真理さんはゴスロリの格好ではなく、僕と同じような服を着ている。ゴスロリでは目立ってしまうからだそうだ。
「不動産情報にネットハッキングして調べたから確かだわ。画廊の場所を借りたのも池永澄子という人物。どうせ、偽名でしょうけど。模写小路実篤に会って贋作詐欺を行えると踏んだから借りたのね」
「何のために? 」
田畑君が訊いた。その答えは僕にも分かる。より本物らしく見せるためだ。
「アジトを隠すためよ」
真理さんの回答は僕のと違っていた。
アジトを隠すため?
僕の頭に?マークが浮かんだ時には、画廊があるというビルの近くまできていた。
「じゃあ、さっき打ち合わせたとおりにミッションを行ってね。ボクはここで盗聴器の音声を拾うから。それから帰りは別々で。ナボコフで待ってるわ」
そう言って真理さんは、そのビルの近くで僕たちを見送った。
僕と田畑君は、そのビルの前に来ると小さなガッツポーズを作ってから、ビルの中に入った。エレベーターで二階に上がる。二階に上がってすぐのところに、『画廊・みやび』と看板が出ている部屋があった。でも、ドアは閉められていて、まるでお客が来るのを拒んでいるような雰囲気があった。
田畑君がインターフォンで来訪を告げると、程なくしてドアが開き、見覚えのある池永澄子が僕たちを部屋の中に招き入れた。
「先生、こちらのお嬢様は? 」
池永澄子が僕を見た。僕が男だということはバレていないみたいだ。
「妹です。絵に興味があるというので連れてきました。おじゃまでしたか? 」
「いえいえ、先生の妹さんでしたら大歓迎ですわ。よろしくね、えーと」
池永澄子が作り笑いで顔をのぞき込んだので、「静子です。よろしく」と言った。
静子という偽名は、真理さんがつくったものだ。なぜ、静子なのかはよく分からない。もしかすると武者小路実篤に何か関連があるのかもしれない。なにせ、トム・クルーズのことを叶夢巡航みたいに言葉遊びする人だ。
まあ、今回はどこにでもある普通の名前だからいいけど。
「ここには良い絵が沢山飾ってあるから、どうぞご覧になっていてね」
池永澄子は僕にそう微笑んでから、田畑君の方に向き直った。
「ところで先生、絵の方はお持ち下さいましたか? 」
「ええ、ここに」
田畑君が三枚のキャンバスが入っている袋を掲げてみせると、「では、あちらで」と池永澄子が田畑君
を部屋の奥に誘った。
僕はその間、壁にかけてある絵を見て回った。立派な額縁に入れてあるが、どれも大した絵とは言えなかった。お世辞にも画廊で扱うような代物とは思えないようなものもあった。おそらく画廊としての体裁を整えるために、急きょ手に入れた物なのだろう。
僕は絵を見て回りながら、池永澄子の視界から外れたところで、ポケットから子猫をかたどったキーホルダーの付いた鍵を取り出した。音がしないように壁の隙間にそっと滑らす。これは真理さんから指示されたミッションの一つだ。キーホルダーには盗聴器が仕組まれているのだそうだ。さらに見つかっても不審がられないようにダミーの鍵まで付いている。キャンバスに仕込んだGPS発信装置といい、すごい、凄すぎるぞ真理さん。
僕がミッションをやり終えた合図としてクシュンとくしゃみをすると、「では、私はこれで」と言う田畑君の声が響き渡った。
「静子、帰るよ」
部屋の奥からやってきた田畑君が、僕に言った。田畑君の後ろには池永澄子がいて、営業スマイルをつくって立っていた。
「では、先生。また新しい作品を依頼しました時には宜しくお願いしますわね」
池永澄子が画廊を出ていく僕たちに向かって深々と頭を下げた。
コーヒー店ナボコフのドアを開けると、ピーチさんが僕たちを出迎えてくれた。真理さんの仲間ということが、ピーチさんにも認知されているらしい。
「マリちゃん、お待ちかねよ」
