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第一部 第二章 異邦人(6)


 子供たちへ指示を出していた男は、片手に何枚もの木簡を抱えていた。


 荷物が運び込まれるたびに木簡へ視線を落とし、積み荷の種類や送り先を確認しているらしい。次はこっちだ、そっちは急げ、と周囲へ次々指示を飛ばしていく様子を見る限り、かなり忙しい立場なのだろう。


 少し離れた場所から、その様子をしばらく眺めていた。声を掛けるタイミングが分からなかったのだ。ただでさえ慌ただしい港の中で、これ以上仕事を増やすような真似をして怒鳴られでもしたらどうしよう、という不安もあった。


 けれど、しばらくすると男の動きがふっと止まる。ひと段落したのだろうか。子供たちが協力しながら荷物を運んでいく様子を見て、先ほどまで険しかった表情が少し柔らかくなっている。


 近くで見ると、年齢は二十を少し超えたくらいに見えた。厚手の羊毛チュニックは膝の辺りまであり、その上から幅広の革帯を巻いている。腰には木簡や筆記具がぶら下がっていて、港の労働者というよりは商人に近い雰囲気だった。さっきまで怒鳴るように指示を出していたのに、今は子供たちを見る目がどこか穏やかだった。


 たぶん、根は優しい人なのだろう。


 小さく息を吸い込み、意を決して近づいた。


「あの……」


 男がこちらを見る。その視線だけで少し気圧されそうになったが、どうにか言葉を続けた。


「ここで、働かせてもらえませんか」


 言いながら、自分でも情けないくらい声が弱いのが分かった。宿代だって永遠に残っているわけじゃない。この街で生きていくには、まず働かなければならなかった。


 男は僕の姿をじっと見つめる。その視線に耐えきれず、慌てて言葉を重ねた。


「お願いします。力仕事でも何でもやりますから」


 気づけば、半分頼み込むみたいな口調になっていた。


 男は困ったように眉を寄せる。働き手が欲しいのは本当なのだろう。港を見ればそれくらい分かる。人は多いのに、それでもあちこちで怒鳴り声が飛び交い、誰もが忙しそうに走り回っている。


 けれど、目の前にいるのはどう見ても細い子供だった。


「……普通の男なら、銀貨二枚ってところなんだがな」


 男は腕を組みながら呟く。


「子供に同じ仕事をさせるわけにはいかねえ。うちで雇ってる孤児院の連中も、銀貨一枚だ。仕事を覚えさせる分も込みでな」


「あいつらは食うのに困ってるから、こっちもできる範囲で雇ってる。だが、お前は……」


 男はそこで言葉を切り、僕を上から下まで見た。


 その視線に、思わず唇を噛んだ。


 断られる。


 そう思った。


 この世界へ来てから、何度も自分の無力さを思い知らされている。けれど、こうして仕事を頼み込んでみると、その現実が改めて胸へ突き刺さるようだった。


 しばらく黙っていた男だったが、やがて小さく息を吐く。


「……分かった。じゃあ今日一日だけだ」


 思わず顔を上げた。


「銀貨一枚で雇う。ただし、明日以降も働きたいなら今日の働き次第だ。使えねぇと思ったら終わりだからな」


 胸の奥が、じわりと熱くなる。とりあえず道は繋がった。まだ完全に追い詰められたわけじゃない。


「はい! 頑張ります!」


 できるだけ威勢よく言ったつもりだったが、少し声が裏返ってしまった。


 男はそんな僕を見て、少しだけ笑う。


「そんな緊張しなくてもとって食いやしねぇよ」


 そう言うと、男は自分の胸を軽く叩いた。


「俺はデナリオだ。この辺りの荷運びをまとめてる」


「お前は?」


 反射的に口を開きかける。神代伊織。いつものように名乗りそうになった瞬間、ぎりぎりで言葉を飲み込んだ。この世界で、日本の名前をそのまま名乗っていいのだろうか。さっきの店主の言葉が頭をよぎる。


 ――迷い人。


 ほんの一瞬迷った後、小さく答えた。


「……イオリです」


 名字は言わなかった。


 デナリオは特に気にした様子もなく頷く。


「よし、イオリ。まずは仕事のやり方を覚えろ」


 そう言うと、港の方を指差した。


「あの船の印、見えるか?」


 河辺に停泊している船の帆には、それぞれ違う紋章が描かれている。


「あれが商会ごとの目印だ。うちのはあの三本線のやつな。積み荷は勝手に運ぶな。一回俺のところへ持ってきて、置き場所の指示を受けろ」


「はい」


「一人で持てねぇ荷物は無理すんな。周りに声掛けて二人で運べ。あと、困ってる奴がいたら手伝え。港は一人で回してるわけじゃねぇからな」


 説明を聞いている限り、仕事自体はそこまで複雑ではなさそうだった。もちろん実際にやれば大変なのだろうが、少なくとも今の僕でも何をすればいいかくらいは理解できる。


「まぁ最初は邪魔にならねぇよう動ければ十分だ。分かんなくなったらその辺の奴に聞け」


 言い終えるや否や、別の労働者から声を掛けられ、彼はすぐ仕事へ戻っていった。


 港の喧騒の中へ立ちながら、小さく拳を握る。


 ここからだ。そう思った。



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