第一部 第六章 帰りたい(2)
やがて、見慣れた通りへ辿り着いた。
だが、そこももう普段の景色ではなかった。
教会前の広場は、人で埋まっていた。火から逃げてきたのだろう。荷物を抱えたまま呆然と座り込んでいる者。怪我人を支えている者。子供を抱き締め、泣きながら祈っている女。怒号と悲鳴が混ざり合う街の中で、ここだけは妙に息を潜めたような空気が流れていた。
石造りの教会は、このあたりでは珍しいほど堅牢な建物だ。しかも聖女と、その護衛の帝国兵がいる。避難場所として人が押し寄せるのも当然だった。
人混みを避けるようにして、併設された孤児院の裏手へ回る。扉へ手をかけた。開く。中は暗かった。
「……っ」
胸の奥が嫌な音を立てる。急いで中へ入った。だが、人の気配がない。食堂へ続く扉を押し開ける。椅子が倒れていた。割れた皿が床へ散らばっている。慌てて逃げ出したのだろう。だが、血の跡はなかった。争ったような痕跡もない。
その瞬間、張り詰めていた息が少しだけ漏れる。生きてる。みんな、逃げられたんだ。
その時だった。遠くから、かすかに声が聞こえた。祈りの声。それに混じる怒号。
はっと顔を上げる。教会だ。みんな、あそこへ避難したのか。すぐに孤児院を飛び出した。
教会正面へ回る。入口周辺は混乱していた。避難民が押し寄せ、人で溢れている。座り込んだまま泣いている老人。空を見上げ、何かを祈り続けている女。腕へ布を巻かれた男。火の赤い光が、不安そうな顔を照らしていた。
「通してください!」
僕は叫び、人の隙間を縫うように進む。肩がぶつかる。誰かのすすり泣きが耳元を掠めた。
入口近くには帝国兵が立っていた。煤で汚れた鎧。握られた槍の先がわずかに震えている。
「中へ入るな! もう限界だ!」
兵士が怒鳴る。その声も掠れていた。
「孤児院の子供たちがいるんです!」
負けじと叫び返す。兵士の表情がわずかに揺れた。その隙だった。僕は半ば強引に身体を滑り込ませる。
「お、おい!」
背後で声が聞こえたが、止まらなかった。
教会へ足を踏み入れた瞬間、むっとする熱気と湿った血の臭いが押し寄せてくる。
礼拝堂は人で埋め尽くされていた。怪我人。泣き続ける子供。呻き声。祈りの声。苦しそうな呼吸音。どこかで誰かが咳き込み、誰かが名前を呼び続けている。床には血が広がっていた。布で押さえられた傷口。震える手。普段は静かな教会が、まるで野戦病院みたいになっていた。
その奥。祭壇近くで、誰かが膝をついて怪我人へ手を当てている。淡い光が揺れる。金色の髪が、その光を受けて滲むように輝いて見えた。
胸が強く掴まれた。
「……セレナ」
思わず名前が漏れる。
セレナが顔を上げた。一瞬、驚いたように目を見開く。そのあと、僕の姿を見てほんの少しだけ表情が緩んだ。安心したみたいに、小さく笑う。だが、その顔色は青白かった。怪我人へ触れている手も、微かに震えているように見える。それでもセレナは、また次の怪我人へ手を伸ばした。
生きてる。無事だった。その事実だけで、胸の奥に張り詰めていたものが少し緩む。僕も、微かに笑い返した。
「イオリ!」
聞き慣れた声が飛ぶ。振り向く。子供たちだった。
「イオリだ!」
「よかったぁ……!」
泣きそうな顔で駆け寄ってくる。小さな身体が勢いよくぶつかってきた。思わず膝をつき、その身体を抱き止める。
「みんな無事でよかった……」
熱くなった目元を誤魔化すように、子供たちの頭を撫でた。ルクシアの姿も見える。涙ぐみながら、それでも子供たちを落ち着かせようとしていた。本当に、生きていた。
その時だった。
「みんな大丈夫か!?」
礼拝堂へ響くような大声。荒い足音。入口の方を振り向く。そこには、肩で息をしたイグナが立っていた。