ピーチさんが指さす方を見ると、見事にゴスロリスタイルになった真理さんが、タブレットを見ながら難しい表情をしていた。
「マリちゃん、最近何かあったの? 」
ピーチさんが、小さな声で囁く。
「え、どうしてそう思うんですか? 」
僕が問い返すと、「あの子、シャーロック系でしょ。最近、あの子の表情が険しいのよ。何か事件にでも関わっているんじゃないかと思って」と、ピーチさんが心配そうな表情で真理さんを見た。
ピーチさんは、真理さんが聖技能学園の生徒だということを知っているらしい。で、勘も鋭い。真理さんは、事件に関わっているのだ。自ら積極的に。でも、そんなことは一般人のピーチさんには言えない。
「学校の課題らしいんです。僕たちもそれを手伝っているんです」
とりあえず嘘をついた。詳しく訊かれると困ったが、その答えでピーチさんは納得してくれたみたいだった。
僕たちは、真理さんの所へ行った。
「真理さん、いつ着替えたの? 学校に戻って着替えて来たの? 」
ボイスチェンジャー付きチョーカーをつけたままなので、可愛い女の子の声のままだ。
「ここで着替えたのよ。この店には会員のための更衣室があって、個人のロッカーに服を預けておけるのよ」
「それは分かったけど。どうしてわざわざ着替えたのかな」と田畑君。
「この服装が、この店の正装だからよ」
真理さん、この店になぜかロリータファッションの子たちが集まると以前言っていたけど、本当はそんな店だったんだ。真理さん、知ってるくせに、あえてこの店を利用していたんだ。この店じゃなかったら、僕がゴスロリの格好をする必要もなかったのに。
「ま、とりあえず座ったら」
僕の思惑をよそに真理さんが微笑んだ。
ピーチさんが僕たちの注文した物を運んでくるのを待ってから、僕たちは話し始めた。
「ター君たちが池永澄子の画廊を出てしばらくしてから、男が現れたわ。盗聴器の音声を聴いてみて」
真理さんがイヤホンを僕たちに渡した。耳に付ける。
「ほう、あの模写小路実篤とかいうふざけた名前のやろう、ゴホッ、名前はふざけているが、ゴホッ、絵の才能は大したものだな。ゴホッ」
途中に入る咳の音が耳障りだが、男の低い声がはっきりと聞こえている。
「どう、贋作詐欺は行えそう? 」
池永澄子の声だ。
「これなら、充分だ。ゴホッ、絵を買いそうな美術品収集家も、ゴホッ、何人か目星をつけてある。ルビー、おまえはゴッホの絵を、ゴホッ、担当しろ。あとの二枚については、ゴホッ、他の者がさばく」
「分かったわ。あ、それからクリスタル、今度私に会う時には必ずマスクをしてきてね」
「ああ」
ドアが閉まる音がした。
「ったく。マスクするように前にも言ったのに」
池永澄子の毒づく声がして再生は終わった。僕も同感だ。でも、マスクというより病院に行った方が良いと思う。
「ルビーとかクリスタルって何だろう? 」
田畑君が首を傾げた。
「自分たちでつけたお互いの呼び名でしょうね。本名を使ったら色々まずいから。宝石の名前を使っているのは、おそらく宝石詐欺をやっていた頃の名残ね」
「そうだよな。池永澄子の本名は神谷美佳だもん。わが輩が澄子っていう名前、素敵ですねとお世辞を言ったら、池永澄子が自分の本当の名前を思ったから」
田畑君、池永澄子のニオイで池永澄子の本当の名前が分かったらしい。池永澄子は神谷美佳か。
あ、すごい! 仮名にしたら、上からでも下からでも読めるぞ。
「ジュン子、あなた大発見でもしたかのように鼻の穴、広がっているわよ」
真理さんに指摘されて、僕は慌てて自分の口元を両手で隠した。
「ところで、これを見てちょうだい」
