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第一部 第二章 異邦人(4)


 男へ礼を言うと、その場を後にした。


 露店街の喧騒を抜けながら、頭の中では先ほど聞いた仕事の話が何度も繰り返されている。港での荷運び。建築資材の運搬。どちらも決して楽な仕事ではなさそうだった。それでも、働かなければ生きていけない以上、選り好みをしていられる立場ではなかった。


 ただ、どうせ働くなら人と関わる場所の方がいいとも思った。この世界について知らなければならないことが多すぎる。街のこと、人のこと、帝国のこと。それに、もしかしたら帰る方法へ繋がるような話をどこかで聞けるかもしれない。人の出入りが多い港の方がいいのだろうか、とぼんやり思う。


 そんなことを考えながら歩いているうちに、男から教えられた店へ辿り着いた。


 そこは露店というより、小さな家屋だった。古びた木造の建物で、入り口の上には傾いた看板がぶら下がっている。文字はかろうじて読める程度に掠れていて、ここが店だと言われなければ通り過ぎてしまいそうだった。


 けれど問題は、その店先だった。


 入り口の周囲には、用途の分からない物が乱雑に積み上げられている。割れた石板、錆びた金具、奇妙な形をした骨のようなもの。下手をすればただのゴミにしか見えない。しかし、よく見るとそのいくつかには値札が付いていた。どうやら本当に売り物らしい。


 人通りは多いはずなのに、この店の前だけ妙に空気が違っていた。通行人たちが無意識に距離を取っているような、奇妙な感覚がある。まるで、お化け屋敷へ入る前みたいだった。


 微妙な緊張感を覚えながら、開け放たれたままの扉をくぐる。


 中へ入った瞬間、むっとするような甘い香りが鼻をついた。香だろうか。薄暗く埃っぽい店内には細い光が差し込んでいて、窓の隙間から入った朝日が空気中の埃を白く浮かび上がらせている。


 改めて店の中を見回し、思わず眉をひそめた。


 壁には見たこともない民族衣装のような布が吊るされ、その隣には用途不明の仮面がいくつも並んでいる。棚へ視線を移せば、獣の牙で作られたネックレスや、水晶のような鉱石が混ざった石、形の歪な瓶など、何に使うのか分からないものばかりだった。道具屋というより、呪術師の店だ。


 少し警戒しながら店の奥を覗き込む。


 そこには小さなカウンターがあり、その向こうへ男が座っていた。商人風の服装をしているが、背は低く、痩せこけている。日に焼けた浅黒い肌と申し訳程度に残った黒髪が、ただでさえ怪しい店の雰囲気をさらに胡散臭くしていた。


 男は目が合うと、おもむろに立ち上がる。


「いらっしゃいませ」


 低い声だった。意外と商売っ気はあるんだな、と少しだけ思う。


「この店で、珍しい布や服を扱っていると聞きました」


「ええ、多少は」


「その……僕が着ている服って、どのくらいで買い取ってもらえるものですか」


 男はそこで初めて、僕の服装へしっかり視線を向けたようだった。無言のまま壁際の窓を開け、光を店内へ取り込む。そして僕のすぐそばまで歩み寄ると、上から下まで服を眺め始めた。その視線に落ち着かないものを感じながら、じっと立っている。


「……確かに珍しい服ですな。織りも細かい。しかも、まだ新しい」


 意外なほど丁寧な口調だった。見た目の怪しさとの落差に少し驚いたが、それは口には出さない。


「これを売る代わりに、普通の服を譲ってもらえませんか」


 今の制服姿ではどうしても目立つ。この世界で働くなら、まずは周囲へ馴染む必要があった。


「よろしいでしょう」


 そこからは意外なほど話が早かった。男は棚から粗末な麻のシャツと上着、それから作業用らしいズボンを取り出してくる。今まで着ていた制服とは比べ物にならないほど質素だったが、少なくともこの街では浮かずに済みそうだった。


 店の奥には布のカーテンで仕切られた小さな着替え場所があり、そこで急いで制服を脱ぎ、麻の服へ着替える。


 粗い布が肌へ擦れ、少し痒かった。制服の下へ着ていた柔らかな服とはまるで違う感触だった。胸の奥に、何かを置いてきたような重さが残る。けれど、制服のまま通りを歩き続けるよりは、この街の空気に紛れられる気がした。


 ただ、足元へ視線を落とした瞬間、少しだけ違和感が残った。麻の服へ着替えた身体に対して、スニーカーだけが妙に浮いて見える。白いゴム底も、均一に縫われた布地も、この街の靴とは明らかに違っていた。


 とはいえ、今はまだ履ける。わざわざ買い替えるほど余裕があるわけでもない。ひとまず靴はそのまま使うことに決めた。


 店主の元へ戻ると、男は制服の価値を計算し、服代を差し引いた金額の硬貨をカウンターへ並べる。昨日の校章ほどではないにせよ、思ったより多い。硬貨を持ち運ぶための袋も欲しいと伝えると、男は小さな革袋を一つ差し出した。


「これはおまけにしておきましょう」


「……ありがとうございます」


 畳んだ制服を男へ渡す。その時だった。


「以前、このような布を他の町で見かけたことがあります」


 男が、ふと呟くように言った。


 身体が固まる。


「確か、"迷い人"が着ていたものだと聞き及びました。あなたは、これをどこで手に入れたのですかな?」


 心臓が跳ね上がった。まさか服を見ただけで、そんなことを言い当てられるとは思っていなかった。背中へ冷たい汗が流れる。動揺を悟られないよう必死に表情を保ちながら、口を開いた。


「以前、迷い人から買ったものだって宣伝していた商人から買ったんです。本物かどうかは分かりませんけど」


 自分でも分かるくらい声が少し震えていた。


 店主は黙ったまま、僕の顔を下から覗き込むように見つめてくる。その沈黙が、やけに長く感じられた。


 やがて男は小さく目を細める。


「……そうですか」


 それだけ言うと、制服を抱えたまま店の奥へ下がっていった。


 その背中を見送りながら、小さく息を吐く。まだ心臓が嫌な音を立てていた。


「ありがとうございました。失礼します」


 返事はなかった。薄暗い店を後にし、朝の光が差し込む通りへ戻っていった。



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