真理さんがタブレットをテーブルの中央に置いた。タブレットをのぞき込むと、地図みたいなものが画面に映し出されている。地図みたいなものじゃなくて、まんま地図だ。知った地名があったので東京都の山の手辺りだということが分かった。その地図の中で、赤、青、黄色のそれぞれの小さな輝く点が点滅している。絵の場所が分かるのは、真理さんがキャンバスの木枠に埋め込んだという超小型のGPS発信装置のおかげだ。
「赤はゴッホの絵、黄色はモネの絵、青はセザンヌの絵が今ある場所よ」
なるほど、ゴッホの絵のある位置を示しているという赤い点は、先ほどまで僕たちがいたS駅の近くの池永澄子の画廊の場所と一致する。でも、クリスタルという男の人が持っていったはずの二枚の絵を示す光点は、それぞれ遠く離れたところで明滅している。
「やっかいな事に、絵のある場所は三つに分散されたわ。だから、彼らの拠点かもしれない場所の候補は、少なくとも二カ所以上になる。黄色の点の場所か青の点の場所、もしくは、それ以外」
「赤の点の場所は? 」
真理さんがその場所のことを言わなかったので、何となく違うとは思ったけど問うてみた。
「あの場所は最近借りた所だから除外よ。でも、思った以上に彼らは用心深いわね。池永澄子の画廊の他にも、ダミーの画廊をつくっている可能性がある。とりあえず、この二つの場所を調査する必要があるわね」
「調査って? もしかしてわが輩たちが調べるのか? 」
「当たり前でしょ」
真理さんが言い放った。
今日の僕は男の子の服を着ている。でも、最近校外に外出する時は女の子の格好をしていたので、なぜか違和感を感じる。
違和感を感じてしまう僕、やばいぞ!
などと、くだらない事を思いながら、僕は電車に乗っていた。
この事件(世間的にはまだ事件にはなっていないけど)に関わっての初めての単独行動だから、ちょっとだけ不安はある。でも、モネの絵のある場所、つまり黄色の点の場所のことを調べてくるだけの簡単なミッションなのでワクワク感も乏しい。
黄色の点の場所は、地図上で調べてある。K駅から三〇〇メートルほど離れたところにある岡山ビルという名称の建物だ。
電車がK駅に近付いた。
ゾクッ。
背中に悪寒が走った。誰かにジッと見られている気がして、僕は思わず振り返った。正午を過ぎて、比較的乗客が少ない車内に僕を見ている人などいなかった。僕の能力のせいか、一瞬で乗客の顔の動きが把握できていた。誰も慌てて目線をそらすような動きはしていなかった。
では、先ほど感じたものは何だったのだろう?
訝しく思いながらも、僕はK駅に着いた電車から降りた。
K駅から岡山ビルまでの道を歩きながら、僕は神経を研ぎすませていた。どう考えても、電車の中で誰かの視線を感じたのは確かなのだ。思い過ごしには思えない。用心するに越した事はないのだ。
幸いにも、あれ以降誰かの視線を感じるようなことはなく、僕は岡山ビルに着いた。
岡山ビルは八階建てのマンションで、一階と二階はテナントになっていて色んな店が入居していた。ただ、全部のテナントが埋まっているわけではなく、入居者を募集していた。その二階の場所に、『画廊・MIYABI』があった。池永澄子の『画廊・みやび』と同じ名前だ。違う名前つければいいのに。そこに僕が描いたモネの絵の贋作があるのは間違いない。
今日のミッションは終わった。後はこの情報を真理さんにメールすればいいだけだ。
岡山ビルの入り口の近くで、僕はスマホを取り出し、真理さんにメールを送った。ふと顔をあげると、十メートルほど向こうから、見知った顔の人がこちらに向かって歩いてくるのに気付いた。
やばい! 池永澄子(本名、神谷美佳。悪の組織の通り名、ルビー)だ。
僕はとっさに顔を伏せた。その動作がかえっていけなかったのかもしれない。池永澄子が僕の方に注意を向けた。彼女が近付いてくるのが足音で分かった。
昨日、池永澄子に会った時の僕は、女の子に変装していた。だからパッと見は気付かれないだろう。しかし顔をまじまじ見られでもしたら気付かれてしまうかもしれない。
僕はドキドキしながらも出来るだけ自然な感じを装って、その場から池永澄子がいる方とは反対方向に歩き始めた。
僕は歩きながら、ポケットからいつも持ち歩いている鍵開けセットを取り出した。精密用マイナスドライバーとヘアピンだ。岡山ビルの隣のマンションに入る。もし、このマンションのエントランスにあるオートロックシステムが、鍵で解除するものでなく指紋認証だった場合はお手上げだ。一か八かの賭だ。
僕って運がいい! 鍵で解除するヤツだった。
僕は、鍵開けセットを使って、難なくロックを解除した。強化ガラスで出来た自動ドアが開く。僕は平静を装って中に入っていった。
視界の端で、池永澄子がこちらを見ているのに気付いた。やはり、僕を不審に思っていたようだった。もう少しここに入るのが遅かったら、彼女に問いつめられていたかもしれない。
池永澄子はオートロックをすんなり解除し、マンションの中に入っていった僕を見て、このマンションの住人だと思ったのか岡山ビルの方に戻っていった。
「ふーん、そんなことがあったんだ。それはちょっとヤバかったわね。でも、シュン君のおかげで店の名前も分かり、不動産情報から、そこは最近借りたものだと分かったわ」
左手でタブレットを器用に操りながら、右手でホットココアを飲みつつ真理さんが言った。初めてこの店に来た時から、真理さんがホットココア以外の飲み物を飲んでいるのを見た事がない。
ナボコフではホットココアを飲むというこだわりがあるのだろうか?
ピーチさんは、真理さんが来店すると、注文しなくてもホットココアを持ってきて真理さんの前に置く。真理さんもそれに文句を言う事もなく、静かにホットココアを飲み始める。真理さんはこの店の常連さんだから、あ・うんの呼吸なんだろうか? まあ、それはいいとしても、僕たちの分までがホットココアなのがちょっと困る。一応、ここはコーヒー店なのだから、大人の味のコーヒーを飲んでみたい気もする。でも、それは言えない。なぜなら、毎回真理さんが奢ってくれてるからだ。ごちになります、真理さん。
「で、ター君の方はどうだったの? 」
「わが輩の方も、カタカナで『ミヤビ』という名前の画廊だった」
「ちょっと待ってね。調べてみるから」
真理さんがタブレットを操る。
「これも、最近になって借りたテナントね。ということは、彼らのアジトは別の所にあると思った方がいいわね」
「じゃあ、本当のアジトは分からないまま? 」
僕は不安になった。彼らが贋作詐欺を行う前に、彼らの組織を壊滅しないと、僕が描いた贋作で被害にあう人を作ってしまいかねない。
「完全に糸が切れたわけじゃないわ。ルビー、つまり神谷美佳が今いる場所がそうかもしれない」
「え、どういうこと? 」
僕と田畑君の声がシンクロした。
「ここが、モネの絵がある『画廊・MIYABI』」
タブレットの画面に映し出された地図の中で、黄色の光点を指し示す。
「そして、これが神谷美佳が今いる場所」
真理さんが、細い指で指し示した所を見ると、『画廊・MIYABI』がある岡山ビルからそう遠くない場所で、赤い光点が明滅していた。
「え? 池永澄子はゴッホの絵を持ち歩いているの? 」
「シュン君の疑問はもっともね。でも違うわ。ゴッホの絵はS駅の近くの『画廊・みやび』にちゃんとあるわ」
「でも、赤か光が光っとる」
ちょっと興奮したのか、田畑君の言葉に九州の方言が混じった。
「赤い光は、神谷美佳が持っているGPS発信装置のものよ」
「えっ? 池永澄子にいつ取り付けたの? 」
「取り付けることなんて出来る分けないじゃない。神谷美佳とター君が初めてあった時に、名刺交換をしたでしょ。ター君が神谷美佳に渡した名刺に、GPS発信装置が仕組まれていたのよ」
「えー、あげん薄い名刺の中にね? 」
田畑君が、何故なのか動揺しているのが声で分かった。
「ボクを誰だと思っているの? そんな装置作るのなんか簡単よ」
「じゃあ、も、もしかして、これくらいの小さな物に盗聴装置を仕組むことは? 」
田畑君が、親指と人差し指の指先をくっつけて、小さな円を作って言った。
「ター君、プンプンバッチのことを心配してるのね」
真理さんの口角が上がり、堕天使の笑みになった。こ、こわー。
「簡単よ」
ニタリと真理さんが笑う。途端に、田畑君が青ざめた。
「でも、ター君のことを信用しているから、そんなことはしてないわ。だから、ター君もボクを裏切らないようにしてね」
田畑君が大きく何回もブンブンと首を縦に振った。
「よろしい。で、さっきの続きね。今、神谷美佳がいる場所が、彼らのアジトかもしれないわ。彼らは、絵画の贋作詐欺を行うために三カ所に画廊を設立した。なぜ、三カ所かは、未だ発見されていなかった絵が、同じ時期に、それも同時に三人の画家の絵が発見されることは有り得ないから。この意味分かるよね? 」
僕と田畑君が肯く。
「だから、三カ所の画廊で、それぞれの絵の贋作詐欺を同時に行う。もちろん贋作詐欺のターゲットは三人の美術品収集家。彼らのことだから、もうターゲットにする美術品収集家は決まっているでしょうね。もちろん偽の鑑定人も三人用意して」
「でも、なんで『画廊・MIYABI』だけを、そのアジトの近くに作ったんだろう? 」
僕は首を傾げた。
「お金を運ぶのに便利だからよ。彼らは、絵画の代金を現金で貰うつもりなのよ。小切手などの受け渡しでは途中に銀行などの金融機関を仲介しなければならなくなるから、その分リスクが高くなるわ。でも、何億、あるいは何十億というお金を移動させるには、移動距離が少ない方が便利でしょ。絵画の取引についての商談は、それぞれの画廊で行い、現金の授受だけは『画廊・MIYABI』で行うつもりでしょうね。表記の仕方が違っていても同じ読みの画廊だから、系列店だと思いこませる事もできるから」
なるほどと僕は思った。田畑君も僕の横で大きく肯いている。でも、まだ疑問に残っている事がある。思い切って尋ねてみた。
「ねえ、真理さん。なんで彼らは贋作詐欺を同時に行うと分かるの? 何か、彼らが焦っていることでもあるの? 」
「同時に行わなければならない理由ね。簡単に言うと、一枚でも贋作とばれてしまったら、贋作詐欺が出来なくなるからよ。美術品収集家は、世紀の大発見の絵画を買える権利を自分が手にしているという欲望に目がくらんで、その時は騙されてしまう。詐欺師の言いなりになって、何十億というお金を払ってしまう。そして、その絵画を自分が手にしてから、しばらくして別の欲望が出てくる。つまり、誰かに自慢したくなるのよ。自分は誰も見た事がないようなコレクションを持っていると。すると、当然それが本物かどうかの議論が持ち上がるわね。そして大がかりな鑑定が行われることになる。贋作と見抜かれてしまうのも時間の問題となる。だから、そんな事も考えて同時に行うはずよ。それから、その絵がシュン君が描いた贋作だともばれてしまうわね」
「えっ? どうして僕が描いたと分かるの? 」
「大がかりな鑑定の中にはX線を使った鑑定もあるの。すると当然、あの絵のキャンバスの枠の中にボクが仕組んだGPS発信装置が映ってしまう。そのGPS発信装置に記名しておいたのよ。ヒイラギシュンて」
「え? え? ど、どうして僕の名前を」
僕の動揺ぶりを微笑みながら見ていた真理さんが、「冗談よ。冗談」と笑った。真理さんの冗談は冗談に聞こえない。一抹の不安感は隠せないのだ。
僕の横で田畑君が、どういう意味にとって良いのか分からないが力強く肯いた。




